98話【言葉を胸に2】
◇言葉を胸に2◇
エミリアの言葉は続く。
「戦争に行けって言われてさ……私、一瞬で理解した」
死ぬかもしれないという事に。技術や精神も未熟な自分が戦地で何ができるのか。
そんな事も分からない自分が生きていける自信が、どうしても湧かなかった。
「……怖い。今すぐ逃げ出したい……戦争になんて行きたくないっ……」
【聖騎士】にとって、聞かれれば良くない印象を持たれるであろうその言葉は、エドガーにしか聞こえない。
エミリアは座ったまま身体を縮めて、繭のようになる。
そのまま閉じ籠ってしまえば、どれだけ楽になるのだろうか。
そう、考えそうになった瞬間。
「――エミリア。それは駄目だよ」
頭に乗せられた優しい手は、ゆっくりとエミリアを撫でた。
「え?」
エドガーが“駄目”と言ったのは、戦争に行きたくない事を駄目と言っているのではない。
閉じ籠る事が、孤独を生み出すことが駄目だと言ったのだ。
「独りで考えちゃ駄目だよ。それは――サクラが一度行ってしまった場所だから……」
「……あ」
エミリアだって忘れた訳ではない。
友達になった異世界人の少女は、自分の境遇を呪って《石》に閉じ籠ってしまった。
結果的に救われたが、失敗したらどうなっていただろうか。
想像もしたくない。
「……エミリアは独りじゃない。皆いるから、皆見てるから。僕も、ローザも、サクラやサクヤもメルティナも、フィルヴィーネさんやリザもね」
「……でも」
「さっきエミリアは、僕の為に……って、言ってくれたよね」
エドガーはエミリアの頭を撫でながら、反対の手でエミリアの頬を伝うものを拭った。
「僕も一緒だよ。もともと騎士学校に入学したのだって、エミリアやアルベールと一緒にいたかったからだし。これでも傍にいたかったんだよ、僕だって」
「……そんな感じには見えなかったぁ……」
「え……そ、それはごめん……」
涙声で訴えるエミリアに、エドガーが謝る。
エミリアはてっきり、流されるままに騎士学校に入学したのだと思っていた。
「でもさ、母さんが亡くなって、父さんが蒸発してさ……二人分の学費が払えないって分かって、それで辞めるまで……本当はずっと一緒に、いたかったよ。僕が騎士に成れるとは思ってなかったけど、それでもエミリアと一緒に卒業したいなって……思ってたんだ。本当だよ?」
エドガーは、妹のリエレーネが通う分の学費を払う為に、騎士学校を辞めた。
成績はぶっちぎりの最下位であり、誰も気にはしないであろうエドガーの存在。
それでも最低限、エミリアと共に卒業はしたかった。
「戦争は怖い。怖いね……でも、僕だったら――行くよ。戦争」
「――えっ」
それは、エミリアにとって本当に予想外だった。
「ど、どうしてっ!?死ぬかもしれないんだよっ!?」
エミリアはエドガーの手を払って立ち上がる。
エドガーは座ったまま、エミリアを見上げつつ言う。
「うん、そうだね……でもさ、聖王国が戦争に負けたら……敵国が次に向かう所は何処だい?」
「何処って……負けてしまったら進軍されるから……それは、王都じゃ……――っ!!」
気付いた。気付いてしまった。
「そう、ここ……王都だ。僕は無知だからさ、この王都以外の街や村を知らない……でもきっと、戦争に負ける……って言う事は分かってるつもりだよ」
何故、そこまで頭が回らなかったのだろう。
エミリアは、一瞬でこの街が蹂躙される様が思い浮かんだ。
そこにはエドガーがいて、父や病弱な母、家族同然のメイドたち、ローマリア王女に、騎士学校の同窓生や後輩たちが横たわり、命を失っている姿だった。
「……私、なんて……」
「違うよ。エミリアは悪くない……僕だって、ううん……誰だって怖いさ。人が一人死ぬこと、それ自体が、他の誰かに影響される事なんだから」
エミリアの手を掴んで、もう一度座らせる。
呆然として、自分が何から逃げようとしていたのかを気付かされた。
それは酷く幼稚で、酷く愚かな考えだった。
だが、エミリアを責める人間はいないだろう。
誰だって、死ぬことを簡単に受け入れたくはない。
ましてやそれが、新人【聖騎士】として着任したばかりの、未熟な学生なのだから。
「それでも僕は、戦うよ。相手が人であろうと……大切な人を守れるなら。だってそれが、僕に与えられた力を、最大限に生かせる事だから」
少し前まで、エドガーは何も出来ない少年だった。
しかし、エドガーは力を得て強くなった。
仲間も出来て、寂しさもない。
だが、決して驕ってはいない。
「あの時は何も出来なくて、エミリアやメイリンさんが傷ついている時に……僕は隠れてた……怖くて、怖くて……逃げ出そうとしてた。誰かに助けてとも言えずに、僕はやり過ごそうとしてたんだ……最低だろ?」
それは、過去の事。まだローザが“召喚”される前の、エミリアとエドガーの記憶だ。
契約の《紋章》の無いエドガーは、一般人以下の運動能力しかなかった。
戦う事も、守ることも出来ない無力な少年は隠れて、幼馴染が傷つく場面から目を逸らそうとしていた。
結果的に言えばエドガーは気付かれ、ある男に一撃入れられて気を失うことになったが、あの時の恐怖がなくなった訳ではない。
「今だって、時々思い出すくらいに怖いよ。それに、セイドリック・シュダイハを――僕は殺した」
「……エド……」
エドガーの手は震えていた。
それでも言葉を止めず、エミリアに向けて自分の気持ちを発した。
「エミリアが結婚させられるかもしれないって聞いて、僕は本気で嫌だったんだ……“悪魔”になってしまったとはいえ、あの人を殺したのは事実で……でも、嫌悪と憎悪が、それをさせたんだと思う……本当に――醜悪な心の持ち主だよ……僕は」
「そ、そんな事っ――」
エミリアが、無いと言い切る前にエドガーは。
「――あるんだよ。でもねエミリア……僕、後悔だけはしてないんだ。あの日行動した事も、あの人と戦った事も……今も、その前も……後悔だけはしてない……そう思わせてくれたのは、エミリアなんだ」
「わ、私……?」
思えば、後悔だらけの人生だった。
母が死に、父はそのショックで蒸発。
残された妹を騎士学校に通わせるために【召喚師】を継いだ。
しかし、【召喚師】は国に指定された“不遇”職業だった。
それを伏せて、エドガーはエミリアと一年過ごしたのだ。
その一年、負の感情が後を引かなかったと言えば嘘になるし、今更否定する気もないが。
「そうだよ。僕の始まりは、いっっっつも君なんだよ、エミリア」
あの時、エミリアに助けを求められなかったら。
あの時、結婚するかもしれないなんて話がなかったら。
そうでなかったとしても、もしエミリアがいなければ、ローザは、サクラは、サクヤは、メルティナは。
「気付いてる?僕を含む、皆の輪の中に……その中心にいるのは、エミリアなんだよ?」
「え――え?……えぇ?」
自分の事を言われるとは思っていなかったようで、エミリアはエドガーの顔を覗き込んで「噓言ってない?」と疑心に駆られていた。
「あははっ、噓じゃないよ――お、面白い顔だね……」
「ひっどいっ!」
エミリアの疑心塗れの表情に、思わずエドガーは苦笑いした。
だが、そう。これこそが、エドガーの幼馴染、エミリア・ロヴァルトだ。
「あはは!」
「もう~!エドーー!」
ポカポカと、エドガーの胸を叩く。
ポカポカ、ポカポカ、ポカ……
「……エミリア?」
胸にすっぽりと収まったエミリアは、エドガーの背にスッ――と腕を回して。
ギュッとした。そして。
「そんなこと言われたらさ、カッコ悪いよ……私」
「そんなことないよ」
「あるの。私が、そう思うの……」
エドガーはエミリアを抱き返す。
安心させるように、優しく。
「まだ怖い、怖いけど……勇気は出た、かな。ちょっとだけど」
「そっか」
「うん。大切な人は……沢山いるものね、この国に、沢山……沢山っ」
そしてそれを守れるのは、自分たち【聖騎士】だけなのだと。
「私が、守るよ……それで、ちゃんと帰ってくる……エドの所に、帰ってくるから」
「うん。皆で待ってる」
(本当なら、僕も行くとか言えればいいんだけど……)
エドガーにそれは許されない。国が許さない。
そもそも、部外者であるエドガーにその資格は無かった。
エドガーは騎士でも、兵士でも、傭兵でもないのだから。
「ありがと……。……」
感謝の後のエミリアの言葉は、聞き取れなかった。
「え?」
「――ありがとっ!」
エミリアはエドガーから離れる。満面の笑みで。
まだ恐怖心はある。だが、その恐怖は今までの物とは明らかに違う。
今のそれは、自分が死ぬかもしれない、幼馴染に会えないかもしれない。ではない。
何もしなければ、誰か大切な人を失うかもしれないと言う、そんな恐怖だった。
「帰って来たら、いっぱい聞いてね?私の話」
「うん。勿論だよ」
「私は……守るために戦争に行く!まだ戦いが起こるかは分からないけど、エドや皆に――大切な人たちに害が無いように……私、頑張る!!」
その笑顔は、完全な作り笑いだった。
月明かりと星が照らすその作り笑顔は、今までのエミリアのどの笑顔よりも切なく、無理に引き出したものだと瞬時に分かった。
それでもエドガーは優しく、何も心配など無いと言わんばかりに。
「ああ、ずっと……応援してる」
エミリアの恐怖は完全に拭われた訳ではない。
恐怖心はそのままに、エミリアはエドガーの言葉を胸に秘め、戦地に赴くことになる。
それは【リフベイン聖王国】と南国、【ルウタール王国】の戦いの幕開けである。




