172話【リザの恐怖体験】
◇リザの恐怖体験◇
冷えて来た星空の下で話し合いをするのは流石にまずいと思ったエドガーは、薪を追加しようと焚火に向かうが、サクラがエドガーを止めた。
何やら考えが、というか今日をそろそろ終いにしたかったらしい。
「――エド君……もう遅いし、取り敢えず車……【ランデルング】の中に行こうよ。ほら……ローザさんとメルも休ませないとだしさ」
そう言うと、サクラは後方を指差す。
そこにはグロッキー状態のローザとメルティナが、背中合わせで魂を口から出していた。
「あ、あぁ……そうだね。ごめん……気を回せなかった。ありがとう」
別にそういう意味じゃないよと、首と手を振るサクラ。
「あぁ違う違う、違うの……あたしが休みたいだけだから、それだけだからっ」
頬を赤くして目線を逸らしながら言う。
どう見ても気遣いだろう。そんなに照れながら言うと、余計にそう取れてしまうのだが。
「そ、そっか……とにかく分かったよ。流石に今から帰ることは出来なさそうだし、今日は馬車……じゃなくて【ランデルング】で寝泊まりするしかないね」
夏前とは言え、荒野の夜は冷える。
二人で車内に入ろうと歩き、鋼鉄の二重ドアを開けた。
まだ何の設備もない車内の、どこで寝ようかと考えを始める。
すると――カツン、カツンと、【ランデルング】の車内から聞こえる音が耳に入る。
「……ん?」
カツーン。カラカラ――。
落ちて。転がる。小さなもの。
それはどう聞いても、《石》の転がる音だった。
「どしたの?」
エドガーの腕の下から顔を覗かせるサクラは、聞き耳を立てるエドガーの傍で、手を耳の後ろで開く。
「聞いてますよ!」と主張するポーズで。
「……もしかして、リザさんかな……?」
「あ~多分……リザちゃん戦闘にもいなかったし、あたし達とも一緒じゃなかったから」
フィルヴィーネさんが怒ってたと聞いて、エドガーは笑う。
「大変だねっ……」
「だねぇ」
二人はこっそりと車内を進み、《石》が入れられた木箱を視認すると、顔を見合わせる。
「……めちゃくちゃ落ちてるんですけど」
「……雑過ぎだよ……リザさん」
見ている今も。
木箱の中から――ぽいーん、ぽいーん。と《石》が勝手に出て来ているかのようだ。
大切な《石》の扱いに、顔を覆うエドガー。
悲壮感を漂わせて、ゆっくりと音をたてぬように歩いていく。
「――ねぇエド君、どうす――いっっ!?」
サクラの横をすーっと横切るエドガーの顔は、初めて見る顔だった。
感情の籠らない死んだ目の様な、暗い影を落としたそんな顔。
優しく他人思いの、ちょっとむっつりな少年らしからぬ、怖ーい雰囲気だった。
「……あ~あ。あたし知らないよ……?」
もうリザがどうなろうとも知った事ではない。
エドガーが大切にしているものをぞんざいに扱ったリザが悪い。
そう思って、サクラは見ないフリをした。
◇
木箱を漁るリザは、自分の力を取り戻す為の《石》を探していた。
都合のいい事に、ここには大量の“魔道具”、《石》が山ほどある。
小さいものから中程度のものまで、買えばいったい幾らになるんだと思わせるほどの宝の山だ。
そんな《石》の所有者が後ろに迫っている事すら気付かずに、リザは物色を続ける。
「――う~ん。これも合わないわね……これもダメ……前提として、サイズが合わないのが悪いわねぇ……もう少しまともなものは無いのかしらっ……全く!」
《石》を両手で抱え、魔力の波長を確かめる。
それが何度も合わずに、力任せに《石》を投げ捨ててはを繰り返す。
この木箱に入っている《石》の山は、【消えない種火】や【朝日の雫】、【闇光瞳】。
【禁呪の緑石】、【女神の紫水晶】などとは、確かに比べる事が出来ないほど品質が良くない。
それでもローザとフィルヴィーネの世界では、《魔法》の触媒に使われるような高価な物ばかりだった。
それを「もう少しまともなものは……」と言えるリザの切迫が伺える。が、それは所有者の少年には関係のない事だ。
「さ~て、次は……ん?なにかしら……急に暗くなって。明かりが落ちたの?」
車内にスッと影が落ち、リザの入っている木箱全体を覆った。
そして何気なく上を見る。
「――やあ、リザさん」
「……。……。……――ひぃぃいいいいいいっっっ!?」
一瞬の硬直の後、トスンと尻餅を付くリザ。
オレンジの髪が、ばさっと遅れて落ちてくる。
「あわ、あわわわわわわわっ……!」
髪の毛は枝垂れるように頬にかかり、冷汗で濡れた肌に張り付いた。
顔面は蒼白。どっちが“悪魔”なのか分からないではないかと、叫びたくなった。
天候も悪くないのに、まるで雷が――ピシャっ!と稲光を走らせたかと思うほどに、エドガーの背景が荒れている。
怒っている。と誰でもが理解できるレベルで。
「――ぁぁあのぉ、私……《石》を……ですね……」
恐怖で、遥かに年長者のはずのリザが敬語になる。
「――うん。何かな?聞くよ。話し……まだフィルヴィーネさんも来ないしね――そう、時間はたっぷりある……分かるかな?」
「――はわわわわわっ……」
ブルブルと震えるリザ。
正直、それほど怖いかと言われればそうではないかもしれない。
だが、普段から大人しいエドガーが、大切にしているコレクションがぞんざいな扱いをされている所を目撃したのだ、大人しい人ほどキレやすい的な何かが、そうさせているのか。
「……ほらこれ……傷がついてる」
エドガーが拾い上げた《石》は、端っこがほんの少しだけ欠けていた。
宝石のオパールだが、小石と呼べるサイズの大きさで、先程リザが投げ飛ばした物だった。
「これ……リザがやったのかな。うん、そうだよね……知ってて聞いたんだ。投げるところも見てるから……で、どうしてこんなことをしてるのかな?――ああいや。別にいいや……――許す気、ないからね……」
「――ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃいっっっっ!!」
リザは、この時のエドガーの笑顔を忘れないだろう。
優しさの裏に垣間見た――狂気。
エドガーが本当にキレた時。力で屈伏させるのではない、精神的に追い詰めるタイプの、怒らせてはいけない人だと異世界人の中で広がることになる。
そして「恐ろしいものを見た」と、後のリザは語るのだが。
それはまた、別のお話なのでした。




