89話【思い出の中に潜む1】
◇思い出の中に潜む1◇
ある日。エドガーは、【召喚の間】にいた。
道具を整理しつつ、足りない分の“魔道具”を確認している最中だ。
「これでも、まだ足りない気がするんだよな……」
エドガーが持つ小さな小箱には、赤い宝石が無数に輝きを放っていた。
それぞれの魔力はごく少量であり、“魔道具”として使うには物足りないだろう。
この《石》は、エドガーが最近(ここ30日)で集めたものであり、元から所持している分を含めれば相当な額になるはずだ。
しかし、この宝石箱の価値は皆無。
路傍の石ころと同価値の、ゴミ扱いだからだ。
しばらく落ち着いていた【召喚師】の噂も、最近また「うわ、石なんか拾ってる」と悪い方向で出始めていた。
エドガーは極力外に出ない。引き籠っている訳ではないが、外に出ると白い目で見られる事が多く、女性陣が増えてからは従業員を奴隷化しているなどとも言われて、実は精神的にもきつかった。
だが、今は自分の事は考えない。
「ローザの【消えない種火】には程遠いけど……これだけあれば、少しは役に立てる気が……するんだけどなぁ……」
自信はない。
ここ最近外に出て、回収している赤系統の《石》。
それは全て、ローザの為だ。自分が言いだした、ローザの城勤め。
ローザが幾度もピンチだ辛そうだと、幼馴染のエミリアに言われても、エドガーは動かなかった。
“不遇”職業である自分が城に行けないという理由もあるが、エドガーは怖かった。
ローザのもとに駆け付けたとして、ローザに何を言われるのか、それが怖かった。
ローザがプライドの高い女性だという事は、既に皆知っている。
エドガーは勿論、他の異世界人たちも周知している事だろう。
「なんで来たの?」「自分がしなくちゃいけない事分かっているでしょ?」「舐めないで」「私は、一人でも平気」など。
夢にまで出てくるほどに、そう言われるかもしれないと、勝手だが思っていた。
だが、ローザが苦悩していない訳はないと、分かっている。
(ローザの戦いを初めて見たあの日……)
あの日のローザの姿は忘れられない。
“悪魔”グレムリンに炎を見舞うその立ち姿、剣を振るう所作、凛とした言葉は、エドガーの心を掴んだ。
その感情が、何なのかは分からない。
それが憧れなのか、恋なのか、エドガーは気付けない。
気付いてはいけないと、思っていた。
エドガーの周りには多くの女性がいる。
皆魅力的で、素晴らしい女性たちだ。
この世界だろうが異世界だろうが、正直エドガーには関係無い。
今は共に暮らし、共に戦う仲間であり、大切な家族だ。
そう、ローザを含む女性たちは家族なのだ。エドガーに取っては、大切な、何よりも大切な。
「……《石》を探しに行こうかな……」
考える事を放棄して、エドガーは【召喚の間】の扉を開く。
ゴゴゴゴ……と、控えめに開けた先には。
「あれ……ドロシーさん?」
「あ……エドガー様。こちらでしたか」
そこにはドロシーがいた。
様子を伺うように、扉の前で待機してエドガーを待っていたようだ。
「どうかしましたか?」
(ああそうか、入れないから)
「え、えっと……用と言う用は無いのですが……」
正直に言えば、用事などない。
ただ彼の傍にいたいと、しかしそれは“天使”の考えだ。
「……僕はこれから少し出るんですけど、何かあれば聞きますよ?」
「――あ、そうなんですね……申し訳ございません、足をお止めして」
深く頭を下げるその姿に、エドガーは。
(うっ……なんだ。熱い……)
胸の中心を押さえて、一瞬だが顔を顰める。
「エドガー様?」
「い、いえ……それじゃ。掃除、お願いしますね」
「あ、はい。かしこまりました」
スタスタと逃げ出すように、エドガーは階段を上がって行った。
エドガーがいなくなり、ドロシーは。
「……やはり、【魔女】の《魔法》は成功していましたか……」
誰もいなくなった地下室で、一人独白する。
「お辛いでしょうね……エドガー様。胸が痛いのは、わたくしの《石》と反応しているから……一度交わした契約が、疼いているのですわ……エドガー様。思い出してくださいませ……そして、この惨めな“天使”を、救ってください……」
ドロシーは胸元を優しく押さえる。
そこには何もない。ないがあるのだ。《石》が。
その胸元は、【運命の水晶】が本来ある場所だ。
今は《隠蔽魔法》で隠しているスノードロップの《石》。
《契約者》である彼に、思いが届くように。
ドロシーはスノードロップとして願う。
「願わくば、運命を乗り越えて……彼の人生に再びの光を……」
両手を合わせたその姿は、まさしく“天使”なのだろう。
きっと、《魔法》がなければ後光が差している事かもしれない。
◇
地下から上がって来て、エドガーは真っ先に外に出た。
息を荒くし、肩で呼吸を吐きながら移動する。
どこに向かうのかも分からない。だが、エドガーは移動を始めた。
考えなんて何もない。無性に、どこかへ行かなければならないという衝動に駆られ。
エドガーは【下町第一区画】の南西区、【下町第六区画】との連結門までやって来た。
「は、はぁ……はぁ。あれ、なんで、ここに……?」
連結門には誰もいない。
【下町第六区画】は森林区画だ、区画の半分が森で覆われ、中には公園もある。
エドガーは思う。
「そうか……ローザの戦いを、見た場所……だから」
アルベールを助けるために向かった場所。
【月光の森】は、それこそ先程【召喚の間】で思い返していた場所だ。
エドガーはそう思ってしまった。だから、ゆっくりとその足を運ぶ。
◇
見る人が見れば、茫然自失の少年と言っただろうか。
肩を落とし、青ざめた顔は病気のそれか。それとも、恋に破れた敗者か。
しかしそのどちらでもないエドガーは、時間をかけて【月光の森】を歩く。
ローザとエミリアと、三人で急いで向かった時とは違う、まともな道を通って。
(あの時は、獣道を通ったからな……)
【月光の森】は、普段から薄暗く日の光が通りにくい。
しかし月明かりだけはよく通し、夜は神秘的に見える事もある不思議な場所だ。
その森を歩くエドガーの足取りは、段々と軽くなってきていた。
向かう所が分かっているかのように、その足取りを進めていく。
(胸の痛みが……和らいできた気がする、何だったんだろ……)
胸を擦りながら、行く先に気付かなかったエドガーも平静を取り戻して周りを見渡した。
「……ここは確か、【理月公園】……だっけ」
【理月公園】。
子供たちの遊び場であり、この森の伐採した木々で作ったアトラクションだ。
因みに、アトラクションと言っても大したものはない。
「懐かしいな……子供の頃はよくエミリアに連れてこられたっけ……」
“不遇”職業ではなかった子供の頃を思い出して、エドガーはクスリと笑う。
あの頃から、エドガーはエミリアに振り回されっぱなしだ。
騎士学校に通うようになってからは、そうそう来れる場所ではなくなったが、数年遊んだ記憶はまだ残っていた。
「――いっ……つ……!?」
思い出の中で、急激に襲い掛かる痛み。
今度は頭部だった。エドガーは両手で頭を押さえて、蹲ってしまう。
「い……ったい……」
ザザザ――
「なん……だ……?」
ザザ――ザザザ――
脳内で再生される、ある光景。
目を瞑っても見えてくるその映像は。
生まれたばかりの赤子を抱える女性を囲む、数人の女性たちの姿だった。
声は聞こえない。だが分かる。
それは幸福と言うものだ。
母親だろう栗色の髪の女性は、幸せそうに赤子にキスをする。
それを見て、白銀の髪の女性も真似をしてやってみるが、かなり赤面していた。
深緑の髪の女性も近づこうとしたが、灰色の髪の女性に防がれ、二人は喧嘩を始める。
それを、栗色の髪の女性はケラケラと笑っていた。
「……かあ……さ、ん……」
赤子を抱える母親は、エドガーの母マリスだ。
それだけは確かに理解できた。ならば、赤子はエドガーだろう。
脂汗を流して、エドガーは膝を着く。
そのまま前に倒れ――ポフリと、何かに凭れ掛かった。
「かあさ……」
薄れる意識で見上げたそこにいたのは、母を思わせる暖かさ。
しかしそのぬくもりは違うものも混じっているような、複雑なものだった。
「……」
ぼそりと呟かれたその言葉。
そして胸のぬくもりに抱かれて、エドガーは意識を手放した。




