16話【契約者】
◇契約者◇
――暖かい。
まるで誰かに膝枕でもされているような。そんな暖かさを感じる。
つい先程まで、魔人と戦って。いや、一方的に叩きのめされていたはずなのに。
今まで感じていた火傷でヒリヒリする痛みも、呼吸が出来ない程の胸の苦しさも、全く感じない。
それどころか、普段はないくらいに体が軽い気がする。
まさか、夢だった?
もし夢だったら、きっとまたエミリアが起こしてくれて、朝に。
――エミリア、泣いていたな。
泣かせたのは、僕だ。
それに、アルベールを助けるって決めたのに。
その為に僕は。
“精霊”を“召喚”して、アルベールを助けに行かないといけなかったのに。
コテンパンに叩きのめされて、剰え気を失った、のかな。
もしかして、死んだ?
あ、そうだ。
あの時一瞬だけ見えた女の人、誰だったんだろうか。
「――ねぇ……そろそろ起きない?」
声?誰の?
あの女の人、かな。
随分と声が近いな、まるで目の前にいるみたいに聞こえる。
「おーい。起きろー、起きないとイタズラしちゃうわよー」
凄く耳に残る声、心地良い。
「う、うぅん……」
「やっと起きる……かな?」
「……――っ!」
目を覚ましたら、目の前に女の人の大きな胸がありました。
「えっと、その……誰、ですか?」
まるで胸に話しかけている感じになっているが、ちゃんと顔も見えている。辛うじて。
「そうね、まずは身体を起こさない?足が疲れちゃったわ」
「あっ!はい、すみません……!」
ガバッ!と身体を動かして起き上がる。
何故身体が簡単に動くのか。そんな事すら考えずに。
「どうしてキミが謝るの?」
クスクスと笑みを浮かべる女性。
「あ、そうですよね……すみません」
エドガーはついつい謝る。
染み付いた負け犬根性の弊害だ。
「ほらまた……」
「す、すみません、その……癖で」
「癖で謝るってあんまり良くないと思うわよ……?それよりだったら、ありがとうって言われたいわね」
何度も謝るエドガーに、女性は「謝罪よりも、感謝をして欲しい」と述べる。
「そ、そっか。そうですよね……その、助けてくれたん、ですよね……ありがとうございました」
立ち上がり、頭を下げる。
「はい……どういたしまして」
花が咲いたような笑顔に、この女性が魔人を倒したとはまるで感じさせない。
「じゃあ、自己紹介ね……私の名前は、ロザリーム・シャル・ブラストリアよ」
「あ、エドガーです、エドガー・レオマリス」
「いい名前だわ。獅子王と同じで、とても凛々しい名前。あ、私の事はローザでいいから……」
エドガーの名は父がつけてくれた名前だ。獅子王が誰かは分からないが。
「ローザ……さん」
「呼び捨てでいいわよ。キミは、私の“契約者”なんだしね」
「“契約者”……?」
エドガーの耳に、聞き慣れないキーワードが入る。
「“契約者”……?」
二度言う。
「ええ」
ローザは頷く。結ばれたポニーテールがフルフルと揺れた。
「誰がですか……?」
「キミがよ」
「だ、誰と……?」
「だから私と」
ローザのあっけらかんとした態度にエドガーは固まってしまい、困惑が隠せないでいる。
「――えっ?」
状況が把握出来ていない“契約者”に、ローザは説明してくれた。
◇
「簡単に説明すると、キミは助けを望んだでしょう?……私はそれに応じてキミを助けた、それだけね。簡単でしょう?」
「――ちょっ、ちょっと待ってください!契約?ローザさんと?――!!そ、そうだっ!大体、どうやってここに!?いや、あれっ!?そう言えば、体が全然痛くない!?な、何がどうなって……!?」
「……落ち着きなさい」
混乱するエドガーは矢継ぎ早に喋り、身体のあちこちを触って確認する。
エドガーは焼けただれたはずの腕や足、苦しかったはずの胸を触り確認する。
しかしエドガーの身体には、一つの異常も見られない。
ローザは赤いドレスをひらりとさせて立ち上がり、エドガーの手を取って自分の目の前に座らせる。
「いい?もう一度、一から説明するわよ。落ち着いて冷静に聞きなさい……よろしい?」
もう片方の手を掴まれて、正座させられる。
「は、はい……分かりました」
ローザに諭され、落ち着こうとするエドガーだったが。
ローザの赤色のドレスの胸元から、たゆんと揺れる双丘が目に入り、一瞬で先程の記憶が沸騰した。
(!!――そう言えばさっき。この人、裸……だったような気が……そう言えば、どうやってこの【召喚の間に】……?魔人はどうやって……――っ痛ぅ!!)
冷静になればなるほど、魔人との戦いがフラッシュバックして、身体が痛んでくる。
「痛い?そうか、まだ【幽炎】が完全に解けてないのね」
「ゆ、【幽炎】……?」
聞きなれない言葉に、エドガーは必死に痛みを堪えて、ローザに問う。
「あの小汚い炎の化物がキミに使った力よ……」
エドガーが魔人に受けた炎の攻撃が、【幽炎】らしい。
あれだけのダメージを受けていた腕や腹が、一切火傷の痕も無いのはどういう事なのか。
焼かれたはずの身体を何度も確認して、エドガーは声を詰まらせる。
今は傷一つ無い身体を不思議に思うも、徐々に増していく痛み。
自分の震える手に火傷がない事を何度も確認してもなお、今はまた、ズキズキと痛み始めてくる。
呼吸も、先程と同じく苦しい感じがする。
「だから、落ち着いてってば……もうっ!」
ローザは急にエドガーの両手を取り。
自分のドレス、その豊満な胸の谷間にズボッ!と突っ込んだ。
「――っ!!えぇぇぇっ!?」
思い出される痛みの中に、突然襲い掛かる恐ろしく柔らかい物体の感触。
エドガーを攻撃していた炎の痛みは、この破壊力の前にすぐさま鎮火した。
「落ち着いたかな?」
「……は、はい……」
――落ち着いた。
というより、衝撃で考えが全部吹き飛んだ。の方が正しいのではないだろうか。
それにしても、恥ずかしげもなく男に。しかも初めて会った少年にできたものだ。
「それじゃあ、話を続けるわね?」
顔どころか全身が赤くなりそうなエドガーに、ローザは全く動じないまま話を続けようとする。
「……お、お願いします」
落ち着きを取り戻したであろうエドガーの両手は、今もローザのドレスの中だ。
そんなことは一切お構いなしのローザは、強引に話を進める。
「まず、【幽炎】の説明ね。これはその名の通り、幽霊の炎。つまりは幻よ。キミの身体も服も、この部屋にある物も一切燃えてはいないでしょう……?」
辺りを見渡す。
「ほ、本当だ……でも、あの時は確実に燃えて」
エドガーは不思議そうに辺りを見渡すも、部屋の棚や“召喚”の道具、叩きつけられた天井や床の割れた跡も全て無事、元のままだ。
火災などまるで起きていないように、部屋は“召喚”を開始する前の状態を維持していた。
「あれは、一種の催眠術みたいなもので、キミに火傷の痛みや、酸素の薄さ、身体の重さを感じさせていたのよ……最初に攻撃を受けた時点で発動していたの、先制されたでしょう?」
開始で早々に受けた一撃を思い出す。
「はい……」
「ええ。それでもう【幽炎】は発動して、その後はキミが見た幻ね……」
――痛みも。
――苦しさも。
――焼ける身体の感触も。
――幻。
俄には信じられないほど、あの痛み苦しみは実感があった。
「魔人に、そんな力があったなんて」
「――ん?それは少し違うわね。そもそも、あれはイフリートなんて名前じゃないと思うんだけれど」
「……え……?」
ローザはとんでもないことを言う。
「そうね……あれは多分、ただの低級“悪魔”だと思う。弱かったしね」
器用にエドガーの両腕の間から手を出して、顎に手を当てる。
最後に「弱かった」しかも低級などと言って。
そんな事を言う辺り、多分ローザの言ってる事は間違いでも誤解でもないのだろう。
そうエドガーに思わせるだけの、自信と説得力が彼女にはあった。
「ちょっ、ちょっといいですか?その……“悪魔”……ですか?」
エドガーの気になった事は、何もローザの事や魔人の事だけではない。
――“悪魔”。“魔人”と同じく、古の戦争で人間に倒された存在。
空想上の与太話とされており、何千年も昔の時代の話だという認識だ。
これは、この世界に住む人間全てが思う所だろう。
「“悪魔”も“魔人”も腐るほどいるわよ、私の世界もそうだったし、“天使”や“神”だっていたわ……」
「へ、へぇ……なるほど」
俄かにはに信じられず、目を逸らすエドガー。
流石にそれはどうかな、と頭の片隅で思うも。それは口には出来ない。
何故ならば、“魔人”という現実に直面し、死にかけたのだから。
エドガーだって馬鹿ではない。
少なくともエミリアやアルベールよりは、勉強は出来た。
そんなエドガーでも理解が出来ない。追い付かないのだから仕方が無い。
「その顔は、信じてないわね」
ローザの大きな目に、ジト目で見られる。
エドガーよりも少し背の高い彼女からのジト目は、まるで見下されている感覚を覚えてしまいそうになる。
今までどんな人から見下されてきても、こんな気持ちにはならなかった。
彼女の、どこか高貴な雰囲気がそれをそうさせているのだろうか。
「ち、違います違いますっ!……ただ、その。ローザさんの言う“悪魔”とか“魔人”とか、“天使”とかは、どういう存在なんですか?」
ローザの言うことを信じないわけではないが、全てが事実なら、“悪魔”や“魔人”が当たり前のように存在するということだ。それは、余りにも怖い事だ。
おそらくこの国、いや、世界に住む全ての人間も同じだろう。
「“悪魔”と“魔人”は敵ね……“天使”は……基本的には無害よ。でも、根本的に性格が悪いわね、アイツ等」
「……アイツ等……」
“悪魔”や“天使”など、エドガー達この世界の人間達にとっては、空想上の存在でしかなかった。それを「アイツ等」と呼ぶローザは、一体どんな世界で過ごして来たのだろうか。
「“天使”は、人間に力を授けてくれるわ……」
愛おしそうに、右手の《石》を撫でる。
「でも……そこまでね。力を授けて『はい、さようなら~』よ」
一転して、今度は憎くき相手を恨めくように。
「あの【バカ天使】!思い出したら腹が立ってきたわ……!まぁでも。もう会うこともないでしょうし……あ、話を戻すわ」
「どこまで話したかしら」と、気を取り直して。
「ともかく、全部敵よ……覚えておきなさい。で、次だけど……何か聞きたいことある?」
ローザは一度自分の話を切り上げ、エドガーに質問させる。
当然エドガーにも聞きたいことはある。
「はい……じゃあ、あの“魔人”……いや“悪魔”はどこから?」
「ん?……ああ、あれでしょ?」
ローザが後ろを指さす。
そこには、粉々に粉砕された【消えない種火】が、赤い粉末となって流落していた。
「あ、ああぁぁぁぁっ!!」
“召喚”の触媒にした時点で、無くなるのは覚悟していたが。
まさか手元に残るとは。
――しかし。
「こ、粉々……」
ローザの柔らかいものからようやく手を離したエドガーは、消えかけの魔法陣の中央部に残る赤い砂に駆け寄り、消沈する。
「あれ……これって……?」
エドガーは、粉々になった《石》を必死に搔き集めている時、目に映る自身の右手に違和感を感じる。そこには、見慣れないものがあった。
「――赤い……《紋章》?」
右手の甲に、赤い楕円形。
その中に、燃える火炎のような《紋章》があった。
「それが【契約の証】……かもしれないわね」
ローザも立ち上がって、エドガーの背後に立っていた。
ドレスから見える生足が、とても艶めかしい。
「ら、らしい?」
「そ。私も……こっちに来る際に、訳の分からない声に説明されたのよ……」
ローザが軽い感じに言う。しかしエドガーはキョトンとしている。
「――まだ気づいていないらしいから、敢えて言うけれど……」
「えっ、はい」
「キミが“召喚”したのは……“悪魔”じゃなくて、私だからね……?」
ローザが指さす“魔人”。いや、“悪魔”の残骸。
既に灰になり、その灰の中には赤く光る極小のの粒が見え隠れする。
「はぁ……えっ?――はあぁぁっ!?」
確かにあの“悪魔”が、【消えない種火】から解き放たれたものだったとしたら。
ローザはどこから来た事になるのか。
冷静な対応が出来ず、大声で反応してしまい。つい口を抑える。
「そ、そう言えばそうか。だから“契約者”……なるほど」
「……キミ、鈍いって言われるでしょ」
ローザとの会話の中に見え始めていた疑問は、《石》が粉々になっているのを見た瞬間に停止してしまっていた。
「うっ……はい」
エドガーは肩を落として落ち込む。
「これが、私がここに居る理由ね。キミの“召喚”、見事だったわよ。“悪魔”が《石》に封じられていたとしても、異なる世界から呼び出すんだもの……たいした能力だわ」
「――えっ……??」
「私がここに居るのも、キミが助けを求める姿がこの《石》を通して見えたから。まさかここが別の世界だなんて。説明された時は驚いたけ……ど……――ど、どうしたの?」
ローザは驚き、エドガーに歩み寄って頬を撫でる。
エドガーの頬を伝う涙を、ローザは隠した。
エドガーは泣いていた。声も出さず、ただただ涙を流していたのだ。
「えっ……ど、どうして、何で急に、涙が」
ローザに涙を掬われ。エドガーは自分が泣いていたことに気付く。
ただ褒められただけ。それだけなのに、こんなにも涙が溢れ出て来るなんて。
勿論、悲しい訳じゃない。自分の周りには、少なからず認めてくれる人もいる。
それで十分だった。たった一人の家族の妹。
幼馴染二人と数人の知人。それがエドガーの日常だった。
「す、すいま、せん……僕、嬉しくて……」
「いいのよ。怖かったでしょう、あんな怪物、こっちの世界には居ないらしいし……でもね、嬉しいなら……笑いましょう?ね、ほら?――笑って」
“召喚”を初めて会った人に褒めて貰った。
エドガーの事を知っている一部を除くこの国の人間なら、絶対にしない。
【召喚師】という職業が、国によって虐げられ。
害虫のような扱いを受けているから。
この国の在り方を変えなければ、エドガーという【召喚師】に、この国での安息の場所はない。
それが、ローザのたった一言で救われた。
エドガーにはそう感じた。心に響いた。
「あ、そうだ。ほら、また触る?」
そう言って、ローザはまたエドガーの手を取ろうとして。
――避けられた。
「ぷっ。ははは……ローザさん、無理しないで下さいよ。さっきもでしたけど、本当は恥ずかしいんでしょ?」
「――……もうっ!意外と意地悪ね……キミは」
ローザだって、誰かに肌を許したことなどない。
さっきエドガーに胸を触らせたのだって、自分の中では一大決心だったのだ。
これもそれも、どこぞの【バカ天使】がローザに入れ込んだ悪知恵だ。
◇
『いいロザリーム……男はね、オッパイがだ~い好きなの!どんなに身体が痛くても、頭が混乱していても、オッパイさえ触れば冷静になるわ!覚えておきなさい!』
『そうなの……?』
幼い人形の様なローザに、【消えない種火】を授けた“天使”。
その美しい見た目とは裏腹に、明るく元気一杯な性格をし。
ローザに様々な(いらない)知識を与えた。
『そうなの!大馬鹿なのよ~、男って!』
まさか異世界で、自分が【バカ天使】などと呼ばれるなど、その時の“天使”は露とも知らず、小さなローザに教えを説く。
『わかった……おぼえておく』
『はぁ~、もうロザリームは暗いんだから。もう少し笑顔の練習しようね~』
ローザの頬っぺたをぐにぐにと引っ張り、無理やり笑わせるような“天使”だった。
◇
そんな昔のやり取りを思い出して、ローザは微笑む。
「――ともかく、私はキミの味方だから安心なさい……」
エドガーの頭に手を乗せて、撫でる。
「……はい、ありがとうございます」
笑顔で返すエドガー。
年相応の少年の笑顔。残念ながら、幼馴染のエミリアは見たことがないものだ。
「よしっ……と。じゃあ行きましょうか。私、ここに来る前も密室にいたから、早く外の空気が吸いたいわ、他の説明はまた後で幾らでもしてあげるから……ね?」
ローザはエドガーにウインクをし、ここを出ようと促す。
「そ、そうですね。行きましょう……多分知り合いも心配してると思うし」
「ええ。そうみたいね……扉の向こうに熱源が三つ。一つは凄く高い。多分ケガをしているんじゃないかしら」
「――え?」
きっとエミリアだと、直感できた。
エドガーを助けようと、ドアを壊そうとする姿が目に浮かぶ。
「……さ、いくわよ?」
「はいっ!」
そうして二人は並び立ち、閉じられた鉄の扉に向かって。
――歩き始めた。




