49話【軍事顧問】
◇軍事顧問◇
自室にて、シュルツ・アトラクシアは腹を抱えて笑う。
床をバシバシ叩き、転げまわる勢いで涙を流してだ。
なにも、頭がおかしくなった訳ではない。本当に腹を抱えて笑えるほどに、この帝国の脆さ、そして自分のやってきたことが可笑しくなったのだ。
「……はぁー、はぁー、はぁー……」
一頻り笑った後、シュルツは申し訳程度に入れられていたグラスの【葡萄酒】を飲む。
騒動の前に部下と飲んだ、酒の残りだった。
しかしその部下は、今はいない。
いや、今はと言うより、もう、と言った方が正しいだろう。
初めから、スノードロップとノイン、それにポラリスは自分の部下と言う訳ではない。
それぞれが同じ最終地点を目指している事を把握して、共にいただけだ。
形式的にはシュルツの部下としておいた方が都合がいいためそうしていただけで、スノードロップもノインも、本気で従った事はないだろう。
仲間ではあったとしても、真に信頼を持っていたのは、シュルツに対してではなかったのだから。
しかしそれは相互理解であり、お互いの道が分かたれた時には、行動しないと言うものでもあった。
シュルツの最大の目的は、ある人物を探すことだ。
この世界にはいない、最愛の人。
その為には、この世界の外からの“召喚”が必要とされる。
それが出来る人物は世界にただ一人、【召喚師】エドガー・レオマリスだけだ。
シュルツは一人、本棚に入っている一冊の本を手に取る。
そのタイトルは【愛のために】。
異世界【地球】の文字で書かれた、愛する人を探し求める男の物語。自分にピッタリの本だ。
「もうすぐだ……もうすぐ、俺は……」
協力者が居ずとも、成し遂げなければならない。
例えどれほどの被害を出しても、それがシュルツ・アトラクシアの悲願。
その為に全てを利用する。帝国であろうが、聖王国であろうが、【召喚師】であろうが、だ。
本を開かず、強く握りしめる。
力はひどく弱々しいもので、込めた力で震えているのか、それともただ、怯えているのか。それは、シュルツにしか分からない感情だった。
◇
それから数日後、シュルツは新皇帝ラインハルトに呼ばれた。
ラインハルトに会いに行く道すがら、あの日の事を思い出す。
シュルツは燃える城下町を後にし、城へ入った。
前皇帝ヴォルスの側近であった自分が害される可能性も考えたが、ラインハルトの考えを見据えて、城へ入ったのだ。
ヴォルス皇帝を死に追いやり、目の前に現れたラインハルトには、既に王たる威厳を纏っていた。
まるで今まで皇太子として過ごしていた姿が、全て偽りであったのではないかと、思わせるほどに。
「……さてと、新皇帝は……どうするおつもりかな?」
開かれた扉の向こうへ、シュルツは歩き出した。
◇
今この場にいるのは、新皇帝ラインハルト、ボーツ・オル・マドロー大臣。そしてシュルツ・アトラクシアと、たった数人の騎士だけだった。
「それで、俺を呼んだのはどういう要件ですか……?ラインハルト陛下」
ガラガラの円卓に座し、ラインハルトは腕を組んで書類を見つめていた。
シュルツを一瞥するも、黙っていろと視線を送り、シュルツはやれやれと両手を上げて黙った。
(何故だろうな……この雰囲気、本当に17の子供か?まるでもう何十年も経験を積んだ、老兵のような空気じゃないか……しかもなんだ?それを俺は、どこかで味わったことがあるような……そんな感じだ)
ラインハルトの醸し出す空気に押されてしまったシュルツは、少し小声になりながらも。
「――それにしても、随分と少ないんだな……」
虫食い状態の円卓は、まだ何人も座る事が出来る。
しかし、ラインハルトが呼んだ人物はこの面子だけ。
それだけ、今は信頼に足る人物がいないのだろう。
そしてシュルツの言葉に返答したのは、ボーツ大臣だ。
「――前陛下や前騎士団長……それに、亡くなったノラソン大臣の派閥は、基本的に新皇帝に従いませんでしたからな。ですが、それでも帝国戦力の二割です……しかし、その二割の戦力は」
「なるほど。その方々等が、本来ここに居られるような方ばかり、だという事ですか」
「……はぁ。そういうことです」
戦力は申し分ない。しかし、若返った総戦力の中に、熟年の騎士や“魔道具”使いはいない。
参謀や軍師を任せられる者もだ。
今の帝国戦力は、かなりパワフルになりつつあった。物理的な意味で。
「――ふん。下らない思想の老人方にはご退場頂いたまでだ。しかし、その老人どもに従う奴らがそこそこいたのは、確かに失態だったな。それにまだ、国内の制圧も出来ていない……」
書類を読み終えたラインハルトが、うんざりしながら言う。
ボーツ大臣は諫めるように。
「陛下、そのような弱気に取られる発言は、お控えください」
「ふっ……構わないさ。怖い発言をするばかりで、周りを怯えさせる害悪よりは、遥かにマシだろう?」
優しさの中に狂気を感じるラインハルトの笑みは、仕方なく弱みを作るという演技をしているのだと伝わる。
民衆を味方にするには、強さだけでは駄目だと分かっているのだ。
「ははは、それはいい。殿下……いや失礼、陛下は民に好かれる所から始める気でおられるのですね」
まだ慣れず、殿下と呼んでしまうシュルツは、座っていた背を正して陛下へ謝辞を向ける。
「……フッ。これも勉強という事だ……貴君にも手伝っていただくよ。アトラクシア軍事顧問……それとも、もう一つの名で呼んだ方がいいかな?」
ラインハルトの最初の勉強を笑うシュルツを、ラインハルトは怒ることなく続ける。
しかし、その言葉は、シュルツの心臓を掴むには充分だった。
「――!!……いえ、アトラクシアで構いませんよ」
(そうか……ポラリスから聞いたんだな……あの【魔女】、どこまでも仲間を売っていくつもりか……)
内心の焦りをひた隠し、シュルツは笑う。
ラインハルトはシュルツに、引き続き軍事顧問を願いたいと、そう言った。
「しかしいいんですか?俺で……俺はこの国の人間ではない事……陛下はご存知でしょうに?……それに、【魔女】は俺の仲間でもありますが……もう関係性は無いともいえる……俺を傍に置く意味、その利点は無いのでは?」
シュルツのその言葉は、ラインハルトだけではなく、ボーツ大臣や複数の騎士にも言われた気がした。
言葉を向けられた騎士は無言を通したが、大臣だけは一瞬だけ渋い顔をした。
そしてラインハルトは。
「ああ。当然だ。貴君は聖王国出身だと把握している。それに素性も、ある程度は耳に入れているよ。」
「なるほど……それでも構わないと?」
(……ポラリスはどこまで話した?……まさか、あいつの事まで話していないだろうなっ)
「そうだ。貴君の知識は役に立つ……出身に拘る間抜けではないよ、俺は、な」
「「……」」
ラインハルトの視線は、大臣と騎士達へ。
口出しするなと言いたいのだろう。
「……」
ラインハルトは聖王国に攻め入ろうとしている。
その敵国出身者を、組織の幹部にする采配。
前皇帝ヴォルスは、シュルツが聖王国出身だとは知らない筈だ。
その出自不明の男を軍事顧問に起用した前皇帝は、ある意味大物だったのだ。
しかしラインハルトは、全てを調べ上げ、全てを知ったうえでシュルツを部下にしようとしている。
「貴君が聖王国出身であろうとも、この俺を利用しようとしていたとしてもだ……その“魔道具”開発の実力は誰もが認めるだろう。これからも、我が帝国に力を貸していただきたい……この通りだ」
ラインハルトは立ち上がり、綺麗に頭を下げた。
「「「――!!」」」
「……」
(ほう……俺の素性を知ったうえで、それでも幹部に起用しようと言うか……本当に底が知れないな、この男は)
大臣や騎士達は、ラインハルトの行動に動揺するくらいに驚く。
一方でシュルツだけは、目を細めて新しい皇帝を見定めようとする。
ラインハルトは頭を下げたまま続ける。
「俺の行く道は、覇の道だ……その道中、失うものもあるだろう。だが、ただで失うつもりはない。失った分、いやそれ以上に、帝国の礎を築こう。そして、志を共にする者には、最大限の感謝と……夢を約束しよう」
「……夢……か」
その言葉は甘美で、心踊るものだ。
だが、目の前の少年の言葉は、決意と情熱に溢れているものだった。
現帝国の魔導技術導入のきっかけは、確かにシュルツが齎した異世界の情報だ。
たった一年余りで、技術は大幅に進化した。
軍の設備は勿論、一般家庭に使われる必需品も、シュルツの提供した技術が発端となっている。
「――シュルツ・アトラクシア殿……貴君のお力、どうか俺――」
再び頭を下げようとしたラインハルトに、シュルツは。
「――待った!もういいですよ。ラインハルト陛下……」
ラインハルトを制し、シュルツは立ち上がって、逆に首を垂れる。
膝を着き、一瞬だが垣間見た、未来の覇王の姿。
(なるほど……以外と面白いかもしれないな……こういう少年の下について、計画を進めるのも)
あくまでも自分の為、そう言い聞かせて。
自らの君主となるべく少年に、言葉を発するのだった。




