11話【行方】
◇行方◇
自室に籠って、一人気を集中させる紫紺の髪を束ねた女性。
薄布のネグリジェ一枚で身を隠し、大胆に胡坐をかいてベッドに座り込む。
スゥー、ハァーっと、何度も深呼吸をしながら、一人の少女の魂を探る。
「……如何ですか?フィルヴィーネ様……」
同じベッドには、フィルヴィーネの部下である“悪魔”リザ・アスモデウスが、神妙な面持ちで主を見守っていた。
「……」
フィルヴィーネは目を開ける。
フゥゥゥーっと大きく息を吐くと、ベッドから足だけを下ろして、首を横に振るった。
「そうですか……」
それだけで、失敗だという事は当然リザにも分かる。
リザもベッドからジャンプして、自分専用に作ってもらった小さなドアから出ていく。
とてとてっと、可愛らしい人形の様に歩くリザを見送り、フィルヴィーネは汗を掻いたネグリジェを脱ぎ捨てる。
「リザはエドガーの所に行ったか……」
何も言わずに出て行ったのは少々腹立たしいが、これもリザの配慮だと胸に押し込んで、フィルヴィーネは背伸びをする。
グググっと身体を伸ばすと、ブルンと大きな胸が弾む。
「サクラの魂は……聖王国には無いやもしれぬな……どこに行ったのだ、あの小娘は」
ここ数日、毎日のようにサクラの魂を探っていた。
《石》にも所持品にも、残留思念は感じられなかった。
「これが、ただ死んでいるだけであれば、“神”の力でどうにでも……――」
自分が、“神”として干渉しようとしてしまった事に気付き、首を振る。
「いや……それはいかんな、まったく。どうすれば……自分の記憶だけを無くせるのだ……」
フィルヴィーネは、サクラを見込んでいた。
賢さもあり、臨機応変に対応出来る気概もある。
ただ、少し精神的に不安定だった、という事だ。
「それが、ここまでの事象に変わるとはな……」
一人の少女が居なくなっただけで、周辺の環境はガラリと変わった。
異世界人達の主人であるエドガーは、毎日を忙しそうに奔走して、調べ物や“魔道具”の実験の試行錯誤をしている。
ローザとメルティナは、王城に行き。
特にローザは、住み込みで王女の指南役をしている。
その合間に、王城にしかない重要書物などから情報を探っているのだが、まさか一切の情報を得られずにいるとは。
メルティナは連絡係だ。
サクラがいなくなったことで、【心通話】と言う能力が使えなくなった。
遠方との連絡を買って出たメルティナは、エドガーとローザ、延いてはエミリアやローマリア王女との情報共有の生命線になっていた。
そしてサクヤは、記憶を失くしたサクラの世話をしている。
サクラの残った記憶が自身の妹、コノハの記憶である事もあるだろうが、自ら過酷な事を強いているようにも見える。
「――いいのかエドガー。バラバラだぞ……このままでは」
距離は近く、意志も統一できている。
しかし、異世界人と《契約者》は一つだ。
離れれば離れる程に、身体能力や《石》の能力が衰える事は既に分かっている。
特にローザとフィルヴィーネは、まともに戦えない所まで来ている。
「この世界の現地民とならば、そう苦戦はしないだろうが……」
フィルヴィーネは顎に手を当てて、最悪の事態も考える。
この状況で、ローザが孤立して誰かと戦うことになれば、苦戦も考えられるという事だ。
「……ガブリエルがいる時点で……他にもいる可能性を考慮せねばならんからな……」
ガブリエル。【四大天使】の一人で、本名をスノードロップ・ガブリエルと言う。
サクラの怪我を治した【月の雫】を譲ってきた“天使”。
彼女が、千年以上も生きていてここに居るのならば、それは関係ない。
だが、フィルヴィーネ達と同じ、過去の世界から“召喚”された存在だったならば、話しは別だ。
「不老不死である“神”の存在を感じないのも……《魔界》に転移できないのも……それならば納得がいく」
その納得とは。
――世界は、一度滅んでいるという仮説。その際に、“神”も“魔王”も消滅した。そう考える事が、一番つじつまが合う。
「――しかしだな……“神”が生まれ変わっている形跡すらないからな、この世界には……ただ一つのヒントがあるとすれば……ベリアルだが」
ヒント。それは、【東京タワー】で感じた、同族の反応だ。
実際目にしたわけではないが、間違うはずはない。
フィルヴィーネは「うーむ」と、今度は腕組をして考え込む。最近はこの繰り返しだった。
ベッドに座り直して、目を瞑って唸る。
元“神”の“魔王”でも、考え事は尽きないのであった。
◇
エドガーは、地下の部屋(エドガーの父エドワードの部屋)で、古書を読み漁っていたのだが、しかし。
「……駄目だ、これも読めない……」
乱雑に置かれた古書の山は、既に十冊を超えている。
分厚い本の一文字すらも見逃さない様に、目を凝らして集中する。
だが、古代文字で書かれた文字は、聖王国で一般的に使われる文字、【カルン文字】ではなく、【召喚師】が使う【ルーンス文字】でもないものが多かった。
「父さんは、どこでこんな物を手に入れてたんだろう……」
謎が深まる父の行動力。
「これも駄目か……せめて“召喚”に使う【ルーンス文字】だったら……」
エドガーの目の隈は、酷いものだった。
最近の睡眠時間は、大体一日三時(3時間)だ。
それも、誰かに休めと言われなければ、寝ようとはしなかった。
「いや……そんなことを言ってたら駄目だっ……!少しでも多く何か見つけて、サクラを……元に」
そう一人言って、エドガーは古書に目を通す。
本日は、この部屋から出てくることは無かった。
◇
そろりそろりと、メイリン・サザーシャークは階段を上がって行く。
実は、今し方までエドガーの様子を見ていたのだ。
「――どうであった?メイリン殿」
「全っ然休んだ気配はなかったわ。ほらこれ、昨日の」
メイリンが持ってきたのは、ドア入り口に置いておいたエドガーの夕食だ、ただし前日の。
「夜業仕事をしていたのだな、主様は……」
「多分ね。まったく、昔からそうなのよ……夢中になると、周りが見えなくなって」
弟を心配する姉のように小言を言い、メイリンは前日の食事を片付ける。
サクヤと並んで歩き、厨房まで来ると。
「……」
勿体無いと思いながらも、冷たくなった食事を捨てる。
夏前で、食材が傷みやすくなっている為だ。
そして、食材保管用の壺から何かを取り出す。
「それは……?」
それは、小さい袋だった。
「ああ、これね。サクラが鞄から取り出した、サクラの世界の食べ物よ」
「こ、米ではないか……そうか、そう言えばいつかそんなことを言っていたな……」
サクラが自分の世界の食べ物を食べたいと言って、鞄から材料を取り出した事があった。
サクヤは食べていないが。
「そうそう、それ……」
フィルヴィーネが“召喚”される直前だったはずだ。
その時の残りが、まだ残っていたのだ。
「握り飯にでもして、主様に持っていくのはどうだろうか……」
厨房の棚には、その時に使用したと思われる器具も多々あった。
キャンプ用の飯盒に、しゃもじ、小さめの茶碗。
これはサクラの物だったのだろうか、桜の花が描かれた可愛らしいものだった。
「そう言えば……」
「ん……?」
メイリンが、米の入った袋を見て不思議そうに言う。
「この袋の文字……エドガー君が読んでた本の文字に似ているなぁって……」
「――え?」
「……へ?」
何か変な事を言ったかと、メイリンはキョトンとする。
しかしサクヤは、その言葉に意味を瞬時に理解して、米の入った袋を見る。
「この文字は……《ヒノモト》の……?」
形状は少し違うが、サクヤにも多少は読める。
日本で一般的に使われる、平仮名、片仮名、漢字だ。
「主様の読んでいた本の文字が……これと同じだと言ったのか、メイリン殿っ」
「――え、ええ。似ているなぁって……」
それは、古代文字とされたこの世界の不思議の一つ。
どこから来たものか、どこで見つかったものか、いずれも不明だ。
ただ一つ分かるのは、それが【召喚師】の家系に代々残されているという事。
なにも、父エドワードが集めて来たものばかりではなく、先祖代々の物も含まれていたという事だ。
「よくぞ言ってくれた!メイリン殿、感謝するぞぉぉぉぉ~~……」
ローザやフィルヴィーネも読めていなかった文字。
二人に読めなければ自分が読める訳ないと、確認すらしなかった。
それは、大きな失敗だった。
メイリンとサクラのお陰で、エドガーはまた上に行けるかもしれない。
そう確信して、サクヤは米の袋を持って駆け出した。




