177話【下界は騒がしい】
◇下界は騒がしい◇
【火の月65日】早朝。
異世界の“魔王”様が、この世界の朝日に慣れ始めて来た頃。
「――ん?何だ……騒がしいな」
起きたてにカーテンを開けると、南側の大通りに人だかりを見つける。
フィルヴィーネの部屋は西の角部屋だが、窓を開け、身を乗り出して確認する。
「あわわっ、ニイフ様ぁ!?」
窓から身を乗り出したことで上半身を大きく外に出し、不安定な格好になった。
そしてフィルヴィーネの胸の谷間を定位置にしそうな“悪魔”の部下、リザが落ちそうになる。
「おっと!すまんすまん……」
「――はぐぃっ」
咄嗟に手を出してリザを押し込める。
苦しそうに呻くが、これはある意味ご褒美だった。
フィルヴィーネは胸元を押さえたまま、人だかりを確認しようとするが。
「ダメだな。あれから力の解除が思うように進まぬ……特に観察系の力が全然ダメだ……」
【ルノアース荒野】でローザとメルティナに稽古をつけてやったあの日から、フィルヴィーネは常に能力によって縛られている潜在能力の解放を試みていた。
が、しかし、一向に進まなくなっていた。
「現状17%……でしたよね、フィルヴィーネ様」
「その通りだが……お前に言われると腹が立つな」
「何故ですかっ!?」
フィルヴィーネは目を細めてリザを見下げ、理不尽な事を言い出す。
リザは当然声を荒げるが、フィルヴィーネはガン無視だ。
「何故だろうな……不思議なものだ」
誤魔化すように、フィルヴィーネは身体を戻して自分のベットに腰掛ける。
ギシィ――と、古い木材が音を上げて、小言を言うリザの声をかき消す。
「それにしても、人間の身体は心地の良いものだ……」
「――聞いていますかフィルヴィーネ様!」
フィルヴィーネは己の身体を撫でるように、右手の指で左腕をなぞっていく。
“召喚”され、早いもので十日。
話し合いを忘れている気もするが、楽しくやっている。
「しかし――あのメイリンと言う小娘だけだな……厄介なものは」
考えるように、這わせていた指を顎まで持って来て、先日紹介された人間の小娘を思い出す。今も下の階にいるのだろうか。
頭の先から爪先までをブルルと震わせて、フィルヴィーネは悪寒に包まれる。
「ぉぉう……我が身震いするとはな……恐ろしいものだ。メイリン・サザーシャーク」
数日前から、正確にはフィルヴィーネが“召喚”される前から、メイリンは不機嫌だった。
それが、エドガーがフィルヴィーネとリザを紹介した瞬間に、オーラの様に顕現した。
その場にいた全員が凍り付くなど、メイリンの怒りは想像もできないくらいに大きかったらしい。
エドガーいわく「早くアルベールと仲直りしてもらわないと」と言っていたため、恋仲?の男がいるのだろう。
「……フィルヴィーネ様。下が騒がしいです……何かあったのではありませんか?」
胸の谷間からようやく全身を出して来たリザがテーブルにジャンプし、綺麗に着地して言う。
リザは随分と動けるようになった。
ほんの少しだが、自分の魔力を操作する事も出来るようになったらしい。
リザの胸元には、小指の爪ほどの《石》が見える。
その《石》を愛しそうに見つめて「うふふ」とにやける。
【橙発火石】。
あれだけ探していた自分に合う《石》であったが、リザは見つけられなかった。
しかし帰宅後翌日、唐突にエドガーから贈られたのだ。
恐怖を抱かせたままではいけないと、エドガーはわざわざ加工までして用意してくれたのだ。詫びのつもりでもあったが。
それを疑いもせずに、リザは簡単に受け取った。
「――お前……本当に調子がいいな」
「ありがとうございます!絶好調なのですよっ」
「いや褒めてはいないぞ……」
絶好調の“調子”ではなく、調子乗りの“調子”だ。
数日前のあの手のひら返しを思い浮かべて、フィルヴィーネはうんざりとため息を吐いた。
「……それにしても、未だ外は騒いでいるな……全く耳障りな」
部下に呆れながらもベットに横になろうとしたが、外から聞こえてくる雑音に嫌気を覚えた。
「いったい何事なのだ……」
「フィルヴィーネ様……私は先程から言っていますが、下が騒がしいと」
「ん……?おおっ、そう言えばそうだったな、アッハッハッ」
「……」
自分の事を棚に上げて、フィルヴィーネは笑って誤魔化す。
そして二人の部屋に、少しずつ近付いてきた足音は、部屋の前で音を止めた。
◇
フィルヴィーネが目覚め、窓の外を眺めていた頃。
エドガーは日課と言えるべき、宿の掃除をしていた。
ありがたいことに、数日前に【ルド川】からタンクで水を汲んでいたおかげで、随分と時間の短縮を出来ていた。
これには流石にメイリンも喜んだ。
何せ、夜が明ける前に家を出て、帰りは朝食前、しかも汲む水の量はたかが知れていた。
それが十日分以上の水を確保して、朝に少し余裕を持てるのだ。
しかも、サザーシャークの農園にもタンクを分けて貰えて、家族も大喜びだった。
それならば、多少の寝坊もご愛敬だろう。
「♪~♪~~」
気前よく、鼻歌交じりで庭先を掃くのは、黒髪の少女サクラ。
エドガーはフロントで台などを水拭き、サクヤは窓拭きだ。
ショックから立ち直ったローザは、メイリンと一緒に厨房の掃除をしていた。
メルティナはエミリアの所に行っている。
警備の兵士達にバレずに、城まで到達できるルートを見つけたらしく、「説明することがある」と言ってここ数日は王城、【白薔薇の庭園】へ向かう事が多い。
そのエミリアだが、たいそう忙しくしており、まだエドガーと会えていない。
メルティナから新たな異世界人が増えたことは聞かされたとは思うが、どういう心境だろうか。
「……ん?――街が騒がしいね……何かあった?」
サクラは、掃除をしながら違和感を感じて、その騒がしい人だかりを見る。
すると、馬車が数台こちらに向かってきている事が分かった。
そう、こちら、【福音のマリス】だ。
「は?……え?なになになにっ……!?」
馬車は宿の入り口、サクラの目の前で停車すると。
馬車の周りを取り囲んでいた騎馬兵数人の兵士が馬から降り、ぞろぞろとやって来ては、押し込むようにサクラを突き飛ばした。
「――ちょっ……!いっ!……たぁ……」
ドンッ――と、肩を押される形で尻餅を付くサクラを。
「――す、すみません!!……急いでいて、見ていませんでした」
手を出して、サクラを起き上がらせようとする青年。
しかしその手は、急に現れた影によって払われる。
パシン――と。
「……」
「……あ。え、えーっと……」
青年兵士を睨む、小柄な少女。
転んだサクラは、自分に手を差し伸べた青年兵士を見る。
どう見ても、怯えていた。
「いたた……――って、【忍者】……!?」
「大丈夫かサクラ。窓から見えたのでな……その礼儀知らずどもは――城の者だな。どうするのだ?」
サクヤは青年兵士を視界に捉えながら、サクラに手を差し向ける。
背中を向けたままサクヤは「んっ」と、手を掴めと請求する。
「え、あ……はい」
手を取り、立ち上がるサクラ。
そしてしばし睨み合うサクヤと青年兵士(青年兵士は怯えているだけ)。
「あ、あの……本当に、その……」
他の兵士達も何事かと不審がっている。
特に、馬車の中にいると思われる、王族の御方が。




