エピローグ3【帝国内乱1】
◇帝国内乱1◇
遠く北の地から帝都の炎上を目撃した皇女エリウスと、従者リューネが馬を走らせて、二日。
休むことなくぶっ続けで走ってきたエリウスの二頭の愛馬が、遂に悲鳴を上げた。
「――あっ!」
ガクリと、黒馬レイスが足を折る。
「エリウス様っ!!」
間一髪、隣に並走していたリューネがエリウスの腕を掴んで落馬は免れたが。
――ドシャアァァァン!!
「……レイス!」
「レイスがっ!」
白馬ヘルゲンから降り、リューネ、そしてエリウスはレイスに駆け寄る。
リューネはレイスの前足を見る。
疲労で疲れ切っていた所に、足を挫いてしまって、そこに全体重を乗せてしまったのだ。
簡易的な診察を終えたリューネは首を横に振る。
素人のリューネでも、馬の弱点は分かる。
「……殿下、残念ですけど……もうレイスは、走れません」
「そんな!レイス……ごめんなさい……ごめんなさい!」
エリウスとリューネが目撃した、帝国首都方面の炎上。
その真相を確かめるために、馬車を捨てて移動を始めたのだが、走り始めて二日、とうとう愛馬に限界が来てしまった。
脚を折った馬がどうなるのか、それは考えるまでもない。
ましてや設備も何もない林で、だ。
「殿下。この子、ヘルゲンはまだ走れます……せめて少し休まれてから、向かってください!」
「リューネ、貴女はどうするの!?」
リューネは、苦しそうに息をするレイスの首を撫でながら言う。
「殿下の愛馬であるレイスを、このままには出来ません……ですが、帝都の様子も気になります。任務を放棄すような言い方になってしまいますが、殿下だけでも城にお戻りください。幸い、この先は直線が多い道で、横に隠れる場所もありません、待ち伏せなどの変な邪魔も入りにくいはず……私がいなくても、辿り着く事だけは出来るはずです」
二日経っても、南に見える赤い空は変わらない。
それは、今も炎上中だという事の証明だ。
「でも……」
エリウスは苦しそうなレイスを見る。
愛馬であるレイスを、このままにしてもいいものか。
エリウスはゆっくりと、レイスに近寄る。
しかしレイスが。
――ヒヒィィィン!!と呻き声にも近い鳴き声を発して、エリウスを遠ざけようとする。
「……!!――レ、レイス!?」
「レイス駄目!それ以上暴れたらっ!脚が!」
黒馬レイスの命を削った抗議に、白馬ヘルゲンまでもが。
――ヒヒィィン!とエリウスに声を上げた。
「……乗れと言っているの?ヘルゲン……レイスも、行けと……?」
俺はまだ走れると、そいつの代わりに俺が走ると。
「エリウス様、レイスは私にお任せを……殿下は城に!」
「……リューネ。恩に着るわ……レイスをお願い!!」
エリウスはヘルゲンに跨り、踵を軽くぶつける。
「お任せを!殿下も、どうかお気を付けて!」
「――ええ。分かっているわ!」
走り去っていくエリウスの背を見ながら、エリウスは思う。
本当は、自分も行きたかった。帝都には、弟デュードがいる。
二人を受け入れてくれた養父、レイブンもだ。
レイブンに至っては心配はいらないだろうが、弟は違う。
「……殿下。デュード……」
祈るように、リューネはレイスの脚を見る。
膨れ上がった肉は、関節を圧迫していた。
折れた骨が、体重に乗ったせいで刺さっているのだろう。
「酷い……これじゃあ、もう」
エリウスにはああ言ったが、恐らくレイスは助からない。
エリウスを帝都に向かわせる為に言った言葉だが、きっとエリウスも気付いている。
「私は、役立たずだ……」
馬車を置いてきた以上、治療することもままならない。
腰に携えた剣も、命を奪う事しか出来ず。
最終的な行動は、きっと安楽死しかない。
「……カルストさん……レディルさん……私はっ……!」
こんな時に、レディルやカルストがいてくれたら。
どうしてもそう思ってしまう、リューネだった。
◇
リューネと別れ、少しした先でヘルゲンを休ませた。
水を飲ませ、乾草を食べさせた。
そしてまた、走ってもらう。
「ごめんなさいねヘルゲン……無理をさせて。私を恨んで構わない……それでも今は、力を貸して!!」
――ヒヒィィィーン!と、ブルブルと身体を震わせて、主人を鼓舞する白馬ヘルゲン。
「ありがとう、ヘルゲン……」
そうして、エリウスが燃える帝都を視野に入れたのは、この日から更に二日後だった。
◇
【帝都ガリュガンツォ】。
二日後、帝都の入り口で、エリウスは絶望する。
「――こ、こんな……まさか……なんでっ……どうして!!」
広く堅牢、大きな外壁は崩れ、焼けた木材が所々に落ちていた。
崩れた外壁を潜り、内部に入ろうと頭を屈ませた瞬間。
「――ストップですよ、皇女エリウス」
ピタリと、背に付けられた槍先。
エリウスはその言葉に従い、動きを完全に止める。
「すみませんが、わたくしの指示に従っていただきますね、まずはコレを」
背後の女性は、エリウスにケープを被せた。
身バレ防止用だと直ぐに分かり、エリウスも下手に抵抗はしなかった。
「……それではそのまま前へ。東に少し行った先、緑の屋根の小さな宿。そこの裏手が開いています……そこへ行ったら、扉に向かってこう言ってください『私だにゃん♪開けてにゃん♪』と、両手の拳を頭の上に置いて、可愛い愛玩動物のようにお願いしますね。それが合図ですので」
「……」
エリウスは少し考える。
しかしコクリと頷き、渋々歩き出す。
そして、ケープを被ったまま歩き。
街並みの様子を見ながらも、小さな宿の前に着いた。
「――では殿下、合図を」
「……」
「殿下。このような所で躊躇していては、先には進めませんわよ?」
「――クッ……わ、私だにゃん……あ、開けてにゃん……」
(訳が分らないけれど……屈辱だわ……!)
赤面することは無かったが、エリウスは羞恥に耐えて合図を送る。
扉の向こうから「……は?」と、戸惑いの感情が返って来る。
そして悟った、背後の“天使”に騙されたと。
「――プフッ……フフフ……エリウス殿下、素直すぎますよ……」
背後で、笑いを堪え切れなくなった女性が吹き出す。
プルプルとエリウスは口角を震えさせて振り返る。そこにはやはり、口元を抑えた“天使”スノードロップがいた。
◇
カチャリと、安価なテーブルにティーカップが置かれる。
カップに注がれた紅茶の香りに、エリウスは少しだけ心を落ち着かせた。
「――どうぞ。皇女エリウス」
「ありがとう。えっと……ノイン、だったわよね?」
「ええ、その通りよ。先程はスノーが悪かったわね、許してほしい」
扉の向こうにいたのは彼女だ。
エリウスは幼女だったと記憶していたが、一体どうしたものか。
と、一瞬考えたが、リューネの報告にもあった事を思い出す。
「――貴女は確か、“獣人”……だったかしら……?」
「そうよ。満月の日だけ、この姿になれる……本来の姿は幼い姿だけれど、性格的にはこちらが本当なの……ややこしくて申し訳ないけど」
「いえ……そんな。それよりも、あなた達の主人は……」
「――シュルツ・アトラクシアは城に行った、貴女の兄に呼ばれてね」
「兄は無事なのですね……では父は、皇帝陛下は?」
「「……」」
顔を見合わせる、“天使”と“獣人”。
それだけで、嫌な予感は加速する。
「陛下は……無事、なのでしょう?」
「エリウス様……冷静に、落ち着いてお聞きください……」
「――私は冷静ですっ!!」
ガタリと立ち上がり、テーブルにぶつけた身体の勢いで、ソーサーが揺れる。
ノインが、それを指で押さえ言う。
「殿下、そういうところが冷静でないと言っている」
「――!……申し訳ない」
座り直すエリウス。悟ったのだろう。
微かに、手が震えていた。
「エリウス様……陛下は……崩御なされましたわ」
「!!」
カシャン――と、空のティーカップが落ち、割れる。
ノインがそれを片付け、スノードロップが話を続ける。
「今回この騒動を引き起こしたのは……わたくし達の仲間でもあった【魔女】ポラリス・ノクドバルンと……殿下の兄君……ラインハルト皇子です」
「――は?……え、兄……上が?……ち、父上は!?……何故っ……!?」
今何を言われたのか、分からなかった。
信じられなかった。信じたくなかった。




