43話【眠り姫1】
◇眠り姫1◇
【聖騎士】エミリア・ロヴァルトは、机に向かって書類に目を通していた。
後ろでは専属【従騎士】、レミーユ・マスケティーエットが目を光らせている。
まるで、どちらが上司なのか判別がつかないほどに。
それも、エミリアがここ数日、何度も行方を晦ませて、仕事を放棄していたからだった。
事情は勿論ある。ローマリア王女もその事情を知っている為強くは言わないが、【聖騎士団長】から直接言い渡されてしまっては、サボる訳にもいかなかった。
「え~っと……ゼルカウスト子爵家の屋敷改築費、その資金源の工面……っと」
エミリアが現在目を通しているのは、【聖騎士】に成って割り当てられた、自分が管轄する区画の報告書だった。
エミリアが【聖騎士】に成って、【貴族街第二区画】の一区域の管轄を任された。
それはそれほど難しい事ではない。未だ学生の身でもあるエミリアに取っては、区画内全体でないだけマシと言うものだった。
区画の一区域、それも小規模であり、しかも現在いない【聖騎士】の代わりの割り当てだ。
「……【貴族街第二区画】には鉱山穴があったわよね……そこからはもう何も採掘れないんだっけ?」
エミリアは後ろを見る。
何せ【従騎士】レミーユの家、マスケティーエット家は、【貴族街第二区画】の公爵だ。
自分の住んでいた区画の情報だ、知っていても不思議はないのだが。
「……す、すみませんエミリア様……存じていません」
箱入りで、騎士学校にも通っていなかったレミーユは、区画内の情報を殆ど把握していなかった。
申し訳なさそうに、レミーユは謝罪する。
「――ああ、いいのいいの!元々私がちゃんとやってなかったのが悪いんだから」
「は、はぃ……」
エミリアは手をブンブンと振って、失言をしてしまったと直ぐに質問を取り消した。
再度申し訳なさそうにするレミーユ。
エミリアは、ちらっと見えたレミーユの表情で、公爵に挨拶された時の事を思い出した。
◇
公爵令嬢レミーユ・マスケティーエットは、自室に閉じこもり気味の少女だった。
友達もいなく、家庭内でも物静かで内向的。言わば、暗い子だ。
偶々ロヴァルト家とシュダイハ家の決闘を見る機会があり、父に連れられて決闘を観戦していた。
エミリアの兄アルベールの戦い、黒髪の少女サクラの戦い、そして何故か悪名高い【召喚師】の戦いを見て、エミリアの出番を待つはずだった。
しかし、【召喚師】の対戦順で事件は起きた。
会場は混乱に陥り、怒号と悲鳴の中でレミーユは逃げなくてはいけなかった。
会場の外に出て、父と共に“悪魔”からの恐怖に耐えていたが、やがて空に緑色の閃光が舞った。
そして誰かが叫んだのだ、「“悪魔”は撃退された!【聖騎士】エミリアがそれを成したのだ!」と、高らかに叫んだ。
レミーユは戦いを見ていないにもかかわらず、その瞬間、既にエミリアに憧れていたのだった。
そしてその日のうちに、父に願い出た。
「騎士に成りたい!」と。
当然ながら、騎士学校にも通っていない小娘が簡単に成れるはずもないのだが、偶然と言うものは恐ろしい。
その日の夜、王族からの御触れがあった。
内容は、「【聖騎士】に、専用の部下を設ける」と言うものだ。
その内容は直ぐに王都内に出回ったが、さすが貴族、コネと金で解決してしまったというなんとも後味が悪いものだった。
しかしその結果、翌日には娘二人が【従騎士】に成ると言う事態を生んだ(姉のラフィーユに関しては、関知していない)。
そしてそれから日数を開けることなく、レミーユはエミリアと対面を果たした。
当時のエミリアも緊張をしていたが、レミーユの緊張は異常だった。
《槍の聖女》と称され始めたエミリアを前にして、自分で言ったにもかかわらず、一言も口を開けなかったレミーユは、両親がエミリアに挨拶をすると言う形で対面したのだが、その日は一言も言葉を交わしてはいない。
エミリアが何か言ってはいたが、レミーユは緊張しすぎて何も覚えていないのだ。
だが実は、打ち解けるのも早かった。
レミーユは当初、エミリアの【従騎士】に成ったことを、『私は槍使いです!エミリア様の部下になるのが必然なのです!!』と言っていたが、それは超口実だった。
憧れの人に近付きたい、傍に居たい、仲良くなりたい。
そんな欲望まみれの理由でも、内向的な性格のレミーユが踏み出せたのは、エミリアの持つ何かに惹かれたからだろう。
◇
「ん~……っと!!」
背伸びをして、書類の山を見る。
まぁまぁな量だった。数日サボったツケを払い終えて、エミリアは疲れたように立ち上がる。ボキボキっと骨が鳴った。
「お疲れ様ですエミリア様!次のスケジュールですけど……」
レミーユが手帳を眺めながら、次の予定を口にしようとしたが、エミリアは。
「――っとごめんレミーユ!私行かなきゃっ、続きはまた明日ね!」
と、上着を羽織って駆け出してしまう。
「え!?エミリア様!?……何処に!ま、まだ今日の予定は……い、行っちゃった……って、またって事は、サボるおつもりなのですね……」
制止するまでも無く、エミリアは自室を出て行ってしまった。
残されたレミーユは、机の上の書類をまとめながら思う。
それでも、今日中にしなければならない物には目を通していってくれただけ、ありがたいと。
「……いつになったら、槍の訓練してくれるんだろう……はぁ……」
同じ得物を持つ者同士、訓練や修行があると思っていた。
しかし、雑務や王女の身の回りの世話ばかりで、未だ槍を合わせることなく過ごしている。
しかもエミリアは、ちょくちょく行方を晦ませている。
早くも、将来が不安になるレミーユだった。
◇
自室を逃げ出すように出て来たエミリアが向かうのは、ローザに割り当てられている部屋だった。
こっそりと、目立たない様に足を運び、まるで侵入者のようだった。
(やっぱりいる……いや、むしろ増えてる?)
エミリアがコソコソしているのは、スィーティア王女の派閥騎士や貴族が、そこら中にいるようになったからだ。
ここは【白薔薇の庭園】、ローマリア王女の部下や貴族が集まる場所なのだが、先日のローザとスィーティア王女の模擬戦の結果が広まり、このありさまだ。
(……やりにくいなぁ、もう!もう!)
隙を見つけて、エミリアはダッシュで廊下を渡る。
本来は、コソコソ何てしなくてもいい。ローザは客人であり、ローマリア王女の部下ではないのだから。
模擬戦で負けたとはいえ、スィーティア王女の部下達が図々しくする理由など、本当は無いのだ。
しかし、ローマリア王女にそれを問うと「放っておけばいい」と言うだけだった。
それは、ローマリアが姉のスィーティアに対する配慮とも言える。
公の場に顔を出し、人望が広まりつつある第三王女ローマリア。
一方で第二王女スィーティアは、武力でものを言うタイプの女性である。
つまりは、戦のないこの国では地位が低いのだ。
主がそう言う以上、いくら【聖騎士】であろうとも、その行為を止める事は出来なかった。
「ふぅ、到着~……」
エミリアはローザの自室前で安心して息を吐くと、コンコンとノックをする。
「……あれ?返事がない」
ローマリアのお稽古は、ローザが弱ってからもこの自室で行なわれていた。
なので居ない訳はないだろうと、エミリアはゆっくりと扉を開けて入室する。
「お邪魔しま~す……ってなんだ、居るじゃない」
暗い部屋のカーテンを開けて、ローザを見る。
眠っていた。すぅすぅと小さく寝息を立てて、綺麗な体勢で静かに眠っている。
「……別人なんだよねぇ……」
エミリアは思い出すように身を震わせる。
ローザは寝相、寝癖、寝起きが非常に悪い。
脱ぐ、動く、暴れるを平気で行ない、エミリアや他の少女達を困惑させるほどだ。
それが今は、まるで別人。
童話の眠り姫なのではないかと思わせる程、ローザは自然に眠っていた。
「やっぱり……コレのせい、だったのかな?」
エミリアは、ベッド横のサイドテーブルに置かれた《石》に目をやる。
【消えない種火】。
ローザの本質を現す、赤く、存在感を示す奇跡の《石》。いつもはローザの右手の甲に付けられているが、それがテーブルに置かれていた。
ローザの身から外されているのだ。つまり、今のローザは本当に――ただの人間の女の子だという事だった。




