76話【奔走5】
◇奔走5◇
【下町第一区画】の大門、その近くにある大きな畑。
そこは、野菜などを育てている【サザーシャーク農場】と呼ばれる農家である。
「うわぁ~。こんなに広かったんですね!メイリンさんの家の畑」
広さに驚くのは、黒髪の少女サクラ。
隣にいるのはここの農家の娘、メイリンだ。
「そんなこと無いわよ。農場区画である【下町第五区画】に比べたら微々たるものだし、狭いよ?」
【下町第五区画】は、農場や牧場が多く、あまり人流がない。
その代わりと言っては変だが、敷地が異常に広いのだ。
以前サクラとサクヤの二人が、メイリンと一緒に出掛けた時は、忙しなくその場を後にしたが。
「今度は、あそこもゆっくり見てみたいですね」
サクラは興味津々と言った風に言う。
実際、農業に興味があるのは本当だ。
こっそりと、サクラは鞄に手を入れる。
「……どうかした?」
「あ~、いや。あたしの世界の野菜の種とかなら……持ってきてもいいかなぁ、って思って」
「サクラの世界の、野菜!!」
「――わっ!メイリンさん!?」
予想以上に食いついて来たメイリン。
実はメイリン、前々からサクラの世界に興味があったのだ。
しかも得意とする野菜と言われては、農家の娘の血が騒ぐと言うもの。
サクラは勢いで、鞄から取り出してしまう。
その手の小さな袋には、【二十日大根】【カボチャ】と書かれていた。
苗を取り出そうとも考えたが、鞄の中が土だらけになると気付いて自制した。
「それって、もしかして!」
「あ、はい。種です」
勢いに押されて、そのまま袋を渡すサクラ。
(いいよね。これくらい……今更だし)
サクラは、この世界に自分の世界の技術や情報を持ち込まない様にしようと考えていた、が。
それは当初であり、重火器や、自分の食べたいものを取り出している時点で「ま、いっか」状態だったと気付いた。
「わぁ~!これ、貰っていいのかしら?」
「どうぞどうぞ」
メイリンの笑顔に、サクラは今更駄目だとは言えず、野菜の種をプレゼントすることにしたのだった。
◇
【下町第一区画】の路地裏。
誰もいない暗い場所で、小さく光る魔法陣があった。
認識させず、隠れるための《魔法》。
上空の気配は、更に上昇して行って、雲の上まで飛んで行った。
そして、スーーッと、暗闇に生え出る艶めかしい脚。
解除された魔法陣から姿を現すのは、【魔女】ポラリス。
「……はぁ……聖王国に来て、もう二つも駄目にしてしまったわぁ……」
指に嵌められた二つの指輪を外し、腰に下げた小さな鞄にしまう。
指輪に装飾された《石》は輝きを失い、魔力の一切も感じられなくなっている。
今し方、発動した二回の《魔法》で、《石》に内蔵した魔力を全て使い果たしたからだ。
一度目は、緑の所持者に向けた熱光線。
二度目は、この足元の魔法陣を展開する為の触媒だ。
二度の《魔法》は、小さな《石》の魔力を全て使い果たして、光を失くしたのだ。
「うふふ……それにしても、緑か……それ以外もいるらしいし、楽しみが増えたわぁ」
メルティナを空中で狙撃した張本人。
【魔女】ポラリス・ノクドバルンは、いやらしい笑みを浮かべて舌舐めずりをした。
「……」
ポラリスは屈んで、落ちていたあるものを拾い、獲物を狙う目で、とある方角を見る。
「まさかあの堅物が……こんな手を使ってくるとはねぇ。これは予想外だったわぁ……」
【魔女】は笑う。それは不吉の兆候か、それとも好機への転調か。
【召喚師】を取り巻く環境は、着々と形を整えている。
本人の知り得ぬところで、動乱は音を立てて近寄り続けているのだ。
その一つは、今【魔女】ポラリスが手に持つ、一枚の白き羽が、物語ると言う事を。
◇
暗い暗い地下室。
欠けた【明光石】の僅かな光が、周りの棚や幾つもの“魔道具”を照らしているが、本当に極僅かであり、本来の【明光石】の明るさではない事が分かった。
それは、この場所にある【明光石】が、欠けるような事態が一度起こったという事。
中央には魔法陣を描いた名残りがあり、魔力の残滓が漂うこの場所が、特別であることが伺えた。
そうだ。今、ここには一人の人物がいる。
箒を持ち、恐る恐る部屋に侵入してきたその人物は、栗色の髪を腰元まで伸ばした、優し気な風貌をしていた。
コツコツと、ブーツの踵が鳴らす音が地下室に反響する。
真っ先に、その人物は一つの棚に向かう。
まるで、初めからそこに目的があるかのように。
「……あった」
手に取ったそれは――《石》だった。
所持者のいない、【災厄の宝石】。
「……ふふふ……見つかっていないなんて、《石》は運が悪いのですね」
この《石》は、以前に置いたものだ。
少年を成長させる為の供物として用意し、運悪く免れた《石》。
「――合う所持者が見つからなかったのでしょうね。現に他の二つは、所持者を得ているのだし……」
三つ程置いた、魔力を隠蔽した《石》は、いずれも【災厄の宝石】だった。
その内の二つは、最適な所持者を得て、見事に少年の力となったのだ。
望む通りに事が運べて、あの方も満足だろう。
「……」
問題は、今この《石》の隠蔽を解除するとして、所持者をどうするかだ。
右手に持ち、左手で《隠蔽魔法》を解除しようとした、その時だった。
「――動くな」
「――っ!?」
唐突に、背後から気配もなく現れた人物。
この場合どちらが侵入者となるのか、そんな事を考えるまでもなく、背後に立つ紫紺の髪の女性は。
「――この宿に立ち入った事までは大目に見ようと思ったが……これは看過できぬな。その《石》をどうするつもりなのか知らぬが、|我《》われの目を誤魔化せるとでに思ったか……?」
ピクリ――と、振り向こうとする人物。
「動くなと言ったぞ。忠告も聞けなくなったか?」
「……いえ、いつ気付かれていたのかと思いまして」
棚に正面を向けたまま、その人物は紫紺の髪の女性、“魔王”フィルヴィーネに言葉を発した。
「この宿に入って来た時……いや、正確にはお前がこの都に足を踏み入れた時だな。さぁ、聞かせてもらおうか……何が目的だ……?」
フィルヴィーネはその人物の肩を掴み、魔力を籠めて振り向かせる。
その瞬間、彼女に掛けられていた《魔法》は、解除され。
「――流石です。ニイフ様」
「……――ガブリエル」
フィルヴィーネが肩を掴んでいた女性の栗色の髪は、色が抜けていくように白銀に。
表情も、優し気なものから、冷静な、それでも強い意志の籠められた聡明な表情へと変貌した。
仮面を剝がされた先にいたのは“大天使”
――スノードロップ・ガブリエル。その人だった。




