42話【物語を始めよう】
◇物語を始めよう◇
暗くなった宿の部屋で、ランプの明かり一つを頼りに、何かを記す少女。
濡れた黒髪を拭いたタオルを肩にかけ、真新しい日記帳を閉じた。
表紙には【あたしの異世界】と書かれている。
黒髪の少女、サクラは考え込むようにシャ―ペンを唇に当てて、「う~ん」と唸った。
横から、同じ顔をした少女が顔を出して「何をしているのだ?」と、様子を伺ってきた。
「ああコレ?日記だよ。つけようと思って鞄から取り出したんだ~」
「それはいいな。自分の事を記せば、それだけ自分を自分だと思えるやもしれないし……いいことだ」
サクラの肩に顎を乗せて、真新しい日記帳の表紙を見る。
もう一人の少女、サクヤの顔は晴れやかだった。
そんなサクヤの頭に、サクラも顔を傾げる。
くすぐったそうに、「ふふふ……」と、二人で笑い合った。
こんな感じで、なんだか二人はかなり仲良くなっていた。
サクラが戻って来て数日。問題はまだ多く、困難だろうとも思う。
だが、一時のやすらぎが【福音のマリス】に訪れた事は事実だった。
そして、残る問題は。
「……ローザさん、大丈夫かな?」
「――なんだまた、唐突だなぁ。いや、でも大丈夫だろう……連日、フィルヴィーネ殿が足を運んでいるようだし」
サクラの唐突な問いかけにも、サクヤは苦笑いを浮かべながら答える。
そう、ローザの魔力自体は回復した。
しかし、ローザの《石》である【消えない種火】の無くなってしまった魔力だけは、数日行った魔力の譲渡でも、完全には回復してはいなかったのだ。
「フィルヴィーネさん、今日もお城に行ったんだよね?」
「ああ、エミリア殿とな」
サクラもまだ全快ではなく、休んでいる事が多いため、【福音のマリス】内の動向が完全に把握できてはいない。
この様に夜、同室のサクヤから話を聞く事で、その動向を少しでも把握しようとしていたのだ。
「そっか……エミリアちゃんが」
「わざわざここまで来てから、フィルヴィーネ殿が転移で向かっているのだと」
「……それ、意味あるの?」
「わたしもそう思ったのだが……なんでも【従騎士】とやらを巻くためだとか」
そう。エミリアは自分の【従騎士】である、レミーユ・マスケティーエットに色々とバレない様、わざわざ【下町第一区画】までやってきて、それからフィルヴィーネと共に転移して、直接ローザの部屋に行っているのだとか。
物凄く二度手間である。
「フィルヴィーネさんが直接行くのじゃ駄目な訳?」
「う~む。これはローザ殿の出した条件らしいぞ?」
「エミリアちゃんと一緒が?」
不思議そうにし、シャーペンを手から落とすサクラ。
サクヤが拾い、そのシャーペンを机において返事をする。
「うむ」
「な、なんでまたそんな面倒臭い事を……エミリアちゃん、翌々異世界人に好かれるね」
「う、うむ……?」
それは暗に、自分もエミリアを好いているという事ではないかと思ったサクヤだったが、自分もそうなので言わずにおいた。
そうしてまた一日、過ぎていくのだった。
◇
翌朝、結構早くにサクラは目を覚ました。
スマホを確認すると、5時59分と表示されている。
「ん~~~。アラーム前に起きちゃった。スマホの充電もそろそろ、か……魔力もまだ残ってる感じだし、今日にでもやってみようかな……」
背伸びをしながら、スマホの充電のメモリが赤い事に気付くサクラ。
以前スマホを充電した際、魔力を一気に消耗したせいで気絶した事がある。
その時から魔力の調整を覚えようと考えていたが、今回の騒動でそんな暇も無かった。
「あたしがいない間、よ~く充電もったわね……」
メモリは赤い。もう直ぐ充電切れで電源が落ちていた事だろう。
「――ふぁああ~。さってと……顔洗おっかな……」
◇
部屋には既に、サクヤが居なかった。
《戦国時代》から来た彼女は、目覚めがとても速い。
今日もきっと、早朝から訓練をしている筈だ。
サクラは顔を洗い、歯を磨いてからロビーへ向かう。
そこには、一人の少年がいた。
「――エド君。おはよう」
「ん?……あぁサクラ。おはよう」
サクラの《契約者》である【召喚師】の少年、エドガー・レオマリスが、ロビーで掃除をしていた。
向かいには、【福音のマリス】唯一の従業員メイリンもいる。
「メイリンさんも、おはようございます」
「ええ、おはようサクラ……よかったわ、元気そうで」
「あはは、おかげさまで何とか元気ですよ……ご心配おかけしました」
サクラは後頭部に手を当てながら笑う。
メイリンとは、《石》の世界から戻って来た翌日に一度会っただけで、まともに会話はしていなかった。
【福音のマリス】自体が休んでいた事もあって、実はメイリンは来ていなかったのだ。
休む必要があるのか?客がいないなら毎日休みだろう?
そんな正論は、是非とも言わないであげて欲しい。
「――よしっ!掃除はそろそろいいかな……っと」
エドガーは背伸びをして、次に屈伸をする。
サクラは、ふとエドガーに聞く。
「サクヤ、何処にいるの?」
てっきり、庭か【召喚の間】で訓練をしていると思っていたのだが、気配がない。
「……ん?サクヤならマークスさんの所だよ」
「マークスさん?……ああ、ルーリアさんに会いに行ったんだね……」
(こんな朝早くから?)
「あはは。早いよね、時間」
エドガーも苦笑いをしていた。
しかしそう言うエドガーは、これからどうするのか。
身体を動かそうとしているのか、準備運動にも見えるが。
「エド君は?これからどうするの?」
「僕もマークスさんの所に行くよ。本を戻さないといけないからさ」
エドガーの視線は外に向いていた。
ロビーの外、玄関近くには荷車が置いてあった。
サクラは思い出すように考える。
「……本って言うのは……え~っと、【福音のマリス】に置いてあった本……だよね?」
エドガーの部屋や倉庫には大量の本があったらしいが、サクラは気にした事が無かった。
その本が異世界の物も含まれている事を、サクラはピーンと思い出す。
「――あ!そっか……あの時の」
完全に思い出した。サクラが《石》の世界に逃避していた時、不意に意識が戻った瞬間があった。それが、元の世界の本に目を通した時だったのだ。
「あたしの世界の……【地球】の本じゃん!」
「そう!それで、サクラの体調が戻ったらさ、僕に色々教えて欲しいんだよ。サクラの世界の事とか、言葉とか……」
エドガーは嬉しそうに言う。
探究心の強い少年だ、きっとサクラから学びたいのだ。
「う、うん……それは別にいいけどさ、どうして【地球】の本が……この世界に?」
気になる所はそれだ。【地球】の本が、エドガーの家である【福音のマリス】にあることが異常なのだ。
「ああ、本ね。確かに……サクラの世界の本があんなにあるなんて驚きだよね。でも、僕は出所は知らないんだよ……僕が子供の頃からあったから、もしかしてだけど……歴代の【召喚師】が“召喚”したとか、かなって思うんだ」
「ああ、なるほどね……エド君の前の……」
【召喚師】は家系だ。
歴代、つまりはエドガーの父や祖父、それ以前のエドガーのご先祖様達が“召喚”した遺産だという事だ。
「……あ」
そこでサクラはハッとする。
エドガーの父、すなわちエドガーの母の旦那だ。
《石》の世界の出来事を思い出して、サクラはたらりと汗を流した。
(エド君のお母さん……マリスさんと会ったって、言ってもいいものなのかな……?)
そもそも信じるだろうか。
いや、エドガーならば信じそうだ。
しかし、今は。
(――いや……やめとこ……今はローザさんだよね。あたしが迷惑かけた分、今度はあたしがエド君をフォローしないと……うん。そうしよう)
エドガーの枷になりうる情報をわざわざ言わずともいいだろうと、心に押し込めたサクラ。この話はいずれ、皆が【福音のマリス】に戻った時、ゆっくりとすればいいのだと、そう信じた。




