124話【紫紺の陽炎】
◇紫紺の陽炎◇
昼食は、ようやくサクラに許されたエドガーが座席につき、メイリンの誤解をローザが解いてくれたおかげで始まった。
メイリンが持ってきたのは、人数分の丼。
エドガーもローザも、不思議な器に小首を傾げてしまう。
メルティナだけはこれが何だか分かっているようだが、サクラほど関心はなさそうだった。
この料理に一番関心を持っていた筈のサクヤが、この場にいないという事だけは本当に自業自得だろうが。
「あ~これこれ!完璧だよ、メイリンさん!」
メイリンにこれをオーダーした張本人は、甘じょっぱいタレの匂いに懐かしさを感じる。
丼の蓋を開けると、細切れの肉に玉葱、糸こんにゃくが入っている。
どれも茶色く煮込まれており、一見地味に見えるが。
サクラは目を輝かせる。これが食べたくて、わざわざ鞄から魔力を使ってまで取り出したのだ。
――【地球】の食材を。
牛肉はこの世界にもある。玉葱も、代用できる食材がある事を確認した。
だが、糸こんにゃくと醬油、味醂、ショウガ、そしてお米はこの国、というかこの世界では流通していなかった。当然と言えば当然だが。
サクラはどうしても、どうしても食べたかった。
好物である――牛丼が。
しかし、サクラとて理解し始めている。鞄から取り出した物体は、サクラの魔力で出来ている。
食材を、魔力を消費して食べている時点で、意味のない事をしていると。
サクラ以外の人は、食べれば栄養も摂れるだろうが、サクラ本人は一切の栄養分を摂取出来ないのだ。
なにせ自分の出した魔力を、体内に戻しているだけなのだから。
しかし、それほどの事をしてでも、恋しかった。自分の世界の味が。
「あとは~、この卵を落・と・し・て……――いっ!?」
身体ごとフリフリしてノリノリだったサクラが、卵を割ろうとしていた手をピタッ!と止める。
違和感が額の《石》を駆けて、あちらを見ろと警報を鳴らしたからだ。
エドガー達は、一気にテンションをガラッと変えたサクラが見ている先。
食堂の西側、ロビーの階段に近い扉を、全員つられて見た。
「……サクラ?」
「どうかしましたか?」
「どうしたのよ急に……?」
サクラは、何かいけないものを見てしまったかのような顔をしていた。
だが、エドガー達が見ても何もないし、何者かの気配は勿論ない。
ローザですら、何もないわよと《石》を確認していた。
「い、いや~……気のせいかな。誰かに見られてた気がしたんだけど……あはは」
そう言った瞬間、サクラが持っていた卵するりと手から滑り落ち、割れてしまった。
「あぁぁぁぁっ!!」
「あ~あ。勿体ない……何だっけその卵、【トルジョ鳥】?だっけ……貴重なんでしょう?」
椅子の背凭れに身体を預けるローザが、本当に残念そうに述べた。
この【トルジョ鳥】の卵、ローザの言う通り二つしかないのだ。
もう一つは、作ってくれたメイリンに食べてもらいたいとサクラが言い出している。
サクラが持っていた鶏卵によく似た白い卵は、綺麗に切断したかのように割られていた。
「――あたし……卵にヒビ入れてないんですけど……」
「……え?――あ、あれ……僕の皿……肉がない!」
サクラの言葉も気になったが、エドガーの丼には、きれいさっぱり牛肉だけが無かった。
それに合わせて、ローザとメルティナも丼の蓋を開ける。
するとローザが、忌々しそうに言う。
「……私のは、お米?が無いわね……」
「ワタシは、液体がありません」
これまでバラバラに足りないものがあるだろうか。そうなると、作った際の不手際とも言えない。
そもそもメイリンが、幾ら虫の居所が悪いとはいえ、そんなことをするとは誰も思っていないが。
「私のも……【玉葱】がないわ……なんでかしら?みんな一緒にしたのに……」
メイリンの丼からも、綺麗に一種類だけがなくなっていた。
サクラが持つ、割られた可能性がある卵の殻を全員が見る。
卵の中身も、勿論なかったからだ。
「――え、ちょっとやめてよ怖いっ!!」
殻はテーブルの上でクルンと回って止まった。
ドーム状になった殻を、全員が不思議に見つめていた。
――ロビーの階段の陰から、紫紺の揺らめきが見えた事には、誰も気づかないまま。
不完全燃焼に終わった、故郷の世界の食事。
あの後、結局ローザやメルティナが《石》の力まで使って調べたが、【福音のマリス】自体に何らかの影響が与えられた痕跡は無かった。
ただ唯一、サクラがサクヤを怪しんでいた。
それこそ「不条理だ!」と怒り出しそうだが、サクヤは関係なかった。
わざわざ【心通話】で確認したのだから、間違いはない。
「――おかしいと思いませんっ!?」
「……何がよ」
二階の休憩スペースのソファーで休むローザに、サクラが詰め寄る。
食材が無くなったことに一番苛立っていたのはローザだったが、食事が終わった後は、何故かサクラがヒートアップしていた。
「だって材料だけですよ?それも一種類ずつ、合わせたら牛丼食べられるんですから」
「……サクラは何ともなく食べられたはずだけれど?」
「いや卵!!」
サクラは、卵を落としている。その中身も空になっていた。
ただ、牛丼自体に被害は無かったのも事実。
米が無くなったローザからしてみれば、何が不満なのかと言いたくなるレベルで不満を漏らすサクラのテンションについていけない。
「あたしだって、『ふふんふ牛丼♪』とか言って堪能したかったですよ!それどころじゃなかったのは分かってますよね?――とにかく調べましょうよ、色々な場所を!」
拳を作って力説する。
これから、食材消失怪奇現象を調べようと言うのだ。
ローザは、面倒くさそうなものに絡まれたように言う。
「……それは別にいいけれど、私の【消えない種火】にも、メルティナの【禁呪の緑石】にも、反応は無かったわ?これ以上どうするつもりなのよ?」
サクラの剣幕に、やれやれと腰を上げるローザ。
しかし「はぁ……」とため息を吐いて、どう見てもやる気が感じられない。
「……そ、そんなに食べたかったですか?……牛丼」
「……――別に」
どうやら食べたかったらしい。
「……で、どうするの?……サクラ」
サクラは答えない。
耳を澄まして、何かを聞こうとしている様子だが。
「……今、何か聞こえませんでした?」
「いいえ。私には――」
「ほらまたっ!!」
ローザの《石》には何の反応も、熱源も感知していない。
「サクラ、今日の貴女……少し変よ?」
「だ、だって!今聞こえて……ほ、ほら~!また!」
「――きゃあああああああああああ!!」
「「……」」
「ね?」
「ね?じゃない……私にも聞こえたわよ。今のメイリンでしょう」
「絶対そうだと思います」
今の悲鳴がメルティナだったら、彼女は本当は人工知能ではないかも知れない。
いや、しかし今朝、物凄い人間らしい声を出していた気もするが。
◇
二人は二階の階段から降りると、直ぐにエドガーと合流。
管理人室(自室)にいたエドガーも、今のメイリンと思われる悲鳴を聞いたらしい。
それはそうだ、聞こえない方がおかしいくらいの声量だった。
「一階の客室……もしくは大浴場の方だよっ」
悲鳴が聞こえたのは宿の東、九部屋ある一階の客室か、その通りにある大浴場。
そして地下に繋がる階段だ。
三人は揃って走りながら、一階の客室を確認するもいなかった。
直ぐに廊下に出て、大浴場に向かう。
――そして。
「――いたっ!メイリンさん!!」
「エ、エドガーくぅぅぅん!」
メイリンは大浴場の手前、地下の階段付近で腰を抜かしていた。
赤子の様に、はいはいでにじり寄って、エドガーに抱きつく。
「――わっ!っと……メイリンさん、何があったんですか?」
「か、影が……黒っていうか、紫っていうか……と、とにかく何かいたの!!地下に、メルが追いかけていって……」
「メルティナが?」
「あの子、勝手に……」
「なんか、センサーがどうとか、反応がどうとか言ってたけど、全然わからなかったぁ!」
異世界人のメルティナの言葉に、メイリンは疑問符を浮かべ、腰を抜かしているうちに追いかけて行ってしまったらしい。
「ローザ、《石》は……?」
「駄目ね、反応なしだわ」
「――え?」
エドガーとローザの会話に、サクラは戸惑いを浮かべて二人を見る。
「サクラ……もしかして、何か感じるのかい?」
「――え、なんで?」
「なんでって……貴女、分かっていないの?自分の状態」
「へ?」
サクラの額の《石》。
“魔道具”【朝日の雫】が、光っていたのだ。
異変か何かを感知しているのか、サクラの心境に合わせて光っているかは本人しか分からない。現在は本人も分かっていないが。
「もう少し《石》の使い方を教えておくべきだったかもしれないわね……」
ローザは、サクラの額に右手を当てる。
熱を測っているかのような仕草だ。
「……何もない空間に色を感じなさい。サクラ」
「色……?」
言われるままに、サクラは目を瞑って試してみる。
エドガーは、やきもきしている。メルティナを心配しているのだろう。
「……何もない空間を、そうね。三層作りなさい。ここは二階と地下でしょう?」
「……はい。出来ました……あ、色……」
サクラは心の中で、マス目の紙を三枚用意した。
すると薄っすらと色が見えてくる。
一枚目の紙には何もない。これはきっと二階を表しているのだ。
二枚目には、真っ赤に燃える、太陽の様な赤。
それと並ぶように白く輝く、月光の様な白。遠くにも、真っ黒で、深い深い深淵の様な黒がある。
三枚目の地下を表す紙には、春の風の如く吹き荒れる緑があった。
「分かる?私が送ってる信号が」
「……はい、赤と白が隣り合って、黒も遠くに……それで、緑が、下の層に……あります」
「これが簡単な《石》の反応よ。自分でも感じてみなさい……この宿には、余る程あるでしょう?――《石》が」
エドガーは「別に余ってるわけじゃないけど」と、抗議するも、メイリンに「しぃぃ!」と窘められて黙りこむ。
「……」
「どう?有象無象の《石》が沢山あるせいで難しいかもしれないけれど」
「流石に有象無象はないんじゃないかな!」と言おうとしたが、またしてもメイリンに封殺されるエドガー。
大切なコレクションを有象無象と言われて憤りを鎮めるエドガーの顔は、なんだか面白い。
「うぅ……頭痛い。でも……これが、《石》の力……?」
「そうよ。貴女の力、その一端よ」
【朝日の雫】は、ホワイトサファイアという宝石だ。
その効能は、“多機能”だという事だけが分かっている。
【心通話】は、その一部だけだ。
「あたしの……力。あ、光が……これって……紫!!」
サクラは叫ぶ。
見えたのだ。この宿に、もう一つ大きな《石》の反応があることに。
ローザとメルティナが見抜けなかった《石》を、サクラは見抜いた。
「――場所は!?」
「地下です!多分、【召喚の間】!」
「行くわよっ」
「はいっ!!」
「え――……あれ、僕は……?」
エドガーを置いて、ローザとサクラは駆け出した。
ポツンと置いていかれた、そんなエドガーの肩を、メイリンは優しく叩いてくれた。




