15話【そして、少年の瞳に赤は映る】
分割前の話の為、他の話よりも長くなっております。
◇そして、少年の瞳に赤は映る◇
「うわぁ!なにこれかわいい!!」
それは、古文書を見始めて最初にエミリアが放った言葉だった。その絵は、小さな動物の絵。
頭に鏡を乗せた小さな動物。
尻尾は長くふさふさで、耳は長い。
体毛は緑で、とても愛嬌のある顔をしている。
ご丁寧に、人物との対比まで書かれていて、この小動物は子供が抱えるぬいぐるみ程の大きさだった。
「……エミリアお嬢様ぁ?」
「……ご、ごめん」
実はエドガーも、気持ちは分かるのだ。
正直、“召喚”でこんなに可愛い動物を呼び出せるのなら。
多分エドガーも積極的にやっている。
「ページ捲るよ?」
「う、うん」
エミリアは、意外とこう言う本に興味を持つのだ。
前も、何度かエドガーから本を借りていった。返して貰ってはいないが。
次のページを捲る。
次に描かれていたのは、まるで城の如き大きな、岩石の巨人だ。
「……か、カッコいい!!」
「お嬢様ぁ」
ページを捲る度に驚き、感動するエミリア。
エドガーは、自分が持たないエミリアの感性に、何だか嬉しい気持ちで満たされていた。
「ご、ごめんって」
「いいんだよ。エミリア」
これでいいんだ。エミリアのこの反応はエドガーにはないもの。
新鮮かつ斬新な反応で、とても参考になる。
これから“召喚”をする為には、非常に助かる。
「エド……そんな諦めた様な顔しないでよっ」
「えっ!してない、してないよっ!」
そんな顔をしてはいないつもりだったが。
エミリアにはそう見えてしまっていたらしい、気を付けよう。
「じゃ、じゃあ。気を取り直して次に」
エドガーは次のページを捲る。
そのページには。
「は、裸ぁ!?エドは見ちゃダメぇ!」
エミリアは素早い動きでエドガーの目を塞ごうと、右手を出して視線を隠す。
――裸。確かに裸だ。
髪の長い女性。雪の結晶を素肌に散りばめて、猛吹雪を巻き起こしているように見える。
肌は青く、人間らしい熱は感じられない。
「エミリア!手、邪魔だよ……」
「だって、はだ、裸!」
「いや、だから……見ないとヒントが!」
「――!何のヒント!?裸の女を“召喚”するつもりなのっ!?」
このエミリアの発言は、後にエミリア自身の恋路を阻むことになるのだが。
その行方まで、あと数時(数時間)だ。
「私が捲るからっ!いいわよねっ!ねっ?」
無理矢理に古文書をエドガーから掻っ攫う。
「わ、分かった、分かったから、怒んないでって」
エドガーは両手を上げて降参する。
「怒ってないしっ!」
「捲るよ!」と息巻くエミリアに「なんでそんなに怒るの」と、エドガーは困惑した。因みにナスタージャは一人で笑っている。
――なんで?
「……なにこれ?」
次のページに描かれていたのは――火の玉。
掌サイズらしき火球がいくつも描かれており、明らかに人が燃えている描写もある。
「これって、火の……“精霊”って事かな?」
エミリアはエドガーを見る。
「ごめん、見られても分かんないよ。それにどうだろう、魔術か何かかもしれないよ?」
「ま、魔術?……でも、動物に巨人……あと裸の女とか。みんな存在するものだよ?」
確かに、鏡を乗せた緑色の動物。
岩石でできた巨人。
氷を巻き起こす青い肌の女性。
この本は“精霊”の本なのかも知れない。
この本がもし“精霊”の本なら、かなり貴重なものではないか。
エドガーは自分が興奮し始めていることに気づかない。
「エミリア!次のページは!?」
「えっ?う、うん……捲るね」
エドガーの剣幕に押されて、エミリアは急いでページを捲った。
「コレは……人かな?いや魚?」
上半身は人間の女性。下半身は魚。
美しい、神秘的な姿だった。
「お嬢様ぁ。これも裸ですけどぉ、いいんですかぁ?」
ナスタージャが余計な事を言い出した。
お願いだからエミリアを煽るのはやめて欲しい。
「え?ああ、うん。コレは大丈夫」
エドガーには、エミリアの基準が全く分からなかった。
一方エミリアは、描かれている魚の部分を半眼で凝視しながら「うん、大丈夫」と呟いている。
「ぷふふ。確かに、コレは対象外ですねぇ」
ナスタージャがトントン、と本の挿絵を指差す。
その部分は魚の部分。人間で言えば股間の部分に当たる。
「な、なにを言ってるのよっ、別にそんなんじゃないし?」
疑問形で否定するエミリア。
腕を組み、顔を赤らめながらそっぽを向く。
「えー、ホントですかぁ?」
そっぽを向くエミリアを、ナスタージャが肘でつつく。
どうでもいいが、メイドがご主人様にやっていい行為なのだろうか。
「二人共、真面目にお願い」
エドガーは何の話か理解していないが、取り敢えず続きだ。
「えっと次は」
次のページには、電撃を纏う黄色い鼠が、小さなボールから飛び出して。
「「「……」」」
なんだか、とてもいけない気がするので次のページに行こう。
数ページを捲り、色々な“精霊”?らしきものを沢山見てきたが、如何せん文字が読めない。
エミリアやナスタージャは勿論、多少魔法や“精霊”の知識があるエドガーも、古代語は読めなかった。
「う~ん、やっぱりどれも古代語で、よくわからないな」
「あっ!エド……コレは?コレ」
エミリアが指さすページには、炎に纏われた人が描かれている。
その描写に苦しむ様子はなく、自らが炎を操っているように見える。
「これは、炎の……“精霊”かな?」
「違う違う!そっちじゃなくて、隣のページ見て?」
炎の精霊らしき絵の隣、そのページには、エドガーにも読める文字で、なにやら書き込みがなされていた。
「文字?これは……父さんが書いたのかな?」
「な、なんて書いてあるの?」
【リフベイン聖王国】で使われる文字は【カルン文字】と呼ばれ、この世界で一般的に使われている常用文字だ。
それでは無い文字で書かれた言葉は、エミリアには読めなかったらしい。
エドガーにも全て読める訳ではないが、父が書いているのは【ルーンス文字】と呼ばれる、魔術に使われるものだった。
「えっと待って。読むから」
(父さんの文字、汚いなぁ……大雑把な性格がここにも出てる)
「えっと……イフリート。業炎で敵を焼き尽くす炎の“精霊”。何度も何度も“召喚”しようとしたが、核が足りない……材料はほぼ揃っている……なのに、肝心の《石》が足りない」
「《石》……?」
疑問を口にしたのはエミリア。
「エミリア?」
「う~ん。ねえエド……《石》って、もしかしてこれかな?」
エミリアが人差し指で、ページの右上をなぞる。
そこには赤い《石》、まるで炎を体現したかのような赤い《石》が描かれていて。
「ああ、そうかもね」
エミリアはジト目でエドガーを見る。
数刻見つめた後、ガクッと項垂れた。
「――もうっ!何で気付かないのよっ!もうっ!」
「ええっ!?な、何が……?」
プクゥっと頬を膨らませ、いじけるエミリア。
「いや、ご、ごめん……なんかわかんないけど」
「わかんないのに謝るんですかぁ、エドガー様はぁ」
「う、ごめんなさいっ!」
つい、ナスタージャにも頭を下げる。
「あ、いえ。私に謝る必要はないですよぉ、それよりお嬢様ぁ、これ、なんなんですか?」
ため息を吐き、呆れとガッカリ感に包まれたエミリアが続ける。
「この《石》さ、私がエドにプレゼントした《石》に似てない?」
「――あっっ!?」
大の石好きであるエドガーとあろうものが、何故忘れていたのか。
まだまだダメなところは多そうだ、と、エミリアもナスタージャも思ったに違いない。
「き、【消えない種火】っ!?」
エミリアから贈られた、微量の熱を持つ赤い宝石。
この世界では、一般的には価値のない《石》。
「じゃあ、その《石》があれば、炎の“精霊”さんを呼べるんですかぁ……?」
ナスタージャの質問に、エドガーは父が書き込んだと思われる文字を読み返しながら答える。
「父さんは、核の《石》がないって書いてるし。他の材料は揃ってると見て大丈夫だと、思います……多分」
歯切れの悪いエドガーに、エミリアは。
「エド!《石》どこにあるの!?」
「えっ?……僕の部屋にあるよ。ベットの近くの棚に箱のまま飾ってある」
「ナスタージャ!ゴー!!」
「――えっ。あ!は、はぃぃっ!!」
エミリアの号令にすぐさま反応し、地下から《石》を取りに行くナスタージャ。
「エド、すごいよっ!出来るかも知れないんだよ?お父さんも出来なかった“召喚”を!」
「それは……」
そうかも知れない。でも。
“召喚”には体力、魔力が大量に必要だ。
今“召喚”に失敗したら、アルベールを助けるなんて出来なくなる。
それよりなら、もっと効率の良い“召喚”で確率を上げた方がいい。
例えば武器や防具、奇襲のための道具でもいい。
「大丈夫だよエド、私がいる」
エミリアは自分の胸に右手を当てて、エドガーを見つめる。
しかし、エドガーは直ぐに逸らしてしまう。ムッとするエミリア。
「……エミリア。でも【精霊の召喚】は、多分リスクの方が高いよ」
【精霊の召喚】は、父にも聞いた事が無かった。
古文書を見る限り、父は何度もチャレンジしたのだろう。
だが、父が出来なかった【精霊の召喚】。
エドガーは、それが自分にできるとはとても思えない。
「――じゃあ!やり方教えて!?」
エドガーは突然の大きな声に驚き、エミリアを反射的に見る。
「……エミリアっ」
「エドがやらないなら……私がやってみるっ」
“召喚”は【召喚師】にしかできない。
特異体質である【レオマリスの血】が無ければ、不可能なのだ。
「――無理だよ」
「なんでっ!?」
エミリアだって知っているはずだ。
でも、聞かずにはいられなかったのだろう。
「なんでもだよエミリア。“召喚”は【召喚師】にしか出来ない。――無理なんだっ!」
「「……」」
「「……」」
長い沈黙。二人の間にこんな沈黙は今までにない。
(僕だって、やれるものならやってるさ……でも、リスクの方が高い。今はこれじゃ駄目なんだ!)
「「……」」
「「……」」
続いていく沈黙に端を発したのは、俯いたままのエミリアだった。
「――エドが、助けてよ!」
「……えっ?」
エミリアの、いつもの明るく優しい笑顔。
それが、見る影もなく歪み、涙を流す。
顔をクシャクシャにし、声を上ずらせ、泣く。
それでもエドガーに、我慢してきた本心をぶつける。
「……助けてよぉ、エド。兄さんを、私をっ――助けてよぉぉぉっ!!」
地下室に反響するエミリアの悲痛。
「……う、ぐすっ……きっと、私じゃ、あいつらに勝てないもん。ロヴァルトの家も、今は何も、出来ない……から」
フィルウェインは言っていた。
ロヴァルト家、その当主アーノルドは現在、アルベールが【聖騎士】になった報告という形で、昨日から【リフベイン城】に出向していると。
これから城に行きアーノルドに説明したとしても、ロヴァルト家が王家から反感を買うだけだ。
それでは何の意味もない。
だから、エミリアは自分達で何とかしようとした。
その最後の頼りが、エドガーの存在だった。
何も、エドガーに戦いを期待している訳じゃない。
ただ居てくれればいい、自分の傍らに、居て欲しいだけだった。
“召喚”をする。
そう言いだしたエドガーを見た時、エミリアは死ぬほど嬉しかった。
今まで消極的で、体力もやる気も無かった幼馴染。
騎学を辞めて学生では無くなって、会う時間は減った。
それでも毎日のようにエドガーを起こしに行ったりして、エドガーを孤独じゃないようにした。
エドガーの為に。自分の為に。
「エドっ……お願い!……私、なんでもする。言ってくれればなんだってするよっ!」
エミリアはエドガーにの胸にしがみつき、懇願する。
「エミリア……」
(ホント、情けないな僕は……また後ろ向きになってた)
エミリアの本気の涙なんて、子供の頃にも一度あるかないかだ。
アルベールを助けたいと言う思い。大切な家族なんだ、当然だろう。
エドガーに涙を見せてまで、危険な“召喚”を懇願するのは。
アルベールを助けたい思いと、エドガーを信じてるという。――親愛の証。
(僕は、何に怯えてたんだろ……こんなにも僕を信じて、頼ってくれてるのに)
エミリアの優しい温もりを感じ、不安な気持ちが薄れていく。
「……ねえ、エド、お願い……エド?――わ、笑ってるの??」
エミリアはエドガーを見上げ、笑みを浮かべる幼馴染を不思議に思う。
「ごめん……変な意味はないんだ。ただ、自分がこんなに情けないとは思わなくてさ」
「――ち、ちがっ……違うよ!エド、私!」
「大丈夫。わかってるよ……エミィ……ありがとう。やるよ……【精霊の召喚】、そして助けよう。アルベールを!!」
「――エドっっ!!」
思わずエドガーの胸に顔を埋めるエミリア。
その暖かい感触は、エドガーの荒野の様に寂しい心に――火を灯した。
「あのぉ……もういいですかねぇ?」
がばっと、エミリアを引き剝がすエドガー。
「ナ、ナスタージャさん……いつからそこに?」
ドアの端から顔を覗かせ、エミリアとエドガーを交互に見るナスタージャ。
「え~っと……『エドっ!!大好きっ』って所からですかねぇ」
自分の身体を抱きかかえて、ちゅ~っと唇を尖らせる。
「そ、そそ、そこまでしてないわよぉ!!」
耳まで赤くし否定するエミリア。大好きっ!は否定しない。
「ナスタージャさん、《石》は……?」
エドガーはあえてスルーする事にした。
「あ、はいここに」
一瞬で覚めたナスタージャから小箱を受け取る。
後は、他の材料だ。
「よし!エミィ、ナスタージャさん。父さんが古文書に書いてある通りに材料を揃えよう、大体この部屋にあるはずだから」
「分かった!」
「あ、はい!」
「まずは、えっと……【プリンセスブラッド】だね」
「お、王女の、血ぃ……?」
エミリアはあからさまに嫌がる。
「本当の血じゃないよ……昔の王女様が飲んだ薬……って書いてるよ」
もし本当だったら、不敬どころじゃない話だが。
「あ、これですかぁ?」
ナスタージャが、棚の隅から見つけた。
小指程の小瓶。血のような赤い液体が入っている。
エドガーは古文書の絵を見て確認する。
「……た、多分」
父エドワードは、絵も下手だった。
「多分て」
ジト目で見てくるエミリアのツッコミを無視し。
「よし、じゃあ次!【赤帝馬の鬣】」
「た、たてがみ?」
「……もう、絶対にこれですよねぇ……?」
ナスタージャが見つけたのは、壁に掛けられた箒や紐、ロープに混ぜられた、赤い赤い毛の束。
「ねえ、私……ゴミにしか見えないんだけど……」
「……なんか、ごめん」
◇
【プリンセスブラッド】に【赤帝馬の|鬣《》たてがみ】そして【消えない種火】。
父の書き込みはこれで全部だ。これで“召喚”出来るのだろうか。
「まだ、何か……」
あるかもしれない。と言おうとして、エドガーは思う。
(もし“召喚”に使う他の道具……例えば、魔法陣を書くためのインクを、赤い物にしてみるとか)
「これで終わり……?」
「あ、うん。大丈夫だよ……これで全部だ。よし、じゃあ行こうか、【召喚の間】に」
ギィィっ!と開かれる、重厚感のある鉄の扉。
地下室の奥にある【召喚の間】。
この広い空間は、大規模な“召喚”を行う際に使われるらしい専用の部屋だ。
【召喚師】以外は入れない特殊な力が発動して、【召喚師】以外の人間を阻むのだ。
「一年ぶり……か」
きっと、エドガーの妹リエレーネが知ったら怒るだろう。
ここは、母マリスが亡くなった場所。そして最後に父を見た、悲しい場所。
「なんか、明るいね……」
入口付近の横から、エミリアの声。
「ああ、【明光石】を何個もつなぎ合わせた、大きいサイズのランプがあるんだよ」
【明光石】は、一度光を取り込むと一生光り続ける《石》。
それをつなぎ合わせ大きくしたものだ。一般的には使われないだろう。
何せ一生光るのだ。家庭で使用したら邪魔でしょうがないはずだ。
「ああそっか、地下だもんね」
エミリアは納得した様子。
そしてエドガーは部屋を進み、棚から赤茶色の物体を取り出す。
「よかった、ちゃんとあった」
「なにそれー」
エミリア達は入口で見ているだけと約束させた。そもそも入れないが。
見えない壁に手を当てて、エドガーをジィっと見る。
「これは【陽赤土】だよ……魔法陣を書くのに使うんだ」
エドガーは部屋の中心部に歩み寄り、しゃがみ込んで手を合わせる。
(母さん……)
「エドガー君、何してるんですかね?お嬢様ぁ」
ナスタージャは、小声で真下のエミリアに話す。
何故かエミリアが地べたに座り、ナスタージャが立っているからだ。
「ん?祈ってるのよ……ここでお母さんが亡くなったから」
エミリアも、エドガーの母マリスを思い出す。
「そうなんですかぁ」
「ねぇナスタージャ」
「……はぃ?」
「どうでもいいけどさ、何でエドにはエドガー様……で、私にはエドガー君、なの?」
今は、本当にどうでもいい話だった。
「そりゃあ、君って言った方が」
「――方が?」
「お嬢様が面白いので」
「お~ま~え~は~!!」
立ち上がり、ナスタージャの頭をガッチリ固め力を込める。
「あああっ!お嬢様!痛いぃ。あ、お嬢様の慎ましいものが。ああっ!やっぱり痛いぃ!」
「も、もういいかな?」
はははっ。と呆れ笑いをし、エドガーがエミリア達を見る。
「ご、ごめんエド、邪魔だよね……」
「ううん。大丈夫……リラックスできたよ」
本当の事だ。
「そう?じゃあ、もっとリラックスして……ねっ!!」
と言って、エミリアは更に力を込めた。
「ああああああっ!!い、ったぁぁぁいぃぃぃ!!」
さすがのナスタージャも、今度は冗談などを言えなかった。
「エミィ、その辺で……」
エドガーの言葉でやっと解放されたナスタージャ。
「あぁ、ありがとうございますぅ」
エドガーとエミリア、二人にお礼を言うナスタージャだった。
「あんたは本当にあんたね」
仲のいい主人とメイドを見てリラックス出来た。
材料も揃った。後は実行するだけ。
「さあ、準備は出来た……やるよっ、【精霊の召喚】」
◇
炎の“精霊”イフリートを“召喚”し、契約する。
アルベールを助けるために、力を貸して貰うのだ。
“召喚”する為の素材。
【プリンセスブラッド】。
【赤帝馬の鬣】。
【消えない種火】。
に加えて、【陽赤土】を混ぜた塗料で書いた魔法陣。
もし危険そうなら、直ぐにエミリアが扉を閉める。そういう算段だ。
最近は倒れる程の“召喚”はしていないし、魔力は勿論【トーマスの秘薬】のお陰で、体力も十分だ。
エドガーは水桶に大量のインクと水を投入し、専用の鑢で【陽赤土】を削り、それを混ぜる。
水桶の中は【陽赤土】の赤色と、薄めたインクの黒で混ざり、濃厚な赤黒いインクになった。
「よし、次は魔法陣だな」
エドガーは次に、【赤帝馬の鬣】を纏め筆状に仕上げる。
ある程度整えて水桶のインクに付けると、【召喚の間】の中央に魔法陣を書き始める。
父がメモを書き残した古文書を頼りに円形の魔法陣を書き、その中に古代語を記入する。
エドガーは古代語を読めないので、父の書いた文字を信用するしかない。
古文書の通りに書き込み、丁寧に確認しながら書き進めていく。
もし間違っていたら魔法陣は直ぐに発光するはずだ。
それだけは便利だと思う。
「うん、間違いはないみたいだ……よかった」
魔法陣を書き終えたエドガーは、残った【赤帝馬の鬣】を魔法陣の数か所に置き、中心部には箱から取り出した【消えない種火】を設置する。
後は、【プリンセスブラッド】を魔法陣に直接注げば、“召喚”は発動されるはずだ。
「よしっ、準備完了だ」
エドガーは入口で待つエミリア達に振り向くと。
「じゃあ始めるから、何かあったら直ぐにドアを閉めて、いいね?」
「……う、うん」
「……は、はい」
どうやら、二人共緊張がやばいらしい。
エドガーもいつもより緊張はしているのだが、何だか二人を見てるとリラックスできる。
「――始めよう」
エドガーは魔法陣の前に立つと、【プリンセスブラッド】の瓶蓋を開け、魔法陣に垂らしていく。
垂らした塗料が付いた瞬間、魔法陣は光り始め、綺麗な赤色に輝く。
「レオマリスの血……【召喚師】の血が汝に問う。火炎を身にまとう“精霊”よ、供物はここに。我が呼びかけに答え、今、姿をみせよっ……!」
【召喚師】の祝詞、必須項目の【レオマリスの血】【召喚師の血】【供物】【姿】を組み込み、“精霊”版の祝詞を唱える。
まさか父が残した汚い文字の中に、祝詞の意味も含まれていたとは。
光る魔法陣が順に走り。中央の《石》、【消えない種火】が光に包まれる。
そして《石》から放たれる火。その火は一瞬で炎となり、魔法陣に染みる【プリンセスブラッド】をつたって、【赤帝馬の鬣】に引火する。
(う、熱っ……!)
既に炎は魔法陣全体を通して発生している。
轟々と燃え上がり、広い天井まで届いている。
(そろそろだ)
古文書に記された、“召喚”の最適な目安。
「我が名は、エドガー・レオマリス!契約を望む者なり……降臨せよっ!!炎の“精霊”!――イフリート!!」
名を呼んだ瞬間――
炎は一層強まり、音となる。
その音に混ざり、中心部で《石》が砕ける音がしたことを、ここにいる誰も、知ることはない。
◇
天井まで巻き上がった炎の中に、一際大きい影が宿る。
その影はエドガーの方を振り向き、突然右腕らしき物を振りかざした。
「――っ!!がっっ!――ぐあぁっ!!」
咄嗟に両腕で防いだエドガーだったが、そのパワーに吹き飛ばされた。
「――エドっ!?」
「エドガー様っ!!」
吹き飛ばされ、二度バウンドする。
魔法陣の炎の中から突き出る、赤黒い腕。
“召喚”には成功したらしいが、どうやら高いリスクにあたったらしい。
「――ぐっ!!うっ……」
エミリア達の悲鳴を聞き、エドガーも直ぐに反応する。
「――今すぐドアを閉めろぉぉぉぉっ!!」
まだ倒れながらも、エミリアを見据えて叫ぶ。
「……で、でも!!」
「早くしろっ!急げっ!!」
「エ、ド……ぅぁ……ぁぁ」
エドガーの見たことのない剣幕に、エミリアはたじろいでしまう。
逆に素早い対応を見せたのはナスタージャだった。
「お嬢様っ!!」
立ち尽くすエミリアの腕を引っ張る。その反動でエミリアは後方に転んで、尻餅をつく。
「……ナ、ナスタージャ」
「申し訳ございません!お嬢様!誹りは幾らでも受けますので!」
ナスタージャはエドガーを見る。
倒れながらも、エドガーは首を縦に振る。
それは、「これでいい」というエドガーの許容。
「エドガー様っ――くっ!」
一瞬の躊躇いをみせ、エドガーの言う通りドアを閉める。
「ああぁっ!……エドっ!!エドォォ!!」
転び尻餅をつきながら、エドガーの名を叫び手を伸ばすエミリア。
まるでスローモーションのように。ナスタージャが鉄のドアを閉めていく。
閉じられる扉の隙間から見えたエドガーは、とても優しい笑顔で。
――エミリアに微笑みかけた。
◇
ドアは閉められた。後ろに感じる業火の炎は、きっと自分を焼き尽くそうとしている。
エドガーが、真っ先にしなければならない行動。――それは。
内ポケットからこの部屋の鍵を取り出し、持ち手側の飾りを捻る。
この【召喚の間】は、歴代の【召喚師】から伝わる巨大な【魔道具】の一種だ。
エドガーの持つ鍵も例外ではなく、持ち手側を回すことで、室内の強度を上げる事ができる。
この部屋が完全に密室でなければ使えないので、ナスタージャには感謝しなければ。
(はは、エミィ……あんな顔して)
今はもう、扉の向こう。部屋の強度を上げた事で、ドアは絶対に開かない。
それでもエミリアは、きっとエドガーを呼んでいる。
(戻って……謝らないと)
グッと力を込めて立ち上がるが、両腕は炎に焼かれて既に感覚はない。
それでも、立ち向かわなければ。
幼馴染二人の為に。
「――律儀に待っててくれたのかい……?“精霊”イフリート」
「……」
(言葉は……通じないのか?)
「……目障リナ虫ケラダ……」
ゾッとするほど、殺意に満ちた声。
――これが――精霊?
「“精霊“イフリートよ……僕と、契約を」
それでも、当初の予定を遂行する。
「契約……ダト?」
心臓を掴まれたかのような威圧感に、エドガーの鼓動はドンドン早まる。
「力を貸してほし……いんだ」
魔法陣から溢れる炎の圧が弱まり、イフリートが姿を現す。
その姿は、古文書に載っていた絵とはまるっきり違う。
まるで悪魔のような姿をした、異形の化物だった。
エドガーの三倍はある巨躯に、羊の角に似た大きな巻角、体の節々から溢れる魔力を帯びた炎、殺意に満ちた視線は、今にもエドガーを射殺そうとしている。
上半身は人間に近く、下半身は動物の足をしている。
古文書に描かれたイフリートは、人間よりも小さめで、子供の見た目をしていたのに。
(あの本……詐欺じゃないか)
「力ヲ欲スルカ……虫ケラヨ……コノ我ニ、力ヲ貸セト?」
「ああ、そうだ……」
エドガーは一縷の望みに賭け、イフリートに契約を望む。
「――フザケルナァァァァ!!」
エドガーの倒れている床が、一瞬で爆ぜる。
「――ガァッ!!グッ――かはっ……!」
爆発の衝撃で天井に叩きつけられ、そしてドシャっ!と、今度は床に落ちる。
「っは、はぁっ、はぁ、はっ……」
(苦しい――息が……出来ない……)
「図ニ乗ルナヨ……虫ケラガッ……!!我ヲ“精霊”ナドト同一シ、剰エ契約ダト!?今スグニ灰燼トシテヤル」
そうして放たれる、炎の爆弾。
倒れるエドガーの近くに何度も爆発が生じ、エドガーはまるで玩具の様に弄ばれる。
「……ヌゥ、目覚メタバカリデ、巧ク動カヌ……」
既にエドガーはまともに話すことは出来ない、しかし。
(何でこんなに……息が出来ないんだ……でもそうか、“精霊”じゃ、ないのか。なら)
「じゃ、あ……お、前は……何、者なん、だ……」
精一杯息を吸い、言葉を紡ぐ。
「我ハ魔人ナリ、貴様ラ人間ガ言ウ――魔族ダ……」
魔族。
遥か昔に、人間との戦争の末に敗れ絶滅した存在。
昔話に出てくる空想だと、誰もが思っているはずだ。
「魔、人?」
「……ソウダ、我ハ数千年前ニ封ジラレタ……《石》ヲ破壊シ、封印ヲ解イタ事ハ感謝シテヤルガ」
(《石》を破壊……?封印?僕はこいつを“召喚”したんじゃ……ないのか?)
意識がまだあるだけでも、エドガーからしたら凄いことだ。
だがこの状況で、何故か普段よりも頭が回る。
(“精霊”。いや、“魔人”か……それが本当なら、僕はとんでもないことをしたんじゃ……)
昔話に出てくる災厄を解き放った。
これはもう処刑じゃ済まない。
ここで死ぬならいいのかもしれないが、ここで死ぬ気はさらさらない。
だから、エドガーが何とかするしかない。
「どう、すれば……静、かに、して、もら……える?」
「……」
魔人は、無言で爆炎を起こし、エドガーを吹き飛ばす。
「――ぐふぁっ!!」
吹き飛ばされて、はじけ飛ぶ。
何度も壁や天井、床に叩きつけられ、虫の息と言ってもいい。
「――ドウシタ、静カニシテヤッタゾ……」
(く、そ……話も通じないか、こんなことになるなら――“召喚”なんて)
やめたらよかった。と思いそうになったエドガーは、すぐにその考えを塗りつぶす。
(あぶな……また、弱気になるとこだった)
エドガーの脳裏には、さっきのエミリアの泣き顔と、昨日のアルベールの笑顔があった。
(もうエミリアにあんな顔をさせちゃダメだっ!――そしてアルベールの笑った顔を、もう一度見るんだっ!)
何度も膝をガクッとさせながらも、エドガーは立つ。
膝は笑い、腕はだらんと垂れ下がり、目からは光が失われつつある。
「ホゥ、マダ立ツカ……手ヲ抜イテイルトハイエ、我ガ炎ヲ何度モ食ラッタノダ、モウイイダロウ、ソロソロ消エルガイイ!」
――爆発。
炎の爆弾は、フラフラと立ち上がったエドガーの腹部に命中し、吹き飛ばす。
うつ伏せに倒れ、血をまき散らす。しかしその血も、高熱で蒸発していった。
(くそ……ダメか……もう、意識が)
「次ハ……コノ部屋カラ出ネバナラヌナ……」
「――っ!!」
(ダメだっ!ダメだ!ダメだ!ダメだっ!)
この部屋から出れば、真っ先に狙われるのはエミリアとナスタージャだ。
上にはメイリンとフィルウェインもいる。
(どうするっ!?どうすればいいっ……誰か!?……誰か?……誰がいるっていうんだ……ここは、【召喚師】しか入れないんだ……いるわけがないのに……なんで、なんでだよっ!!なんで僕はこんなにも……)
「――弱いんだ……だ、誰か……誰でも、いい!」
目から溢れる涙。
しかし、それはすぐさま|虚《》うなしく蒸発していく。
「た……す……け……て」
小さく、弱々しい言葉を発した。
その瞬間。エドガーの身体は、突然噴き出した炎の渦に包まれ。
そして、意識を失った。
◇
「命乞イカ……ツマラヌ、塵モ残サズ焼キ尽クシテ……――ヌゥ!!」
魔人がエドガーを焼き尽くそうと炎を出そうとした瞬間。
エドガーの周りから噴き出した炎。自分のものではない炎に、魔人は驚いた。
「何ッ!?」
背後に感じた人の気配と、凄まじい“魔力”。
「何者ダ!?」
振り返り、人影を確認する。
「――何者、か。契約者にもまだなのに。貴様如きに名乗るのは、釈然としないわね……」
――ひたひたと歩く。
その姿は、裸の女だった。
女は、まるで赤子の手を捻る様に、魔人の炎を容易く受け流す。
その右手には長剣が握られ、魔人に向けて一閃する。
超一閃。
まだ距離のあるはずの女から一瞬で到達した斬撃は、魔人の左腕を簡単に斬り落とした。
「――グォォォォ!!」
ドサリと落ちる赤黒い腕。
左腕が切断され、雄たけびを上げる魔人。
「あら、意外と頑丈じゃない」
一刀両断するつもりだったのだろうか、魔人の身体にも斜めに裂傷があり、マグマの様な血が噴き出ている。
「――キ、貴様、ソノ力……!?」
女の右手の甲には、赤く輝く宝石、【消えない種火】が光を放っていた。
それだけで、女の魔力を増幅させているのが分かる。
「何故ソノ《石》が……ソレハ我ノ!」
「――貴様のではないっ。この【消えない種火】は、私の物よ……」
かつて魔人を封印した。赤い《石》。
先程魔人が復活した際に割れて、粉々になったはず。
「私は、余り気の長い方じゃないらしいの……だから、貴様の問答に答えてあげられない。早く彼と話がしたいの……そういうことで――サヨウナラっ!!」
右手が光るとともに、長剣をかざす。
宝石から生まれる無尽蔵の炎と、膨大な魔力。
「グォォォォッ!!マ、マタ封印サレルノカ!コノ我ガ!!」
地下の天井まで届く炎の斬撃は、魔人を斬り伏せようとせまる。
魔人も炎で防ぐが、魔力の量が桁違いに違う。
「封印……?何を生ぬるいことを。私の【消えない種火】に、貴様ごときの小汚い炎、受け入れる訳ないでしょうっ!!」
「グ、グァァッ!!貴様!貴様ァァァァ……――」
――大爆発。
炎の斬撃が魔人に接触した瞬間、地上を震えさせる程の爆発が生じ。
魔人は、跡形もなく消滅した。
「……さてと、そろそろ防壁が切れる頃ね、契約者の彼は、っと。大丈夫よ、ね?」
自身も大爆発に巻き込まれたはずだが、まるで動じずにエドガーを心配する。
「ああもうっ!アイツの炎が鬱陶しいっ!」
持っていた剣を投げ、魔力を込める。
すると炎の剣は三つに分身し、魔人が残した炎を撃滅していく。
全ての炎を消し終え、三本の剣も消滅する。
すると同時に、エドガーを包んでいた炎の球体が解除され、倒れるエドガーの姿が確認できた。
「あ、無事……かな?」
「――……うっ、うぅ」
「よかった。生きてるわね」
彼の視線を感じ、何か違和感を感じる。
「――って私、裸じゃない……流石に初対面の印象は大事ね」
右手をかざして炎を生み出すと、真っ赤なドレスに変化させて纏う。
「まぁ、急場しのぎならこのくらいかしらね」
ついでに、腰まである髪をアップにする。
それは、まるで赤い炎の鬣だ。
女はエドガーの元へ駆け寄る。膝を着き、エドガーの顔を覗くと。
「ねぇ、私を呼んだのは、貴方でしょう?」
「……ぁ……」
何かを言おうとしたが、エドガーは、まるで彼女の言葉に安心したかの様に、眠りについた。
「……寝ちゃった……?」
「……」
「……本当に寝てる。よくこんな状況で……ん、まあ、それもそうね」
エドガーの頭を膝の上に寝かせ、彼女は右手をエドガーの額に乗せる。
「――退屈しなくて済みそうでよかった。出逢えて良かったよ……ありがとう」
彼女の右手に輝く《石》が、エドガーに感謝するように煌めいていた。




