62話【逃亡者「その3」】
◇逃亡者「その3」◇
暗い暗い闇の中で、“悪魔”の声を聴いた。
『――お前が魂を喰わないから……俺様はお前の魂を喰うしかない。それが“契約”だ……悪く思うなよ』
ゴリゴリと精神が削られていく感覚は、確かに死に近付くと言うそれなのだろう。
エリウスは、騎士たちの命を救った。
それはエリウスが見せた甘さであり、自分を追い詰める自傷行為だ。
『いいかエリウス。死にたくなければ、魂を捕食しろ……人間だろうが動物だろうが、なんでもいい。今はな。そうでなければ……目的を果たす前に、お前が死ぬだけだ……いいな、必ずだぞ』
次に行動する分の魂をエリウスから奪い去り、“悪魔”ベリアルはその権能を静かに眠らせたるのだった。
『よし、いいぞ。起きろ……お仲間が待ってる』
顔など分からないが、ベリアルが優しく微笑んだ気がした。
それは“悪魔”の微笑みか、それとも企みか。
エリウスには分からない。
◇
ガタンゴトンと、揺れる馬車の中で、エリウスは目を覚ます。
「――エ、エリウス様……!」
「……リュー、ネ?――うっ!」
気怠い身体を起こそうとして、エリウスは全身の痛みに顔を歪めた。
「ね、寝ていてくださいっ!全身の筋肉がボロボロだそうですから……精神もかなり摩耗しているらしいので」
「……そう」
リューネの説明に直ぐに納得できたのは、自覚があるからだ。
「……本当に、生きていてくれて良かったです……」
涙目でエリウスの手を握るリューネ。実はその握られた手ですら痛かったのだが、心配してくれたリューネの顔を見ると、それは言えなかった。
「……ここは?」
「聖王国に向かう道中ですよ……あの人が、来てくれて……!」
「あの、人?」
不思議そうな顔をするエリウスに、その人物が声を掛けた。
「――よぉエリウス。随分と無茶したらしいな」
聞き覚えのある声は、御車席から聞こえた。
「!?……その……声は……」
グググっと、何とか身体を起こして、その背を見る。
見慣れた後ろ姿、ぼさぼさの髪、乱暴そうな言葉。
振り返ろうとしたその顔は、リューネの「前見てください!」という言葉で見えなかったが、見なくても分かる。
「……レディル」
「おお。わりぃな……遅くなった」
「本当ですよ……まったく」
「仕方ねぇだろ、お前らを探すのも一苦労だったんだぞ?」
「……どうして、レディルが……」
「ああ~。リューネ、わりぃけど馬車いったん停めるぞ」
その状態では話せないという事か、レディルは一応リューネに断って馬車を停車させる。
停車させ、馬車内に入ってくるレディルの顔は真剣なものだった。
「よっ……と」
乱暴に座り込み胡坐をかく。
そんなレディルに、飲み物を渡す女性がいた。
村娘のような恰好の、綺麗な女性。というか村娘であることは確実だった。
何故なら彼女は。
「……え、オルディアさん?」
「はい、殿下……おはようございます」
「……おはよ……ではなくっ!どうして貴女が……ここは聖王国に向かう途中なのでしょう!?」
エリウスは取り乱しながらも、リューネに問い質す。
「お、落ち着いて下さいエリウス様!お身体に障りますっ」
「落ち着けよ、エリウス……」
「落ち着いてくださいませ、殿下……」
三人に制されては、エリウスも落ち着くしかない。
冷静に周りを見ると、前まで乗っていた荷馬車では無いと気付いた。
そして、隣にも誰かが横たわっている事にも。
「……ノイン」
隣で横になっていたのは、異世界人であるノインだった。
すぅすぅと寝息を立てて、静かに眠っていた。
「傷は回復できました。レディルさんが持っていた【月の雫】のお陰で……スノーさんも」
リューネは安心したように言うが、そのスノードロップは何処にいるのだろうか。
エリウスから見ても姿は見えないし、御車席にいる訳でもなさそうだが。
第一、ノインよりも重症だったはずだ。
「スノードロップは……?」
「あの“天使”のねーさんは……傷が回復して、一足先に聖王国に向かったぜ?」
「……な、どうして……」
「村を出て少ししてから、何かを感じ取ったらしく……よく分からないまま飛んで行ってしまって……私たちも詳しくは知らないんです」
「そ、そう……忙しいわね……彼女は」
「ですね……でも、それだけ平気な証拠かなぁって……ノインさんも言ってましたよ、あはは……」
笑うリューネに、エリウスも釣られて笑う。
「ふふ……そうね、そうかもしれないわ……それで、どうしてまたレディルがいるのかしら?」
「おう。それはな……」
今や前皇帝陛下となってしまったが、エリウスの父である皇帝陛下から勅命を受けていたレディルとカルストは、帝国領南東地区の視察に行っていた。
名目上は視察、とは言え、殆ど意味はないものだった。
実際、勅命でなければ行きはしない程度のものだった。
しかし、視察先の街で見た新皇帝ラインハルトの演説は衝撃的だった。
そしてその映像にエリウスが映っていない事や、帝国騎士の団長であるカルストが居ない場で、何が起きたのかを知るべく。
二人は行動を起こした。そして途中、カルストは帝都へ戻ると言い出し、レディルの制止も聞かぬままに去ってしまったと言う。
「じゃあ……カルストは……」
「ああ。帝都だ……悪りぃ、止める間もなかった」
その後、一人になったレディルは考えを巡らせたと言う。
エリウスが演説の映像に映っていなかったという事は、兄であるラインハルトと何かあったという事だと考え、三つの想定をした。
一つは、幽閉された。
二つは、最悪の場合だ、殺された。
そして最善である三つ目、誰かが手助けをして、どこかに逃亡したか。
「いやまさか、“天使”のねーさんとこのチビッ子が援護してくれてるとは思わなかったけどな」
その三つ目を信じて、レディルは北へ向かった。
自分が南東部にいる以上、北へ向かえば合流出来ると踏んだのだ。
「私たちも……父上に命令されて【ルーノダース】へ調査に出ていたわ……もしそのままあそこで待っていたら、騎士たちに囚われていたかもしれないわね……」
「そ、そうですね……」
「まぁなんだ……とにかく合流は出来たんだ、それで一つは安心だぜ」
レディルは両手を頭の後ろで組んで、へらッと笑う。
エリウスも「そうね」と笑った。
「じゃあ、オルディアさん……は、どうしてまたこの馬車に……?」
レディルやスノードロップたちの事は分かった。
それでは、一番の謎であるオルディアが、ここに居る理由だ。
【コルドー村】村長の娘であるオルディアは、父である村長が亡くなった以上、順当にいけば次の村長だ。ここに居る理由はないはず。
「はい……私は、村から追放されました……」
「……え?」
辛そうな心情を隠して、オルディアは笑う。
エリウスは驚く。しかし気付く、自分たちのせいなのだと。
「い、いえ……お気になさらないでください。私は、自分で選んだんです……」
エリウスが気を失ったあの後、騎士たちが撤退して、村の少ない住人たちもチラホラと外に出て来た。
オルディアも、廃墟のようになった我が家に足を向けたが、そこには父である、村長の遺体があるだけだった。
父の覚悟は聞いていた。「殿下をお助けしたい」と、命をかけてそれを成し遂げた事も、誇りに思っている。
だが、村人は違う。村長亡きあと、どうするのだと責められるのは明白、オルディアは娘ではあるが、実質的な事はしてこなかった。
父の亡骸を外に運んで、集まっていた村人の視線を受けた時、もうここにはいられないと感じたと言う。
事実、村人たちの視線は冷ややかだった。
関わらぬを決めていた村人たちも、騒動は窓から覗いていたのだ。
人外のようなノインと、それを打倒した騎士。
現れた皇女は“悪魔”の翼をはためかせて、それを撃退する。
村の広場は、戦いの痕跡でボロボロだった。
それを招いたのは、確かに村長の一言だったのかもしれない。
村長がエリウスを、延いてはリューネを保護しなければ、こんな事にはならなかったかもしれない。
オルディアがもういられないと言うのも、無理はなかったのだ。
そうして、オルディアは父を埋葬し、何も言わずにこの大きな馬車を用意して、同行を頼み出た。
「……ですので、私は聖王国に向かうのにお邪魔しようと思います……夫には、村に伝言を残してありますし……それ以前に、私が村に残っていれば、夫も危ないかもしれませんから……」
オルディアの夫は、帝都に出稼ぎに出ている奉公者だ。
あの騎士たちは言うだろう。「村の村長に邪魔をされた」と、「その娘も協力者だ」と。
帝都に居るはずの夫がそれを聞いてどうするのか、性格を把握しているオルディアは分かると言う訳だ。
「それに、この子……」
オルディアは、眠るノインを見る。
オルディアは村に残るか共に行くかを悩んだ時、一言をくれたのはノインだ。
「村長さんに頼まれたから」と、簡単な事しか言ってはくれなかったが、父の最期を看取ってくれたことには感謝している。
廃墟と化した家で横たわっていた父は、腕を組み目を閉じ、綺麗に横たわっていた。
それをノインがしてくれたんだと、理解できたからだ。
「分かったわ……よろしくね、オルディアさん」
「はい、エリウス殿下……いえ、エリウス様」
こうして、エリウスたちの同行者となったオルディア。
完全に一般人だが、肝の据わった女性だ。
エリウスの為と言う訳でもなく、自分で決断したという事も含めて、エリウスは好感を持った。
「よし。んじゃ出発すっぞ……おちおちしてらんねーしな。その何たら騎士団が、どうせまたくるんだろーしな」
「……おそらく」
「なら早いとこ出るか。って、俺が停めたんだけどな」
そう言いながら、レディルは御車席に戻った。
エリウスも身体を起こし、ちらりと見えた馬がヘルゲンだったことに安心する。
背を預けゆっくりと考える。
胎を擦り、そこに存在する《石》の事や、兄の事、残された妹の事など、考えは尽きないのだった。
例え、逃亡者として追われる身であろうとも、エリウスは進む。
その先は、【召喚師】エドワード・レオマリスがいる、【リフベイン聖王国】だ。




