72話【奔走1】
◇奔走1◇
何事もなく日々を過ごす。
それは誰にでも出来る事であり、また誰にでもは出来ない事でもあった。
何かに恐れ、日々に怯えて過ごすのか、刺激を求めて日々を苛烈に過ごすのか。
【召喚師】エドガー・レオマリスは、まさにその中間と言えた。
聖王国と言う衰退した国で、唯一魔力を持つ人間でありながら、“不遇”職業と言う意味の分からないレッテルを貼られ。
刺激の一端も担わない国の中で、そこに存在する《石》の確かな価値を知る少年。
苛烈と言うには少し違うかもしれないが、充分過ぎる十数年だろう。
しかしまだ、彼の物語はその途中。
今後更に苛烈に、刺激的に、訪れる出逢いや戦いが、彼の歴史そのものになるのだから。
◇
ある日エドガーは、ここ数日で集めた“魔道具”、特に《石》を鑑定して貰おうと、マークス・オルゴの店である【鑑定屋】に来ていた。
しかし。
「マークスさん……い、いないんだ……」
掛け看板の文字は「留守にしています」。
小窓から中を覗いても、店主のマークスはおろか、従業員のルーリアもボルザもいない様子だった。
自分が確認を怠ったこともあるが、なんともタイミングが悪い。
知りたい時に情報を知れないのは、コレクターとしてはストレスだ。
「仕方、ないよな……はぁ~」
深いため息を吐いて、エドガーは【福音のマリス】に戻ることにした。
何も、コレクターとして《石》の詳細を知りたいだけではない。
エドガーが抱える小箱には、無数の“赤い《石》”が入っていた。
【ルビー】、【ガーネット】、【ルベライト】、種類の異なる沢山の《石》が、乱雑に重なり合っていた。
「この中で、どれか一つでもローザの足しになればって……集めたけど……」
はっきり言って、望みは薄い。
それはコレクター目線でも、【召喚師】目線でも分かってはいる。
だが、世の中に知らない事は数えきれないほど存在する。
「これからは、もう少し勉強をしよう……」
今までは、誰かから得た知識が先行していた。
それは父であったり、マークスであったりと、師と呼べるものから得た知識は確かに役に立ってきた。
それでも、知らない事が多すぎる。
特に異世界の事に関しては、その世界から来た人物たちから知る必要がある。
過去の世界から来たローザ、フィルヴィーネのような博識も、別の惑星から来たメルティナの情報も、サクヤとサクラのような完全なる別の世界の話も、今のエドガーには必要なものだ。
それが未来に繋がると、エドガーは信じているから。
◇
【福音のマリス】に戻る途中、エドガーは何気なしに街並みを見ていた。
「【下町第一区画】も、大分人が減ったよな、そう言えば」
気にした事は無かったが、今思えば随分と活気が違う。
「……」
比べてしまうのは、母が生きていた頃だ。
【福音のマリス】が全盛期で繫盛し、エドガーがまだ【召喚師】として“不遇”を受け継いでいなかった頃。
街には人が溢れ、宿泊客は大勢いた。
繫盛した宿は王都一と言われ、国内外から人気があった――そう記憶がある。
「……」
しかし【召喚師】を継ぎ、宿を継いで分かった事がある。
過去の宿泊名簿に、客の名前が無かったのだ。
何度も何度も宿泊した王都の客だったおじさんや、夫婦、子供。
それらの常連客は、母が死去した途端に見無くなり、王都のどこに住んでいるのかも分からない。
子供ながらの記憶だったと、美化していた恐れはある。
しかし、成長し知識も得た今のエドガーには、ある一種の仮説があった。
それは、《石》の力だ。
母から誕生日に贈られた【朝日の雫】。必死に記憶を巡らせれば、それは元々母のものではなかったかと、思う事が出来た。
付けていたのは数えるほどの回数ではあるが、繫盛していた時ほど、身に付けていた事があった気がするのだ。
「……繋ぐ、力か……」
今やサクラの《石》となった【朝日の雫】の力は、繋ぐ。
実際、サクラは異世界人同士を繋ぐ力、【心通話】を使える。
仲間の結束力も、そのおかげで増している気も多少はある。
もし客にその力を使えば、どうなるか。
客に来た一人に広めてもらい、噂が噂を呼んで、結果有名になることも出来るのではないかと。
そして力を失い、経営者が【召喚師】となった瞬間、「だれがそんな宿に泊まるか」となったのではないかと。
「考え過ぎ……かなぁ」
ははは、と乾いた笑みを浮かべ、エドガーは曲がり角を曲がった。
――すると。
「……ん?」
一軒の家の外壁に、女性が背をついて蹲っているのを見つけてしまった。
一瞬で、エドガーの脳内には二つの選択肢が出て来た。
一つ、【召喚師】の自分が助けても、何の利点にもならないのではないか、むしろ自分がこの女性を蹲らせたと疑惑を掛けられるのでないか、と。
二つ、無視をしたとして、その女性に何らかの不幸が訪れた場合、自分は後悔するのではないか、そんな事を自分は出来るのか、と。
結論から言っても、無視することは出来ないのが、エドガーの良い所でもあり、悪い所でもあるのだろう。
「――あ、あの……大丈夫……ですか?」
恐る恐る、蹲る女性に声を掛ける。
女性は苦しそうに、身を震わせ顔を青くしていた。
「う、うぅ……」
女性は、エドガーと同じ栗色の髪をしていた。
長い髪と優し気な風貌は、母を思わせる雰囲気だった。
しかし、今にも消えてしまいそうに震える身体は、亡くなった母に瓜二つで。
「――だ、大丈夫ですかっ!どうしました!?……ど、どうしよう……薬?いや、なんのっ!?怪我!?……は、無いみたいだけど……いったいどうしたら……」
「――だ、大丈夫、です……」
エドガーの方が混乱しているのではないかと、そう思わせるような発言に気付いたのか、栗色の髪の女性は心配を掛けない様になのか、顔を上げてエドガーに笑顔を見せた。
「……っ」
女性は、【召喚師】を見ても顔色を変えなかった。
それは体調が悪すぎてなのか、単にエドガーを知らないからなのか。
答えは単純だった。
女性は軽装だ。軽装とは言え、旅をする為の軽装だ。
近所に住んでいるような薄着ではなく、夏に近いこの気候で、フード付きの羽織を身に着けている事から、旅人なんだとエドガーは気付いた。
「大丈夫ですかっ!話せますかっ!?立てますかっ!?」
「そ、そんな一気に言われると、どれも出来ませんわ……」
「あ……すみません。つい……」
エドガーは顔を赤くして、女性に手を伸ばす。
せめて地べたから離そうとしたのだが。
「――ありがとうございます」
女性は簡単にエドガーの手を取って、ゆっくりと立ち上がった。
身長はエドガーと同じか、少し低い程度。
柔らかな物腰と、栗色の髪が長く腰以上ある。
「綺麗な人だな」と、エドガーが少し場違いな事を考えていると。
――ぐぎゅぅぅぅぅぅ。と、どこからか響く。
どこから、などと言うのはおかしかった。
目の前だ。エドガーの目の前、栗色の髪の女性。
「えっ……と」
「……すみませ――」
――ッグルルルルるる!!
恥ずかしさか、小声だった女性の声は、異常なまでの腹の虫の二度目の咆哮で掻き消された。
「ほ、ほ、本当にすみません!」
顔を両手で覆い隠して、女性は謝罪した。
おそらく手の下は真っ赤な頬が火を上げそうになっている事だろう。
「は……ははは……お腹空いて蹲ってたんですね。よかった……」
エドガーは、死の危険はなさそうだと笑う。
女性は恥ずかしさのあまり、もう一度蹲ってしまいそうになるも、対応してくれたエドガーに感謝した。
「あの、わたくし……ドロシーと申します、東の国から旅をしてきていたのですが……その、恥ずかしながら路銀が……」
「それは大変ですね!」
女性の蹲っていた理由を、エドガーは真剣に聞き入る。
どうしたらよいものか、「う~ん」と少しだけ考えて。
「――あ!それなら……僕の家に来ませんか?」
「え……?」
何故かナンパ師みたいなことになっているが、エドガーが言いたいのは「僕の経営する宿に泊まりませんか?」だ。
しかしドロシーは、疑問も持たずに。
「いいんですか?」
「も、勿論です!困っていたらお互い様ですからねっ」
エドガーは笑顔で言う。
旅人で、【召喚師】を知らないと言う事だけで、ここまで出来るのか。
それとも他の理由なのか。
この時のエドガーには、一切分かりはしないのだった。




