82話【罅】
◇罅◇
お遊びを終えて、意識を失った第二王女スィーティアを抱えるアルベール・ロヴァルトは、優しげな顔で王女の頬に付いた土を払った。
そして小さな声で労いの言葉をかける。
「――お疲れ様です……殿下」
そう言うと、お姫様抱っこのような形でスィーティアを抱え、立ち上がると。
「エミリア……ローマリア殿下……」
兄の心配そうな表情を察して、エミリアも。
「いいよ兄さん。スィーティア様を医務室に連れていってあげて」
「ああ、そうしてくれアルベール。ティア姉上も、どうやら事前に、医務室に患者が運ばれてくると言っていたようだからな」
当人も、まさかそれが自分だとは思ってはいなかっただろうが。
「感謝します、ローマリア殿下……ローザさんも、ありがとうございます!」
「ええ。よろしくね……アルベール」
アルベールは三人に笑顔を向けると、スィーティアを連れて行った。
傷は大したものではない。火傷こそあれど、痕も薬で残らない筈だ。
ただ問題は、ローマリアの指南役であるローザが、第二王女をのしてしまった事だろう。
ローザは一切気にしていない様子だが、ローマリアは内心ドッキドキだった。
しかし、気分がいいのもまた事実。不思議と口元がにやけてしまう。
「だらしない顔しないの。ローマリア」
「ご、ごめんなさい……だけどローザ、良かったの?ティア姉上は、その……」
言いにくそうに、ローマリアはごにょごにょと口を動かす。
そんなローマリアを笑いながら、ローザは。
「いいのよこれで。私とあの子は、もう違う道を歩くべきなの……ここは、私たちの知っている場所ではないけれど……これから、知っていける場所なのだから」
そう。知っていけばいい。
別々の道を歩いて、自分を探す。
ローザはそうする事を決意できた。
スィーティア王女には、まだ通じていないかもしれないが、ローザの考えを何度も何度も思い返していけば、きっと。
元の姿のまま、遥か未来の異世界と言う場所に“召喚”された姉と、数千年という長い時代を“転生”して来た妹の物語は、別々であるべきなのだから。
「それはそうとエミリア……これ」
ローザは槍をエミリアに渡すが、何故か物凄く申し訳なさそうにしていた。
エミリアは不思議そうに受け取り、槍を見ると。
「……あぁ、これまた凄くボロボロな事で……」
赤い槍は所々が黒く煤で覆われており、装飾された【エミリアの花】も、ボロボロで形が判別できなくなっていた。
更には、槍の刃部分。
刃毀れは激しく、ローザの炎に耐えきれなかった箇所は罅割れていた。
「ごめんなさい……あなたの槍を……」
ローザはエミリアに頭を下げようとするが。
「ダメ。謝らないで?」
ローザの頭を下げさせず、エミリアは笑顔で言った。
「ローザの為になったなら、それがこの槍の役目だったんだよ」
「……エミリア」
「あ、その代わりにさぁ……修理はお願いね?」
ハッキリと言ってしまえば、修理よりも作り直した方が早いレベルで痛んでいる。
それでもローザは。
「勿論よ、全霊を尽くさせてもらうわ」
どれほどの事を施せるかは分からない。
だが、エミリアが望むのなら最善を尽くしたいと思った。
それが、初めてできた友達と呼べる、この少女に対する礼儀だと思ったローザだった。
◇
「そろそろ退散しましょう。人払いをしていたとはいえ、ティア姉上が医務室に運ばれた事は直ぐに知れ渡るはずだから、それに……焦げ臭いし」
「た、確かに」
スンスンと自分のドレスを嗅ぐローマリア。
ローザの熱風に薄っすら焼かれて、若干の焦げ臭さを感じた。
エミリアもクンクンと騎士服を嗅いでいた。
三人は訓練場を後にする。
誰に見られる訳ではないが、こそこそと。
【リフベイン城】の屋外訓練場は、焼け焦げた臭いが漂っていたが、そこは屋外である。爽やかな風が靡いて消し去ってくれる事だろう、焦げ跡は知らないが。
帰り際、スィーティア王女を抱えたアルベールが帰っていった方を眺めて、ローザは思う。
(次に会うときは……姉妹ではないわよ。スィーティア王女)
エドガーに“召喚”され、それでもこの世界で、この世界の人間として生きる事を決めたローザ。
“転生”し、何度生まれ変わり別人になろうとも、私怨に取りつかれたライカーナ。
一度は交わった道は、決別と言う形で別れることになった。
もしかしたら、二人が仲良くできる未来もあったかもしれない。
ローザの選択がこの先どう変化するか、知りえる事ではない。
(ライカーナではない、スィーティア王女としての人生を生きなさい。私も、生きるから……ロザリーム・シャル・ブラストリアではなく、ローザとして……)
「ローザ?」
「……なんでもないわ。行きましょう」
心配そうに声を掛けるエミリアに笑顔を見せて、ローザは並び立った。
ローザの向かうところは、エドガーの隣だ。
自分だけの人生を歩むつもりは、今の自分には毛頭無い。
(関わってしまったから……私は進む、エドガーと……皆と共に)
“召喚”なんて特有過ぎる始まりも。
思えばすべて、自分の物語の一部だ。
同じ境遇の仲間たち、友と呼べる存在、そして何よりも大切な――エドガーの為に。
(私の物語は、これからが始まりよ……)
◇
【リフベイン城】の医務室のベッドに、スィーティア王女は横たわる。
《石》のお陰か、怪我は本当に大したことは無かった。
痛みに顔を歪める事もなく、今はすぅすぅと寝息を立てていた。
簡単な塗り薬だけで済み、治療を終えた医師は。
「――ではロヴァルト様……私は、一旦席を外しますゆえ」
「あ、はい。治療感謝します……先生」
スィーティア王女を医務室に運びこんだアルベールは、先程の戦いを思い返していた。
姉妹だと言われた時は度肝を抜かれた。
エドガーが“召喚”した、ローザの妹だというスィーティア王女の言動も噓とは思えなかったし、なにより行動が真に迫っていた。
「……この方を放っておくことなんて、俺には出来ねぇよ……くそっ」
危なっかしく、見ていなければ傷だらけになっていきそうな女性を見ながら、アルベールは思う。自分には、心に決めた女性がいる。
【聖騎士】に成ってからは殆ど会えておらず、すれ違いと言ってもいいくらいだ。
そんな思い人に、今はとても会いたい。
だが、そうすれば。
「スィーティア殿下……もしかしなくても、貴女は俺を……」
自惚れる訳ではないが、スィーティア王女の好意には気付いている。
自分を専属騎士にしてくれたのだって、きっとそうだ。
もし、今メイリンに会いに行けば、この人は壊れてしまうかもしれない。
姉に負け、騎士には見捨てられたなんて、精神的に不安定なこの女性がショックを受けない筈は無い。
「……俺が」
傍にいれば、この人は立ち直れるだろうか。
戦いを見ていて、スィーティアが強い事は分かった。
あのローザに対抗して、あそこまで戦えるんだ、それはもう確実に強いのだろう。
それに《石》もある。
エドガーのお陰で、《石》と言うものがどれほどの力を秘めているのかも知っている。
(この人は、人を率いる事が出来る人だ……でも、それは今じゃない。もっと、もっともっと俺たち【聖騎士】が強くなって、この人を守れるくらいになった時……きっと【聖騎士】を率いているのはこの人だ)
そんな予感が、アルベールにはあった。
今は、数少ない【聖騎士】の半数が第一王女セルエリス、そして第三王女ローマリアの傘下だ。
だが、もしかしたら未来は違うのではないかと、そんな根拠のない確信が、アルベールの胸の鼓動を速くしていた。
(俺がこの人を導くだなんて大層な事は言えねぇ……でも、この国の未来に……スィーティア殿下は必要なお方だ……それだけは、今でも言える……だから、俺は)
この一つの決意は、アルベールの人生を大きく左右する事になる。
それは廻り回って、アルベールの妹であるエミリアや幼馴染エドガーをも巻き込む事になる。
遥か遠い、未来の王の傍に仕える騎士の物語は、こうして動き出すのだった。




