53話【雨は強く、音を搔き消す】
◇雨は強く、音を搔き消す◇
濡れた身体を拭き、【コルドー村】の村長宅で一段落するエリウスとノイン。
エリウスの身体を拭くのはリューネだ。
自分の仕事だと言わんばかりに、笑顔でエリウスの髪を拭いていた。
ノインは女性、村長の娘であるオルディア・コルドーに対応してもらっていた。
聞けば、この家に居たのは村長であるボズ・コルドーと、その娘のオルディアだった。
奥方は少し前に他界し、オルディアの旦那は帝都に奉公しに行っているらしい。
ノインの頭を見たオルディアは「え、耳!?」と驚いていたが、ノインに「そういうものだよ」と言われて渋々納得していたが、エリウスの心臓が跳ねたのは言うまでもない。
「それで……村長。帝都から兵は来ていないのですね?」
「はい、殿下……あの宙に浮かぶ映像があり、驚きはしましたが……帝都からはまだ誰も来てはいませぬ」
こんな国境間際の小さな村にも、【魔導皇帝】ラインハルトの所信表明演説は届いていた。
内容も把握している筈だ。それなのに、エリウスを匿ってくれるらしい。
「兄……いえ、新皇帝は、きっと私を追っています……部下と合流できたことは僥倖でした。だからこそリューネの保護に感謝を」
頭を下げるエリウスに、村長は制そうとするが手が震えてしまい、そのまま引っ込めて、代わりに言葉を述べる。
「おぉ……エリウス殿下……こんな儂に頭などおさげにならないでくだされ……殿下が望むのなら、こんなボロ家でよろしければ、いくらでも使ってくださいませ」
ありがたい申し出だ。
しかし、追手がいるとすれば、確実に家中を探すだろう。
「いいえ……リューネと合流できた事が何よりの功績です……ボズ・コルドー、私が心の安らぎを得たこと……自分の成果と認めなさい。それが、取りあえずの褒美です……そして私達は、雨が止み次第出立することにします」
宣告されてはいないとはいえ、逃げている皇女エリウスを匿っていたことが知られれば、ただでは済まない筈だ。
エリウスは、ノインとリューネに目配せをして、速い内にここから出る事を誓うのだった。
しかし――雨は一向に止まず、次第に強く、激しくなっていく一方だった。
◇
半時(30分)程経っただろうか。
窓の外を見張っていたリューネは、強くなる雨の中、光を見つける。
その光は、どう見ても松明ではなく、光の線で出来ていた。
「――照明“魔道具”!?」
ガタンと椅子を鳴らし、リューネは直ぐにエリウスに。
「エリウス様……!帝国の騎士ですっ!!」
「……くっ……来てしまったのね」
「雨で音が聞こえなかったよぉ……!」
雨が降っている中、ここまで早く追いつけるとは。
エリウスもノインも直ぐに立ち上がる。しかし。
「エリウス殿下……二階へお上がりください……オルディア、案内せい」
「は、はい……こちらです、殿下」
村長は二階へ行けと言う。
しかしこれ以上は無理だと、エリウスも理解している。
「村長、もう構いません……脅されていたとでも言いなさい!私達は直ぐにでも出ますっ」
エリウスも少し焦り気味だ、この村を巻き込まない様にしたいと思っているのだろう。
それでも、娘オルディアは冷静に。
「エリウス殿下……こちらです。さ、お早く」
「し、しかし……」
「――お姫様!もう間に合わないよっ、ここは従おう」
耳を逆立てるノインは、腕を振るって言う。
回された腕は、囲まれていると言う意味合いだ。
「……二階には大きな窓があります、そこから何とか抜ければ」
「エリウス様!」
エリウスの懸念は、この親子だ。
玄関口の床に残る水跡は、誰かが来た立派な痕跡。
濡れた身体を拭いたタオルも、暖かいスープを飲んだ皿も、そのまま残っている。
「……エリウス殿下……ここはこの老い耄れにお任せくだされ」
「そ、村長……」
エリウスは、オルディアに押されて二階へ連れられて行く。
リューネは村長に頭を下げ、後を追う。
「――村長さん。これ」
ノインは村長に何かを渡す。
それは、一房の毛束だった。
「これは……?」
「アタシの尻尾の毛だよ……火を付ければ、一気に燃え広がる。護身用に使って。いい?護身用だよ。自分の身を守る為に使うんだからね!」
ぴょこぴょこ動く尻尾は、確かに切られた跡があった。
「はっはっは、これはこれは、可愛らしいですなぁ」
村長は笑顔だ。まるで怖いとは思っていないらしい。
「いい?絶対に身を守る為に使うんだよ?……今の帝国兵は今までとは違う……お姫様の部下じゃないんだから」
「……ご忠告、感謝いたします。お嬢さんも、殿下をお頼み申しますぞ」
「うん。分かってる」
そう言って、ノインは二階に上がって行った。
この時に村長の覚悟に気付いていれば。
展開は、違っていたのかもしれない。
◇
二階に上がって行った四人は屋根裏の大窓を開ける。そして小声で。
「やはり囲まれていますね……」
「この雨だもの、気付けない訳だわ。悔しいけど、油断した」
いつでも抜け出せるように、フードを被る。
開けた大窓からは、当然雨が入り込んできていた。
「エリウス殿下……お気を付けて」
「……オルディアさん。村長、お父上は……」
エリウスは察している。
万が一があれば、きっと村長は命を投げ出すと。
それでも止める事が出来ないのが、エリウスの立場だ。
もしもリューネやノインが気付いていれば話は変わるかもしれないが、その気配はなさそうだった。
しかし、娘のオルディアは。
「リューネさんが来た時、殿下のお話をされました……その時には既に、父は決めていたのです」
リューネがこの村に助けを求めたのは、黒馬レイスを埋葬する為だった。
少女一人の手ではどうしようもなく、覚悟を決めて助けを頼んだのだ。
村長は嫌な顔一つもせずにそれを受け入れてくれた。
その後、リューネは村人の手を借りてレイスを埋葬し、村長宅で世話になった。エリウスが戻ってくると信じて。
「……父は、あの時の恩を返したいのです」
「あの時……?」
それは、昨年の事だった。
エリウスは数人の部下を連れて、この村の視察に来ていた。
その時にも、この村で一番大きな家であるここで世話になったのだが、エリウスは嫌な顔一つせず、奥方の世話を受けた。
「母は、あの時既に病気を患っていました……エリウス殿下の視察が最後の仕事だと、そう言って」
死を予期していた村長の妻は、国の皇女であるエリウスの世話をするのが、最後の大仕事だと決めていたらしい。
しかし部下であった騎士達は、「こんなボロ家で殿下を休ませるつもりか」と憤った。
だがよく考えれば、その騎士の言葉も当然だった。
村長も妻も、よく理解している。エリウスもだ。
そんな中、そのエリウスはこう述べた「暖かいスープに丁重なもてなし、休める椅子があれば充分だ」と、優しい笑顔で騎士を外に出して、村長達の世話を受けたのだ。
その際「この村はのどかでいい。夏には祭りもあるのだったわね……来てみたいものだわ」と笑顔で言ってくれたと、オルディア言う。
「父も母も、あの時の殿下に感謝していました……内心、税を増やされることを覚悟していたらしいのですが……殿下はそんな事を一つも言わなかった。心から儂らのもてなしを受けてくれた、と。だから今度は、儂らが恩を返すのだ……と」
「そんな……」
そんなことで。エリウスの湧き出る涙は、雨に流れる。
そして、村長の居る一階では。
◇
ドンドンドンドン――!と勢い良く叩かれる扉。
村長はガチャリと扉を開ける。
「おやおや……こんな雨の中、どうなされました……!?これは、騎士団の方ですかな?」
真新しい黒いコートを纏った、数人の男。
雨にもかかわらず、外套すら着込んでいない。
撥水加工がされているのか、そのコートは水を見事に弾いていた。
「ここに、女が来ていないか?」
「女ですか……特徴は?」
「三人組の女だ、一人はまぁまぁ背が高く、もう二人は低い」
「……」
三人組、と言うのはエリウスとノイン、リューネの事ではなさそうだ。
村長は一呼吸置き答える。
「そんな者達は来ておりませんな……いったいどうされたのですかな?」
「そうか。いや、お前には関係ないことだ」
騎士団の男は、外から目敏く家中を見ている。
そして気付く、老人一人しかいないはずの食卓に、三人分の食器があることに。
「――悪いが、中を確かめさせてもらうぞ」
騎士の男は強引に入り込もうとする。
「な、何ですかなっ!」
村長を押しやり、無理矢理上がり込む。
後に続きもう二人、家に上がり込んで来た。
「――あがっ!」
村長は突き飛ばされ、腰を強打した。
しかし、騎士達は相手にせず家を捜索し始める。
「食器が三人分ある……やはり居たなっ!」
「タオルもあるぞ……まだ濡れている、雨が降って来てから使ったものだな」
「おのれ爺っ……殿下はどこだっ!!」
「……う、ぐぐ……ぅ」
村長を無理矢理立たせ、胸ぐらを掴んで引っ張る。
くぐもった声を出す村長の手には、一房の毛束と、暖炉の火付け木があった。




