96話【踏み出す一歩、私の一頁】
◇踏み出す一歩、私の一頁◇
一頻りローザの胸で泣いたエミリア・ロヴァルトは、恥ずかしさを胸に仕舞い、ローザを見上げ言う。
「そ、それで……どうやって行くの?」
時間は深夜だ。しかも馬車は使えない。歩いて行こうにも、そんな事をすれば時間はあっと言う間に朝だろう。しかし、そんな事は一切気にしていないローザは、手に持った《石》をエミリアに見せつける。
「【消えない種火】……?」
赤い赤い宝石のルビー。ローザの全てとも言える《石》だ。
この城に来てからは、ローザは殆どこの《石》を身に着けていなかった。
その理由は様々だが、ローザ自身が拒んでいた点が、一番の理由だっただろう。
「私の全て……【消えない種火】。この《石》のお陰で私は生きてこれた。でも、この《石》が原因で、私は停滞していた……前に進めていなかったのよ。《石》を外して、気付くことが沢山あったわ……そして大切なものがなんなのか、気付くことができた」
それは、元の世界では絶対に得ることの出来ないものだった。
孤独と共に過ごし。孤独に死んでいく。
それが自分の運命だと思っていた。だが運命は、こんなにも簡単に転がるものだと知った。
「私の大切なものが泣いていたら、助けるのは当然なのよ」
「そ、それって……」
「言わせないで。恥ずかしい……さぁ、少し離れていなさい。エミリア」
「う、うん……」
言わせないで欲しかった。
エミリアは心配そうにしながらも、ローザの言う通りに離れ見守る。
赤面しながらも、エミリアが離れた事を確認し、ローザは《石》を右手の甲に着ける。
人生で初めて出来た友人の為に、ローザは再び《石》をその身に着けた。
「……くっ……」
一度拒否した力は、その身を焦がすようだった。
初めて使用した時のように、全身を炎で包まれたかのような熱の感覚は、痛みでは済まない程の痛覚だった。
「――ローザ!?」
少し離れていたエミリアが、心配そうに駆け寄ろうとするが、ローザは手で制し笑顔を見せる。
「平気よ。こんなの、初めての時に比べれば……なんでもないわっ!!」
そうは言うが、実際は相当の痛みだった。
初めて《石》を身に着けた時とは違い、《石》は侵食していくように右手に埋め込まれていく。いや、勝手に手の中に沈んで行っているようだ。
まるで怨念が沁み込んでいくかのような、蝕みだと思えた。
「《石》が、ローザの手に……埋まって」
まるで、一体化していくかのように。
「ぐ……ぐぅ……」
歯を食いしばり、その侵食を抑え込もうと汗を流す。
痛みに耐え、じゃじゃ馬を飼いならす為に気合を入れるローザ。
ポタリポタリと床を汗で濡らして、《石》の感覚を再度、覚え込まされていく。
直接的に手の甲に着けていた時とは違い、《石》は自らローザの体内に侵入して行っているようにも見える。
そしてローザも、それを受け入れている。
(……分かってる。酷いわよね……一度、私はあなたを拒んだ。その力を、自分の都合だけでまた使おうとして……怒るのも無理はないわ)
ローザは目を瞑り、心の中で語りかける。
その《石》の奥底に眠るであろう意思に。
◇
ローザが目を開けると、そこは炎の世界だった。
誰もいない空間に自分だけが漂う感覚。ここが夢想だと分かる。
だが、ローザは意を決して進む。その者が待つ最奥に。
不思議な炎の空間を進みながら、ローザは思う。
(昔から、【消えない種火】の中に誰かがいるって……朧気ながらに感じていたわ。でも、あなたに気付く事が出来なかった……子供だった私には、そこまでの余裕はなかったのよ。でも……今は分かる。あなたに会いに行く……共に、生きて行けるように)
《石》の奥底から感じる、灼熱と言ってもいい豪炎。
ローザを導くかのように、案内してくれている燃え盛る炎。
それを追うと、この世界唯一の住人である者が、ローザを待ち構えていた。
陽炎が揺らめくその場所にいたのは。
――炎を纏う一羽の鳥だった。
「あなたが、【消えない種火】の主ね」
ローザが夢想の中の岩場に足を下ろすと、その鳥は丸めていた身体を起こし、値踏むようにローザを見る。
炎を纏った巨大な鳥は、その大きな首を下げローザの眼前まで近付ける。
虹色に輝く瞳はローザを映し、揺れる尾の炎はローザを包むように周囲を囲っていった。
『――如何にも。我が……【消えない種火】に封ざれた“精霊”――フェニックスだ』
「……フェニックス……」
炎鳥、フェニックスは念話でローザに声を掛けている。
『……一度逃げ出したお前が、まさか《石》の侵食も恐れずにここに来れるとは驚いたぞ。我は、もうお前と話す機会は無いと思っていたが……』
「……」
『しかし、覚悟は見事だ。以前のような覇気の無さは皆無のようだ』
以前というのは、ローザが初めて【消えない種火】を身に着けた時の事を言っているのだろう。
“天使”ウリエルに授けられ、何の感情もないままに《石》を受けれた時の事を、フェニックスは知っているのだ。
「……随分と昔の事を言ってくれるのね……」
『当然だ。我等は永遠ぞ……“精霊”、はたまた“悪魔”と呼ばれる我等精神体は、“神”に通ずる意思を持つのだ……お前たちの一生など、我等にすれば一瞬ぞ』
「そう、でしょうね……」
フェニックスは目を細めて、ローザに問う。
『……お前がこの場に来た理由……再度、力を求めるのは何の為だ。まさか、あそこにいる小娘を助けるなどと、世迷言を抜かすわけではないであろうな……』
心象は映像となって、ローザの前に映し出される。
そこには、苦しみ汗を流すローザを心配するエミリアの姿が映っていた。
「……」
一瞬、悪趣味だと思ってしまったローザだったが、長い間を一人で過ごしていたフェニックスが、少しばかり哀れに思えてしまった。
そしてそれは少し前の自分自身と、全くの同義だとも気付いた。
「――私があの子を救えたら……それはそれでいいのかもしれない……でも」
ローザはフェニックスの顔に手を添え。
「でも……私ではあの子を救えない。救うべき人物は――他にいるから」
『……では、何故力を求めた。我の力は……お前がよく知っているだろう。その一端とは言え、長年にわたり使って来たのだ……この戦うべき力で、あの小娘を救うのではないのか?これからあの小娘は、戦地に赴くのであろう?……今のような精神状態で、戦い続けられぬ事……お前がよく知っているだろう。わざわざ死にに行くようなものだ』
「――そんな事はさせないわ……私が、いえ……私たちが」
戦争で犠牲を出さない。そんな事を言えるほど、ローザは世間知らずでも、お人好しでもない。
それでも、自分たちならそれが出来るのではないかと、思えた。
『確かに。異界の力を持てば、この衰退しきった世界で頂きを獲る事も可能であろう』
「私にそんな趣味はないわ……昔からね」
ローザは炎鳥の言葉に笑みを浮かべながら、答える。
「でももし――その時が来たら……頂にいるのは――」
言わずとも、フェニックスには理解が出来た。
その虹色の瞳を大きく開いて、ローザの動いた口元を映し。
『――フハハハハハッ……そうか、そこまでか!あの者は』
バサリと翼を広げ、炎を舞わせて実に愉快そうに笑うフェニックス。
反動で尾がローザにペチペチ当たっている。どうやら熱くはないようだが。
フェニックスはローザの回答を気にいった。
正確に答えた訳ではないにもかかわらず、その意思をはっきりと理解して、笑ったのだ。
「そこまで笑う?」
ローザは少しムッとしながらも、自分でもおかしな気分だと認識はしているようだ。
実際まだ、あの少年にそこまでの資質があるかは分からないのだから。
『我もお前を通して見ていた。人畜無害なお人好しなのも理解しているさ……』
「そうでしょう?」
『ああ――だがな』
「……え?」
そのフェニックスの言葉を。
ローザは今後の生において、何度も何度も思い返すことになる。
◇
「……」
『……』
理解したくはなかった。しかし思い当たる節もある。
聞き終えたフェニックスの言葉を考えながらも、ローザは。
「忠告として受け取るわ……あの子がどうなるか、それは異世界人たち次第でもあるのだから。あなたは見ていて……」
『確かにその通りだ……努々注意せよ。我も……あの男は嫌いではないからな……』
そう言って、フェニックスは姿を炎と変えていく。
炎はやがて形作り、《石》となった。
【消えない種火】のようであり、しかし違う存在のように、ローザは感じた。
《石》となったフェニックスは、ゆっくりとローザに吸い込まれるように、その姿を消していった。
「……力を貸してくれるの?」
『貸すのではない。一つになるのだ……よいな。お前は……もう人ではない……その存在を、“精霊”として生きることになるのだ』
「……“精霊”として……」
体内に感じる《石》の熱さと、その力の全てを共感し。
格別驚きもせずに、ローザはその言葉を受け入れる。
それが今、一番必要な力だと分かっているから、だからこそ否定はしない。
『――ローザよ。今よりお前は、“精霊”フェニックスだということを認識せよ……さすれば、天も魔も――お前に傅くであろう……』
フェニックスは、満足げに宿主と一体化を果たして、その全ての権限をローザに委譲した。
“精霊”フェニックス。
不死の力を持ち、聖なる炎と魔の炎、両方を操る存在。
生まれ変わったローザの新たなる力、いや……新しい存在。
『……感謝するわ。さぁ……行きましょう、フェニックス』
◇
《石》は、完全にローザの右手に吸い込まれていった。
「はっ……はぁ、はぁ……」
「――ローザっ!」
ガクリと膝を着くローザを、エミリアが支えた。
心配そうにするエミリアをよそに、ローザは見た事のない笑顔で。
「フフフ……見てたわね?エミリア、私は……進んだわよ。一歩、進んだ!」
「うん!うん!!」
休む間もなく、ローザはエミリアの肩に掴まって立ち上がり。
「――飛ぶわよっ!」
「うん!……――えっ!?」
突然の宣言は、予想外中の予想外だった。
「――すぅー」
深く息を吸ったローザの口から出たのは、聞いた事のない言葉だった。
「【憑依の翼】!!」
言葉と同時に一瞬で、ローザの背に生え出る赤い翼と尾。
メラメラと燃えているが、熱さは感じなく、どちらかと言えば心地いい感覚に、エミリアは。
「……綺麗……」
恐怖ではなく。エミリアが漏らした声は感嘆に溢れていた。
ばさりと広がる翼は、炎の鳥のように燃え盛っている。
それはローザの思いと、《石》に秘められた神意が一つになって。
「――行くわよ。フェニックス!!」
【消えない種火】。
その真の名は、【不死鳥の種火】。
“悪魔”あるいは“精霊”である、フェニックスが封じられた【神のみぞ知る宝石】だ。
この事実を隠して、“天使”ウリエルはローザに託した。
隠蔽された能力の一端は、魔力消失で復活する“悪魔”の力。それこそ不死鳥のように蘇る、消えない種火だったのだ。
そして今、“精霊”そのものになったローザは、その能力を全て掌握した。
だからこそ、知りもしなかった技を使う事が出来た。
「フェニックス!?何そ――」
「――ふっ!」
「れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
エミリアの疑問は完全スルーし、ローザはエミリアを抱えると、勢いのままに飛翔する。
二人は、月が輝く夜空に飛び立った。エミリアの残響だけを残して。




