174話【魔王の朝】
◇魔王の朝◇
【ランデルング】の窓ガラスから差し込む朝日に、フィルヴィーネ・サタナキアは顔を顰めて目を覚ます。
「――これが《人間界》の朝か……」
煩わしい物を見るように、目を細めて欠伸をする。
周りはまだ寝ている。
エドガーは座席に凭れ掛かり、サクラとサクヤはくっついて寒さを凌いだのか、二人合わさって一枚の毛布でくるまっていた。
メルティナは背中に《石》があるからか、一人うつ伏せで寝ていたが、随分と苦しそうだ。
まるで悪い夢でも見ているようにうなされている。
「ん……?ロザリームが居ぬな……」
フィルヴィーネはまだ知らない事だが、ローザは寝起きも悪い。
そのローザがこのメンバーの中で、一番に起きていること。
それはエドガー達が起きていれば、不思議に思うはずだ。
「……外か」
《石》の気配を察知して、フィルヴィーネは立ち上がると。
「おっ……リザ、お前は何処で寝ているのだ……この馬鹿者め」
自分の胸の谷間にリザが突き刺さっていた。頭から。
足を掴んでやって引っ張り出すと、この世の物とは思えない幸せそうな顔で眠りこけていた。
「……全く、しょうのない」
フィルヴィーネは、その顔に罰を与える気にもならず、リザをサクラとサクヤの毛布に入れてやった。
◇
朝霜がまとわりつく装甲車の露を指で掬い、ローザは白い息を吐く。
季節は夏前だというのに、この荒野の外気温は零度を下回っていた。
寒さを阻む木々も、地面を覆う草も生えていないこの大地は、例え日差しが差し込もうとも、太陽が昇り切る昼過ぎまでは寒いままだ。
ローザは、就寝前にサクラが鞄から取り出してくれた毛布を肩に掛けながら、外の空気を吸いに来ていたのだが。
「……さむ」
まだ回復していない魔力では、体温の調整も上手くいかない。
普段の凛々しいローザからは想像もできない弱々しい声で、この寒さを愚痴る。
「おかしいでしょこの寒さ。馬鹿なんじゃないの……?」
砂漠や荒野では、当然起こる気温差。
知らない訳ではない。知っていても愚痴は出るのだ。
ローザは昨日の焚火に、エドガーが取ってきた薪を焼べる。
「火よ……」
一言発すると、【消えない種火】が薄っすらと輝き、一瞬で薪は燃え上がった。
それでもローザは「この程度か」と、まだ不完全な魔力の回復に不服ながら、手を当てて暖を取る。
すると、誰かが起きて来たのか、装甲車の二重ドアが重々しく開き。
髪をぼさぼさにしたフィルヴィーネが降りて来た。
「……随分と早起きではないか……体調はもう良いのか?」
右手の《石》をツンツンと差して、体調=《石》だと分かる。
フィルヴィーネはローザの隣まで来て焚火にあたると、ローザは。
「――平気よ。貴女こそ、夜中は相当うなされていたけれど?」
「む……?そうか、慣れていぬからだな……この再構成された身体に慣れるには、暫くかかるだろう。それはお前達先輩と同じだろうな」
“神”や“魔王”の身体は、そもそも人間の身体とは異なる。
疲れはしないし、眠くもならなければ腹が減る事のない不変の存在だ。
そんな身体を持つはずのフィルヴィーネが、昨晩に「疲れた」と言ったのは、嘘でも冗談でもなく、紛れもない真実だった。
そしてそれに一番驚いているのは、他でもないフィルヴィーネ本人だ。
「まさか人間の身体を得ることになるとは……思わなかったよ」
望んで来た異世界。
しかし、この世界に合わせて身体を作り変えられるとは夢にも思っていなかった。
「――だがまぁ、腹が減ることはいい事だな。“悪魔”の部下どもが人間の腸を食っているのを見た時。何だこいつら……と思っていたが、少しは気持ちが分かるなっ!なぁ?」
「わ、私に同意を求めないでよ……」
ジト目で、ローザはフィルヴィーネを睨む。
何故か、まるでローザが人間の臓物を食べたことがあるような言い方だ。
そんな訳あるまい。
「そうか?」
「当たり前でしょう?人間を食うなんて……“悪魔”か魔物しかしないわよ」
「そ、そうなのか……良かった、食べなくて……」
以前部下に進められたことを思い出して、口角を引きつらせる。
流石に元“神”のフィルヴィーネと、元“天使”のリザにはその経験は無い。
あったらあったで不思議ではないのだろうが、多分サクラが怖がる。
「……だいぶ暖かくなったわね――お腹、空いたのでしょう?」
「おお、何かあるのか!?」
「――いやないけど」
「何故言った!?期待してしまっただろうが!!」
「……」
「ロザリーム?」
ローザは別に嫌味で言ったのではなかった。
先程、少し辺りを散策して、この近辺に生きている食物はもう完全に無い事が分かった。
それは水源も同じで、【ルノアース平原】であったはずの場所は、もう完全に【ルノアース荒野】と化している。
そこで不思議に思う事が、この国の民たちがそれを知らない事だった。
王女のローマリアですら「もしかしたら」と、薄っすらな記憶でものを言っていた事を考えると、異常だろう。
「……確かに初めから、荒野になっている可能性がある。と言っていたけれど……ここまで何もないとね。不思議に思わないのかしら」
「この国の者どもが……か?」
「――ええ。エドガー達が住む王都は、結構な広さを持っているわ……それも区画を10に分けて、その区画一つ一つが中程度の街並みに大きいのだから……人の出入りが多くないとおかしいでしょう?」
パチンッ――!と薪が音を鳴らす。
ローザは知らない。【王都リドチュア】以外の街や村を。
聞いてもいないのだから当然と言えば当然だが、他の国はどうだ。
「私が居た時代の【ブラストリア王国】は……中央国と呼ばれていたわ。東西南北……敵国に囲まれた孤高の小国……でも実際は小さくなんかなくて……国の面積は広く、田畑も嫌と言っていいほどあった……そう。この荒野の位置にね」
【王都リドチュア】が【ブラストリア王国】の首都と同じ位置だとすればの話だが、ローマリア王女が言う事は決して間違いだと断言できるものではない気もする。
そうなれば、ローザが知っている事の一つでもあれば、それは確かな確証になるのだが。
「――決定的なものは無いわ……単に貴女が同じ世界から来てしまっただけの可能性だってある」
変わりすぎている世界。
例え千年以上の月日が流れていようとも、変わらないものもあるはずだ。
「……【ビコン】であろう?」
「……あ」
そんな所に、事実。ローマリアが述べた、ローマリアが城で揶揄される蔑称。
【ビコン】は猿だ。
ローザも知っている、王国の森に生息していた猿。
昨日の昼に会話した事を思い出して、ローザは沈黙する。
まさかこれだけ探しているのも拘わらず、関連していた事が【ビコン】、猿だとは。
「……猿で確定……?」
焚火を眺めながら、少しだけ虚しくなった。
「そもそも、“魔道具”の数々があるであろう……」
「それは……そうかもしれないけれど。でも、サクヤとサクラの世界にも同じ“魔道具”……宝石があるのよ?」
それはどう説明するのか。
薪を追加しながら、ローザはフィルヴィーネに説明を求める。
「――それは我も知らぬよ。偶然同じものがあったのではないか……?」
「適当ね」
「知らぬことをアレコレ考えても意味はない……理解できる事を少しずつ組み合わせ、紐解き……最終的にその答えを出す……それでいいのだよ」
「……」
理解出来る事。分かる事は、まだ本当に少ない。
少しずつ、一歩一歩確かに進んで、その先にある答えとは――いったい何なのだろうか。




