91話【魔女再び】
◇魔女再び◇
夢を見ていた気がする。でも、短い夢だった。
生まれた頃の、優しい夢。
僕は誰なのか。分からない。
そんな曖昧な感覚の夢だった気がする。
でも、確かに愛を受けていた。それだけは分かった。
優しさに包まれて、生まれる事が出来た気がするんだ。
「かあ、さん……?」
目を開けると、そこにはふくよかなものがあった。
触れば柔らかそうな、大きなものだった。
「――悪い気はしないわねぇ」
この状況、前もあった気がする。
確か、ローザと初めて会った時だ。
“召喚”の疲労で気を失った僕は、目を覚ますとローザに膝枕をされていたんだ。
思い出して、一気に意識が覚醒する。
そしてその相手がローザでは無いとも気付いて、僕は。
「――ごっ!」
ごめんなさいと謝ろうとして、無理に起きようとしたけど。
「うぐっ……」
急激な頭痛に襲われて、また頭を抱える。
何だって言うんだろう、この痛み。
「――落ち着きなさい、深呼吸して、集中するのよぉ」
優しい声には聞き覚えがある――気がする。
艶っぽくも、秘めたような感情を乗せた、思いやりのある言葉。
「すぅー……はぁー」
僕は言われるがままに深呼吸をして、その女性の言葉を聞き入っていた。
「ゆっくり、肺を意識して……深く、長く吸うのよぉ」
「すうぅーーー……はあぁーーー」
胸を上下させて思い切り深呼吸をすると、段々と頭痛も和らぎ楽になって来た。
そうなれば、後は考える事は一つ。この女性は誰なのだろうか?
女性は身体を前のめりに傾けて、僕の顔を見ようとした。多分。
でも、その大きなものが僕の顔面に。
「わぷ……」
「あら?」
直ぐにもとに戻って、恥ずかしそうに深緑色の髪を掻き上げる。
長い髪を耳に掛ける仕草が、やけに色っぽい。
「ごめんなさいねぇ、私ったら……恥ずかしい」
「い、いえ……その、僕こそすみません。なんだかご迷惑をおかけしたみたいで……」
僕はやっと起き上がる。どうやら公園のベンチだったようだ。
入り口で倒れたと思ってたけど、もしかしてこの女性が運んでくれたのかな?
「いいのよぉ。苦しそうにしていたし……お互い様だし、ね?」
「え?」
「ううん。なんでもないわぁ」
女性は笑う。やっぱり、どこかで会った気がする。
白いワンピース、幅広の帽子に指に嵌められた無数の指輪。その先に輝く宝石。
「そんなにじっくりと見られたら、流石に恥ずかしいわぁ」
「――あ!すみません……じろじろ見て!」
あれ……?このやり取り、前にもあった気が……
なんだろう、思い出そうとすると、靄が掛かってくるような気がする。
ぼやけてよく思い出せない、でも。
僕は、この女性を知ってる。理由もなく、何故かそう確信できた。
「いいわ。今度は忘れなくてもいいし……」
「え?」
ぼそりと言われた言葉は、僕の耳には入らなくて。
「え?」と聞き返しても、笑顔を向けてくるだけで、女性は何も言わなかった。
「あの……」
だから、僕は他の事を聞こうとした。
「なぁに?」
「僕はエドガーっていいます……その、お姉さんは」
見た目は僕よりも少し上だと思ったし、その風貌はどう見てもお嬢様ではないかと思った。
貴族の令嬢だったら、こんな場所に一人でいるのはおかしい。
だから旅人なのではないかと、“お姉さん”と呼んでみたが。
「――ポラリス」
名前、だよね。言われた名を、僕は鏡返しのように繰り返す。
「ポラリス……さん」
「――んぁ、くぅ……」
「――え!?」
ポラリスさんが急に身悶えだしたんだけど。
僕何かした!?
「うふふ……なんでもないわぁ、少し、達してしまっただけだからぁん」
達し、なに?
え、何なの?滅茶苦茶顔赤いけど、大丈夫なのかコレ!
「その、ポラリスさん」
「――はんっ……!」
ええええええええっ!?
ど、どういう状況!?
名前を呼んだだけ、だよね……?
それなのに、なんでこんな艶っぽい声を、いや声だけじゃなかった!
顔も紅潮してるし、息も荒い。え?具合が悪いのかな?
でも正直言って、そうは見えないんだけど!!
ハッキリ言えば……その……い、いやらしい!!
「え、えっろ……じゃなくてえっと!!」
しまった。とんでもない間違いじゃないか!
「うふふ……流石ね、名前を呼ぶだけで女を恍惚に導くだなんてぇ」
「えぇぇっ!?」
僕、そんな高度なことしたの!?何の経験もないのに!?
一頻り驚き、慌てる僕を見ているポラリスさんは、とても嬉しそうに笑っていた。
心の底から笑っていた。ように……僕には見えていた。
「うふふ。ふふふふっ……はぁ、面白かった。でも、そろそろ限界かしらね?」
「……へ?げ、限界……?」
あれ、もしかしてからかわれてた?
「時間も少ないのよぉ、残念ながらね……」
「時間?いったい何が、どう……」
全く意味が分からず、僕は戸惑うばかりだった。
「エドガー」
「え、はい」
あれ、初めて名前呼ばれたんだよな……なんだろう、この懐かしさ……
「これをあげる」
「……」
ポラリスさんに渡されたのは、一枚の白い羽だった。
受け取り、僕はまじまじとその羽を見つめて言う。
「綺麗な羽ですね……まるで、天使の羽のようです」
思ったことを素直に言った。それだけだったが。
ギリッ――!と、何かが軋む音が、ポラリスさんから聞こえた気がした。
「……?」
「……」
気のせい?ポラリスさんは笑顔のままだった。
「私はこれで帰るけど、そうね……なら、その羽のような……」
ポラリスさんはベンチから立ち上がり、僕の正面に立つ。
前かがみになり、僕の耳元で囁くように言う。
「――白銀の天使に……気をつけなさい。忠告よ?」
「……天、使?」
この綺麗な女性の口から出たとは思えない程狂気じみた、心臓がゾクリとする声音だった。
その一声で全てを掴んでしまうような、そんな声。
だけど、その掴みに来た手は、綺麗でしなやかな指ではなく。
“悪魔”のような、骨と皮で出来た、呪いの呪具のような手だった気がした。
◇
ボーっと、孤独に空を眺める。
もう、あの女性はいない。
僕は一人になり、夕刻に近い時間を過ごしていた。
ポラリスさんが言った言葉が、頭から離れない。
脳髄に刻み込まれてしまったように、白銀の“天使”の姿が目に浮かぶ。
それは想像に過ぎないはずなのに、妙にその姿がしっくりきて。
そしてその姿が、ある女性と重なってしまって、凄く、凄く恐怖を感じてしまっていたんだ。




