36話【流れる程に、溢れる程に】
◇流れる程に、溢れるほどに◇
エミリアだけが【召喚の間】に入れない。
まるで窓ガラスに顔を近付けて、覗く様に中の様子を見守る。
「かわいそうなので」と、メルティナが入り口近くまで寄って行ってくれたので、少しは寂しくないだろう。
他の全員は中央まで進んできており、最後にエドガーが中央に辿り着く。
「……」
緊張しているのが丸分かりになるほど、エドガーの顔が強張っていた。
「エドお兄ちゃん?」
「主様……?」
“召喚”の際に魔法陣が描かれる場所に屈み、コノハとサクヤが心配そうにエドガーの名を呟く。
「だ、大丈夫……大丈夫だよ」
胸を何度も撫でて、自分を落ち着かせる。
後ろではフィルヴィーネが、やれやれと言った感じで見ている。
フィルヴィーネは歩み、エドガーの背後に立つと、右手を振りぬいた。
バン――ッ!!と、後ろから来たフィルヴィーネに背中を叩かれ、エドガーは痛そうにするも、気合も入れてもらったようだ。
「――痛っ!!……す、すみません……助かりました……」
涙目でお礼を言うエドガーに、「しっかりせよ」と渇を入れるフィルヴィーネのやり取りは、二人にしか分からない何かだろうとサクヤは感じた。
サクヤはコノハの背中に手を添えて、エドガーが言うであろう言葉を覚悟する。
(主様はきっと……きっと)
自分の代わりになって、コノハに辛い事を言うのだと、雰囲気で察する。
「……」
自分の背に添えられた姉の手の震えを、コノハもまた感じていた。
今は自分よりも背の低い、可愛らしい姉から伝わる思いを背に感じて、思う。
その時は近いのだと。
◇
【召喚の間】の中央、“召喚”の際に魔法陣を描く場所だ。
その場所に正座して、コノハはエドガーに言葉を掛ける。
「――エドお兄ちゃん……いいよ?」
まるで準備は出来ていると、自らそう言うコノハ。
その表情は清々しい程の笑顔だった。
「……コ、コノハ?」
隣に座るサクヤが、覗き込むようにコノハを見る。
「大丈夫です。姉上……」
その笑顔は、全てを悟っていた。
◇
(サクラの身体だからか……それとも天性のものか、全て悟ったようだな、これからエドガーに言われる事を)
一人移動し、入り口付近のエミリアとメルティナに合流するフィルヴィーネ。
今は三人に話をさせようと、“魔王”なりの気の利かせだった。
「フィルヴィーネ様……」
「黙っておれリザよ。何もせずとも、お前の出番はもう直ぐだ、今のうちに気を引き締めておけばいい。その身体で、行わなければならないのだからな……」
「……はい」
サクラ、そしてコノハが気になるのか、リザはフィルヴィーネの肩に乗りながらソワソワしている。
しかしフィルヴィーネに制され、渋々頷いて黙る。
「ねぇフィルヴィーネ。エド、何を言うの?」
話を直接するとだけは聞いていたが、内容は知らないエミリアとメルティナ。
メルティナは予測出来ているが、内向的なエドガーがそんな事を言うとは思えず、見守ると言う選択肢に至った。
「聞いていれば分かる。なんにせよ、お主の幼馴染が選択した答えを……尊重してやることだな」
「……う、うん……分かったよ……」
“魔王”の発する圧に、エミリアは苦笑いを浮かべながらも納得した。
エドガーの答えに反論は許さぬ。と言う感じにも取れたが。
(さぁエドガー……ひよるなよ?)
再び壁に背を預けて、フィルヴィーネは三人を見守った。
◇
エドガーは、膝を着いてコノハに向く。
心音が激しく鳴る。
冷や汗も流れ出て、今までにない緊張感を体験していた。
しかし、エドガーの正面に座するコノハは優しい笑顔を携えたまま、その言葉を待っていた。
そんなコノハの笑顔に、エドガーは「ふぅぅぅ……」と息を吐く。
そして、切り出した。
「――コノハちゃん……い、今から話すこと、多分コノハちゃんには……辛いことかもしれないけど、聞いて欲しい。いいかな?」
「……はい」
「……」
重々しい雰囲気に、サクヤは完全に察した。
握る手の力は、爪が食い込むほどに。
「……っ!!」
そっと、重ねる様に。
コノハがサクヤの手を、優しく包む。
それだけで、サクヤの力は抜けた。
(コノハ……お前は……)
「――エドお兄ちゃん、続けて?」
エドガーはサクヤを見る。
コクリと、サクヤが頷いたことを確認して、エドガーは言葉を紡いだ。
「今、コノハちゃんの身体は……別の人の物だって言う事は、分かるかな?」
「はい」
「うん、それでね?その子は今、おでこの《石》の中で眠っているんだけど……そろそろ起こさないといけなくて……」
「はい」
辛い。
言葉を紡ぐたびに、胸が締め付けられていく。
だが、コノハはもっと辛いはずだと、エドガーは気を入れて続ける。
「今、その子を起こしてあげないと、もうずっと……眠ってしまうらしいんだ」
消えてしまうとは言えず、柔らかい言葉で濁しつつ真実を述べる。
コノハは優しい笑顔を変えず、しっかりとサクヤの手を握り、エドガーの言葉を聞いている。
「だから。その身体を――返してあげて欲しいんだ……」
「……はい」
「……くっ……!」
サクヤの背けた瞳からは、涙がこぼれた。
覚悟は決めていた。
自分が一度は殺めてしまった妹と、再会出来た喜び。
しかしそれはまやかしだったと、この数十日、自分に言い聞かせていた。
「姉上……」
「すまぬ……すまぬコノハ……わたしは、姉は……未熟だった……」
再会できた喜びは、覚悟を上回ってしまった。
サクラの命とコノハの命を天秤にかける事が出来ずに、サクヤは大粒の涙をこぼす。
左眼の眼帯を外し、ごしごしと涙を拭いながら、誤魔化せない思いを吐露する。
「主様も……本当にすみませんっ……主様が代わりに仰って下さるお気持ちを、無下にするような事を、わたしは……!」
エドガーも、ぐっと堪える。
涙を流す必要は無いと言えたなら、どれだけいいか。
そして、エドガーは言う。
「――サクヤ……コノハちゃん……僕は、サクラを元に戻さなければならないんだ……でもね、別れを言う必要なんてないよ。二人は――きっとまた会えるから……」
「……え?」
「……どういう、意味ですか……?主様」
予想と違った答えに、二人はキョトンとしてエドガーを見る。
「――大丈夫だよ。僕は、誰かが犠牲になって進む未来を、進んだりなんかしないから」
それは、宣言だった。
この場にいる全員に伝わるように。
この場にはいないけれど、絶対にローザにも伝わるようにと。
「コノハちゃん……サクラを元に戻すには、コノハちゃんに眠ってもらわなければならないんだ。それは、どれだけかかるか分からない。でも約束するよ。必ず、コノハちゃんを“召喚”するって……サクヤとまた、会わせるって」
「――主……様ぁぁぁぁっ!」
我慢出来ず、飛び出したのはサクヤだった。
エドガーに抱きつき、止めどなく涙を流して震える。
そんなサクヤの背を、エドガーは優しく撫でるのだった。
◇
エドガーの宣言に、遠めに見ていたメルティナは震えていた。
まさか、エドガーの口から「自分から“召喚”をする」とは、思ってもいなかった。
「……エド」
エミリアも、何か別人を見るような目でエドガーを見ていたが、その目には涙が溜まっていて、今にも決壊してしまいそうだった。
「――それでいい。我が望む未来は……主が王になる事なのだからな……」
「お、王っ!?」
フィルヴィーネはエミリアの驚きを無視して歩き出し、中央へ向かう。
メルティナもついて行こうとしたが、エミリアをほっとけずに自重した。
「話は終わったな。次は我の出番だ……」
「フィルヴィーネ殿……?」
エドガーから離れて、サクヤはコノハの隣に戻る。
フィルヴィーネは屈み、コノハに目線を合わせた。
「――よいかコノハ。エドガーを信じよ……この男は近い未来、必ずや成し遂げるはずだ。それまでは眠っているがいい……我の真名、ニイフの名においてにおいて、約束しよう」
「……わ、私は、また死ななくても、よいのですか?」
「「!!」」
エドガーとサクヤが、凍り付いたように動きを止める。
「コノハちゃん……気付いて、いたんだね……」
「コノハ……」
コノハも涙目で、エドガーの問いに答える。
「はい……この身体の、サクラの記憶が、それを教えてくれたの」
コノハは気付いていたのだ。
自分がまやかしの存在だと、本来いない筈の存在だと。
それを受け入れようとして、コノハもまた、覚悟をしていたのだった。
「愛いやつだ……強い子だな、お前は」
フィルヴィーネがコノハの頭を撫でる。
その瞬間、我慢していたものが溢れだし、頬を濡らした。
「うぅ……私は、一度死んでいます……姉上の目の前で……」
「――っ!?」
二人の辛そうな表情は、痛々しいほどに瞳に映る。
「――心臓が止まるまで……私は姉上を見ていました。姉上のお辛そうな顔を、ずっと、ずっと……意識が途切れるまで……」
当時、サクヤの【魔眼】が暴走し、コノハは自分の意識がなくなるまでの間、サクヤの姿を見ていたと言う。
何が何だか分からなかったサクヤと違い、コノハは見ていた。
怪しく光るサクヤの左眼を。
幼いながらに、それで把握したのだと言う。
自分が死ぬのだという事を。
「――次に目を覚ました時、私は大きくなった姉上に見られていました。嬉しかった……嬉しかったのです、私が、姉上を恨んでなどいない事を……伝えられるからっ」
「……コノハ」
目が覚めた時、サクラと入れ替わったという事になるのだろう。
「でも、でも……今の私は……」
自分でも理解している。
今のコノハが、サクラの能力【ハート・オブ・ジョブ】による、なりきりの産物だという事に。




