125話【逃げる《石》】
◇逃げる《石》◇
【召喚の間】に入った紫紺の影を、頭部高度センサーは認識しなかった。
しかし、人間の目を持ったメルティナは視認した。
メイリンと共に居たメルティナは、彼女の悲鳴でその気配を察知し、咄嗟に追いかけては来たものの。
その影は何処にもなく。《石》の反応も皆無だった。
暗い地下室内で、暗視センサーまで起動するが、影は見えない。
「――反応なし。不愉快ですね……」
苛立ちを隠そうともせず、メルティナは周りにある塗料の空き缶を蹴とばす。物凄く人間らしい。
「……これでは、折角マスターに褒めて戴こうと思っていたのに、意味がありません」
滅茶苦茶不純な理由で苛立つメルティナだった。
少しして、ローザとサクラがやってくるが。そのいなければいけない人物がいない。
「……ローザ、サクラ、来ましたか……?――マスターはどこですか?」
機械に頼り気味のメルティナは。
契約効果の一つ、【存在感知】をまだ使えていない。
その為、ここにエドガーがいないことを不思議に思う。
「え……?――あっ!」
「……ぁ」
三人共が不覚。
ローザとサクラも、エドガーがいない事に、今気づいたようだ。
サクラは口に、ローザは額に手を当てて。
しまったと、“契約者”の少年を置いてけぼりにしたことを反省する。
「――ま、まぁメイリンの事もあるし……エドガーの事だから対処している事でしょう……決して蔑ろにしたわけではないわっ」
「だ、だね!忘れたわけじゃないよっ!?エド君にメイリンさんを任せて来たの!」
二人は結託した。
メイリンという一般人を理由に。
「……サクラの発汗性を確認。ここの温度は20℃前後のため、そのような汗の量は《嘘》と断定。ローザもこちらを見ようとしない事から、視線を見られたくないと伺えます」
「う、動いたからだし」
階段を一階分降りて来ただけだ。
普通の地下室よりは、確かに長めの距離だが。
「こちらを見て言ってはどうですか?」
ローザもサクラも、メルティナを見なかった。
図星をつかれたのだろう。
そんな微妙な空気を作る三人に、そのエドガーから【心通話】が送られてくる。
<ローザ、サクラ……メルティナもいるよね、三人共、聞こえるかな?>
<マスター!聞こえます、薄情者の二人は知りませんが……>
メルティナは二人を見る。
<――き、聞こえてるわ……どうしたの?>
<……ごめんね、マジで……ごめん>
やけに二人に当たるメルティナ。
しかし、そうしてくるならばローザにも考えがある。
<それはそうとエドガー、抜け駆けをして褒められようとしたメルティナはどうするのかしら?>
「――!?」
ローザは一つ確信している事がある。
それは、メルティナ・アヴルスベイブのエドガーとエミリアへの依存度だ。
メルティナはエドガーに認めてもらう、延いては褒めてもらう事が現状の目的だと、ローザは睨む。今回の抜け駆けもそうだろうと。
メルティナの今の顔を見て、ローザは内心で笑う。
(本当にいい表情をするわね)
口をあんぐりと開け、両手を挙げて否定する。
エドガー本人はいないのにだ。
<マ、マスター!違います、これには事情があるのでして、独断専行をしたのは……その……えーっと>
人工知能が言い淀んでいる。
【心通話】が心の会話で助かった。
「――ロ、ローザ。ここは後で決着をつけましょう。今は……優先順位が違うと思われます」
エドガーを最優先に設定した女が何か言っている。
ローザが一枚上手だったようで、エドガーも特に何かを言う訳でもないのに、勝手にアタフタする人工知能さん。
「<――ふっ……いいわよ。とにかく今は、謎の影……私は見ていないけれど、メイリンもメルティナも見てるし。サクラは《石》で感じてもいる……三人でそれを探すわ>」
<……?――まぁ、何でもいいけど、僕は念の為にメイリンさんを家に送ってから、サクヤと合流してから地下に行くよ。それまでは、何かあっても無茶しないで……いいね?>
メルティナとローザの前半の会話が意味不明だったエドガーだが、自分が言わなければならない事を理解していた。
「<了解しました>」
「<分かっているわ>」
「<オッケー!>」
三人共が、口でも【心通話】でも返事をして、エドガーは【心通話】を切った。
「さぁ、探しましょうか――と、言っても。サクラ」
「――うん、今やってる」
額の《石》が一瞬煌めき、共生反応を探す。
「――在った!左の棚の奥。広い方にあるよ……紫の《石》に近付いてる!」
「《石》――ですか?そのような反応は……――っ!!」
「いたわね。本当に影、いえ……幽体?それとも【精神体】かしら……」
「ゆ、幽体!?それって……もしかして、ゆ、幽霊?」
ゆらゆらと揺らめく紫紺の影は、何かに導かれるように左段の棚へ隠れた。
【明光石】を誰かさんが訓練で壊してしまったので、今は松明とサクラの【スマホ】の灯りが頼りだった。
「――ああぁ!――何か蠢いてるぅぅ!」
紫紺、黒紫に近いくらいに淀んだ影は、這いずる様に、前回使われた魔法陣の跡をなぞりながら揺らめく。
ローザが言う幽体。霊的な何か。
ローザは祓いの力、【破邪炎掌】を構えるが、影は敏感に察知して薄くなる。
「ちっ!――サクラ……影は?」
薄くなられると、ローザにもメルティナにも視認は出来なかった。
《石》にも反応は無しだ。メルティナはきょろきょろと部屋中にライトを当てながら、辺りを見渡す。
「そっちに行ってる!」
「――どっち!?」
あっちそっちでは分からない。
サクラだけが見えている、紫紺の影。
その動きは不規則で、まるで生物が逃げ回っているかのようだった。
「そっち……棚の、《石》の方に向かってる!!」
「そこですかっ!」
メルティナは、背の《石》から出現させた【エリミネートライフル】を撃とうとするが、サクラが止める。
「ああっ!“魔道具”があるからダメだってメル!エド君に怒られるよっ!」
「むっ!それはいけません……いやしかし、あの影は……」
「あっ!」
影は、棚の方向に吸い込まれるように消えていく。
三人は下手に動けず、見ている事しかできなかった。
そして紫紺の影は、静かにその存在を消滅させた。
「……どうするべきかしらね。あの《石》を――壊す?」
「いや……でもエド君のものでしょ?」
「そうなのですか?――ワタシが“召喚”された際の配置記憶では、あの《石》の有無は記憶されていません。ここ数日で入手したのなら別ですが……」
「え!?」と、メルティナの言葉に驚くサクラ。
ローザは、考えるように棚に近づく。
「……これは……紫水晶――アメジストね。これまた貴重なものを……これが新しく入手したものなら、私も諸手を挙げて喜こんでいるわよ……」
「それじゃあ……いつ?――って言うか、高いものですか?」
ローザはまじまじと《石》を見つめて感嘆とする。
そんなローザに、サクラはローザに近づきながら値段を気にした。
「【女神の紫水晶と呼ばれる、古代の水晶ね。値段は……どうかしら。私やメルティナの物と変わらないはずよ……?」
それは【消えない種火】、【禁呪の緑石】と同等の存在の価値を誇る《石》だと、ローザは言う。
「ちょっと確認を……」
ローザが“魔道具”マニアの血に耐えられず、【女神の紫水晶】を手に取ろうとした瞬間。
「!!――っな!――んぐっ!」
カッツーーンと、《石》が飛び出して、ローザの顔を打った。
「……ロ、ローザさん?」
「大丈夫ですか?ローザ」
フルフルと震えながら炎を生み出すローザに、サクラとメルティナは急いで止める。
「ストーーップです!ローザさんダメダメ!」
「落ち着いてくださいローザ、それよりも《石》が……」
ローザを攻撃した《石》は、ローザの胸をクッションにして衝撃を緩和させて、床に転がっている。
「この……」
意外と不意の行動に弱いローザは、かなり腹を立てているようで、もう《石》を燃やし尽くさん勢いで睨む。
本当に視線で発火させそうだ。
《石》、紫水晶はカタカタと音を鳴らして、怒りのローザに怯える様に、もしくはおちょくっている様にも見える。
「も、もしかしてさっきの影が……?」
「可能性はあります。ですが、霊視センサーに反応はありませんので、サクラの言う幽霊の可能性は低いですが……」
「幽霊じゃなきゃ何!?」
あんな薄気味悪い影に、勝手に動き出した《石》。
それに加えて、食材が勝手になくなっていた事やローザやメルティナには感知できなかったことは関係あるのだろうか。
「――新手の嫌がらせじゃないの?」
何に?誰に?
【召喚師】にだとしたら、確かに嫌がらせ行為だが。
それ以上に、今回は地味にローザが被害を受けているようにも感じられるが。
「エド君からしたら、嫌がらせの内にも入らないって言って笑いそうだけど……」
エドガーは【召喚師】を継いだ日から様々な嫌がらせ、というか“不遇”な扱いを受けてきた。
それは、父を見ていても分かっていたから。だからそういうものだと、直ぐに受け入れた。
「――受け入れなくてもいいモノばかり受け入れて、損してばかりなのよ、あの子は!」
ローザは右手の《石》に集中し、炎で出来た網を作り出してそれを投げる。
超網目の細かい、まるで一枚の赤い布のような繊細な物。
「おお、すごっ、これなら捕まえられ――」
避けた。スルッと綺麗に転がって。
無情にも、パサリと落ちる赤い網。
「「「……」」」
三人は、無言で《石》を見る。
「もう……意志ありますよね……《石》だけに……」
「その可能性は大かと……――今のは何ですか?」
「……憎たらしいわね、捕まえてエドガーのコレクションにしてやるわよっ!!……所でそれはどういう意味?」
「ごめん忘れてくださいお願いします……」
駄洒落と言う概念の無い異世界人に、サクラは顔を赤くして忘却を望んだ。
一方、ローザの言葉に紫の《石》はビクッと震えた――気がした。
「コホン……――と言ってもどうします?意外とすばしっこいですよ?」
サクラは、紫の《石》を見ながらジリリと近寄ると、それに合わせた距離を転がる紫水晶。
「一定距離を保っているようですが……法則性があるわけでもなさそうです」
メルティナは、紫水晶が反応しない距離を保ちながら反対側に回り込み、ローザもそれに続いて三方向から囲む。
「せーの!――で行きます?」
サクラは、鞄から【虫取り網】を取り出し、メルティナは頷く。
「イエス。合図は任せます」
「――じゃあ、行きましょうか……せーのっ!!」
三人は、各々捕獲用具を持って飛びかかる。
「それ!」
「はっ!」
「……!」
三方向からの同時作戦に、紫水晶は全く動かないままだ。
これで捕獲できたと思ったのだが。
「跳ねたっ!?」
「このっ!」
紫水晶は飛び跳ねた。
何の助走もなく、突然真上に。
「きゃっ……ちょっ!メル!ローザさんもっ」
「サクラ!網がワタシの顔に、ワタシは虫ではありません!」
「何やってるのよ、上に跳んだわっ!」
あたふたする三人。
サクラはメルティナの顔を捕獲し、ローザの網はその二人を纏めて捕獲していた。
「あ」
「ノー」
「……」
ビヨン!ビヨン!と、《石》とは思えない音を出して、紫水晶は【召喚の間】の入口へ。
止まったと思った紫水晶は、まるで入り口で三人をおちょくる様に回転して。
そして――出ていった。
「――逃げたぁぁぁぁ!?」
「ワタシ達は、《石》相手に何をしているのでしょうか……」
「……もう知らないわ――粉々にしてやるわよ……」
サクラは自然に動く紫水晶に驚き。
メルティナは不意に我に返って。
ローザは、メラメラとその青い目を、赤く赤く変色させていた。《石》相手に。




