プロローグ【瞳に映る赤】
◇瞳に映る赤◇
少年の眼前は、今もまだ轟々と燃えている。
視界は全て赤く染まり。広かった筈の地下室は部屋全体を覆い尽くす紅蓮の炎が流れている。
何度も爆ぜる魂亡き炎の圧力に、少年はただ地面にひれ伏すしか術は無かった。
先程の爆発で吹き飛ばされた際の衝撃に、肺は潰され少年の喉はヒューヒューとか細い音を洩らしている。
体中のヒリヒリとする火傷の感覚と、鼻に付く焼け焦げた匂い。
しかしこんなにも火が回り、焼けている筈にも関わらず、室内には一切の煙も上がっていない。
少年が倒れている少し先には地面に描かれた円形状の魔方陣があり、それは赤や青、緑に黄色にと発光し、目まぐるしく変化しては輝いている。
先程まで魔法陣の上に存在していたはずの炎の化物は、影も形も無く。
爆散した化物が残した踊り続ける炎達が、空気中の酸素を喰らい、少年の体から流れるべき水分をも奪っている。
身体が限界を迎えようとするも、少年は必死の思いで何が起きたのかを思考する。
倒れて焼け爛れながらも、必死に頭を働かせ、状況を確認しようと辺りを見渡す。
それは当然だ。危機はまだ去っていない。
この化物を屠った、何者かがいるはずだからだ。
少年は、先程まで化物の目の前に立っていたはずだ。少年自身が呼び出した異界の化物。
この化物は、意図して現れた訳ではなく。
大切な親友の為に、この化物の力を得てピンチの親友を助けに行く。
しかしそれは浅はかな考えだった。
本来呼ばれるはずだったのは、“精霊”であり、化物ではない。
アクシデントとも言える呼び出しを受けた化物はとても不機嫌で、まともに会話が成立するとは思えなかった。
事実、化物は怒り。少年を灰燼に帰すとまで言っていた。
けれども、爆散し灰燼となったのは化物そのものであり、どうしてそうなったのかは、少年にも解らない。
なぜならば、自分自身も吹き飛ばされて、一瞬ではあれ気を失っていたからだ。
そして少年は、目を覚まし辺りを伺っている。倒れた身体に鞭を打ち、少しでも何かを、と。
そうして、魔法陣から少し離れた場所。先ほどの爆発で出来た、猛り狂う炎塊の中心に、人の後ろ姿を見つけたのだ。
その姿は女性だった。
後ろからでも分かる均衡のとれた美しい肢体の女性。
彼女が化物を倒したのだろうか。
本来、自分一人しか入れないはずのこの地下室に、どうやって?
考える事は多々あったはずだが。
この時の少年には、ただその人が、とても美しい女性である事、それしか分からなかった。
だが一つ、何故かその女性を見た瞬間、自分の命が助かった事だけは分かった。
この灼熱地獄の中で人の形を保ち、火傷の一つもしていなさそうな白く美しい肌。
腰近くまである赤く長い髪。
その人物は、部屋中に舞う炎と同じ赤い髪をかき上げると、赤色の奔流を巻き起こし、辺り一面を覆う炎達を一掃する。
ニコリと満足そうな笑みを浮かべると、その人物は自分が裸だと認識し、恥ずかしそうにその美しい裸体を隠す。
右手の甲がキラリと光り、一瞬で小さな炎を生み出すと、その炎を真っ赤なドレスへと変貌させて、その身に纏った。
手の甲に見えた物、少年はそれに見覚えがあった。
本来“精霊”を呼び出す際に、触媒としたはずの《石》。赤く輝く宝石だ。
何でこの女性が?と不思議に思う少年の弱々しい視線に気が付いたらしく、その女性は倒れた少年に近付き膝を着くと、開口一番にこう告げる。
『ねぇ、私を呼んだのは、貴方でしょう?』
と、確信を持って放たれたその言葉を聞き。
少年は驚き、一度だけ顔を上げ目を見開くも、その女性の優しげな微笑みと、耳に残る綺麗な声、命が繋がったという安堵に、力尽きて再び地面に伏せる。
すさまじい疲労感と眠気に襲われ、少年の意識はどんどん遠のいていく。
このような惨状の中で、少年は彼女の声に何故か不思議な安心感を持ち、張り詰めていた緊張を解いてしまっていた。
その結果として、まるで永遠の眠りにつくかのように、スーっと意識が無くなっていく。
炎に埋め尽くされたこの地下室で、少年は紅き麗しい女性と出逢った。
それがこの少年、【召喚師】エドガー・レオマリスの物語の始まりである。
そんな二人の出会いまで、話は数日遡る。




