32話【次代の皇帝】
◇次代の皇帝◇
火の回りは城下町だけではなく、城にもあっと言う間に広がった。
しかし、鎮火させる人間など一人も居らず、皇帝陛下であるヴォルス・ラクエーン・レダニエスは、まるで何者かに追い詰められるように、謁見の間に辿り着いた。
「――誰ぞっ!誰ぞ居らぬのかっ!……ええい、何が起こっておるのだ!何故誰も居らぬのだ!?兵はどうした!大臣はっ!何故一人もおらぬのだ!!この惨状は何なのだっっ!」
火の回りは、消すよりも圧倒的に早いのが、明らかに見て取れる。
バルコニーから見える城下も深夜にも拘わらず、まるで夕日のように赤かった。
城下からは悲鳴も響き渡り、豪華に飾り付けられていたカーテンや装飾も焼け落ちて、燃え散っている。
「――な、なんなのだ……いったい何が起こっている!?ボーツ!ノラソン!シュルツ!!どこにおるのだっ!返事をせぬか!」
混乱している皇帝陛下は、燃える謁見の間で大臣の名を叫ぶ。
古参の大臣二人の他に、腹心と決めたシュルツ・アトラクシアの名を叫んだのだが、当然返ってくるのは炎の轟々とした音だけだった。
「こ、このままではマズい……逃げねばっ」
しかし、逃げようとする皇帝陛下に、背後から掛けられる声が。
「――ここにおいででしたか……父上」
バルコニーの陰から、血濡れた剣を持ち、笑みを見せる少年が現れた。
その姿に、皇帝ヴォルスは。
「おお!ラインハルト……とろいお前が真っ先に駆け付けるとは、大臣たちはどうした。いったい何が起こったのだのだ!説明せよっ」
「……ボーツ大臣なら、火消しの指示に回っていますよ。ノラソン大臣は……そうですね。そこの裏手で寝ています」
気だるげに、血濡れた剣で示す。
その裏手には、柱に凭れ掛かる一体の死者がいた。
「――ノ……ノラソン、なのか……いったい……誰が」
「……くっ……くく……くっ……」
間抜けな一幕だった。
血濡れた剣を持ち、倒れる遺体にはざっくりと斬り裂かれた痕跡が残っているのを見ても、何が起こったかを推測も出来ない愚かな父親に、ラインハルトは笑いを堪えずにはいられなかった。
「――ははは、はっはっは……くくっ、愚かだ……まったく、本当に愚かな男だ……お前は」
「な、何を言っているのだラインハルト!早くノラソンを助けよっ!!」
理解できないのか、それともするつもりが無いのか。
あろうことか皇帝は、自分を侮辱する息子に縋りつき叫んでいる。そこには尊敬する念も無く、皇帝たる威厳も無い。
「無理ですよ。もう死んでいる」
「……なっ!」
滑稽だった。
かつてはその野心で、先代の皇帝を陥れた知謀も、力ある武も、もうこの男には無いのだと、瞬時に理解できた。
もうこの男の時代は終わったのだと、確信した。
やはり、皇帝の座を降りてもらわなければと。
「――終わりですよ、父上……いや、皇帝ヴォルス……」
ドン――ッ!と片手で押しのけただけで、皇帝は尻餅をついて倒れた。
息子から見れば、確かに情けない姿だろうと思う。
「ぐはっ……な、何をするのだラインハルト!父に、皇帝に向かって……!」
見下ろされる息子からの視線には、尊敬も感謝も、憧れも、なに一つの感情も見られない表情に、ようやく気付く愚鈍な皇帝。
「――おま……お前が画策したのか……この有り様を……この惨状をっ!!」
手を広げて、皇帝は炎上する謁見の間を示す。
しかし、ラインハルトは。
「――惨状?何処がです……俺には見えませんよ、あなたの見えている炎なんてね……」
「な、なんだとっ!?」
ラインハルトは、そこにあるはずの炎を触った。
ブオ――ッ!と一瞬で燃え広がり、ラインハルトの服に着火する。
「……!!な!?」
驚く皇帝。しかしラインハルトは、何の痛みも熱さも感じておらず、何も無かったかのように平然と皇帝を見る。
「……ラインハルト、お前は……いったい……!?」
地べたに座りながら、息子を見上げる。
そんな皇帝に、声がかかる。
「――初めから無いのですわ」
謁見の間に響き渡る、妖艶な声。
皇帝は、その声に瞬時に気付く。
【魔女】ポラリス・ノクドバルン。
皇帝自身もその美貌を知る、異世界からの客人だ。
救世主来たりと、希望見えたりと嬉しそうに叫んだ。
「その声は……【魔女】殿かっ!よ、よくぞ来てくれた……!その馬鹿息子を、捕らえるのだ!【魔女】殿!」
「――?……このお方は、いったい何を仰っているのですかぁ?皇子」
ポラリスは本当に戸惑っている様だった。
魔法陣が展開し、そこから現れた【魔女】は、カツカツとヒールを鳴らしてラインハルトの横に並び立つ。
うふふと笑みを浮かべて、擦りつくようにラインハルトの身体に身を寄せた。
「――ま、【魔女】殿……」
信じられないものを見る様に、【魔女】ポラリスを見る。
まるで、秘密を共有する恋人が離れていくかのように。
「……うふふ。そんな顔をされてもねぇ、私は一度……可哀そうなお年寄りに……この身体をお貸ししただけでしょう?」
事実、ポラリスは《魔法》を使う為に、この皇帝に一度身体を許している。それはつまり、【誘惑】に掛かっているという事であり。
この国で自由に過ごせてきた理由でもある。
初めは、共に行動をして来たシュルツの作戦だった。
しかしその後、ポラリスはラインハルトと言うパートナーを見つけ、今に至る。
「……終わりですよ父上。あなたの時代は……終わったのです」
ラインハルトの指示に合わせて、ポラリスはパチンと指を鳴らす。
綺麗に鳴った音は謁見の間に波状に広がっていき、炎を消し去っていく。
まるで、初めから無かったかのように。
「――なっっ……!?」
【幽炎】。
赤の《石》による、幻を見せる《魔法》だ。
その炎は物理的にも痛みをも生み出し、精神的にもダメージを与えるものだ。
「……炎が、消えていく……」
焼けていた壁に、落ちていたカーテン、装飾。
全てが幻だったかのように、炎が広がる前に戻った。
皇帝が自室で目が覚めた時、既に火は部屋中に回っていた。
手には、落ちた破片で付けたとみられる小さな切り傷があった。それが【幽炎】を発動させる条件だ。
「なにが……」
「《魔法》ですわぁ、陛下……」
ポラリスが腕に着けた、幾つもある無数の宝石の腕輪。
その一つに、赤く輝くルビーがあった。
「英雄の《石》には劣りますが……これも充分、力を持ったモノですわよ」
英雄の《石》。それは、ロザリーム・シャル・ブラストリアが持つ、“天使”が授けた輝石。
尻餅をつく皇帝ヴォルスは、ラインハルトとポラリスを指差し叫ぶ。
「おのれラインハルトっ!!余を謀ったのか……!!【魔女】ポラリス、余の情けを忘れたかっ!――まさか、貴様……これはシュルツ・アトラクシアの仕業かっ!!」
「――謀った……?おかしな事を言う」
「うふふ……シュルツ様は関係ありませんわぁ……」
二人に同時に言われ、皇帝は更にヒートアップする。
「貴様らぁ……こんな真似をしてどうなるか分かっておるのかっ!!不敬な!」
「もういいでしょう父上……大人しく隠居してくれれば、命だけは見逃しましょう」
面倒臭そうに、ラインハルトは父に剣を向ける。
その父は尻餅をつきながら、無様に後退りして、息子の剣から逃げる。
悲鳴を上げるでもなく、背を向ける訳でもなく、息子に視線を合わせたまま、ずりずりと後退する。
「……あらあら、虫のようだわぁ」
「……それは返答という事でいいのですね……?父上。抵抗と取って、御身を拘束させて頂く」
「おのれラインハルト……!おのれ【魔女】……!!」
「あら?」
何とか立ち上がり、壁掛けの剣を取り、抜く。
豪勢な、装飾だらけの儀礼剣だ。
「……――まさか、それで俺と戦うおつもりですか?」
「皇帝に、父に剣を向け……国を乗っ取る気かっ!!」
ラインハルトは、一歩ずつ父に向かい進む。
口元は歪み、今気付いたのかと今にも笑い出しそうだった。
「本当に愚かな男だ。この城下の惨状を、バルコニーから見たのでしょう?……被害を受けているのは、父上の側近達と、それに従っていた極少数だけだ。ノラソン大臣以外の大臣は……俺を認めたんだよ、次代の皇帝としてな」
「――ば、馬鹿なっ!?」
「馬鹿も何も……既に父上の身の回りにはもう誰も居ない。大人しくしてください、そうすれば……ミアと一緒に静かに暮らせるさ」
「き、貴様……!ミアを、妹をどうした!!」
ミアとは、ラインハルト、そしてエリウスの妹だ。
末妹であり、身体を弱くして療養をしているはずの、皇帝の三人目の子供。
ミアをどうしたという答えには、ポラリスが答える。
「――ミア殿下は賢明でしたわよぉ、大人しく、聡く、賢い……うふふ、誰かさんの娘とは思えないほどにねぇ」
「貴様らぁぁ!エリウスが黙ってはいないぞっ!!」
【送還師】エリウス。
帝国の皇女であり、異能を持つ娘。
異世界のものを送り帰す事ができる、帝国唯一の存在。
それがあれば、【魔女】も“天使”も怖くは無い。が。
「――この場にいなければ意味はない。それに……」
ラインハルトは、内ポケットから何かを取り出す。
首輪のような、首飾りのような、少し曖昧な形のアクセサリーだった。
「そ、それをどうしてお前が……」
皇帝が焦るのが、目に見えた。
「――これが無ければ、エリウスは力を使えない。父上が作らせた“魔道具”だ……このような重要な“魔道具”の管理を怠っているようでは、俺がこのクーデターを起こさずとも……国は誰かに取って代わられていただろうな……例えばそう。ミアを新皇帝として祭り上げようとしていた……シュルツ・アトラクシアのようにな」
娘の力を恐れ、自分の言葉が無ければ使えない様に枷を掛けた。
それがこの“魔道具”【封極の首輪】だ。
ラインハルトは予め、皇帝の自室から盗み出していたのだ。
その“魔道具”を、皇帝は放置していた。
自分しか知らない場所に隠したのだと、慢心をして。
「うふふ……シュルツ・アトラクシアの考えは、私の予測になりますが……まぁ合っているかと思われますわよ?彼も、私達には隠している事も多々ありましたし……今頃“天使”と“獣”も、別に行動を起こす頃合いでしょうねぇ」
「な、なんだと……シュルツが、ミアを……」
更には、信じていた軍事顧問、シュルツ・アトラクシアの考えをポラリスから聞かされて、皇帝は。
「――お、おのれぇぇぇぇぇぇっ!!」
馬鹿にされ、貶され、陥れられ。
皇帝ヴォルスはついにキレた。
弱る足腰を奮い立たせて、儀礼剣を息子であるラインハルト目掛けて振るう。
ガン――!と、斬る事の出来ない儀礼剣は、ラインハルトの剣に防がれる。
「それが答えか。無意味な……」
冷たい視線を父に向け、ラインハルトは剣を弾く。
ガキンと弾かれ、皇帝ヴォルスは再び尻餅をついてしまう。
「ぐわっ……!」
「……命乞いしないだけ、プライドはあるようだな。そのプライドを、もっと周囲に向けるべきでしたね、父上」
そうすればこうならなかったのかと聞けば、答えはノーだが。
「おのれ……帝国をどうするつもりなのだ、ラインハルトよ……!」
「ふん。決まっている。侵攻するのさ……国土を取り返し、緑を増やす。退廃した風土を癒し、世界を統一させ……そして俺は、世界の王になるっ!」
「何を世迷い事を……」
目下の目的は大陸の中央、【リフベイン聖王国】。
数十年前に帝国に侵攻し、国土を奪った外敵。
しかし、それも大昔の話だ。
“魔道具”の発展と技術をもって逆転した均衡状態を、皇帝ヴォルスは捨て去った。
侵攻を止めたのだ。
「……聖王国には手を出すな……いいか、これは、最後の忠こ――」
――ザシュッ!!
一刀の軌跡は、血飛沫を上げて床を濡らす。
「……忠告痛み入る……老害の皇帝よ」
どさりと床に倒れる、父だったもの。
ポラリスは汚いものを掃除するように、腕の《石》を輝かせて。
「お掃除しましょうか。【凍結の強風】」
無詠唱で放たれた《魔法》は、一瞬で遺体を凍り付かせていく。
そして更に。
「【巨人の腕】」
足のアンクレットに輝く《石》が光り、空間から現れる巨岩の腕。
ゴスン!と、氷漬けの遺体を砕き、いとも簡単に粉砕する。
氷は砕け、床に染まっていた血も、遺体そのものも、完全に消えてなくなった。
「どうします……?」
この先、ラインハルトにはやらねばならない事は多い。
「まずは、皇帝派の残党を消す……俺がその殆どを取り込んでいたとしても、帝都外にはまだいるんだよ。皇帝と同じ老害がな……」
「――じゃあ、そちらはお任せ致しますわ……私は約束通り、聖王国に参りますから」
「ああ、そうだな……当初の予定通り、俺は国をまとめよう。もう直ぐシュルツ・アトラクシアもここに到着する頃合いだ。お前も都合が悪いだろう」
「うふふ。ええ……流石に、私がもう仲間ではないと気付いているでしょうし……一番怖いのは耳年増の“天使”ですからねぇ……」
ポラリスは、ラインハルトの頬にちゅっとキスをして、魔法陣を展開すると、名残惜しそうにしながらも消え去って行った。
「……ふっ……俺は世界を手に入れる。そして帰るのだ……【リフベイン聖王国】に、俺の居場所に……」
無表情ながらも、少年は野望を口にする。
そうして、父の遺体があった床を踏みしめ、外に向かったのだった。




