179話【望んでいたもの】
◇望んでいたもの◇
騒がしい音が宿の入口で止まると。
外の人だかりは噓のように散っていく。
人が離れる気配からそう察し、フィルヴィーネはベッドに腰を下ろしたまま、先程のリザの言葉を脳内に入れ。待つ。
すると、直ぐに足音はこの部屋の前で止まり。
コンコン――。ノックされる扉に向かって、フィルヴィーネは返事をする。
「……入れ」
テーブルの上では、リザが直立で扉を見つめている。
リザも分かっているのだ、扉の向こうにいるのがエドガーだと。
「――失礼します……あ、良かった。起きてた」
急ぎの用があるのを隠しもせず、エドガー・レオマリスは頬に一筋の汗を流してやって来た。
ベットに座ったままのフィルヴィーネも、その様子に合点がいく。
(この様子……外の騒がしさが原因か……先程音も治まった……音の反響と規模、振動からして真下……来客か。まったく、魔力がないこの国の人間を感知する事が出来ない以上、急ぎ感知系の解析を進めたいところだが……)
馬車の車輪と地を踏み鳴らす馬蹄の音、微かに伝わる微細振動で、フィルヴィーネはこの場に来客が来たことを推測する。
遠くの騒がしさは分からなかったが、近くまで来た車輪の音とエドガーの緊張感から、それだけの人物が来たことが分かる。
「どうしたエドガー……我に何か用か?」
半分惚けて、フィルヴィーネは笑いながらエドガーを見据える。
その黄色い瞳は光を映しているが、反射して映り込むエドガーにはとても心地の悪いものだった。
「え、えっと……この間、この国の王女殿下がいらしていた事、覚えてますよね」
(た……試されてる……?多分フィルヴィーネさん、大体の事は察してる)
「うむ。記憶にある……ローマリア、だったか。それが来ているのだな?」
「はい」
「で――だ、我を呼ぶ理由はなんだ?大方、先のロザリームへの依頼ではないのか?……それを抜きにしたとしても、我を呼ぶ理由は読めぬが……」
フィルヴィーネは、関係性の浅い自分は呼ばなくてもいいのでは?と言いたいのだろう。
あったとしても、オマケ程度だろうとも思っている。その上で、エドガーに問う。
「それでも我が同席する。しなければならぬ理由を口に出来るのか?」
しかしフィルヴィーネの予想に反して、エドガーは戸惑う事を見せずに、不思議そうに首を傾げて言う。
まるでもう、答えは出ていると言わんばかりに。
「――理由、というか……当然のことだと思ってます」
「ほぅ。その根拠は……?」
「根拠……ですか?」
「そうだ。根拠だ……我を納得させてみよ。でなければ従う道理はないな」
冷たく言い放つフィルヴィーネ。
それは理屈ではなく、この少年を真に主と認めるために。
「そんなことなら簡単ですよ――仲間ですから」
「……」
エドガーの言葉に、フィルヴィーネは目を見開く。
リザですら口を開けて驚いている。
(仲間……?今、仲間と言ったのか?我を?この“魔王”を?)
まさかエドガーが、笑顔でそんなことを言うとは露とも思わず。
フィルヴィーネは少しだけ混乱気味に右手で制し、左手でこめかみを押さえながら言う。
「――エドガーよ……お主の中で、我は仲間なのか……?契約しただけの、都合の良い駒ではなく?」
フィルヴィーネの言葉を一瞬分からなそうにするも、直ぐに言葉の意味を理解して、戸惑い、追加できょどる。
「こま?――こ、駒!?とんでもないですよっ!どちらかと言えば僕が駒みたいなもので、フィルヴィーネさんはローザやメルティナよりも強くって……その――き、綺麗だし」
一心にフィルヴィーネを見据え、エドガーは視線を逸らすことなく、真摯に答える。
その答えはとても幼稚で浅く、青二才の人間が考えるようなものだ。と、長年生きて来たフィルヴィーネは捉えた。
――だが。
(……暖かい。心が、温盛に満たされる……“神”には無い感情。“魔王”でいる時にも持ったことはないものだ……仲間、か)
満たされる心の隙間。
覚えの無き感情。
――仲間。
それは、孤独であったフィルヴィーネには無いものであり。
必要なかったものだ。
数えきれない程の愛しき部下はいても、心から信頼する仲間などいなかった。フィルヴィーネに取って、それは感知しない言葉だった。
それを、こんな少年に言われるとは。
気恥ずかしさなど一切表に出さず、フィルヴィーネを見ながら答え続ける。
それ以降の言葉など、フィルヴィーネの頭には入っていないのに。
フィルヴィーネは、その様子を笑みを浮かべながら見聞きする。
しかし、エドガーの後ろから来る気配に、疑問符を浮かべて覗く。
エドガーは気付いていない。未だに答え続けていて、いろいろ言葉を並べつくしてフィルヴィーネに答えていた。
(む?……ロザリームか?)
部屋にやって来たのは、向かいの部屋に住む住人。
ロザリーム・シャル・ブラストリア。同じ世界から来た先輩だ。
その先輩は、口元に人差し指を這わせて「し~」と合図する。
(……やれやれ、ようやく部屋から出て来たかと思えば……意地の悪い奴だ)
そう思いながらも、フィルヴィーネはエドガーの後ろに立つローザの言う事に従った。
そしてエドガーは、ローザに気付かぬまま言葉を続ける。
「後は……えっと……優しい?し……格好いいし……」
そこは疑問形にしないでと、リザの視線を受けるも、エドガーは必死過ぎて気付かない。当然、後ろにいるローザにも気付かない。
尽くす言葉が少なくなって来て、口籠るエドガーに、とうとうローザが。
「――胸も大きいし?」
手助けするようでそうではない、余計な一言だった。
そしてそんな罠に、エドガーはあっさりと引っ掛かり。
「そう!胸も大きい……――って!ええっ!?」
突然背後からかけられた声に、エドガーは振り返る。
部屋の入口に身体を預け、うんざりした顔でこのやり取りを見ていたらしい赤髪の女性。ローザが居た。
「ふふふ……やっぱり胸が好きなのね、キミは」
呆れるフリをして、ローザは笑う。
そんなローザにフィルヴィーネは。
「うむ。ロザリームか、其方がこちらの部屋に来るとは……しかし随分と引き籠っていたな。もう良いのか?」
「ええ」
「――ロ、ロローザ!?ち……が、ぅ……」
何だか久しぶりに顔を見た気がするローザに、エドガーは驚いている。
否定したくても、噓を吐けないエドガーはどんどん小声になっていた。
「だれがロロローザよ……全く。やっと体調も戻ったのよ。それにしても……はぁ。キミは、いつもそんなことを恥ずかしげもなく言うわね……」
ラフな格好のままだが、ローザは聞いていたらしい。
そう言えばドアを閉めていなかった。
「……ええっ!?――い、いや、でもローザはどうして?」
出会い頭にいきなりそんなことを言われて、戸惑いを隠せないエドガー。
こんなことをしている場合ではないのだが。
「……どうして、ね……それは――こ・れ・よ!」
エドガーの言葉に、ローザは部屋の外にいるもう一人の首根っこを掴んで引きずり出した。
「――ぬぁあっ!な、な、何を……」
普段から着ている和服の襟首を掴まれて、現れたのはサクヤだ。
気まずそうにエドガーから視線を逸らす。
「……サ、サクヤ?」
「そ。この子がね、私の部屋に入り込んで来たのよ、気配を消してね――おかげで灰にするところだったわ」
「……す、寸前であったぞ」
よく見れば、サクヤのポニーテールの毛先が縮れていた。
それだけで「ああ、焼かれそうになったんだな」と理解できた。
「それで話を聞いてみれば、ローマリアが来たらしいじゃない。引き籠ってもいられないわ……私は、私のやるべきことをしないとね」
「……わたしもそう思って部屋に入ったのですが――まさか声をかける前に火かけに会うとは……」
「密室にどうやって入って来たのか。私はそっちの方が気になっているけれどね……」
首根っこを掴まれるサクヤは、ローザの視線を華麗?に回避し、野生動物の如く一回転して脱する。
どうやら初めから抜ける事だけは出来たらしい。
そしてシュン――と、ローザの手は空を切り、そのままサクヤは消えた。
「――ぇっ……!」
空を切る自らの手を見て、ローザは驚く。
そしてサクヤは【心通話】で。
<わたしは先に行くので、皆を待っています。サクラも待っていますよ、主様っ!>
エドガー、ローザ、フィルヴィーネの三人に言葉を残して。
霞のように、【忍者】サクヤは消えていった。
「……ん、んんっ!……私たちもいくわよ、エドガー」
空を切った右手を誤魔化すように口元に持っていき、咳ばらいをして、エドガーに問い掛け部屋を去っていく。
「え……う、うん」
答えるも、エドガーの視線はフィルヴィーネに。
まだ、答えをフィルヴィーネから返してもらっていない。
「……仕方が無い。いいかエドガー、足音の数から考えても、我は行くべきではない――だが、まぁ。話は聞こう」
現状を考えて、初めから話し合いの場に行く気はなかった。
だが【心通話】で聞いてやるくらいはいい。そう言いたいのだ、この“魔王”様は。
「ふふふっ!――フィルヴィーネ様は、心の会話で聞いてやるといって――ぴゃっ!?」
「――言うな……この大馬鹿者がっ……」
握られるリザ。
「――ぴぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
完全に巨人に潰されそうになる小人だった。
「フィルヴィーネさん……ありがとうございます。【心通話】送りますから!」
笑顔でそう言い残して、エドガーはローザを追った。
直ぐに合流して、笑顔になっている筈だ。
「まったく……人間と言うものは本当に読めぬな……――仲間か……そう言ったな、あの男は」
「は……はい、フィルヴィーネ様……その、そろそろ離していただけますか……ぐ、ぐるじいのでずが」
「……仲間……仲間、か……」
何度も仲間という言葉を繰り返して、《残虐の魔王》フィルヴィーネ・サタナキアは、人間の心の暖かさを知ったのだった。




