37話【サヨナラは言わないから】
◇サヨナラは言わないから◇
自分の存在が仮初のものだと、初めから全て気付いていた。
それは水滴のように落ち、芽吹くように目を覚ました。
命を消滅させ、生まれ変わる。
その輪廻を無視して、瞬間的に生き返ったコノハ。
目が覚めると、目の前には成長した姉がいた。
それはまるで、夢のようだった。
しかし、自分を見る姉の顔は、喜びとは別のものだと、直ぐに判断できた。
誰かを呼びに行ったと思ったら、来たのは男の人。
姉はその人を相当信頼しているのだと分かった。
同時に、私はいてはいけないのだとも理解した。
でも、少しでも長く、夢を見ていたかった。
眠る度に、消えてしまうのではないかと思ってはいた。
元の身体の持ち主、サクラさんが戻ってくれば、きっと私は消えてしまう。
けれど、そうはならなかった。
初めに消えかかったのが、サクラさんの方だから。
一度、サクラさんが戻った。
ほんの少しだけれど、サクラさんが戻った時、私の意識は完全に消えていた。
目が覚めた時、既に知識の共有が出来ていたらしく。
おそらく私は、普通の5歳児よりも、知恵が回る。
それは、サクラさんが得ていた知識があるからであり、元の私は普通の5歳児だ。
だから、私は5歳児を演じた。
無邪気に、我儘に、子供らしく。
奇しくも、サクラさんが得意とする演じるという事を、私は姉の前で行っていた。
姉は、何度ども涙を堪えているんだと言う日があった。
それは多分、事故とは言え、死んでしまった私に合わせる顔がないと言う無念感と。サクラさんがいなくなった事への罪悪感だと思う。
私は、死を覚悟していた。
一度は落とした命、オマケ程度に姉と生活が出来ればいいと、そう思っていた。
でも、先に消えかけたのはサクラさん。
それはいけない事だ。
私は、ここにいてはいけない。
だから、消えろと言われても、死ねと言われても。
全てを受け入れるつもりだった。
◇
「でも、でも……今の私は……」
エドお兄ちゃんに言われた言葉は、とても嬉しいものだった、でも。
今の私は、サクラさんが情報と理想を再現した、【夢想】の実体化だ。
「コノハ……」
「姉上、ごめんなさい。私は、全て承知で偽っていたのです……」
姉上もエドお兄ちゃんも、私が全てを気付いていた事に驚いていた。
私は、日々を送っていくうちに、怖くなってしまった。
このままここに居たいと、存在していたいと思ってしまった。
「お主は、サクラの知識を共有している。勘が鋭くてもおかしくはない」
“魔王”さんがそう言ってくれてはいるけれど、どうなるものでもない。
エドお兄ちゃんが言ってくれた“召喚”というのも、サクラさんの知識から分かる。
嬉しい、とっても嬉しい。
私は、また姉上に会えるのだと、そう言ってくれた。
でも、もしそうなったとしても、新しく呼ばれた私は、きっと今の私とは別の私だ。
死ぬ前の、正真正銘5歳児の私なはずだ。
「――私は、いつ消えてもいいと思っていました……サクラさんが戻ってくれば、いずれ消えるから……そうすれば、私の記憶はどうなりますかっ!?……今の私は、どうなりますかっ!?」
「……――っ!」
エドお兄ちゃんが、辛そうに唇を噛んだ。
それが答えなんだって、分かってしまう。
「――案ずることはない……」
「「「えっ」」」
私、姉上、エドお兄ちゃんが同時に驚いた。
“魔王”さんが答えたから、三人で顔を見る。
「……ここは異世界だぞ?コノハよ、お主の額に着いた《石》は、奇跡を叶える力を持った、《魔法》の《石》なのだからな……」
「《魔法》の……」
「「《石》……」」
エドお兄ちゃんと、私と姉上が、声を合わせて復唱した。
すると、エドお兄ちゃんが、何かを納得したように、私の手を掴んで言う。
「うん、そうだよ……“魔道具”は、怖い反面素晴らしい力があるんだ……だから、きっとコノハちゃんに適した《石》があるはずなんだっ」
「エドお兄ちゃん……」
「――そ、そうだコノハ。わたしの《石》をやろうっ!」
何を言っているの?
姉上、もしかして眼球をえぐり出すおつもりですか?
って、本当にしそうになって……あ、ああ、エドお兄ちゃんが止めてくれました。
「はは……サクヤの、お姉さんの暴走は兎も角ね。僕を信じて?いや……僕達、かな?」
エドお兄ちゃんは、“魔王”さんやメルさんを見る。
そして、何も無い方向を見て、頷いた。
まるで、そちらの方向から返事が返って来たかのように。
他の皆も、一様に頷いて、私を見ている。
「……奇跡の、《石》……」
「そう。絶対、また逢えるから……お姉さんとも、僕達とも。必ず……約束だ」
エドお兄ちゃんが、小指を立てて差し出す。
どうして、エドお兄ちゃんがそれを?
「……」
驚いて固まる私に、エドお兄ちゃんは。
「あ、あれ……?違ったかな……?約束事をする時にするおまじないだって……調べたんだけど」
調べた?【指切りげんまん】を?
文字、読めない筈なのに。
「おかしいなぁ」と、頭を掻きながら照れるエドお兄ちゃん。
私は、そんなこと無いよとは言えず、只々驚いてしまって。
だって、つい数日前までは、一切日本語の文字が読めなかったのに。
もしかして、家にいない間に、勉強していたの?
「主様は勤勉なのだぞ?きっとそのまじないも間違いではありませんよっ!」
何で姉上が言うの?
【指切りげんまん】、姉上は知らないでしょう!?
時代的にね!当時はげんこつ1万回だよ!?しかも今は針を飲まされるんだよ!?
私はサクラさんの知識で知ってるけど、姉上は絶対適当に言ってるはず。
「あ、姉上……いつからそんな風になってしまったのですか……?」
「え!?……な、なぜそんな顔をするのだぁ……コノハ~!」
抱きついてくる姉上。
何だか、少しだけ馬鹿らしく、けれども。温かい気持ちになった。
信じられる。
エドお兄ちゃんのやって来た努力も。
“魔王”さんの言葉も。
姉上は……うん、信じる。
「――でも……私はどうすればいいのですか?」
サクラさんを呼び戻すにしても、方法は?
私が呼ぼうとしても、多分出来ない。
「それは簡単だ、コノハ。お主が眠ればいい……」
「それだけですか?」
「それだけだ」
“魔王”さんは簡単に言う。
もしかしたら、本当に簡単なのかもしれないけど。
不安は拭えない。
「コノハ。お主が眠った後、このリザが《石》の中に入る。そうしてサクラを元に戻すのだ」
眠るだけでいいなら、確かに気は楽なのかもしれない。
でも、私の記憶はどうなるのだろう?
「――心配はいらない。我が記憶しておこう」
「そんな事が出来るんですか?」
“魔王”さんの言葉に、エドお兄ちゃんが聞き返した。
私も思っていたし、どうやら姉上やメルさんも思っていたみたい。
「お主等……」
“魔王”さんはメルさんと姉上をジト目で見た。
あ、メルさんが目を逸らした。
「まあいい。長い時間を経た《石》には、記憶を司る力を持つ事がある。我の【女神の紫水晶】ならば、それが可能だ」
“魔王”さんの右手に光る紫水晶は、どうやらそれが出来るらしい。
姉上とメルさんでは、出来ないのかな?なら、ローザさんは?
私の視線を受けて、“魔王”さんは意図を理解したように答える。
「出来るのは【災厄の宝石】だけだ。つまり、ロザリームとメルティナにも出来るはずだが……今は無理だろう」
「……」
“魔王”さんの言葉に深く頷いたエドお兄ちゃん。
多分二人にしか分からない何かがあるんだと思うけど。
きっと、私が考えてはいけない事だ。
ローザさんが居ないのは、多分サクラさんを戻す為の事を調べに行っているんだと思う。
そして、それを私が言及するのは、駄目な事なんだ。
「――眠るのも、我が導入してやろう……時間も、そろそろ限られるからな……」
「……えっ?」
“魔王”さんの言葉に驚いたのは、姉上だけだった。
私は、分かるから。
サクラさんがきっと、消えかかってるんだ。
だから私は、眠らないと。
「――お願いします、“魔王”さん……」
「え、ちょっと……コノハ、そんな……今、今なのですか?主様っ!」
神妙な面持ちで、姉上が言う。
確かに、急すぎだよね。
でも、私も姉上も、覚悟は出来ていたはずでしょ?
私は、姉上の手を取る。
「姉上……しばしの間、お別れです……私は、エドお兄ちゃんも姉上も、“魔王”さんもメルさんも、ここにはいないローザさんも信じます、信じています」
ローザさんには、本当は一度ちゃんと謝りたかったけど。
初めて会った時、怖がっちゃったから。
「コ、コノハ……ああ、そうね。わたしが慌ててはいけなかった……今、こうしてぐずる訳にはいかないものね」
涙を堪えたのが分かった。
ああ、私も泣きそうだ……
覚悟も決意もした。
でも、やっぱり別れは寂しい。
――だけど。
「姉上……サヨナラは言いませんよ?……だってまた、私は姉上に逢いに来ますから。今度はもっと、もっともっともっと……仲のいい姉妹に、なりましょうねっ!」
サヨナラは言わないから。
必ずまた、逢えるから……
◇
一時の別れは済ませた。
後は、私が眠るだけ。
“魔王”さんが、横になる私の額に触れる。
「やはり時間はないな……いいかコノハ……目を瞑るだけでいい。そうすれば次に目覚めた時、お主は元の身体でここに居るはずだ」
「はい。信じております、“魔王”さん……エドお兄ちゃん、よろしくお願いします」
横になったまま、私はエドお兄ちゃんに笑顔を向けた。
エドお兄ちゃんも、笑顔で答えてくれる。
「うん、任せて。必ず、また逢えるから!」
「コノハ……また、近い内にな……」
「コノハ、約束です。次は、ワタシのデータベースに日本語の追加を願います」
「うん」
そうは言うけど、それは姉上かサクラさんに言った方が早いよ。
「コノハちゃーーん!私、まだ全然話せてないから……次は、ローザと一緒に、遊ぼうねっ!絶対!」
「ありがとう、エミリアお姉ちゃん」
一人遠くから、まだ関係性の浅い私のために泣いてくれる、心の優しいエミリアお姉ちゃん。
ローザさんの事を言ってくれる辺り、本当に心の優しいお姉ちゃんだ。
「……リザ。振り回してごめんね……?」
「……いいわ。次に来た時は、私をうんと可愛がりなさいよ?」
「うん、ありがとう……」
“魔王”さんの手が、私の瞼に触れる。
「一時の別れだ……しばし眠れ、コノハ……」
「はい……お願い……しま……ぅ」
本当に、本当に安らかな眠りにつくように、私は。




