61話【羅刹の使者2】
◇羅刹の使者2◇
騎士たちの前に立つ青髪の少女は、背中から禍々しい翼を出現させた。
威風堂々と立ち振る舞うその姿は、王の風格を放っている。
その鋭い視線は騎士の一人、マシアスに向けられており、まるで「どうする?」と問いかけてるようにも取れた。
眼光を向けられているマシアスは、手を震わせながらエリウスの背から生え出た蝙蝠の翼を指差す。
「な……なんだ……それは……まるで……あ――」
『「――“悪魔”の何が悪い」』
言葉と同時に、漂っていたオーラはエリウスの頭部にも少しだけ纏われ、そのオーラは小さな二本の角となった。
鋭角の角は、エリウスの額から生え出ているように見え、その姿は御伽噺に出てくる“鬼”のようだと、騎士の一人は感じていた。
一歩、エリウスが踏み出す。
マシアスはその瞬間に行動を移した。本能とでも言うのだろうか。
「――か、貸せぃっ!!」
「ちょっ……!」
このエリウスの変貌に、一番戸惑ったのはマシアスだろう。
先程までは完全に有利だと思っていたこの男は、騎士から強引に槍を搔っ攫い、エリウスに向ける。
ジャキリと槍穂先をエリウスに突き向けて、強く握る。
親指で何かを探り、視線をエリウスと槍、交互に何度も切り替えていた。
覚束ない手つきは震え、先程までの高圧的で自分勝手な姿など皆無だった。
その様は、槍に慣れていない事が丸分かりだった。
「――く、くそっ!なんで上手く……くそっ!!」
「マシアスさんは使い方習ってないだろっ!?」
「う、うるさい黙れっ!!集中できんっっ!」
この槍には手順が要るようだ。
その手順を、マシアスは上手くできていないらしい。
『「もうよいか?」』
エリウスが一歩前に出る度、蠢く影はゆらゆらと動く。
不思議なことに、降り続く雨はエリウスに当たらず避けていた。
「く、くるな!くるなくるなくるなぁぁぁぁっ!化け物ぉぉっ!!」
カチリ――と、槍には小さな【魔石】がはめ込まれた。
どうやら、正しい手順を踏むと、長柄から装填されるようだ。
刃に近い場所に装填された【魔石】は、キラリと一瞬だけ輝くと、パキンとヒビを入れて砕けた。
『来るぞエリウス!下位の“悪魔”が弾けやがった』
「――分かってる。魔力の波動を感じた」
『「【翼手爪盾】!!」』
同族感知と言う奴で、“悪魔”ベリアルは【魔石】の反応を感知できるらしい。
槍に装填され、砕かれた小さな【魔石】は、魂の一撃となってエリウスに迫る。
【電磁衝撃機槍】の、魔力もなく視認できない理由が、この魂を用いた攻撃だったからだ。
しかし、ベリアルの能力であるこの翼は、魂を集束させることで、自由自在に操る事が出来るのだ。
そして消費するのは――《契約者》エリウスの魂。
「――グッ!!」
ズキリ――と、エリウスは心臓に痛みを覚える。
しかしそんなことは厭わず、左手を翳す。
すると翼は形状を変えて、エリウスを覆うように包み込む。
その瞬間、翼に当たった何かが、バチン――!!と弾けた。
弾け飛んだのは、槍から放出された魂だ。
異世界人である“天使”と“獣人”を地に伏せさせたこの攻撃を、“悪魔”の翼で防いだのだ。
『――ふん。そんな“下級悪魔”の魂で、この俺様の魂を砕けると思うなよ!――ガブリエルの鈍間とは違うんだよっ!クハハハッ!!』
「騎士たちには聞こえてないわよ」
バサッ――!!と、翼を広げて、エリウスは魔剣をマシアスに向けた。
何事もなかったかのように。
「――な……なん、だと……」
マシアスには、エリウスが地に這うビジョンが見えていた。
しかし、地に伏せるどころか、軽くあしらわれたように取れる。
他の騎士たちも同様に、驚いていた。
それだけ、異世界人であるスノードロップとノインの二人を倒せたことが、自信になっていたのだ。
「……ぶ……」
マシアスは呆然としながらも、遂に言ってはいけない事を口走ってしまう。
「――ぶっ殺せぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
『初めからその覚悟を見せろよっ!クソ雑魚人間どもがっ!行けエリウスっ!!』
「――命令しないでっ!言われなくてもやるわよっ!」
騎士たちは戸惑いながらも、命令に従い抜剣する。
向けるのは、敬愛すべき自国の皇女。それを認識しながらも、やらねば自分のクビが飛ぶ(物理的に)と覚悟を決める。
エリウスはその様子を見て「それでいい」と笑顔で言った。
自分は既に覚悟を決めている。
愛する帝国の騎士たちに立ち塞がるという事は、それだけで重大な祖国への裏切りだ。
それでも認められないもの。助けたいものが出来た。
そうして足を踏み出した瞬間、憑き物が落ちるように、スーッと心の乱れが無くなった。
『「――さぁ、来いっっ!」』
剣を持った騎士が三名、普通の槍を持った騎士が三名、機能停止した【電磁衝撃機槍】を持った騎士が三名、そしてマシアスの総勢十名の騎士が、エリウスを取り囲んでいる。
「……くっ!……うおおおおっ!」
一人の騎士が、苦渋の決断を下し剣を振りかぶる。
走り、一気に距離を縮めてエリウスに斬りかかった。
急所から狙いこそ外してはいるが、威力も速度も充分な一刀だ。
「――ふっ!はぁっ!」
その騎士に対して、エリウスはオーラを纏った左腕を一閃する。
三つ爪のオーラは騎士が剣を振り下ろす前に、肩口から腹部にかけてを抉った。
「ぐあっ……」
騎士は吹き飛ばされ、他の騎士が何とかそれをカバーするが、まとめて三人の騎士が吹き飛んでいった。しかし、吹き飛ばされた騎士の一人がある事に気付く。
それは、斬られた騎士の服だ。
肩口から切り裂かれたはずの騎士の黒いコートは、一切の傷を負っていなかったのだ。
まるで新品同然に、雨で濡れた以外は何も変わらない。
「お、おお!」
流石の防御力だと、騎士たちが感心した瞬間。
「――ぐ……ぐあぁぁぁぁぁっ!!があ、ぐああああっ!!」
斬られた騎士が、斬られた跡を毟搔くように暴れ出し、藻掻き苦しみだしたのだ。
「お、おいっ!どうした!?傷は無いぞっ!」
騎士たちは当然戸惑う。
異世界人であるノインの戦斧の一撃を受けても、雪崩のような土砂の攻撃を受けても無傷だったこの黒いコートは、鉄壁の防御力だ。
何が起きたのか、まるで想像できない。
『――クハハハハ。教えてやろう……俺の攻撃はなぁ、物理攻撃ではないのだよっ!!言わば精神攻撃……お前ら人間の魂を、直接喰ってやったのだっ!!クハハハハハッ!』
「だから、聞こえてないってば」
エリウスの胎から声を出す“悪魔”ベリアルの攻撃は、魂を直接攻撃するものだった。
その攻撃に、もはや防御力など関係無い。
そして、喰ったという事は、それをベリアルの力に変化するという事だ。
エリウスの魂を消費して顕現させた力も、これなら他の魂をエネルギーに出来ると言う訳だ。
『まぁ、コイツ等の魂は惰弱も惰弱……あと何人喰えば、お前と同等になるやら……兎に角、全員喰えば丁度いいかもなぁ!』
「全員はやらないわよ」
『なに!?何故だ!!』
「うるさいわね……証人を残しておかないといけないでしょう……兄に、知らせてもらわないといけないわ」
『――関係ないだろ』
「駄目よ」
『……ちっ!!』
エリウスとベリアルのやり取りは誰にも分からない。
しかし、最強の防御力を持った黒いコートを無視してダメージを与えたという事だけは、この場にいる騎士は理解が出来ただろう。
そして、エリウスは動く。ゆっくりと静かに進む先は、隊長格の男、マシアス。
「――はっ!き、貴様ら何をしているっ!?俺を、俺を援護しやがれっ!そ、そうだ!そうすれば……進言してやるぞ!新隊長になった、俺の部下にしてやるっ!」
自分が狙われていると気付き、マシアスは周囲の騎士たちに発破をかけた。
だが、苦しむ騎士の様を見た騎士たちは、完全に戦意が途切れかけていた。
それが分かるから、エリウスはマシアスに足を向けたのだ。
「く、来るな化け物ぉぉっ!」
マシアスは効力の無くした槍をエリウスに向けるが、槍穂先がブルブル震えて、実に滑稽だった。
エリウスは、黒いオーラの爪を、マシアスの足元に振るった。
「――ひっいぃやぁあ!!」
驚き、仰け反って尻餅をつき、マシアスは腰を抜かした。
エリウスはそんなマシアスに向けて、右手に持った魔剣を突き付ける。
「いい?お前が本当に兄に繋がっているのなら……帰って伝えなさい。『私は認めない、いつか必ず、私は貴方のもとに現れる……その時まで、どうぞお元気で”』……とね」
それは、決別の言葉。
そして、敵対心の表れだった。
皇帝になったラインハルトを認めないと、いずれ必ず、その眼前に立ち塞がると。そう言ったのだ。
エリウスは脅えるマシアスから振り返り、沈黙する騎士たちにも告げた。
「――お前達も聞いたわね……!この男が役に立たない場合、お前たちの誰でもいい……必ず伝えなさい……」
「「「は……はっ!!」」」
騎士たちは、エリウスの言葉に敬礼をする。
敵対すると宣言したとはいえ、エリウスの皇女たる威厳がそうさせた。
しかし、一人納得のいかない“悪魔”ベリアルは。
『いやいや……俺の食事わいっ!!』
「うるさいわね、私の魂で我慢なさい……いくらでも、食べていいから……」
『……ちっ……面白くねぇ……』
そう言い残して、胎の《石》は静かになる。
同時にオーラの翼や角も消え、エリウスは人間に戻った。
自分の姿を確認して、エリウスは言った。
「――さぁ、この村から撤退なさい……キチンと、この男も連れて」
言いながら、エリウスは魔剣を振るった。
フォンッ――!と風を斬った魔剣の衝撃波は、マシアスが座り込む尻もとに。
先程地面を裂いた爪痕に重ねて、爪の三本の横線、魔剣の一本の縦線が入った。
それは奇しくも、この国の文字で“死”を表す文字だった。
「――ひぃっ!!ひぃぃぃぃっ……」
立ち上がり、千鳥足で逃げ去るマシアス。
他の騎士などお構いなしに、一目散で【魔導車】に帰ったのだろう。
(まったく……なんて情けのない)
他の騎士たちも、傷付いた騎士を抱えて撤退していった。
そして誰も居なくなった広場には、エリウス一人が残された。
そして、降り続けていた雨がエリウスの身体を濡らしていく。
「……」
もう何も言えないまま、エリウスはゆっくりと後ろに倒れていく。
ドシャリと、思い切り仰向けで倒れ、少しだけ遠くにいるノインの「シャル!」と言う声を最後に、エリウスは意識を手放していった。




