58話【Diabolik1】
◇Diabolik1◇
ノインが倒された。大きな音も動作もなく、悲鳴が先行して木霊した。
煙をあげてノインは地に倒れ、周りには騎士たちが囲みだしていた。
「――ノイン……!ぐっ……くぅ……!」
スノードロップは飛び出そうとするが、ノインと同じ攻撃を受けている上に、空から落下したと言うダメージがあった。
ガクリと、立ち上がろうとしても膝から崩れる。
リューネがそれを支えている。
一方でエリウスは、悩みと混乱の中で葛藤していた。
ここまで共に来たノインを切り捨てるべきなのか、国の騎士に刃を向け、帝国皇女としての尊厳を打ち捨てるのかを。
それに、騎士たちの装備の事もある。黒いコートは無類の防御力を誇る。
そしてあの槍だ、異世界人であるスノードロップとノインを倒した、無骨な黒い槍。
見えない攻撃と完璧な防御力。それを持つ彼等に、エリウスが何か出来るのか。
「……」
手に持つ【魔剣ベリアル】の柄をギュッと握りしめて、エリウスは決断を迫られる。
帝都から離れてから数日、エリウスの判断の遅さが全て裏目に出ていた。
スノードロップとノインが助けてくれなければ、今頃は皇帝と成った兄のもとか、それとも黄泉の国か、いずれにしても分かったものではない。
「私は……!」
やはり、目の前の少女を見捨てることは出来ない。
エリウスは意を決して鞘から剣を抜き放とうとしたが、魔剣は微動だにしなかった。
「――な、なんでっ!!」
その様子にスノードロップとリューネ、更には怯えてへたり込んでいた村長の娘オルディアすらも、エリウスに注目した。
「何故抜けないのっ!私は、ノインを……ノインを救いたいのにっ!!」
「エリウス様……」
エリウスはエリウスなりに考えた。
祖国と戦うことになるかもしれない状況でも、父を討った兄に真実を聞かなければならない。
それとも、兄にひれ伏して、帝国を繁栄させるために手を尽くすのか。
答えは簡単な事ではない。父の真相にせよ、兄の野望にせよ、結局は家族の話だ。
大事な妹も、まだ兄のもとに居るはずなのだ。
今自分に出来るのは、逃げる事か、はたまた従う事か、そうではなく抗うのか。
「私に――力が……あればっ!」
魔剣が抜けないという事は、今までになかった。
だからこそ心を決めて、剣を抜き戦おうとした、しかし。
「何故なの!どうしてっ!?私は……!!」
何度も何度も、魔剣を鞘から解き放とうと躍起になる。
しかし何度も試しても、結果は変わらない。
「エリウス様……」
リューネはエリウスを見、そして村の様子を伺う。
ノインの獣耳を乱暴に掴み、一人の男が告げた。
「ラインハルト陛下への手土産にする」と。
「――!!」
「ノインっ」
「そんな……私は、私が……」
行動を躊躇ったから、迷いを抱えていたから。
このままではノインが連れて行かれる。
そう思った瞬間――チカッと、手元で何かが光った。
「……な」
それは魔剣に装飾された、【魔石】だった。
《石》は語りかけるように明滅し、エリウスはその深い奥底に吸い込まれそうになる。いや、吸い込まれたのだろう。
◇
エリウスが気が付くと、そこには何もなかった。
虚無。そう言えれば簡単かもしれない。
真っ暗な空間に、エリウスは一人立ち尽くしていた。
「こ、ここは……な、何故……何処なの?」
突然の出来事に困惑するも、周りを見渡すと、自然に見えてくる。
倒れ、騎士たちに囲まれるノイン。友人を救おうと、傷つきながらも立ち上がろうとするスノードロップ、その両者を気にかけ、泣きそうになりながら必死に何かを模索するリューネが目に入る。
そして、それは自分の姿も含まれていたのだ。
虚空を見つめる自分の姿に、エリウスは更に戸惑う。
「――何故、私が……?」
自分は今、この訳も分からない場所にいる。
それだけは認識できる。だが、目に映る者は、確かに自分だ。
今さっきまでの、自責に押しつぶされた自分だ。
『……――お前が自分で此処に来たんだろう?』
「――だ、誰っ!?」
突如聞こえて来た声に振り向き、警戒する。
しかし、この虚無の空間には誰もいない。
「聞き間違い……?」
『――クヒヒ……んな訳ないだろう、俺は今までも、ずっとずっと前から、お前を見てたんだからな。幻聴だと思われたら、参っちまうよ。なぁ、そうだろぉ?』
「――!?」
声が聞こえる。ゾッとするような、おどろおどろしい声が。
それは確かにエリウスの耳に届き、男の声でエリウスに語りかけている。
エリウスは警戒を怠らないまま、その声の主を探る。
「私を、見ていたと言ったわね?……それはいつから?」
確かに聞こえる声は、愉快そうに笑う。
『クハハハハハ!いつ、か……そうだな、いつだろうな。少なくとも、お前が寝小便垂れてた時から見てんよ、クハハハハハ!!』
「――な、なっ!!」
意外な回答に、エリウスはこんな状況にも関わらず赤面する。
何故そんな事を言われねばならないのか。
「――くっ、こんなことをしている場合ではないのにっ……」
頭を振って気を取り直そうとするが、声は続けて。
『兄にも妹にも、お前は嫉妬をしていたなぁ……そこは好感が持てたよ……俺も、ある女に嫉妬していたからな』
「……な、何を言って」
突然何を言っているのかと、エリウスはノイン達の様子をもう一度伺った。
そこで気付く、この目に見える情景の不自然さに。
「動いて、いない……?」
『ここに居る以上、時間には縛られない。さぁ、ゆっくり話そうぜ?エリウスよぉ』
「いったい……なんだと言うのよ、あなたも……私も……――!?」
エリウスは左手で顔を覆う。そして気付く、右手が塞がっている事に。
その手には魔剣が握られ、そして装飾された【魔石】が明滅するたびに、この謎の声が聞こえているという事実に。
「――は、離れないっ!?」
右手の魔剣は離れない。必死に引き剥がそうと試みたが、手を開いても、掌から落ちる事は無かった。
『クヒヒ……おいおい、それを持ってねぇと俺と会話できねぇだろ?黙って持ってろって』
「……」
右手の魔剣、正確には魔剣に装飾された【魔石】が、声を発しているのだ。
エリウスは目を細めて《石》を見る。
『クヒヒ……照れんだろぉ?』
「あなたは一体何?誰?名前は?ここは何?」
矢継ぎ早に質問をするエリウス。
『うおおお、落ち着けよ。時間はあるって言ってんだろ!いいか?』
「……分かったわ」
エリウスは仕方なく、虚無の空間に座り込む。
これは座っているのだろうかとも一瞬思ったが、口にはせず。
『クハハハ!地面がないから下着が見えているな!』
(……こいつ)
どこから見ているんだと言いたくなったが、紫色の【魔石】が若干赤みがかったのをエリウスは見落とさなかった。
「いいから話して。私には時間が無いの。恩人を救わなければ……」
『恩人ねぇ……この短時間で恩人なんて言えんのか?』
「助けてもらったのは事実よ。ならば恩人でしょう」
『――人間ってのは、昔から律儀だな……あの高飛車にも見習ってほしいもんだぜ』
「知らないわよ。いいから説明しなさい」
『……ちぇ……まぁいい、俺は“悪魔”だ』
「は?何ですって?もう一度言って、聞こえなかったわ」
いじけた様にいう声に、エリウスは本気で聞き返す。
『――だぁぁ!お・れ・は!“悪魔”だっつったんだよ!《石》見て気付いてたろお前は!』
本質を見抜いた“悪魔”は、エリウスが【魔石】を見た時点で気付いていただろと追求する。
事実、そうなのではないかとエリウスも思っていた。
「仮に“悪魔”だとして」
『仮ってなんだこら!俺はこれでも“大悪魔”だぞっ。力が要らねぇのかよ!』
「……力?」
その一言に、エリウスの目の色が変わる。
『クヒヒ……やっとその気になったか。どうせ夢かなんかだと思ってやがったんだろうが、そうはなんちゃらが卸さねぇぞ』
「で、“悪魔”という事は……私に要求したいことがあるのでしょう?もしかして、それが剣を抜けなかった理由?」
『……へぇ』
直ぐにそこまで結び付ける事が出来るのは、エリウスの才だ。
“悪魔”は感心したように言う。
『――ま、そういうことだ……あの状況じゃ、あの“獣人”もガブリエルも――救えねぇよ』
「ガブリエル?――いえ、どうすればいいの?」
その名を聞き、一瞬眉を寄せるも直ぐに思考を戻す。
『お、躊躇なしか……?』
“悪魔”との契約は、死にも等しい。
エリウスも、かつて【魔石】に取り込まれた男を見ている。
そもそもはエリウスがそう仕向けた事だが、今となってはその命令を実行したことを怪しむべきだった。
数個の【魔石】は、シュルツ・アトラクシアから授かったものだった。
一つは自警団の男に埋め込み、一つは貴族の男に売り払った。
その結末はどちらも“悪魔”に取り込まれ、“悪魔”そのものとなった(エリウスが知っているのは前者だけ)。
『なんだよお前、“悪魔”化が怖くねぇのか?“魔人”化とは違うんだぜ?』
“魔人”化は、魔力を内包し、その身体能力を最大限まで強化し人外となるものであり、“悪魔”化は、“悪魔”そのものに身を堕とす事だと言う。
しかも“悪魔”になれば、本人の意識は殆どと言って良いほど残らない。
精々残留思念程度だろう。
「怖い訳ないわ……力をくれるのなら、私はこの身を捧げてもいい」
『……お前、馬鹿だな』
「そうかもしれないわね」
エリウスは、誰もいない虚空を見つめている。
だが、確かに目が合った気がした。交わった気がしたのだ、この変な“悪魔”と。




