44話【眠り姫2】
◇眠り姫2◇
ローザの所持する《石》は、魔力を無くして色を失っている。
完全に灰ではないが、色褪せたその《石》に、不思議なものは一切感じない。
エミリアは魔力が無いので魔力を感じる訳はないのだが、エドガー達の扱い方を見て、「凄いんだな~」と思っている程度だったりする。
そんなエミリアは、そっとサイドテーブルの《石》を手に持ち、目を細めてじっくりと見つめる。
「むむむ……」と力を籠めても、当然の如く何も起こらない。
「……ま、当たり前かぁ」
《石》を元の位置に戻し、再びローザの寝顔を覗く。ローザは変わらず静かに眠っていた。
「スヤスヤ眠っちゃってさ……寝相が悪いのも、やっぱり《石》のせいなんじゃないの?」
柔らかい頬を指でつつきながら、エミリアはそんな事を考えたが、あながち間違いではなかった。
ローザの《石》【消えない種火】は、【災厄の宝石】の一種だ。
その力は強力の一言であり、類を見ない火力を誇る。
しかし、その魔力量の消費は尋常ではなく、所有者の魔力をも奪ってしまう。
この世界に来て、少しずつ慣れ始めて来たとは言うものの、【消えない種火】の消費された魔力の回復は出来ていない。
遂には残された魔力を吸収され、完全なる《石ころ》と化している。
フィルヴィーネによる魔力の譲渡で、十分の一程は回復したのだが、未だ《魔法》を発動できる状態ではなく、フィルヴィーネの指示で《石》を外しているのだ。
その結果が、この眠り姫だ。
今のローザは、“天使”ウリエルに《石》を授けられる前の、幼い少女の時と同じ状態になっている。
ローザが成長した十数年分の魔力は、全て【消えない種火】に蓄えられていたのだ。
一気にそれを失い、ローザは十数年分の成長時間の齟齬を体験している状態だった。
「ローザ……早く良くなるといいね……――っっ!?」
手を握り、エミリアは優しく話しかけていた。のだが。
しかし、背後に何かが迫っている事に気付く事が出来ず、完全に油断した形で、頭を掴まれた。
「――随分と時間に余裕があるようではないか……小娘!」
エミリアの後頭部を鷲掴みにしたその人物、“魔王”フィルヴィーネ・サタナキアは、イラっとしながら毒づく。
「時間に遅れ、我を待たせた挙句……ロザリームと手をつないで仲良しこよしか……いい御身分ではないか……エミリアよ」
「――い、いだだだだだだっ!!痛い!痛いってフィルヴィーネぇぇ!指、いや爪が食い込んで……血!血ぃ出ちゃう!!」
転移にて一瞬でエミリアの背後に現れたフィルヴィーネは、そのままエミリアの頭部を掴んだ。
フィルヴィーネの異世界能力である力は、“この世界のものと戦えない”というものだ。
つまり、エミリアの頭に乗った手に、フィルヴィーネ自身も驚いた。
触れる事は出来ると分かっていたが、力を籠めることは出来ない筈だった。
更には痛みを与えると言う意味で、それは出来ないと。
フィルヴィーネは、それを分かっていながらエミリアの頭を掴もうとした。
無理だと半ば諦めながら。
だが、右手は能力によって逸らされること無く、エミリアの頭に乗り、フィルヴィーネは目を見開いた。
しかしエミリアがゾッとした瞬間には力が籠められていたので、フィルヴィーネの考えを知る事はないだろうが。
「……それで、こんな時間まで何をしていたのだ?一度エドガーのもとに来る予定だったであろうが」
フィルヴィーネは、自分の中の疑問を悟られないように力を更に籠めた。
勿論、最低限の威力でだ。
「えええ!だってまだ、時間……いだだ!いっっだい!!」
涙目でフィルヴィーネを睨もうとしたが、力が強すぎて顔を動かせない。
両手でフィルヴィーネの手を剥がそうとしても、一切動じてくれなかった。
「時間はとっくに過ぎておる。サクラの時計で正確な時間は計っていたからな」
「そ、それは!……ごめんなさいいぃ!」
サクラの時計はエミリアも見たことがある。
なので、完全に自分が遅れたと理解したエミリアは、正直に謝った。
その謝辞に、フィルヴィーネはようやく手を放してくれた。
「うぅぅぅ……痛かったぁ」
両手で頭部を押さえながら、痛みが和らぐのを待つエミリア。
その姿は、まるで何かをやらかしてしまった罪人のようだった。
だが、やらかしてしまったと思っていたのはフィルヴィーネも同じ。自分の右手をまじまじと見つめ、おかしな感覚に苛まれそうだった。
「――フィルヴィーネ?」
「……ん。なんだ?」
「いや、どうしたのかなって……大丈夫?」
頭を抱えてなお、フィルヴィーネの些細な雰囲気の違いに気付き、声を掛けるエミリア。
フィルヴィーネも、しまったと気を取り直してその手を引く。
「なんでもない。お前が気にする事ではない……それと、気安く名を呼ぶなバカ者」
「ええぇ……今更?」
フィルヴィーネはフッと笑いながら椅子に腰を掛けた。
エミリアも笑いながら、自分の座っていた椅子をずらした。
「すまぬな」
「いえいえ」
不思議なエミリアとフィルヴィーネのやり取りの間も、眠り姫は一切微動だにせずに眠り続けていた。
「……こ奴。死んでおるのではないか?」
「し、死んでないって……ほら、大きな胸が上下に動いてるでしょ!?」
指差して、ローザの胸をつつく。
つんつん、つんつん。と、数度つついた。
「……やっらかぁ」
自分にないモノを再認識してしまう弾力だった。
「馬鹿をやっていないで、魔力の譲渡を始めるぞ。我の魔力も、今や無尽蔵ではないのだからな……」
「――あ、はい」
フィルヴィーネはローザの《石》をサイドテーブルから指で抓み、ローザの胸元に置く。
主の息吹を感じたのか、【消えない種火】は一瞬だけ輝くと、その色を燃やして赤く光り始める。
「エミリア」
「えっ?……あ、なに?」
呼ばれると思っていなかったエミリアは、変な声を出しつつもフィルヴィーネに向く。
ローザに向きながらも、フィルヴィーネは疲れた顔をして言う。
「この寝坊助を起こせ……」
「あ、そーいうことね、あはは」
エミリアは笑いながらローザを揺する。
「おーい、ローザー……おっきろー」
ムニムニと頬を引っ張っても、ぺちぺちと叩いてもローザは反応しない。
これはしめしめと、エミリアは胸を触ったり、腰を擦ったりする。
悪ノリと言うやつだ。
「お前……意外とそっちの気があるのか……?」
ドン引きするフィルヴィーネに、エミリアは慌てて。
「――ち、違う!違う違う!」
「どこが違う……そうでないものが、乳や尻を弄るものかっ!」
「わあぁ!本当に違うのっ!無い物ねだりなの!強欲な意思なのぉぉ!」
変な誤解が完結してしまう前に、エミリアは自白した。
とにかく、なんとも悲しい事だった。
◇
結局、ローザはエミリアではなくフィルヴィーネに起こされた。
起きたローザは、何故かへこむエミリアの暗い雰囲気に言及することなく、フィルヴィーネから魔力の譲渡を受ける。
(……この子、何があればこんなにへこんでいられるのかしら……)
椅子ではなく、床にへたり込んでいるエミリアの背中を見ながら、そんなことを考えていたローザだが。
「ロザリーム」
「え!……な、なに?」
魔力の譲渡を行うフィルヴィーネに声をかけられて、不覚にも驚いてしまう。
フィルヴィーネは繋ぐ手に集中しながらも、ローザの現状について話してくれた。
「今の其方自身の魔力は、我らの時代の子供程度しかない……自覚はあるか?」
「……ええ。あるわ」
ローザ自身感じている、自分が《石》に頼り切っていたという不甲斐ない思い。
今の自分が、それ程落ちぶれてしまったという落差。
フィルヴィーネは、《石》を抓み、ローザの手に持っていく。
「……」
【消えない種火】は主の右手に吸い付くように張り付いて、皮膚を割って装着された。ドクン――と、心臓が跳ねる。
一気に加速していく、魔力の鼓動。そして自覚させられる現状。
《石》がある時だけ、ローザはローザでいられる。
エドガーやエミリアが知るロザリーム・シャル・ブラストリアは、《石》ありきの人間だと、《石》に言われている気分だった。
「……これじゃあ、まるでこの《石》が本体のようなものじゃない……私の存在って……」
情けなくも悲しい現実に、つい、ローザの口から本音がこぼれたのだった。




