94話【悩みは尽きず】
◇悩みは尽きず◇
エミリアは、いつの間にか自室に戻って来ていた。
レミーユは夜勤に戻っているので、今は部屋に誰もいないはずだ。
そう、思っていたが。
ドアを開けて部屋に入ると、そこには見慣れた赤毛の女性が、我が物顔で椅子に座っていた。
「――お帰り」
「……ローザ。寝てなかったんだね」
「ええ。タイミングを逃したわ」
優雅に紅茶など飲んでいて。
少しだけ、ほんの少しだけ腹が立った。
「熱いの平気なの?」
「これはアイスティーよ」
フーフーしてたじゃん。とは言えずに、エミリアは「そ」と言いながら上着を脱ぐ。
しかし手が震えて、上手く力が入れられない。
(……手が、震えて……なんで!)
「――エミリア」
「――!」
いつの間にか、ローザが後ろに立っていた。
「な、何……?」
「……何でもないけれど……ほら、後ろを向いて?」
エミリアは、やたらと気にかけてくるローザを警戒しながらも、言われたままに後ろを向く。すると、ローザが服を脱がせ始めてくれた。
「……」
「……」
無言のまま、エミリアは夜着に着替え終わる。
「はい終わり」と、ローザがポンポンと肩に手を置く。
その優しさに。つい。
「ローザ。私……戦場に行かなくちゃいけなくなった……」
「……」
ローザは何も言わない。エミリアの言葉を待っているのだ。
「私、馬鹿だ……戦争なんて、起こらないって思ってた……いきなりそんな事を言われて、頭……真っ白になっちゃって……戦争、行かなきゃ……私……」
突然の宣告に、エミリアの心中は白く塗りつぶされた。
話は後半だったため、その内容のすべては覚えている。
だが、ここまでの帰り道、自分がどうやって戻って来たかを覚えてはいない。
「怖くて……騎士学校も、【聖騎士】に成りたかったのも……私は、全部……エドの……」
幼馴染の“不遇”を解消したい。
それが全てだった。不純と言われれば、まさにその通りなのだろう。
しかしエミリアにはそれが全てであり、何事をするにも動機はエドガーだった。
「戦争がしたくて【聖騎士】に成った訳じゃない……違うよ?分かってるんだ。それが本筋だって、分かってる……でも、私は……」
【聖騎士】とは国を守るための組織であり、個人を守るものではない。
勿論のことだが、個人も国の一部。しかし【召喚師】は別だと、その国が言っている現状だ。
それを変えたくて、ロヴァルト兄妹は頑張って来た。
「初めは……私、エドが“不遇”職業だなんて知らなくて……ただエドを守りたいって、エドは弱っちいから、私が守ってあげなくちゃって、思ってて……」
「……」
暗い室内で、机の上に乗った蝋燭の明かりだけが、二人を照らす。
「理解してるよ。国の為、私は戦わなくちゃいけない……その為に訓練をして、勉強して……来た、んだから……っ」
恐怖は、自然と瞳を濡らし、頬を伝う。
「怖い……死が、目の前に来て……私も、戦いで死ぬかもしれないって……思っちゃって……」
事前の知識はある。【ルウタール王国】は強くはないと何年も前から頭に叩き込んでいる。
しかし、一度芽生えた恐怖は、そう簡単に拭えるものではない。
「怖いよ、ローザ……私、死ぬのが怖い……怖いよぉぉ……」
「エミリア……」
ローザは、エミリアを背後から抱きしめた。
ギュッと包み込むように、その恐怖が、少しでも薄れる様に。
「怖い、怖いよぉ……エドぉ……エドに会いたい、エドぉぉ……」
(この子が怖いのは、戦う事じゃない。自分が死ぬことじゃない……きっと、エドガーに会えなくなる事だわ……一瞬でもそれを考えてしまえば、一度決壊した想いは……流れ出る事しかしない。エドガーに対する思いが、この子にとっては全て……“恋”、しているのね……エミリア)
エミリアがエドガーに特別な思いを抱いている事は、きっと誰が見てもそうだと言うだろう。ローザだって気付かない訳がない。
初めて会った時に既に気付いている。
「うぅぅ……ぐすっ……」
回されたローザの腕を掴んで、エミリアは顔を隠して涙を流す。
(普段のこの子なら、きっと戦争なんて気にしない。笑って蹴り飛ばすくらい、この子は前向きなのだから……それでも、暗闇はどこからでもやって来る……それこそ、サクラが暗闇に落ちたように、闇はいつも、光の傍にいる……)
一度思ってしまったネガティブな思想は、根付くことを放棄することはない。
普段どこに行ったか分からない顔をして、その思想は突然目の前に現れるのだから。
きっと、エミリアの心が弱いのではない。
暗闇が光を飲み込むスピードが、恐ろしく異常なだけだ。
だから、ローザに出来る事。それは。
「――エミリア。会いに行きましょう……」
エドガーに、エミリアを合わせなくてはいけない。
「……え……?」
この子を、このままにはしておけない。
「少し早いけれど……ローマリアに言ってくるわ。少し待っていなさい」
ローザは腕を解く。
エドガーにするようにエミリアの頭をポンと叩き、ローザは笑顔で言う。
「――私は、親友を泣かせたままにしておくつもりはないから……」
「……ローザ……?」
部屋を出ていくローザの手には、赤く輝く宝石が握られていた。
一人になったエミリアは、ぺたんと座り込み、その時を待つ。
それしか、今のエミリアには出来なかった。
◇
ローザは城内を駆けていた。
ここはローマリアの寝所付近であり、夜は警戒が強い。
賓客とは言え、ローザが無断で出歩いていい場所では無かった。
「――お止まり下さい、ローザ・シャル殿」
二人の騎士が、槍を合わせてローザの進行を塞ぐ。
「悪いけれど、通してくれないかしら」
「出来かねます。普段ならともかく……残念ながら今日からは許可できません。お諦めを」
流石に、戦争を始めようとしているだけの事はある。
おそらくローマリアと面会させないつもりだろう。それだけ、セルエリスはローザを警戒していたという事か。
「どうしても?」
「「どうしてもです」」
仕方が無い。と、ローザが手を出そうとした瞬間。
「――構わないわ」
「「!」」
「――メイド騎士……」
「――ノエルディアよ!いい加減覚えて!……ゴホン。まぁいいから、ローマリア様も待っているから。いいわね?」
メイド服の【聖騎士】ノエルディアは二人の騎士に、そっと袖の下を渡す。
そしてぼそりと何かを呟いた。
「……どうぞ、私は何も見ておりません」
「私もです……」
「いい心がけね。いきましょう、ローザ・シャル」
「……」
若干ほくほく顔の騎士たちの横を、ローザは通っていく。
少し歩き、ローマリアの部屋に近づいてきた二人。するとローザがノエルディアに。
「賄賂とはね……」
「一番簡単でしょ?それにあいつらは、元々第二王女殿下の派閥だから、簡単よ」
「何か言ったみたいだけれど」
「あ~。あの騎士、最近子供が生まれたのよ。んでもう一人は……その恋人」
「……もしかして……」
あの騎士二人は、デキていたのだ。
片方は妻子が居り、いい旦那なのだろう。
しかし実態は同性愛を抱えており、隣の騎士とそういう関係だという事だ。
「言わないであげてね?」
「そんな悪趣味、私にはないわよ……」
恋も愛も、人それぞれなのだ。それが世間一般でいけないとされていても、それをとやかく言うような無駄な趣味は、ローザにはない。
「それならいいけど。んじゃ、殿下のもとに行きましょうか、警備の騎士を倒されたら、堪ったもんじゃないからね!」
「ええ。そうね」
ノエルディアはどうやら、ローザが城の衛兵を倒してしまう事を恐れたらしい。
実際、ローザは強行をするつもりだったのだから、何も言えないが。
ノエルディアからそう言って貰えて、ローザとしても実に重畳だった。




