190話【二度目の荒野】
◇二度目の荒野◇
装甲車【ランデルング】の座席に座り、エドガーは目線だけで周りを見渡す。
隣には、ぐったりして俯く赤髪の女性。
他の座席では、上を見上げて天を仰ぐ黒髪の少女。
更には外を眺めながら、一切喋る事無く、哀愁すら漂う黒髪の少女。
何故かエドガーの胸ポケットの中に入り込んで、熟睡する小さな“悪魔”。
(……ひ、酷すぎる……)
今回、【ルノアース荒野】に向かう際、運転しているのはメルティナだ。
助手席にはフィルヴィーネが座り。残されたエドガーは、こうしてルームで車内待機しているのだが、空気感が最悪だった。
(ローザは分かる。きっとまたこの車に酔ってるんだ……でもこの二人は……?――昨日の事があったにせよ、メルティナはお風呂では普通だったって言ってたし……)
そのメルティナは昨夜、エドガーに頼まれてサクラとサクヤの雰囲気がどうか探っていたのだが。
その結果は『概ね良好です』だった。
聞く相手が間違いだっただろうかと、エドガーは少し後悔した。
因みにメルティナは湯船には入らず、身体を洗い流すだけだ。
肌のメンテナンスは要らないと、何故か頑なに湯船には入ろうとしないらしい。
(……どうしよう)
誰も視線を合わせようとしない車内で、ガックリと肩を落とす。
調査を前にして、精神的にも最大の難関がエドガーを阻んでいた。
◇
前回と同様に、一度【ルド川】で給水し、数日分の飲料水とシャワーの水を確保し、その後は恙無く進んで、【ルノアース荒野】の入り口付近で装甲車は停車する。
「着いたみたいだね……」
「そうね。降りましょう……うぅ」
ゆっくりと座席から立ち上がり、口元を押さえて出口に向かうローザ。
後ろ姿を確認しながら、エドガーは残りの二人にも声を掛ける。
「サクヤ、サクラ……着いたよ?」
「……はい、主様」
「……あ、ごめんエド君……ありがと」
二人は立ち上がり、少し間を置いて降りて行った。
(……元気ないなぁ。やっぱり昨日の件、だよなぁ)
まったく良好には見えないメルティナからの報告に、改めて疑問を抱き、エドガーも後に続いた。
早く新鮮な空気を吸いたいと、勇み足にも近しい速度で【ランデルング】の出口階段を降りるローザ。
そして、地に足を付けた一歩目の瞬間。
「……――!!」
何か張り詰めたものが、プツッと切れたような感覚を覚えて、辺りを見渡す。
車酔いも軽く吹き飛ぶ魔力の流れに、眉間に皺を寄せて、睨むように遠くを見る。
「ローザさん?」
「どうかしたのか?ローザ殿」
後ろからついてくるように、何処か気を張る所を間違えているような黒髪の少女二人に声を掛けられて、ローザも振り向く。
「……二人共。何か感じなかった?」
「「……?」」
二人は首を捻る。
サクラもサクヤも、何かを感じ取った素振りは皆無だった。
ローザの言葉を不思議がっているくらいだ。
ローザは、(やってしまったかな?)と、油断していたわけではないが、結果的にはそうなったことを少しだけ悔やんだ。
(【魔力感知】の罠……私が踏んだ瞬間に途切れた?……もしかしたら、気付かれた可能性があるわね……迂闊だったわ。魔力が極端なこの世界で、まさかこんな単純な罠にかかるなんて……)
ローザは自覚する。自分にしては不用意な一歩だったと。
車酔いして散漫になっていた注意力を、アルコールを呷るように引き戻した。
(……だけど、これで“敵”がいる事は確定的ね。後ろの二人の空気も気になるけれど……今は)
罠があった以上、敵がいる事は確実だ。
【魔力感知】の罠が仕掛けられていたということは、相手も魔力を用いているということになる。
後ろにいる二人の少女も気にかかるが、自分が気を引き締めなければそれどころも無くなると考えて、ローザは気合を入れる。そしてローザは、次の展開に移行した。
「エドガー」
【ランデルング】から降り立ったエドガーに、ローザは声を掛ける。
何だか驚いている。
きっと車酔いしていた時とは打って変わって、別人のように凛々しくなっていたからだろう。
「……ど、どうしたの?」
サクヤとサクラは、ローザと擦れ違いながら前回と同じキャンプ場所に向かっている。
初めからそういう指示だからだ。
「――敵がいるわ」
「!?」
バババっ!と辺りを見渡すエドガー。
ローザは「落ち着きなさい」と肩を掴んで。
「近くではないわ。罠を踏んでしまったの……正直言って失敗よ、ごめんなさい。けれど、落ち込んでもいられないわ、先手を取られる恐れがあるわ……」
「う、うん」
自分のミスを詫び、それでも対処しなければならないと罠の説明をし、エドガーと二人で黒髪の少女二人の後に続く。
「――ふむ、糸を踏んだか。ロザリームにしては油断していたな」
エドガーの後ろから来たフィルヴィーネは外に出て直ぐに気付き、ローザのミスを指摘する。
グッ――と手に力を入れて、ローザは我慢した。
「……仕方がないでしょう。私だって常に気を張っている訳ではないわ……」
車酔いしていたとは言わない。
「クックック……確かにそれもそうだな。それに……見事な隠蔽だ、ロザリームでなくても踏むだろうな、これは」
「イエス。踏破型のトラップですね……機動の痕跡があります。それにしても見事に踏み抜きましたね……」
「……だから、これだけ上手く隠されたら……誰でも――」
更には後ろから来たメルティナも、罠発動の痕跡を発見して口にする。
ローザは二人目に言われるのを耐えられなかったらしく、反論するが。
いざこざにならない様にエドガーが割って入る。
「――あ~ほら、先に進もうよ。あの二人は行っちゃったよ?」
「うむ。そうするか……おいリザ、いつまでそこで寝ておる!起きろっ」
「イエス。そうしましょう」
フィルヴィーネとメルティナも、別段責めるわけではなく進んでいく。
フィルヴィーネはエドガーの胸ポケットから、リザの首根っこを抓んで連れて行った。
「……くっ……」
口元を下に曲げ、ローザはほんの少しだけ悔しそうに声を漏らしたのだった。
◇
川が流れていたであろう跡地で、鍬を持って掘削する白いローブの集団。
既に、その傍らには幾つもの白骨が山のように積み上げられていた。
すると突然、その内の一人が。
「――!!……ちっ!クソったれ!」
乱暴にローブのフードを剝ぎ取り、レディル・グレバーンは空を仰いで舌打ちをする。
「レ、レディルさん?」
隣にいたイエローグリーンの髪を風に吹かれる少女、リューネ・J・ヴァンガードは、不思議そうにその不愛想な男を覗く。
「どうしたんですか?そんな怖い顔で……」
「怖いのはいつもですけど」と言いながらも、リューネも気にする。
レディルが見るのは、リューネ達帝国組が来た方角だった。
「……罠が破られた――クソがっ、一発だぞ畜生……」
レディルが仕掛けた、侵入者を知らせる感知の“魔道具”。
ローブの中から、その“魔道具”の本体を取り出す。
が、眼の如く球体然としたその“魔道具”は、罅割れて効力を失くしていた。
本来は魔力の大きさによって、数十人分は感知できるはずだったのだが。
「――どういう事?レディル。何かあったのね……?」
リーダーであるエリウス・シャルミリア・レダニエス皇女が、休憩をしていたのか馬車から降りてくる。
「……感知の“魔道具”【死の神の眼】が破られた……」
「――荒野の入り口に仕掛けたものね……もしかして、大量の《魔導士》でも来たのかしら?」
「ちげぇ。ちげぇよエリウス……」
「……どういうことだレディル」
御車姿のカルスト・レヴァンシークも、馬に水をやりながら声を掛ける。
「……そのままだよクソったれ。一人の人間しか感知していねぇ……」
「「「――!!」」」
レディルの言葉に、驚きを隠せない帝国組の面々。
「オ、【死の神の眼】は……我が帝国の高品質“魔道具”、それが一度の発動で壊れたと言うの?」
「――ああ!そうだよっっ!!」
「!」
意外なほどの大きな声に、リューネは身を怯ませた。
皇女は微動だにしないが、代わりにカルストが言う。
「おいレディル……不敬だぞ」
「……ちっ……――わりぃエリウス……俺も混乱してんだよ。分かるだろ……」
「ええ、気にしていないわ」
(……レディルの家系は、帝国に古くから貢献してきた【魔道具設計の家系】……そのレディルがそこまで焦るのだもの……信憑性の方が高いわ)
エリウスは頬に手を当てて、考える。
「……聖王国に、それ程の【魔導師】は……?」
「――い、いるわけないですよっ!……だってこの国の人間は、私を含めて“魔道具”ですら知らなかったんですよ!?《魔法》なんて誰も使えませんし」
元・聖王国民。リューネが言う。
リューネは王都民ではなく、南にある小さな農村出身だ。
数年前に野盗に襲われ村は壊滅し、弟と二人で王都に越してきたのだった。
その小さな村の最後の生き残りであることは、二人しか知らない事だが。
今その村の跡地は南の国、【ルウタール王国】との予防線として【聖騎士】の駐屯地になっている。
それだけで、聖王国民以外の人間なら推測できるだろう。
どうして村が滅びたのかを。
「……リューネ」
「は、はいっ!」
「貴女はどう?心当たりないかしら……強力な魔法使いに」
エリウスは、一人だけ心当たりがある。
自分達のターゲットである【召喚師】エドガー・レオマリス。
その傍らにいた、赤髪の女性。
もしも、彼女が他国から来た【魔導師】であったなら、【魔導帝国レダニエス】は黙っていられない。
聖王国民は、【レダニエス帝国】が【魔導帝国レダニエス】と名乗りだしたことすら知らないようだった。実際リューネも知らなかった。
「……魔法使い、ですか……う~ん……――あ!」
リューネの頭に浮かぶ、人外染みた女性の姿。
炎を巻き起こし、親友と並び立っていた、赤髪の女性。
「……あるのね」
「は、はい。確か、ロザリーム……ローザと呼ばれていました」
エリウスの脳内と的中。
それだけで、エリウスは行動に移す。
「レディル、カルスト、リューネ……【召喚師】が来るわ。準備をしなさい!」
その言葉に、威厳と多少の圧を乗せて。
エリウスは皇女として命じる。
「「――はっ」」
「は、はいっ!」
いつもは口の悪いレディルも、御車姿のカルストも、そのエリウスの命令に敬意を示して敬礼し、作業に取り掛かる。
リューネも一間遅れて敬礼し、続く。
「……赤髪の魔法使い……ローザ、か……グレムリンの時以来ね……」
直ぐ近くにいるであろう敵の姿を想像して、エリウスは不敵に笑う。
それは帝国の為、自らの使命に従う、義務感に溢れた笑みだった。




