60話【羅刹の使者1】
※多少過激な言動が含まれております。
◇羅刹の使者1◇
雨の降る村に響いた凛とした声に、帝国軍【黒銀翼騎士団】の騎士たちは一様に振り向いた。
倒れる異世界人、ノイン・ニル・アドミラリもまた、可能な限り顔を動かして、その姿を目に焼き付ける。
「……シャル……どうし、て……」
そして、声の主エリウス・シャルミリア・レダニエスは。
倒れるノインに対して、安心させるような笑顔を見せて、騎士たちに。
「――今直ぐに、その子から離れなさい……これは忠告よ」
一歩一歩を確かめるように踏み込む。
エリウスは、禍々しく輝く黒い魔剣の切っ先を騎士たちに向けた。
しかしこれに喜々としたのは、隊長格の男だった。
もう逃げたと思っていた皇女が、自ら目の前に現れてくれたのだ、ましてや最強の矛と盾がある状況で、たかが魔剣を怖がる必要は無いと。そう考えたのだ。
「こ、これはこれは……エリウス皇女殿下、ご壮健で何よりです!さ、さぁ、こちらへお越しください」
隊長格の男は左手を上に挙げ、部下の騎士たちに合図をする。
「手を出すな」という事だ。そして反対の右手をエリウスに向けて差し出し、ジェントルを気取る。
「――私は離れろと言った。聞こえなかったのか、この木偶が」
蔑む目を向けて、エリウスは一歩、また一歩とノインに近付いていく。
「と、止まっていただきましょうか!」
(……どっちだよ)
エリウスの言葉に焦ったのか、男は今度は止まれと言う。
男の足元で倒れるノインは、思わず内心でツッコんだ。
男の言葉に、エリウスは素直に停止をする。
言葉を待つことにしたのか、魔剣を騎士たちに向けたままピタリと止めようとしていた、が。
フルフルと、切っ先が震えていた。
「――!……で、殿下……一緒に帝都へお戻りいただきましょう、お兄様で在らせられるラインハルト皇帝陛下も、首を長くしてお待ちでしょう!」
震えるエリウスの手、それを目にした男は好機到来とまくし立てる。
男は、エリウスが怖がって震えているのだと、そう取った。
しかし実際は違う。エリウスは、《石》【欲望の菫青石】から溢れそうな魔力を抑えるのがやっとで、自制が効かなくありつつあったのだ。
そのエリウスの震えを、この男は勘違いしたのだ。
「――殿下を誑かしたこのゴミは!丁重に帝都へ連れ帰り、即刻罰に処しましょうぞ!カハハハ!」
「――あぐっ!!……ぐっあ……うぐっ!」
男は倒れるノインの腹をブーツの固い先で足蹴りし、小柄なノインは反動で浮かび上がるほどだった。
落ちた反動で顔を打ち、それでもなお男は乱暴を振るう。
「……」
当然怒りはある。それでも、エリウスは魔力を抑えるので手一杯だ。
騎士の男は、エリウスの睨みつける視線に気付かないまま、完全にノインを“誘拐犯”と決めつけ、執拗に蹴り続ける。
「はははははっ!おら!おらぁ!!その耳は飾りかぁ!?」
「――ぐっ!がっ!……ぎゃっ!」
ノインの顔にブーツの甲がガスッ――とぶつかり、痛々しい悲鳴が響いた。
エリウスは咄嗟に叫ぶ。
「――もうやめなさいっ!!」
「……お、おっと……これは失礼しました……」
エリウスの叫びに、男は「ははは……」と言いながら距離を開ける。
両手を大げさに上げて、媚びを売る笑顔でエリウスに近付くと。
「――さぁエリウス殿下……こちらにどうぞ……どうしました?剣をお収め下さいよぉ……へへへ……私達は――仲間なのですから」
「……貴様……!!」
「……へ?」
エリウスの眼光は、男の心臓をキュッと縮めた。
そして、エリウスを纏うオーラが可視化していくように、皇女の気品あるオーラは、ドス黒いものに変わる。
「「「……!!」」」
「「「――!?」」」
男の心のない言葉で、場にいる全員が凍り付いたことだろう。
更に、エリウスから発せられ始めたドス黒いオーラが、ノイン以外の人間に覆いかぶさっていく。
「な、なんだ!?」
「う、うわああ!」
「か、顔!?」
ドス黒いオーラは、騎士たちの周囲を何度も何度も周り、恨みを持つ怨念のように騎士の眼前で漂う。
「なんだお前たち、黙っていろとあれ程……ど、どうし……た」
エリウスの一番近くに居ながら、隊長格の男は気付けなかった。
とぼけた様に振り返り、部下の様子を伺うと、それが目に入った。
「――どわあああぁぁぁぁっ!!」
具現化したオーラに、男は腰を抜かせて尻餅をついた。
ドスンと尻をついた先は、エリウスの足元だった。
「お前は、帝国の騎士に相応しくはないっ!」
見上げ、“悪魔”のようなエリウスの形相に男は。
「……は、はは……ははは……し、失礼いたしました……」
ゆっくりと立ち上がり、ガクガクと足を震わせながら男は、笑いながら後退していく。
その際、一切オーラもエリウスも見ず、目を瞑って戻っていった。
おそらく怖かったのだろう。なんという小物感だろうか。
騎士たちも、顔の様に見えるオーラから距離を取り、その男と合流した。
エリウスも少しずつ歩き出し、ノインの前まで来ると、ようやく右手の魔剣を下した。
「大丈夫?ノイン」
「シャル……その、力……《石》の……」
笑顔を見せるエリウスに、ノインは驚きながらも言葉を探っていた。
エリウスの持つオーラは、自分にも心当たりがある。
スノードロップとはまた違う思いで、エリウスの《石》を感じ取ったからだ。
「さぁノイン、立て……ないわね。ごめんなさい……もう少し待っていて」
そう言うと、エリウスはノインを庇うように前に出て、騎士たちに向けて魔剣を一閃する。
ヒュンッと空を裂いて音を鳴らす魔剣に、騎士たちもごくりと喉を鳴らしてエリウスの言葉を待った。
「――我が帝国の騎士よ……これが兄、ラインハルトの命令だと言うのなら……私は従わない。あの炎上はなんだ!城下に火を放ち、民を巻き込んで、挙句の果てには……父を、陛下を貶めて、そんなふざけた王に従う訳にはいかないっ!それが、例え兄であろうとも……」
「「「……」」」
騎士たちは一様に息を呑み、祖国の姫君の言葉を身体に染込ませた。約一名を除いて。
「――ふ……ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「「「!?」」」
叫んだのは勿論、隊長格の男だ。
激情家であるのが目に見える彼は目を血走らせて、エリウスの言葉を全否定する。
「黙って俺に連れていかれればいいんだっ!ラインハルト陛下は素晴らしいお方だっ!――お前はその妹だろうがぁ!それがなんだ!陛下のお考えを否定するのかっ!手間取らせるんじゃぁねぇよ!!」
掲げた政策の何も知らないのに、何も言わず妹を追い回してくる陛下の考えなど、知るものか。
男は結構な失言をしている事も気付かずに、捲し立てていく。
「ラインハルト陛下はいずれ世界を手に入れるお方だ!お前はそれを邪魔するのかっ!妹のくせに!女のくせにっ!!」
男尊女卑。古い国の固定観念だ。
それを、この男は言葉にしている。自分が仕える、国の皇女殿下に対してだ。
周りの騎士たちも、流石に「うわぁ……」とドン引いていた。
しかし、そんな言葉にもエリウスは動じずに返す。
「――言いたいことはそれだけ?ならばさっさと帰って兄に報告しなさい“失敗しました”ってね」
挑発には挑発で返す。
煽られてムキになるような精神はしていない。
だが、この男は別だった。
「……な、なんだとぉおおお!!貴様ぁぁっ!」
「お、落ち着いてくださいマシアスさんっ!」
「そうです!言いすぎですよっ」
「クビ飛びますって!」
騎士たちは、飛び出していきそうな男を必死になって押える。
名前で呼ばれていたので、どうやら隊長ではないらしい。
「うるさいっ!お前らも俺に賛同したからついて来たんだろうが!!あいつ等に無断で“槍”を持ちだしたんだぞ!バレたらお前ら責任取れんのかっ!!ああ!?」
なる程どうやら、この男たちは正式にエリウスを追っている部隊ではないらしい。
もしそうでないとしても、何か違反をしてここに居るという事だろう。
「そ、それは……」
「……いやぁ」
「は、はは……」
「なら残りの槍を持ってこいよっ!痺れさせて動けなくすれば簡単に連れ帰れるだろぉっ!!」
このマシアスと言う男、どうやら根っからのクズだったようだ。
言葉の端々に、その片鱗は見せていたが。
騎士たちも自分の身が大事なのだろう、わたわたと慌てだして指示に従う。
数人の騎士が村の入り口付近に待機していたが、それを聞いて更に混乱していた。
「へへへ……エ、エリウス殿下ぁ。お、大口叩いて後悔しないでくださいよ!?」
挑発するように、マシアスはニタニタと笑っている。
エリウスは無言のままでいたが、ノインの視線を感じてしゃがみ込んだ。
「シャル……アタシの事はほっといて……逃げてよっ、その《石》は……なんだか、危険な気がするんだ……だからっ」
槍の威力を味わったノインは、《石》があっても危険だと認識していた。魔力を感じる事もなく視認も出来ない、そんなものをどうやって防げばいいのか。
「――平気よ。“彼が言ってる”」
「……か、彼?」
「ええ。だから心配しないで寝ていなさい……あと、スノードロップも無事だから安心していい。あなたと同じ、ケガはしているけど」
「……そ、っか……」
相棒の安否を聞いて安心したのか、ノインは首の力を緩めて、ぱたりと伏せた。
「――じゃあ仕方ないね……任せたよ。シャル……」
「ええ……任せなさい」
エリウスが立ち上がると、一人の騎士が丁度槍を持って到着したところだった。
合わせて他の騎士たちも、エリウスの周囲を固めていく。
余程の自信があるのか、エリウスを取り囲んでいい気になるマシアス。
「へへへ……さぁエリウス殿下……お仕置きの時間ですよぉぉっ!!」
わざとらしく指をパチリと鳴らし、槍を持った騎士に合図をする。
槍の数はたったの一本だ。しかし、その威力は計り知れない。
◇
『おいエリウス。分かってるんだろうな?』
その声は、《石》の所持者であるエリウスにしか聞こえない。
「……ええ。分かっているわ……」
『おおそうか……ならいい。存分に使え!俺様の力!!欲望の力を!』
しかし、確かに発せられたその言葉は、呪文となってエリウスの権能となる。
『「――【堕落の翼】!!」』
エリウスの言葉と同時に服を突き破り、背中から生え出た巨大な蝙蝠の翼。
その翼は、左側だけの片翼だった。
エリウスの身体の倍以上あるその巨大な翼は、人間を威圧するには充分過ぎるものだった。
一人の騎士は腰を抜かし、また一人の騎士は悲鳴を上げる。
見る騎士たち全てが畏怖し、慄くその姿は、まさしく伝承に載る、“悪魔”のそれだった。
『「――我が名はベリアル……!貴様たちの魔力、残さず食らいつくしてやろうっ!!」』
漂っていたエリウスのドス黒いオーラは、エリウスの左腕に纏い巨大な爪と化した。
オーラの爪はエリウスが動かす度に禍々しく蠢く。
暗がりならば、おそらく巨大な腕そのものに見えた事だろう。




