間話【《石》の世界の女子高生】
◇《石》の世界の女子高生◇
現実世界で一つの別れが行われている事など知らずに、虚空に揺れる一人の少女。
髪は解け、長い黒髪が宙に浮き広がる。
「……」
蹲り、胎児のように宙に漂うその様は、孤独に侵される異邦人だった。
重力など無いように、クルクルと回転しては何かにぶつかる。
ぶつかっても音は出ず、痛みも声も出ない。
ここは、【朝日の雫】の中。
《石》の世界の空想空間だ。
何も無い空間に漂うのは、黒髪の少女ただ一人。
こうして蹲って、自分を否定する言葉をブツブツと呟き続ける。
そうして精神を摩耗し、心を塞いでいた。
「……あたしは……」
時折、光を取り戻す。
それでも、また直ぐに闇に飲まれて自責を始めてしまう。
この繰り返しで、もう何日も経過していた。
しかし、その少女の姿を遠目に見る人物がいた。
光に包まれ、はっきりとした輪郭を持たない。
分かるのは、その人物のシルエットが女性だという事だけ。
その女性は、黒髪の少女サクラを……ずっと見ていた。
「……困ったわねぇ」
頬に手を当てて、はぁ、とため息を吐く。
彼女を見続けたこの数日、ずっとこんな有様が続き。
声をかけてもかけても反応は無く、ついには反応が希薄になりかけていた。
「もう長くはもたない……そもそも、この《石》の中に入れるのは一人だけなのだもの……」
小さな《石》の中では、定員オーバーだという事だろうか。
女性は困ったように指を口もとに当て、考える。
「あ!そうだ、直接話しかけてみようかしら……」
フワフワ浮かび、サクラの近くまで来た女性はまじまじとサクラを見る。
「入っているわね~。自分の中に、もうずぶっと入ってる……」
両腕で抱えた身体は震えている。
見開く目は焦点が合わず、その表情は恐怖と言う言葉が的確だろう。
「……【噓つきの布】」
つらい状態や痛い思いを、噓で覆う《魔法》。
昔、ある女性に教わった《魔法》だ。
その煌めく薄布を、女性はサクラに被せる。
「急場しのぎだけれど、無いよりはマシでしょう……」
サクラの瞳に、輝きが戻る。
「……え……あ、れ……あたし……」
「戻ってきましたか?」
「……だ、れ……?」
「う~ん、誰……かぁ。誰かなぁ……ま、取りあえずは、貴女の先輩ってところかな?」
「先輩……?」
「そ。《石》の前の所有者って感じね」
「【朝日の雫】の……前の所持者ってこと?」
驚きながらも、サクラはゆっくりと硬直した身体を戻して、自分の姿に気付く。
「あたし……裸っ!?」
「そりゃあね。ここは精神世界だし、服を想像してみなさい?出来るはずよ」
サクラは不思議と疑う事も無く、目を瞑って自分の制服を想像する。
光が集まり、あっと言う間にブレザー制服を纏うサクラ。
「ホントに出来た……」
「でしょ?」
女性はフワフワと浮きながら、サクラの周りをクルクルと回る。
「先輩さんは、どうしてこの世界にいるんです?」
「……う~ん。逃げてる……かな」
「逃げてる?何からです?」
「……過去……」
過去から逃げている。
それは、サクラと共通する点があった。
「あたしもです……あたしも、逃げてるんです」
知っているとは言わずに、女性はサクラに向き直って話を聞く。
その表情はよく見えないが、優しい眼差しを向けてくれている事だけは分かる。
「なんでこんなところにいるんだろうって、思うけど……逃げちゃって。怖くなって、気付いたらここにいて……」
(気付いたら、か。そんな事で《石》の中に入ってくるなんて……そうとう才能あるわね、この子。でも、精神が弱い……)
この空間は、この女性がある人物から逃げ果せる為に作り出したものであり、本来専用の空間だったのだが、気が付いたらサクラがいた。
それは、完全ではなかったという事でもあり、サクラの能力の高さを証明するものでもあった。
謎の女性が考えている最中も、サクラの独白は続く。
「逃げるだけならそれでいいけど、あたしは……色々置き去りにしてきちゃった」
《契約者》であるエドガーや、友達になったエミリア、同じ異世界人のローザやメルティナ。
フィルヴィーネにリザ。そして、サクヤ。
全てを置き去りにして、サクラは逃げたのだ。
自分が、サクヤの妹の生まれ変わりだと聞いて動揺し、そのまま心の中に押し込めた。
一人で考え、一人で悩み、一人で堕ちていく。
荒野でローザに言われた時が、もしかしたら最後のチャンスだったのかもしれない。
誰かに悩みを相談出来たら、どれ程楽だっただろうか。
一度入り込んだ暗闇は、中々に脱出する事は難儀だ。
エドガーに、ローザに、相談できる相手は沢山いた。
仲間と呼べるものを認識し始めていたにもかかわらず、サクラは逃げた。
それが、自分でも最高に腹立たしい。
「相談したかった?」
女性の問いに、コクリと頷くサクラ。
でも、容易にそれが出来ないから、サクラなのだ。
誰かになり切ると言う特別な力を持ち、自分が分からなくなった。
それは、元の世界にいる時から、“いい子になりたい”と言う願望が生んだものか、はたまたサクラの持つ才能か。
しかしそれが、サクラの闇を更に深くさせた要因でもあると、この女性は感じていた。
「でも、出来ないよね?……辛いもんね?否定されるのは」
そう、サクラは親に、母親に否定されて生きて来た。
「いい子だね」と、「偉いね」と褒められたかっただけの子供が、「気持ち悪い」と、「子供らしくしろ」と言われ、褒めるどころか、いないものとされた。
存在を否定されたのだ。
それは、誰であろうとキツイ。
そして異世界にやってきて、自分が誰かの生まれ変わりであると知った時。
また、否定された気がしたのだ。
自分はいらないと、言われた気がしてしまった。
当然ながらそんな事はない。
サクヤの気持ちは、“サクラはサクラだ”と決まっている。
でも、それを口にした時、サクラは既に逃げていた。
話をする間もなく、逃げ出していたのだった。
「あたしは……誰にも必要とされていない。一度そう考えたら……辛い、怖い、悲しい……そればかりが頭の中をグルグルグルグル……死んだほうが――っっ!?」
負の連鎖だと、死んでしまいたいと口にしようとした。
しかし女性が、ゆっくりとサクラを抱いた。
それは優しく、暖かいもの。
感じた事の無い、母の温もりだった。
「……あ」
初めて経験する優しい感覚に、サクラの瞳から自然に溢れて来る涙。
それを、女性は拭ってくれる。
「これでも二人産んでるから……お母さんは、こういうものよ?」
母と言う存在を教える様に、女性は抱きしめ続けてくれた。
◇
どれ程時間が経っただろうか。
気が付けば、サクラは眠っていた。
「可愛い寝顔……あの子達も、こんな顔してたわね……」
思い出される、我が子二人。
しかし、それも一瞬の逡巡だった。
「……!!」
亀裂。空間に、僅かだが亀裂が走った。
「……起きなさい、えっと……サクラちゃん。サクラちゃん!」
《石》の世界から見える現実世界で、何かが起ころうとしている。
それは、サクラを思う仲間達の思いが詰まった作戦だ。
「……迎えが来たわよ……私は見られたくないから消えるけど……サクラちゃんは、しっかりケリをつけるのよ?いいわね……サクラちゃん」
サクラにそう言い残して、光を纏った女性は慌ただしく消えていく。
サクラを迎えに来た存在に、見られる訳にはいかなかったからだ。
「ん……うぅ……ん」
悪夢から目覚めるさせる様に。
サクラの目の前には、橙色の髪を靡かせる、長身の“悪魔”が立っていた。
「――サクラ、迎えに来たわ。帰るわよ……」
「……え……っと、誰?」
見覚えのない綺麗な女性に。
キョトンとするしかできない、サクラだった。




