80話【数千年越しの姉妹喧嘩3】
◇数千年越しの姉妹喧嘩3◇
エミリアは、鼓動を落ち着かせて戻る。
咄嗟だったとは言え、第二王女の訓練の邪魔をしてしまった。
あのままではローザが、人体に支障をきたす怪我を追うと、本能的に思ったのだ。
怒られる事など考える暇もなく、自分の装備である槍を投げていた。
「エ、エミリア……無茶をするわね」
「す、すみません殿下……つい」
結果的に、スィーティア王女は激高することなく、訓練は続く。
しかしそのおかげで、ローザも致命傷を受ける事は無かった。
それだけでも、邪魔入りしただけの価値はあったとエミリアは思う。
もしエミリアが後で怒られるかどうかは、別の話だが。
「結果が全てよ。ティア姉上だって、戦いが続けられてうれしそうだわ……」
ローマリア王女は、驚いてドレスの肩ひもをずり下げていた。
落ち着いて、それを直しながら言う。
「だけど、訓練とは言え……ティア姉上の暴挙は許される事ではないわ。下手をすれば、ローザが死んでいたかもしれない……それでは、私はエドガーに合わせる顔が無くなるもの」
「そうですね……ローザも無茶をしすぎですから」
この事は、第一王女セルエリスに報告しなければならなさそうだと、ローマリアは思っている。
それでも止めろとは言わない。そんな権利は、二人には無かった。
エミリアは「ふぅー」っと息を吐いて言う。
「――信じます。ローザを」
「ええ。そうね」
二人は訓練場を見る。
今まさに、時を超えた姉妹の戦いが、再開されようとしていた。
◇
ブンブンと槍を振り回し、手応えを確かめるローザ。
確かに、長年の経験とは全く違う感覚に、正直言って手応えはない。
槍の使い方など考えた事も無かったし、剣と重心も違う。
よく考えなくても、ローザは剣を得物にしていたし、しかもその剣は《魔法》によるものだ。
この槍はエドガーが《魔法》の応用で造り出したものだが、《魔法》ではなく物質で出来ている。
ローザが《魔法》で剣や防具を作り出す力の応用であり、言わば“召喚”に近しい技だ。
二人の力量は圧倒的に違うが、ローザが魔力を込めた事で逸品と昇華した。
魔力が込められたことで、炎を作り出す事が出来るその槍は、魔力を持たないこの国の人間でも使う事が出来る。
しかしその力はエミリア固定であり、他の者が持てば、ただの切れ味の良い槍だ。
だが、ローザは違う。
込められた魔力はローザ本人の物であり、エドガーに作り方を教えている以上、槍の構造も分かる。
魔力の流れを感じ、炎も出せる。
《石》に頼らないでも炎を操る事が出来る事に、ローザは別の意味で喜びを感じていた。
「――よし。これでいいでしょ」
「お覚悟が出来ましたか?」
槍を持つローザに、スィーティアが笑みを浮かべながら歩み寄る。
今一度剣を抜き、ローザに向けて。
「先程のように手が滑る事もあるでしょうし……いっその事、致命傷に近いダメージを与える事が、勝利条件としませんか?」
「首を狙っておいて……滑った?まったく図々しいわね」
「ふふふ。それで、どうですか?」
「……構わないわ。それでいい」
後ろでローマリアがそわそわしている気もするが。
ようは致命傷を与えなければいい。
そもそもこの条件は、スィーティアがローザを斬りたいから提示したものだ。
ローザが何を言っても、きっとこの条件で戦うことになるだろう。
ならば、早いうちに合意した方が得策だ。
「ふふっ……決まりですね、では……始めましょうか!三試合目を!!」
「ええ。来なさいっ!」
◇
先手はスィーティアだった。
袈裟斬りからの上下二段斬り。
ローザは槍の太刀打ち部分で防ぎ、上下に合わせて槍を動かす。
「はっ!」
「……」
ガキ!キン!と、剣は槍の柄で防ぎ、反転して反撃をする。
「ふっ!」と声を発して、勢い良く槍を振り下ろし、スィーティアの胴を狙う。
先程のように、ローザは回避優先ではない。
槍の取り回しがよく分からなく、動きがぎこちなくなってしまう事を考えて、防御・反撃を優先して戦っていた。しかし。
(距離が合わせにくい!剣の距離だと、槍の刃が当てにくいんだわ)
自分で使用して分かる、その武器の特性。
剣と槍では、攻撃距離が違う。
そんな初歩的な事に気付かず、剣を持つスィーティアの攻撃を待ってしまった。
「――はあっ!」
「ちぃっ!」
(距離を開けないと……攻撃が当てられないっ……なら!)
ローザは槍に貯まっていた魔力を操作して、炎を噴出させる。
ゴオオオオオオオォォォォォ!!
「「あっつ!!」」
残念ながら、ローザは《石》の加護を受けていない。
今までと同じように炎を使おうとして、自分も熱に耐性がない事を忘れていた。
二人は炎の熱さに驚き、お互いに飛び跳ねて距離を取った。
◇
少し顔が赤い。
こんな声、いつ振りに聞かれただろうか。もしかしたら初めての可能性もある。
目の前の妹は、自分と同様に熱がった姉をキョトンと見ていた。
「お姉さま……《石》の加護が無いと、お姉さまはそこまで人間となるのですね」
「まるで私が人じゃない見たいな言い草ね……」
元の世界では人外じみた力と神秘的なまでの存在感が、ローザを神格化させていた。
勿論神になった訳ではないし、ローザもそんなことを望んではいなかっただろう。
全ては国と、民衆が作り上げた虚像だ。
それでも、当時のスィーティア、いやライカーナはそんな姉を羨んでいた。
「私がどれほどの時間と労力を注ぎ込んでも……注目されるのはいつもお姉さまだった!」
スィーティアは走り出しながら、剣を振るってローザに斬りかかる。
ローザは距離を取りながら斬撃を躱し、回転しながら槍を横に薙いだ。
「そんなことないわっ!あなたはいつだって……私の」
ガギン――!!と、剣と槍がぶつかり合い、ギリギリと劈く音を鳴らす。
ローザはそれ以上の言葉が出ず、口を噤む。
「私の……なんなのよっ!!言えないんじゃない!!」
眉を吊り上げて、スィーティアは剣を振り切った。
「――くっ」
(なぜ言えないの……あなたは大切な存在だったって……それだけでいいのにっ)
「私のなによ!!私がいつ……お姉さまのなにかになったというのよ!!」
乱暴に剣を振り回して、スィーティアはローザを攻撃する。
その都度槍で防ぐが、勢いと《石》の加護に勝るスィーティアの猛攻は、ローザをドンドン追い詰めていく。
「……」
「なんとか……――言いなさいよぉぉぉ!!」
「――ッ!!……――グゥッ!!」
剣は肩口を捉えた。
ざっくりと切られた傷口からは鮮血が流れ、槍を持つ手に伝って地面に滴る。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
スィーティアは距離を少しずつ離れていく。
ローザは斬られた側の腕を下ろし、反対側の手で槍を持ちながらガクリと膝を着いた。
「……そこまで、だったのね……」
今の言葉で、妹が姉に劣等感を抱いていた事は伝わった。
そして痛いくらいに、今までそれを理解していなかったと気付いた。
ローザは“天使”の加護を受け、《石》と言う力を得て英雄へと近づいた。
民衆はその事実に驚嘆し、しかし同時に畏怖を抱いた。
あの王の娘に、天が加護を与えたと。
逆らえぬ情勢にまた、一つの武器が加わってしまったと。
だがそれは、妹であるライカーナには関係がない事だった。
頭がよく、容姿も優れ王に溺愛された人生は、退屈でしかなかった。
それでも、羨望を抱いてやまない姉、ロザリーム・シャル・ブラストリアという存在。
正直言って、他の兄や姉は大したことはないと感じていた。
しかし、ローザは別格だった。
ライカーナの情愛は憧憬に変わり、憧憬は羨望へと変わって、更に増悪へと変貌した。
その結末が、陥れる事だった。
王を誑しこみ、兄姉たちからは能無しと見られるように振舞った。
だが、ローザに対する態度だけは信を置けるものとして対応し、孤独な姉の信頼を勝ち取る事に成功したのだ。
ライカーナを最大級に信頼したローザを言いくるめる事は、実に簡単だった。
思い通りに事が運び、ローザは王を討った。
無能な父は死に、残る王家の血筋は、自分とローザだけとなった。
そうすれば、残るはこの単純な化物を、牢にでも入れればいい。
そうしてローザは独り、塔に幽閉された。
「……ライカーナの考えは全部、分かっていたわ……」
「なんですって?」
その思惑を、ローザは分かっていた。気付いていたのだ。
「それでも構わないと、それでいいんだと思っていた……」
ローザは力を込めて立ち上がる。
肩からは血が溢れ出し、震える腕は真っ赤になっていた。
「私にとって……王国で傍にいてくれたのは、ライカーナだけだった……それが策謀でも、簒奪の為の罠だったとしても……私は、嬉しかった。誰かが隣にいてくれることが、こんなにも嬉しいって……あの時に言っていれば……きっと、きっと……でも、私は言わなかった」
ローザの告白に、スィーティアはムキになる。
「そ、そうよっ!お姉さまは何も言わなかった……!馬鹿なふりして妹の言いなりになり、兄弟を害して、王である父を討ち……挙句の果てには投獄よ!?単純で馬鹿な女だって……私は思ってた!」
「知ってるわ……それでも……私は嬉しかったのよ。『《石》は孤独にさせる』……私に【消えない種火】を授けた【バカ天使】が言っていたわ……その意味を知って、それでも傍にいてくれたライカーナが大好きだった……」
例えそれが、自分を貶める行為だったとしても。
ローザはそのおかげで、一人ではないと感じられた。この上ない喜びを与えてくれた。
「い、今更……私は大嫌いだった!!お姉さまがあの時そう言ってくれたとしても、私は嫌い!大嫌いよっ!!」
スィーティアは無防備なローザの首筋めがけて、剣を振り下ろした。
「!!」
「「ローザ!!」」
叫んだのはエミリアとローマリアだろう。
アルベールも、「ダメです殿下!!」と声を上げているが、確実に聞こえてはいないはずだ。
そしてそれらの声は、ローザにも聞こえなかったかもしれない。
「――なっ……なに……!?」
剣は、直前で停止していた。
スィーティアが寸でで止めたのではない。
勢いのある剣を、何かが押し返すように。
見えない何かが、ローザの身体を守っていたのだ。
「――私の思いも……貴女の思いも……今は、今は関係無い。ここは、私の知っている場所じゃないから……ここにいる私の物語は、今から綴るの……!もう――ロザリーム・シャル・ブラストリアの歴史は終わったのよっ!!」
ローザを纏う謎の光は、魔力の光だ。
ローザの存在を知らしめる、赤い魔力。
その瞳や髪と同じ、紅麗の光だった。




