132話【残虐の魔王】
◇残虐の魔王◇
【悪魔の心臓】。
過去の大戦で幾多の魂を集めた、不穏な“魔道具”。
【魂の器】として、長年の時を経たそれは、巡り巡って、エドガーの家である【福音のマリス】へ。
しかし、【悪魔の心臓】が存在したのは、フィルヴィーネが居た時代。
それはつまり、現在上の階でローザとローマリアが話している内容と、時期を同じくするもの。
――千年以上前の物という事だ。
フィルヴィーネは知っている。これが確実に【魂の器】であるという事。
何故なら、この【悪魔の心臓】は、フィルヴィーネが治める、《魔界》にて存在するものだからだ。
フィルヴィーネは、世界を行き来できる能力を持つ。
そうして、様々な世界を行き来しながら、奪われた《石》を探していたフィルヴィーネだったが。
この世界だけは、フィルヴィーネの身体を拒んだ。
正確には、これより先の未来の世界、だ。
何とか、魂だけをこの世界に飛ばして《石》を探していたのだが、実は今度は戻れなくなっていた。
この世界に漂い始めて、早数年。
ようやく発見した《石》、【女神の紫水晶】。
このエドガー達の会話から想定するに、この世界はフィルヴィーネが居た世界の未来の世界の可能性が高い。
見知った“魔道具”が多く存在する事もそうだが、先程まで居た女。
ロザリーム・シャル・ブラストリアは、フィルヴィーネの世界の一つ、《人間界》の英雄だ。
フィルヴィーネの世界は、大まかに分けて三つの世界があった。
人間が戦争を繰り広げる《人間界》。
神々が創造し、“天使”が住まう《天界》。
そして、三人の“魔王”が治める《魔界》。
フィルヴィーネは、その三人の“魔王”の一人だ。
《残虐の魔王》と呼ばれ、“魔族”の中でも特異な存在。
人間の勇者を待ち続けて、それと戦う事を夢見た、異質の“魔王”。
しかしその願いは叶わず、勇者になり損ねたロザリーム・シャル・ブラストリアは、その身を消滅させた。
そこまでは、フィルヴィーネが観察していた。
まさか、こんな所で相まみえる事が出来るとは、想像もしなかった。
この世界に居れば、《人間界》の勇者と戦える。そう思えばこそ、今自分の身体があるだろう時代には、もう興味はない。
《残虐の魔王》とは称号ではなく、畏怖を籠めた敬称だ。
それは、同じく“魔族”から与えられたもので、フィルヴィーネが自ら言った訳ではない。
戦いに明け暮れ、戦う相手を無くし、ついには異世界に戦う相手を求めた。
――始まりだ。《残虐の魔王》の求めるものは、異世界にこそあるのだと。
◇
厳重に注意しながら、エドガーはメルティナと共に【悪魔の心臓】を運ぶ。
エドガーのその頬には、静かに伝う汗が光る。
「……マスター、どこに置きましょうか」
「“魔道具”をまとめて置いてある場所でもいいけど……誘発されても困るからね、少し距離を置いておこう」
「イエス」
そうして【悪魔の心臓】が入れられた木箱は、魔法陣を描く中央付近から、更に離されて置かれた。
その理由は、“魔道具”の誘導発動だ。
【悪魔の心臓】は、大量の魂を封じた器であると同時に、大変危険な“魔道具”でもあった。
その名の通り、心臓を形とられて作られている石像なのだが。
この石像。動くのだ。静かに、脈を打つように。
これを見たサクラが気を失ってしまって、今はサクヤに介抱されている。
サクヤが、紫水晶を持つ手をサクラの額に当てているので、フィルヴィーネの声はきちんと聞こえているのが幸いだ。
『……後ハ準備、カ……エドガーヨ、頼ンダゾ?』
「ええ、では準備します。何かあれば声をかけてください」
『ウム。励ムガヨイ』
エドガーは黒炭を削り、それを塗料に混ぜてかき混ぜる。
元々紫に近い塗料をフィルヴィーネが選び、理想に近い色を出すためにしたものだ。
筆は、【バイオレットリィン】と言う、背中に菫の花を咲かせた大型の虎(魔物ではない)の毛を使用した。
とても貴重なもので、レオマリス家にも少量しかなかったが、フィルヴィーネがこれがいいと言うので仕方なく全使用した。
今回は【悪魔の心臓】が他の“魔道具”を誘発させる可能性があるので、魔法陣はかなり大きめに描く。
充分な距離を取り、題材である【紫月の神ニイフ】を連想させた魔法陣を書く。
『――フム、見事ナモノダ……』
「ワタシの時は、こんな工程はなかったそうですが……」
エドガーに感心するフィルヴィーネに、メルティナが愚痴る様に告げる。
確かに、メルティナが“召喚”された時は、まるで事故の様に発生した“魔道具”の共鳴によって起きていた。
正直言って、今も何故メルティナが“召喚”されたのかは分かっていない。
【召喚の間】を調べても、細工された様子はなかった。
可能性があるとすれば、“召喚”の為に使われる“魔道具”が全て偶然揃っていた事、メルティナの《石》、【禁呪の緑石】に、魔法陣が直接書かれていた可能性だ。
その魔法陣を通して《石》と“魔道具”が反応し、エドガーの魔力を吸い取って発動したのではないかとは、ローザの考えだが。
では祝詞は?と、エドガーは考えた。
しかし、考えて出て来る答えではなさそうだったこともあり、保留となっている。
だが、フィルヴィーネは簡単に結論を出す。
『――ソレハ簡単ダ。オ主ガ求メタ魂ガ、コノ世界ニ在ッタカラダロウ……』
「――!!それは、まさか……」
エミリア・ロヴァルト。
メルティナのマスターであった、ティーナ・アヴルスベイブの生まれ変わりだ。
それは、メルティナが遺伝子情報を調べて確認している。
『惹カレタノダロウ……ソノ魂ニナ』
「――感謝します。フィルヴィーネ……」
一つ、胸の痞えが取れた気がした。
意味があったのだと、この世界に来た意味は確かにあったのだと、そう言われた気がして。
◇
エドガーの準備は、着実に進んでいた。
ずっとサクラの額に手を当てていたサクヤも、少し疲れて来たのか、目が眠そうだ。
ウトウトして、紫水晶を持つ手が滑り、サクラの額から鼻先にぶつかる。
「あ」
「い!!――ったぁ!」
ゴリッといい音をさせて、サクラは飛び起きた。
「何すんのっ!?……ってここ、【召喚の間】?」
魔法陣を書き上げたエドガーは、メルティナに渡されたタオルで汗を拭きながら、こちらに気付く。
エドガーは、にこやかに笑っていた。サクラの声に、少しリラックス出来たようだ。
「……はっず……」
頬に薄紅をさすように紅潮させ、エドガーからの視線を逸らす。
本気で恥ずかしかった。変な声を上げて起き上がる年頃の少女なんて、絶対に好きにならないのではないかと思ってしまう。
「……す、すまぬサクラ……手が滑った」
サクヤは、今ので完全に目が覚めた様で、冷や冷やさせながらサクラに謝ってくる。
その様子からも、ワザとではないと伝わるので、サクラも変に意地の悪い事は言わない。
「いいよ、もう……それよりさ。フィルヴィーネ……さんの“召喚”準備中?」
「うむ。今し方、主様は陣を書き終えたようだな」
エドガーとメルティナは、結構な大きさの魔法陣に“魔道具”を配置している最中だった。
「……手伝いは、要らなさそうだね……」
「そうだな。わたしは逆に邪魔をしそうだ……」
「そうかもね」
今サクラがされたように、変に起こされるような事をされたら、堪ったものじゃないだろう。
サクラもサクヤも、自分の領分は弁えていた。
◇
黒紫色の魔法陣の上には、等間隔で“魔道具”が置かれている。
中央に【女神の紫水晶】を置かなければならないので、そこにはサクヤが立つのだが、本人が理解しているかは分からない。
陣の北側には、【巻紫の尾】と言う、見た目は“悪魔”の尻尾のような、先が膨らんだ蔦が。
反対側の南側には、【黒羊皮】と言われる、黒い羊の毛皮が。
これは加工されて、レザー素材になっている。
今回は、これに加えて【バイオレットリィンの毛】で作った筆を使用している。
黒炭を使った塗料も、フィルヴィーネの要望通りだ。
「準備完了だ……ありがとう、メルティナ」
エドガーは汗を拭い、メルティナに礼をする。
「イエス。配置の距離感も、【悪魔の心臓】の効果を考えられた最善の配置です。これでサクヤが中央に立てば、いつでも開始できますね」
ビクッ――と、後ろで控えていたサクヤが震えた気がした。
気のせいかもしれないが、今もしかして逃げようとした?
するとサクラが、サクヤの足に何か嵌めていた。
「――サ、サクラァァァァ!!」
ガチリと、サクヤの細い足首には手錠が嵌っていた。
もう一方は、サクラの手首に嵌められて、逃げられない様になっている。
どうやら、察知したサクラが先回りしてくれたようだ。
「なんで逃げようとすんのよ……エド君の為でしょ?」
「うぅ……承知……」
ガックリと項垂れて、サクヤは諦めた。
サクヤが本気になれば抜けられる気もするが、縄抜け的な技で。
『エドガーヨ。少シヨイカ?』
「――?……どうしました?」
何か不都合があったかと、エドガーは小走りでサクラのもとにやって来る。
よく見ると、結構な汗の量だ。
『ナニ。大シタ事デハナイ……“召喚”ヲスル前ニ、我ハ魂ヲ帰サネバナラヌ』
「帰る、ですか?」
内心、そのまま帰ればいいのにと思ったサクラ。
しかし、それは藪蛇なので言わないことにした。
無益な事はしない性分なのだ。
『ソウダ。ソレデダナ……魔力ヲ貸シテ欲シイノダ……コノ小娘ガイイデアロウトオ思ウノダガ……』
「――げっ!」
どうやら、突っつかなくても、蛇は出てきたようだ。
それを聞いて、サクラが嫌な顔をする。
「あたしよりも、メルの方がいいよ」
メルティナは、この子はやはり鋭いと感心する。
しかし、最も効率の良い考えが、メルティナの中には構築されていた。
「ノー。サクラが【ハート・オブ・ジョブ】を使用すれば、ワタシの魔力を容易に超えます」
現在、サクラの魔力(MP)は398だ。
メルティナは578で、確かにメルティナの方が高い。
だが、サクラの能力を使えば、きっと簡単に超えるだろう。
その為の訓練も、実はしてきている。
「――訓練の成果を見せる時です。サクラ」
「……なんか上手く乗せられている気がするけど……仕方ないかぁ」
サクヤに「エド君の為」とか言った手前、嫌だと我儘を言えなかったサクラ。
仕方がなく、サクラはメルティナの言う通りにするのだった。




