97話【言葉を胸に1】
◇言葉を胸に1◇
その感覚は、実に久しぶりだった。
深夜、エドガーは小さな【明光石】の明かりだけを頼りに、一人勉強をしていた。
すると突然、心に問いかけてくる優しげな声。
<エドガー……起きている?>
ガタン――!と、エドガーは椅子から立ち上がって、太腿をぶつけた。
「痛っった……ロ、ローザ……?」
エドガーは気を取り直して、久しぶりに掛けられた【心通話】に応える。
久しぶりに聞く声に、思わず声が上ずってしまう。
<うん。起きてるよ……ローザ、その……久しぶり、だね>
懐かしむように、少々の緊張を含みながら会話をするエドガーだが、一方でローザは。
<もう直ぐ着くから、外に出て>
「<えっ……!?ちょ、ちょっと待って!>」
問答無用のローザの言葉に、再びガタンと立ち上がる。
今度は腿をぶつけることなく、エドガーは急ぎ外に出ようとする。
<焦らないでいいわよ。私たちも、まだ着かないから>
「私……たち?」
その言葉は、疑問を持つだけには充分だった。
ましてやこんな深夜。エドガーが起きていたとはいえ、他の人たちは眠っている。街は静寂だ。
「と、とにかく外に出て……ローザを待とう」
エドガーは外に出ると、先ず道を確認した。
この夜遅くだが、城から馬車が来る可能性と歩いてくる可能性を考えてだ。
「いない……」
<もう直ぐ着くわ>
独り言に【心通話】が返ってきた。
<そんなこと言っても……姿が見えないん……じゃ>
エドガーは不意に感じた明るさに、上を向く。
そこには――燃えるような翼と尾を持った、不死鳥がいた。
「ただいま。エドガー」
「ロ、ローザ……え?――エミリア!?」
感動の再会なんて使い古された物では無かった。
ローザが荷物のように抱えるのは、エドガーの幼馴染。
エミリアだったのだから。
◇
着地すると、炎の翼と尾は自然と消えていった。と言うよりも、ローザの身体に戻っていったという方が正しいかもしれない。
しかし、若干キラキラと輝いている。
ローザの肌が、そのまま宝石なのではないかと思わせる程だった。
「ローザ……その力、いったい――」
「それよりも、今はこっ……ち!」
「うぅ」
エドガーの言葉を遮り、ローザは自分の後ろに隠れる様にいたエミリアを、エドガーの正面に移動させた。
エミリアは気まずそうに視線を逸らし、エドガーと目を合わせようとしないが、目元が赤かったことにエドガーは気付く。
「……エミリア……?」
塞ぎがちになるエミリアは、視線をあちこちに彷徨わせるが、一度もエドガーに向けようとしない。
「……え~っと」
エドガーは思わずローザを見るが、そのローザは天を仰ぎ「ダメだ……」と右手を額に当てていた。
しかしローザも、何か意地の様なものがあるのか、気を取り直して。
「――ほらっ!エミリア、何のために来たのよ。時間は無いわよっ」
ローザは文字通りエミリアの尻をペシリと叩き、気合を入れさせる。
「うぅ……分かってるけど」
「ええ。なら頑張りなさい。それじゃあエドガー。私は久しぶりに部屋に行くから、後は任せたわ……」
「――へ?もう……!?」
戸惑いを見せるエドガーを無視して、ローザは宿に入っていく。
止めようかとも思ったエドガーだが。擦れ違い様、ローザに耳元で。
「エミリアをよろしくね」
「……」
それだけ言い残して、ローザは二階の部屋に向かった。
そしてエドガーも、エミリアが普通ではないのだと深く理解した。
泣いたと思われる赤くなった目元、ぐじゅぐじゅの鼻声。
何かあったのだと、もしくはこれからあるのだと、真に理解させられた。
「……」
「……」
驚くほどの静寂だった。突然の出来事に、エドガーも何の準備も出来ていなかったからだ。
と、内心そんな言い訳を用意しそうになったエドガーは、左右に首を振るって。
「――エミリア」
ビクッ――と、エミリアは怯えたように震えた。
ゆっくりとエミリアが顔をあげると、エドガーが目を合わせてきて、優しく問う。
「少し、歩かない?」
エミリアは何も言わないまま頷き、二人は深夜の【下町第一区画】を歩き始めた。
◇
会話はない。無言のまま町を歩いて、星を眺める。
この世界は空が広い。廃棄物がなく澄み切った空は、満天の星空を視界に入れる。
そしてエドガーは、独り言のように呟く。
「もう直ぐ【浮遊島】が王都上空に来るね。また《石》集めが出来て、楽しみだなぁ」
「……」
「そう言えば昔、石ころを僕にくれたよね。エミリア」
その石ころは《石》とは呼べない、本当に石ころだった。
エドガーが《石》を集めていると知ったエミリアが、そこらへんで拾って来た物であり、子供ながらに気を引こうとして、プレゼントしたものなのだろう。
「……」
「その石ころさ。実は僕、まだ持ってるよ」
「……」
返事はない。だが、顔は赤かった。
なんでそんなものを未だに持ってるのよ!と言いたいのかもしれない。
笑顔でそんな事を言うエドガーを、ちらりと見るエミリア。
「……あ!」
目が合った。
「……ほらエミリア、あそこ。まだあるよ」
「……え?」
エドガーが言うあそことは、小さな広場だった。
子供が数人で遊ぶのが限界のような、何の遊具もない空き地のような広場だ。
木材が置かれている以外に、これといった注視するものがないその広場は、エドガーとロヴァルト兄妹のかつての遊び場だった。
「懐かしいねっ」
「……まだ、在ったんだ」
フラッシュバックのように、幼い自分が駆けまわる姿が目に浮かんだ。
そしてその時と同じ笑顔で、幼馴染の少年が隣にいる。
「エド……私」
「――エミリア」
何かを言おうとしたエミリアを制して、エドガーはエミリアを手招きする。
古びた木材を手で払うと、土と汚れが舞った。エドガーはムッとしながも、念の為持って来ていたコートを広げて、ちょいちょいと再度手招きした。
「こっちに来て座ろうよ、ほら、星が綺麗だよ?」
「……エドのコートに座るの?」
「そこはほら、使えるものは使わないとさ」
夏間近で、厚めのコートを持ち歩くのもどうだろうかと思うが、ある意味ラッキーだったのかもしれない。
「……わぁ……」
コートを広げた木材に座り、二人で星空を見上げる。
「凄いね」
「……うん」
星なんて、最近はゆっくり見上げたことなど無かった。
無限に等しい星々は、月明かりに負けないくらい二人を照らしてくれている。
それは二人きりの世界を作り出してくれているようで、少し嬉しかった。
しかし反面、これが最後なのかもしれないと、心を縛り付ける前兆にも感じられてしまい。
エミリアの心は段々と、暗がりに差し掛かってしまう。
「……」
「……」
ついにエドガーも無言になってしまう。
だが、エドガーはエミリアを見つめて、言葉を待っているようにも見えた。
無理に聞き出すことは簡単だ。
でも、エミリアの口からそれを言ってもらわなければ、真の意味はない。
それをエドガーは分かって、時間がある限りは待とうと思ったのだ。
「……」
「……」
そしてエミリアは、重々しくも口を開いた。
その言葉は、直球だった。
沢山考えたのだろう。悩んだのだろう。
だが、もうこのまま直接言ってしまうのがいいと、思い切ったのだ。
「――私。戦争に行く」
「……」
一瞬だが、目を見開いたエドガー。
しかし返事はせず、エミリアの言葉の続きを待つ。
「南の国……【ルウタール王国】が、侵攻の恐れがあるの……それに、【聖騎士】が行かなくちゃいけなくて……それは、私たちの責務でもある。けど……私」
拳を作り、エミリアは恐怖を抑えようとする。
「私、怖くてさ……戦争だなんて、私たちの代じゃ起きないと思ってた自分が居て、今まで簡単に考えてたんだって……痛感した。【聖騎士】に成れば凄いって、【聖騎士】に成ればエドを……守ってあげられるって……それだけしか頭になくて。戦いだって、そこらへんで暴れる人を取り押さえる感覚でものを考えてた……」
自分が【聖騎士】に成れば、“不遇”に喘ぐ幼馴染の少年を守れる。救える。
そんな単純な理由で【聖騎士】を目指した少女は、少年が“不遇”職業だと知ってから、更に頑張った。
そしてその努力は功績となって実を結び、王女に認められて見事に【聖騎士】と成った。
しかし、肝心なところは考えていなかったのだ。
その【聖騎士】という在り方が本来、国防組織だという事を。




