167話【紫の月】
◇紫の月◇
グッチャグチャになった“魔王”フィルヴィーネ・サタナキア。
その身体は細切れとなり、蠢く肉片が乾燥した大地を這っていた。
「――これで死んでないとか……本当に“魔王”と言うのは規格外ね……」
その地を這う肉片を見ながら。
この惨状を招いた張本人、ロザリーム・シャル・ブラストリアことローザが言う。
しかし、そのローザの心の中に語りかける声が。
<お前がここまで我を排したいと願っていたとは、思ってもいなかったぞ……>
「――!?……【心通話】?」
<……これで話せる精神があるの……?>
<“神”や“魔王”は、“精霊”と同じ精神体でもあるからな……肉体が滅んでも生きていくことは出来る。だからその証拠に……《石》は焼けずに落ちているであろう?>
「……そうね」
ローザは見つけた。肉片にくっつく【女神の紫水晶】を。
光り輝くその《石》は、明滅して何かを知らせようとしているようだ。
<これが本体とも言えるからな。我等は……>
このフィルヴィーネの言い分には、ローザも納得するところがあった。
ローザも、自分は【消えない種火】がなければただの一般人だと、そう思っている。
<前提で言えば……この特殊な《石》は壊せないものね>
<そういう事だ。其方が【女神の紫水晶】を壊そうとしても、無理な話なのだよ……――ただ、今の戦闘は我の負けでいい……見事な戦略だったぞ>
初回の戦闘を捨て、全てを今の戦闘に注ぎ込んだ。
フィルヴィーネは見事にローザの術中に嵌り、ローザが苛立っていると言う錯覚を起こした。
演技を貫いたローザは、休憩中の食事や先程の話し合いですら、フィルヴィーネに敵意を剥き出していたのだから、余程の周到さだと言える。
「<で、これからどうするのよ……?戻るのなら早く戻りなさいよ>」
観戦者のサクラとサクヤにも聞こえるように、声にも出して伝える。
もしかしたら、フィルヴィーネが死んだと思っている可能性もある。
念のためだ。
<まぁ……あの子達も《石》の共鳴や感知を覚え始めているし……死んだとは思わないかもしれないけれど>
<うむ。我も戻りたいのは山々なのだがな……>
<……なによ?>
<……少し待て。月が出る>
ローザは空を見上げる。
<月?>
夜なのだ。月などもう出ているだろうと思い、不審なものを見るように目を細めて、雲に隠れている月を待つ。
「……なっ!――色が!」
<――やはり、何百、何千年経とうと……月は変わらぬな>
「<そう言えば聞いたことがあるわ……【紫月の神ニイフ】は、死に瀕すると……妹神である【月光の神ルナリア】の力を借りて、その命を回復させると……>」
ローザが学んだ、師匠からの教えだ。
<そう――我の加護は……“魔王”になっても変わらぬ>
フィルヴィーネが“神”だった頃。
その加護は慈悲に溢れたものだった。
瀕死の重傷を負っても、月さえ出ていればどんな傷も癒す。
慈愛の加護。
<どうやら、月の【戦略機械】は生きているようだな……>
「<システム……?>」
<ああ……【月の金木犀】……【天の岩絡み】……【地の珊瑚樹】……【魔の花水木】と言ってな、四つの世界にそれぞれ造られた、機人の民が“神々”に協力して完成したものだ……>
フィルヴィーネは続ける。
<月が色を変えたという事は、その金木犀がまだ生きているという事だ。本来は紫になどならぬがな……ルナリアの奴が、魔力が足らないと言うのでな……多少協力してやったら紫になった>
そして【紫月の神】と呼ばれるようになったという事らしい。
因みに、他にも魔力を注いだ“神”がいる為、時と場合によっては赤や青にもなるのだとか。
<ちょっと……貴女、月に行けるの?>
<ん……?そうだな。当時は《天界》に転移装置があってな……まぁ我が作ったのだが……今は無理だろうな>
<そう……>
<“神”の存在が感知できない以上《天界》にも行けぬしな――っと、言っている間に始まるようだ>
フィルヴィーネはそれ以上【心通話】で会話をすることがなかったが、紫の月に照らされて、フィルヴィーネだった肉片は急激に再生を始めた。
「<サクラとサクヤ……見てる?>」
<……見てます>
<……見ておる>
【心通話】で、観戦しているはずの二人に声をかける。
どうもに元気のない返事が返ってきた。
ローザも気持ちは分かる。この惨状を見れば、誰だって吐き出してもおかしくは無い。
不規則に蠢く肉片は徐々に形を作り、膨れあがって人の形を成した。
人の形を形成すると、紫色のオーラを放ち始めたのだが、それが【女神の紫水晶】から出ていることも分かった。
「……すごい速度ね。今、邪魔したらどうなるかしら……」
<流石にやめてくださいよ>
「――あら……?【心通話】で。ああ……もしかして、このカメラ?って、見るだけじゃなくて聞こえるのね?」
心を読まれたのかと一瞬思ったが、サクラに渡された物に気付く。
胸元に挟まれた小さな機材を指でツンツンとつつき、ローザは笑う。
<そういうことです。だからさっきも、ローザさんは口で言うだけでよかったんですけど……>
「……そういう事は、その前に言いなさい」
少し恥ずかしそうに言い。
ローザは丁度よさそうな丸太に座る。フィルヴィーネの超速回復を見ながら。
◇
「……ふぅ。どれ……」
回復が完了したフィルヴィーネは、身体を確かめるように肩を回す。
ゴリゴリっと肩首の骨を鳴らして、背伸びをする。
「本当に再生したのね……しぶとい訳だわ……」
<……Gみたいですね……>
<……芥虫みたいだな……>
<<……えっ!?>>
「……何言ってるのよ、二人して……」
サクラとサクヤは、二人共同じことを考えていたようだ。
時代が違うゆえに敬称が別なだけで、再生するフィルヴィーネのしぶとさをゴキブリと例えたのは同じだ。
因みにフィルヴィーネの頭には、二本の長いアホ毛が存在する。
「身体は万全、しかし……うまくいけばコレも消えると思ったが……」
身体の調子を確認し終えたフィルヴィーネが、手足の枷を見ながら愚痴る。
どうやらフィルヴィーネは、《能力》によって付けられたこの枷を、ローザにやられることで外せないかと思ったらしい。
本気で負ける気は無かったが、負けたら負けたで何かメリットを探していたのだ。
「その枷……もしかして貴女の能力なの……?」
「ふっ……そうなるのだろうな、残念なことに。望まず手に入れてしまった力だ……其方にもあるのだろう?あののっぺらぼうに授けられた力が」
「不本意ながらね……」
「フフフ……」
「クックック……」
お互い笑ってはいるが、警戒し合っているのか笑顔が怖い。
それを【簡易フォトンスフィア】越しに見るサクラは。
<いいですか?お二人とも……>
「なにかしら」
「なんだ?小娘」
睨み合ったまま、サクラの【心通話】に答えるローザとフィルヴィーネ。
<……あたし、能力について話し合おうと思っているんですけど……皆で――その覚悟、決めてくれませんか?>
特にローザさん。とは言わなかったが、サクラの意図は伝わったはずだ。
向こうでは、サクヤが「何の事だ!?」と言っているのだが、それはローザとフィルヴィーネには分からない。
サクラが何かに勘付いている事を、ローザも分かっている。
それを鑑みて、先に進もうとしているのも。
「……」
何も言わないローザだったが、先読みされたかのようにサクラが。
<……大丈夫です。エド君は混ぜませんよ……ガールズトークってやつです>
ふとローザは、自分が拳に力を入れていた事に気付く。
サクラの一言で硬直が解かれ、手を脱力したことで気付けた。
「……分かったわ。そうしましょう……“魔王”も、いいわよね?」
「我は別に反対しておらぬぞ……初めから話す気でいたしな……其方だけだぞ、怖がっているのは」
「……ぐっ……」
フィルヴィーネの正論に、喉の奥で我慢して、ローザは反論を堪えた。
これ以上いざこざを増やすのは、愚の骨頂だと分かっているのだ。
「――そうだ。小娘よ」
<……?――なんです?>
月が元の色に戻り始めていく中で、フィルヴィーネがサクラに問いかけた。
「リザの奴は何をしている?」
<え……?リザちゃん……?>
<そう言えば、見ていぬな……どこに行ったのだ?>
<あたしは知んないよ……てっきりフィルヴィーネさんと一緒だと思ってた>
遠くにいる黒髪の少女二人は、近くに居ながら【心通話】で会話している。
それを想像して、ローザはクスリと微笑んでいた。
「……あの馬鹿……何をやっているのか。仕置きが必要だな……」
夜戦を開始してから、一度も姿を現していないフィルヴィーネの部下。
“悪魔”のリザは、いない所で罰が決まってしまった。




