99話【視えるもの】
◇視えるもの◇
エドガーは一人、宿に向かっていた。
深夜帯である事を理由に。
「エミリア。泊っていくでしょ?」と言葉を掛けたが、エミリアは自分から「今日はロヴァルトの屋敷に泊るよ、朝一で城に戻るから」と言って帰っていった。
もしかしたら、少しだけ気まずかったのかもしれない。
(エミリア。大丈夫かな……あんなこと言っておいてなんだけど、正直言えば不安だな……)
エドガーは確かに言葉を掛けたが、それは激励では無かった。
それで本当に、エミリアの心に覆いかぶさった不安が払拭されたかと言えば、きっとそれは違うはずだ。
だが、尽くした言葉は噓偽りのない本心であり、紛れもないエドガーの気持ちだ。
(戦争か……南の国、【ルウタール王国】か……)
エドガーは知らない。その国がどのような国柄で、どのように発展してきた国なのか。
それどころか、【リフベイン聖王国】以外の国の詳細を、エドガーは知らなかった。
(西の国、【レダニエス帝国】……じゃなくて、【魔導帝国レダニエス】、か。その国も、何も知らないんだよな……僕は)
自分の無知に泣きたくなる。
勉強なんてしたこと無くて、学ぼうとすることすらしなかった。
ここに来てそれを後悔するなんて、先程の自分に言ってやりたい。
(馬鹿野郎だな僕は……エミリアに言った事は、自分にも言い聞かせてるようなものだ……何が後悔はしてないだっ……今さっきの自分に問質してみろっ)
自分を殴りたくなって、エドガーは拳を握る。
(確かに戦った事も、あの人を斬ったことも後悔はしてない……それは噓じゃない)
噓はない。本心だ。しかし、真実ではないのだろう。
エドガーにだって、男としての意地がある。格好悪いと言われても、情けないと言われても気にはしないが。
「エミリアに嫌われたくない――って、思っちゃってたんだろうな、きっと」
あそこで引き離すことも出来た。
それでエミリアが【聖騎士】として、強く賢くなるのなら、それもいいのかもしれないと。
だが、心に残ったほんの一握りの意地で。少年として、男として、格好悪くても情けなくても、意気地がないとは思われたくなかった。
ならばどうするのか、それは。
「努力しよう……!せめて、噓つきって言われない程度には……」
そこでハッとする。握った右手の拳、その甲だ。
「……【真実の天秤】?いつの間に……」
右手の甲に、赤と紫の《紋章》――【真実の天秤】が復活していた。
「こ、これって……もしかして、ローザ……力が戻って!」
一度、ローザが弱った際に消えていた、赤の《紋章》。
右手には、フィルヴィーネの紫の《紋章》しか残っていなかったのだが、今見ると。
「戻ってる!ローザの《紋章》だっ!!」
右手を星空に掲げ、自分の事のように喜ぶエドガー。
「ローザ……もしかして、エミリアの為に……?」
深夜にも拘わらず、エドガーのもとにエミリアを連れて来たローザのあの態度。
もしかしたらと、エドガーは更に嬉しくなる。
「話、聞かないと!」
今後の願望と、自分への切願。そしてローザの帰還の喜びを胸に抱え、エドガーは星を眺めつつ、誰もいない路地を歩き帰ったのだった。
◇
タタタッ――と走る素早い影は、頬を上気させた少女だった。
気恥ずかしさと、未来への不安と希望がごちゃ混ぜになった複雑な気持ちを抱え。
エミリアは走って汗を流しながら、元の自宅である【貴族街第一区画】のロヴァルト公爵邸へ急いでいた。
城に越してからは、ロヴァルトの屋敷では寝泊りしていない。
偶に両親やメイドたちの様子を見に帰るときはあるが、その程度だった。
「父様と母様にも、ご報告をしておかないと……」
父アーノルド・ロヴァルトは、【元・聖騎士】と言うのもあり、仕方がないと言うだろう。
しかし、母はどうだろうか。病弱な母は、卒倒してしまうのではないだろうか。
「言わない方がいいのかなぁ……でも、エドの言う通り……私は」
守りたい。家族を、大切な人たちを。
エドガーに言われるまで気付けなかった、戦争の実態。
前線で敗戦してしまえば、聖王国【王都リドチュア】は火の海になりかねない。
その先に待つのは、エドガーの言った通り最悪の結末だろう。
「あ~……好きだなぁぁ……私、エドが大好きだよぉ」
こんなことで恐怖心が薄れるだなんて、自分はなんて単純明快な乙女なのだろう。
エミリアは駆けた脚を一旦止め、星空を仰ぐ。
きっとエドガーも、星空を見ながら帰っているに違いない。
同じ秘密を共有しているようで、不思議とドキドキする。
「うぅ、泊ればよかったぁぁぁ……」
顔を覆って、早速後悔の念に駆られる。
本当はもっと一緒にいたかったし、もっと話したかった。
叫び終わると、エミリアはもう一度星空を仰ぐ。そして。
「……エド。エドは、私よりも騎士っぽいよ……」
その精神は人の為に動き、人の為に奮わせる事が出来る。
自分を顧みない心根は、確かに騎士道と言えるものだろう。
「私も、エドと同じように考える。エドを、皆を守るために戦うよっ」
星空に拳を突き上げて、一人誓いを立てたのだった。
◇
そしてそのエドガーは。
「お!ラッキー……」
屈んで、小石を拾う。
月明かりを通して小石を見ると、キラリと赤っぽく輝いた。
「……滅茶苦茶小さいし輝きも少ないけど、【アレキサンドライト】だ。魔力も少しある……ホントにラッキーだぞこれ」
帰り道、一人で《石》拾いをしていた。
腕に掛けたコートのポケットにその小石を入れて、ホクホク顔で立ち上がる。
拾った【アレキサンドライト】は、昼夜で色を変える珍しい《石》だ。
光によって昼には緑、夜には赤と色を変える。
今拾った小石は非常に品質が悪く、輝きはほとんど無い。
色もまばらで、本来は綺麗な赤になるはずの夜にも拘らず、若干緑がかっていた。
「フフフ……」
それでもエドガーは嬉しそうに、一人笑いながら帰り道を急いだ。
見る人が見れば、控えめに言っても気持ち悪いかもしれない。
しかし、その笑顔は一瞬で消え去る。
「――ぐっ……!!」
突然襲って来た胸の痛みに、エドガーはしゃがみこむ。
「――うっ……痛っった……」
胸の中心を押さえて、二度目の痛みに苦悶する。そして更に追い打つように。
ズギンッッッ――!!と、割れそうになるほどの痛みが、頭部を襲って来た。
「ぐぅぅ……な、なん……で、こんな……痛っ……たぃ」
膝を着き、脂汗が噴き出す。
呼吸も荒くなり、目を開けてもいられなくなった。
「これ……もう、何度目何だよっ!痛ったぁ……!」
エドガーは蹲って、ついには身体を倒した。
「ぐぅ……なん、だ……これ……なんで、目を瞑っているのに……視えるん、だよっ!?」
エドガーは痛みに目を閉じている。
しかし、暗いその視界には、どこぞの光景が浮かんでいたのだ。
◇
そこには、一人の少女が横たわっていた。
戦場と思しきその場所で、エッグゴールドの金髪が地面に広がっている。
瞳は開き、口元からは血が溢れていた。
腕は拉げ、脚は千切れている。
細い身体に突き刺さっているのは、鉄の杭のような物だった。
そして、その少女の最後の言葉は。
『……エド……』
瞬間、何か巨大な塊が、その少女を押し潰したのだった。
「――うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
叫び、起き上がる。
視えてしまったものを理解して、咄嗟に悲鳴を上げた。
「ぁぁぁぁぁ……ぁぁ……あ、ああ……はぁ……はぁ……はぁ……」
声は切れた。咄嗟に叫んだせいで、喉が痛い。
しかし、そんな事は気にならないほどに、視たものが衝撃だった。
「今のは……エ――っ!!」
言ってしまえば。口に出してはいけない気がして、エドガーは口を塞ぎ。
(な、なんだったんだ……今の、夢?幻?……そ、それにしては)
現実のような、肉感的なものだった。
しかも、不吉過ぎるものだ。
「……うぐっ……!!」
張り詰めたものが途切れるかのように、エドガーは再度地面に倒れた。
「……エミ……リア……」
段々と薄れる意識の中で。
視えてしまった、幼馴染の悲惨な瞬間が、何度も何度も繰り返されていった。




