15話【懐に魔物は住む】
◇懐に魔物は住む◇
レディルは飲み物を一気に呷ると。
「リューネ。おかわりだ……後、つまみを出せ!」
「――エリウス様の自室にある訳ないでしょう……」
「……おう。それもそうだな……まあいいか」
レディルは素直に従って、大人しく座り直す。
エリウスは、未だに信じられないかのように表情を暗くして、何かを考えている。
(……私に無断で、どういう事?)
帝国の騎士団長でもあるカルスト・レヴァンシークはともあれ、レディルはエリウスに仕える身だ。おいそれと指示を出せる訳がない。
だとすると、この命令を出したのは。
「レディル……まさかその命令。皇帝陛下が……?」
レディルは一瞬黙り込むも。
人差し指をエリウスに向け。
「……その通りだ。皇帝陛下の勅命だとよ……この任務は」
「――っ!!」
その言葉を聞いて、エリウスは駆け出した。
ドアを蹴破る勢いで、あっと言う間にいなくなる。
「――エ、エリウス様っ!?」
「待てリューネ。行っても無駄だ……俺らは陛下の住まう範囲にゃ入れねぇからな……エリウスに同行してても入れねぇんだ、一人で行ったら捕まるぞ?」
「でもっ……!」
リューネの腕を掴んで、レディルは引き止めていた。
事実、リューネもレディルも、皇帝陛下や皇太子ラインハルトには、数える程しか会ったことが無い。
「分かり……ました」
諦めて、リューネはグラスの片付けを始めた。
「おいおい、俺のグラスまで下げんなよっ」
「エリウス様が居ないので駄目です……」
「……ちっ」
途端に冷たくなるリューネに、舌打ちをするレディル。
自分の主人を待つことしかできない、部下二人だった。
◇
長ったらしく広い廊下を、カツカツと音を鳴らせて歩くエリウスだったが。
向こう側から歩いてくる一人の女性を目にし足を止める。
崇高な佇まいと、白銀に輝く髪が目立つ“天使”スノードロップが、皇帝陛下との謁見の間からやって来たのだ、一人で。
「“天使”スノードロップ……」
“天使”も足を止め、ピタリと止まる両者。
ロングスカートの端をつまんで頭を下げるスノードロップ。
「これは皇女エリウス様……この前ぶりですわね。御機嫌よう……」
「……この間は助かったわ。リューネも……部下も世話になった」
「うふふ……いえいえ。わたくしは“魔道具”を貸しただけですよ。それに、シュルツ様の指示で聖王国に居たのも、何かの縁でしょうし……」
「……そうか。そう思っていただけて助かる」
(また、軍事顧問か……この“天使”もあの幼女も、何かと軍事顧問を会話の逃げ道に使う……憎たらしい事に、【魔女】だけが、自分の意志で会話をしているように感じるわね……)
「はい。では……」
「……ああ」
渾身の作り笑顔を見せて、エリウスは過ぎ去る。
冷静に、されど気を抜かず。
しかし、スノードロップによる擦れ違い様の一言で、それは見事に崩れ去った。
「――懐に気を付けてくださいね?」
「……――なっ!?」
バッ――!!と振り返る。
しかし。
「……い、いない……?」
“天使”の姿は、見る影も無くなっていた。廊下に、一枚の白い羽だけを残して。
◇
考えをまとめながら更に廊下を歩き、重厚な扉の前に立つエリウス。
門番をしている兵士を、一睨みするが。
「――陛下はお会いになりません。エリウス様」
二人の門番は、槍を交差させてエリウスの進路を塞ぐ。
「急ぎの用よ、退きなさい……」
構えられた槍を持ち、退かそうとするが。
門番に込められた力は、エリウス以上だった。
「許可出来かねます。それに今は、来客対応中です……」
「来客ですって……?いったい誰?」
「……」
門番は無言だ。しかし、先程擦れ違ったのは“天使”スノードロップ。
可能性は大いにある。
「――分かったわ」
踵を返して、エリウスは自室に戻るしかなかった。
(……おそらく、謁見中なのは……)
軍事顧問、シュルツ・アトラクシア。
その可能性が高いと、エリウスは悔やむ。
(まさか先手を打たれた……?何を考えているのかしら、あの男は……)
そうして、エリウスは長い廊下を戻り始めた。
心に、シュルツへの疑心と“天使”からの言葉を残して。
◇
ブンッ――と、空中に展開された魔法陣の上に、スノードロップは現れた。
「うふふ……今のヒントでどこまで勘付いてくれるかしらね……皇女エリウス。わたくしは期待してるのですよ。貴女が、我が主進む道程を作ってくれる事を……獣道でも構いません。ですから、くれぐれも気をつけなさい……貴女の懐には、既に何重もの苦難が……ちりばめられているのですから、ね」
頬に手を当てて、うふふと笑う。
「これは契約違反でしょうか……シュルツ様?――ですが、先に言いだしたのは、昔の貴方ですわ。わたくし達は――」
最後の言葉は、風に流れていく。
白銀の髪を押さえて、スノードロップは不敵に笑う。
「――さぁ、長きにわたって育てられた帝国の火種は、今ようやく芽吹きます……わたくし達が望んだ形ではないとはいえ、自ら進んだその選択……見届けさせていただきましょう……――その後は……」
スノードロップは、視線を遥か東に向ける。
その場所は、そう【リフベイン聖王国】だ。
◇
ぶるぶるっ――
突然襲ってくる身震いに、エドガーは本を読む手を止める。
「な、なんだ……?」
嫌な予感と言う奴だろうか。
背筋が凍るような、雪に身体が埋まる感覚。
「……気のせい、かなぁ?」
一人で長く地下に居たせいで身体が冷えたのかと、エドガーは久しぶりにこの部屋から出た。
「うわぁ……だるっ……」
既に朝。眠気と倦怠感に襲われつつも、エドガーは階段を上がり厨房へ。
丸一日以上地下に籠っていた事に、軽く自己嫌悪をする。
「――おはようございます。マスター」
階段を上がり、大浴場横の入り口から出ると、メルティナが待ち構えて?いた。
「メルティナ……うん、おはよう。昨日は?」
メルティナは昨日、朝から王城に行っていた。
その後エミリアと食事をしていたらしい。夕方に帰って来てからは、倒れたコノハの身体をフィルヴィーネと二人で検査をしてくれていたんだそうだ。
「――ありがとう。僕は何も出来ないからさ……」
疲れを見せながらも、エドガー少し不甲斐なさそうに笑う。
コノハが倒れたあの後、サクラの記憶が戻った可能性もあると思って、コノハを運ぼうとしたのだが、フィルヴィーネに「服を脱がせるから其方は来るな」と言われ、仕方が無くこうして地下に籠っていた。
「じゃあ、メルティナも一緒に検査をしてくれたって事は……サクラ、は……?」
「結論を言えば、ノー。です……目を覚ましたのは夜になってからですが、コノハのままでした。ワタシも聞いただけですので何とも言えませんが、一時的にサクラに戻ったとか……?」
「うん。本当に一瞬ね……」
思い出しても、言葉や表情が変わったのが伝わった。
あれは、サクラだった。
エドガーは、地下の部屋から持って来た絵本を開く。
【みにくいアヒルの子】。
サクラの世界の、童話。
何故これにサクラが反応したのか、聞きたい。が。
(それはまた……コノハちゃんに負担を掛けるかも知れないな)
サクラが戻れば、きっとコノハは消えてしまう。
サクヤが覚悟を決めているとはいえ、5歳の少女だ。
ここ数日一緒にいて、正直、情も沸く。
「マスター。その本ですか?コノハが反応して気を失ったのは」
「そうだよ。【みにくいアヒルの子】……だったかな」
絵も薄れて、字も消えかかったボロボロの本。
どの様な内容なのだろう。
子という事は、アヒルは生き物だろう。
この世界には存在しない生物だが、うっすらと残った絵を見ていく。
「……この青いのって……水、かな?」
「……どうでしょうか、空かもしれません」
水や空が描かれた生き物。
魚か鳥だろうと、エドガーは考える。
「……みにくい、醜いか……」
サクラが反応した意味を考えて、初めてサクラが【心通話】を使った時の事を思い出す。
自分は周りに中傷されていたと、だから逃げて来た、この世界に。
「元の世界でのサクラか……そう言えば、僕は異世界から呼んだみんなの事……何も知らないんだよな……」
関係ないと思っていた。
“召喚”した事に対する責任は当然取るつもりだが、それ以前の話しを、異世界人達の元の世界での生活や歴史を、エドガーは知らない。
ローザやサクヤ、サクラの過ごしていた生活も、メルティナが開発されて宇宙で戦っていた事も、フィルヴィーネが“魔王”、延いては“神”として君臨していた時の事も。
エドガーは、ほんの少し、掠る程度しか分からない。
どんな悩みを抱え、笑い、泣いて、生きて来たのか。
エドガーは、ここに来た瞬間からの異世界人達しか知らないのだ。
(それでいいと思ってた……それだけでいいと、思ってたのに……)
「マスター?」
知らなければならない。
エドガーは、そう思い始めていた。
◇
暗い謁見の間で、一人の男が初老の男に膝を着き首を垂れる。
こげ茶色の髪に無精髭を生やし、少し垂れた目を伏せる。
その男に、初老の男は威厳ある声で言う。
「それで、どうすればいいのだ。シュルツ・アトラクシアよ」
腹の奥から出る威圧のある声にも、無精髭の男シュルツは飄々としながら答える。
「……ええ、戦力は整っています。“魔道具”の製作も順調……後は人力です。幸い、この帝国には溢れる程の人がいます。ですが、肝心な物を作る材料が足りません……」
「それは知っている。だからこそ騎士団長と魔道具技師を派遣したのだろう。其方の言う通りにな……」
「――はい、それは大いに助かります……ですが陛下のお考え、皇太子殿下と皇女殿下はどうお考えでしょうか……反対なさるのではありませぬか……?」
「……ふむ」
覇気の無い皇帝の返事に、シュルツは下を向きつつも、笑顔で述べる。
「先程も、どうやら皇女殿下がこちらへ来たようですよ?」
「そのようだな……」
少し先の重厚な扉を見据えて、皇帝陛下である初老の男は言う。
「エリウスは、余の言葉には逆らわん……案ずるがいい。それにラインハルトは昼行灯。其方も、あれの興味の無さは知っておるだろう」
「それは、まぁ」
(あの少年を昼行灯か……よく言えたものだな。あの少年の奥底にあるものは、貴方の何百倍も欲深いですよ、陛下……)
自分の息子の本性を見抜けず、間抜けと揶揄する皇帝に、シュルツは人を見る目の無さを感じる。
そんな事を思われてるなど思いもしないであろう皇帝は続ける。
「――エリウスが無駄に動けぬようにするために、部下二人を派遣し、引き離すのであろう……?」
「……そうです。自分の用事を頼んでいた手前、多少申し訳が立ちませぬが……これで皇女殿下の力は半分以上削がれた事でしょう……いやしかし、それで言う事を聞くお方には見えかねますが?」
「【送還師】としての力の事か……あれは、余の命が無ければ使えぬ。そう仕込んであるからな……其方も見たであろう?あの“魔道具”を」
娘であるエリウスは、【送還師】として国一の“優遇”をされている。
しかしそれは、エリウスを縛る為の鎖でもあったのだ。
ある“魔道具”が無ければ力を行使できない上に、皇帝の命令がなければ使用できないと言う枷を与えられている。
「……それはそうですね。信じておりますよ、しかし我々は【送還師】の力に、滅法弱いのですよ……陛下もご存じでしょうが、スノードロップ、ノイン、ポラリスは異世界から来た人物です……エリウス殿下の“送還”と、非常に相性が悪いのですよ」
「……ふむ」
シュルツ・アトラクシアの部下は、異世界人三人だ。
それはつまり、【送還師】の力で強制送還させられるという事だ。
“天使”スノードロップと、灰の髪の幼女ノイン、そして【魔女】ポラリス。
スノードロップとノインはまだいい。目的が同じ共犯として、随分と役に立ってくれた。
だが、シュルツはポラリスを危険視している。
行動が身勝手すぎるのだ。
特に、スノードロップとは昔から相性が悪い。
どうやら同じ世界から招かれた同郷者らしいが、下手な真似をして皇帝陛下の機嫌を損ねたら、今までの苦労が台無しだ。
「――させねばよいのだろう。ならば――エリウスを派遣するとしようか……」
「ほぅ……?それは一体、何処へです?」
(……今、ポラリスの名に反応したな……まさかあの【魔女】……このジジイにも……)
少し考えて、皇帝陛下は。
「……北の僻地、【ルーノダース】……最近連れて来た侍女も付ければ、文句も言うまい」
「……ヴァンガード卿のご息女となった娘ですか……」
(北の僻地……あの何も無い辺鄙な場所に……自分の娘を捨て置くのか……流石にそこまでせずとも俺の計画に支障はないが……まぁいい、乗っておくとするか。俺も、同じ様な物だしな……)
シュルツは内心で反吐が出そうなほど同族嫌悪に襲われたが、計画の為と飲み込んだ。
「……それで構いません。ヴァンガード卿へは私が説明しましょう。ひと月(90日)もあれば、あの“魔道具”も完成することでしょうしね……」
「うむ、励むがよい……期待しておるぞ、シュルツよ。其方は、余の懐刀なのだからな……」
「――はっ。仰せのままに……」
深く頭を下げる、シュルツ。
その隠した顔は不気味なほどに冷めており、視線で誰かを殺せるのではないかと思わせる程の殺意を、床に向けて放っていたのだった。
◇
シュルツ・アトラクシアは謁見の間を出て自室に戻ると、堪えていた笑いが奥底から湧き出てくる。
「――く……くくっ……あはは……あーっはっはっはっ!!」
びくりと身体を飛ばせたのは、ノインと言う幼女だった。
「も、もー!シュルツさま、ビックリするでしょ!!本性出てるよっ、もー!」
「あっはっはっは……はー、はー。すまないな、ノイン……可笑しくて堪らないんだよ。もうこの国は駄目だろうね、あの皇帝じゃ、長期政権は無理だ。直ぐにでも代替わりをしてもらわないとね」
「――だからって笑いすぎぃー」
ノインは自室だからと油断しているのか、お尻付近から垂れ流れるモフモフした物を逆立てて、抗議する。
更にその頭にあるのは、獣の耳だった。
「ははは、ノインこそ、耳も尻尾も出ているよ。仕舞いなさい」
「――うはっ!しまったぁーー!!」
両手で耳を隠す。しかし尻尾はそのままだ。
仕方なく尻尾を身体で隠そうとするが、動くと尻尾まで動き、それを追ってさらに身体が回る。
「むぅぅぅぅぅっ!」
「このこのっ!」と、自分の尻尾を追いかけるさまは、どう見ても動物の習性だった。




