71話【二人の道】
◇二人の道◇
報告を終えて、エミリアは自室に戻って来ていた。
そして苛立ちを隠そうとしないままにベッドの枕を掴み、思い切りドアに向かって投げる。
「――兄さんの……馬鹿ぁぁぁぁぁっ!!」
ボフン――と、枕は虚しく床に落ちた。
はぁはぁと息を荒くし、エミリアは涙目になりながら、小さく。
「なんで……」
先程。エミリアは兄アルベールの決断を聞いた。
その答えは――
『スィーティア王女殿下……その申し出、有難く受けさせて頂きたいと思います』
アルベールは、スィーティアの申し出を受け入れたのだ。
エミリアの意味深な視線も意味なく、アルベールは第二王女スィーティアの専属騎士となる事を決めた。
しかしそれは、近い未来で波乱を巻き起こすとは知らない、無謀な選択だった。
謁見の間で宣言したアルベールは、そのままスィーティアに連れられてその場を後にした。
意味は知らずとも妹の視線は感じていたのか、「わりぃな」と言い残してアルベールは去っていった。
別に遠くに行く訳ではないし、敵になる訳でもない。
だが、第三王女ローマリアの騎士であるエミリアと、その関係者であるローザ。
その妹の生まれ変わりであるスィーティアの騎士になるという事がどういう事になるのか、それはエミリアでも想像できたのだ。
「……エドに何て言えば……」
これはアルベールの道だ。
けれども、目的は同じなはずの兄妹の道だ。
【召喚師】エドガーの待遇改善。
同じ旗を掲げ、同じ人を思いやっての道。
しかし、その道は分岐してしまった。
異世界人ローザの近くと、その真逆。
今最も敵対の恐れがある、スィーティアの近くという立場に。
◇
扉の向こうでは、エミリアが落ち着くのを待っている【従騎士】レミーユがいた。
エミリアの留守を任されていたレミーユは、鬼の形相で帰って来たエミリアに驚き、それを察して部屋を出ていたのだが、「馬鹿ぁぁぁぁ」と叫びを聞いてソワソワしていた。
「エ、エミリア様……」
今日はまだ仕事が残っている。
レミーユはそれを、【従騎士】の立場上エミリアに言わねばならない。
しかし、今までにないくらいのエミリアの感情の起伏を目の当たりにして、完全にひよってしまっている。
「ど、どうしよ……どうしよぅ~」
その結果、レミーユがエミリアに声をかけるまで数時(数時間)もの時間がかかってしまうのだった。
◇
時を同じくして、ロヴァルト男爵邸。
【貴族街第一区画】に最近建てられたばかりの、アルベール・ロヴァルト男爵の屋敷だ。
家に戻って来たアルベールは、自室で高鳴る心臓に興奮を隠せないでいた。
「――これはチャンスだっ……俺が第二王女の専属騎士だぞ……!こんなこと、逃したらただの馬鹿だろっ!」
思えば、あの日スィーティア王女殿下を転倒から救った日。
あの日から既に、前兆はあったのかもしれない。
「エミリアはローマリア殿下の騎士に……俺はスィーティア殿下の騎士に、チャンスじゃないって言うなら、そいつはどうかしてるっ!」
専属の騎士と成って、功績を挙げる。
成果を残した先に、エドガーの待遇改善があると信じて。
「どれだけかかるか分からないが……俺は絶対にこの国を変えてやる!待ってろよ、エド!!」
一人、興奮を抑えられないアルベールは、自分が叶えるべき未来の可能性を信じて。
一人、共に歩めるべき道を外れて行ってしまうのだった。
◇
同じく、屋敷内では。
「どうしたのでしょうか、アルベール様は」
「さ、さぁ……でも、すっごいご機嫌でしたねぇ」
メイドであるフィルウェインとナスタージャが、帰って来て早々部屋に籠った主を不思議がっていた。
それは、【従騎士】ラフィーユも同じであり。
「城で何かあったのでしょうか?」
三人は、丸テーブルを囲んでお茶をしていた。
アルベールが部屋に籠って、半時(30分)が経った。
だが一向に出てくる気配はなく、こうして三人でガールズトークをしている次第である。
「さて、どうでしょうか……」
「なんだか、変な感じですねぇ」
「変?」
「……アルベール様は、以前からも必ずと言ってもいいほど、帰宅後は家の誰かと会話をしますぅ……それは家族や、使用人たちと、分け隔てなくですぅ」
ナスタージャの言葉に、フィルウェインが補足をする。
「そうですね。確かに様子はおかしかったかも知れないわ……でも、以前もこういう時はあったでしょう?」
ナスタージャは「そうですけどぉ」と、お菓子を食べながら言う。
そしてその理由に、ラフィーユも心当たりがあるのか、ティーカップに付いた紅を落としながら言う。
「そういえば、アルベール様は騎士学校時代からフレンドリーな立ち振る舞いで人気でしたからね……ご自宅でもそうだったと言うのは、嬉しい事です。でもそうなると、やはりお一人で部屋に籠るのは珍しいのですね……」
そんなアルベールが、何も言わないままに部屋に籠ったのが、不思議でならないラフィーユ。
「いっそエミリアお嬢様に聞いてみますかぁ?」
「お嬢様に聞きに行く?――王城に?」
呆れたように、フィルウェインが言った。
ナスタージャはガックリと項垂れて。
「……あ。撤回しますぅ」
ナスタージャは、元々エミリアの専属メイドだ。
エミリアが城に住まう事になったために、アルベールのメイドとして再就職したのだったが、未だに気持ちはエミリアのメイドでいるらしい。
「アルベール様を待つしかありませんね、都合のいい事に……今晩フロットリー伯爵がお見えになりますから、それまでには出て来てくれるでしょう、流石に」
ラフィーユは、アルベールに仕事があるとは伝えてある。
融資貴族との食事会だ。投げ出す事だけはしないだろう。
「では、私は仕事に戻ります……行きますよ、ナスタージャ」
「ええぇ――あっ!ちょっと、首根っこ……うぐぅぅ」
嫌がるナスタージャの首根っこを掴んで、フィルウェインは仕事に戻っていった。
「さてと……私は、明日からの調整をしましょうかね……」
念の為に紅を差し直して、ラフィーユも席を立った。
仕事の出来るところを見せて、少しでもアルベールにアピールするつもりのラフィーユだった。
そうして、同じ目的地を目指す兄妹の道はこうして別離となり、やがて来る激動に翻弄される未来が、足音もなく近づいてきていると、誰一人として知らぬまま。




