119話【これがワタシの日常】
◇これがワタシの日常◇
異世界の魔王が“召喚”される前日、【火の月53日】。
【召喚師】エドガー・レオマリスの眠る管理人室に忍び寄る、一つの影。
影は床からほんの少しだけ浮き上がり、足音を立てない様に新しい主が眠る部屋へと侵入しようとしていた。
その背中に存在する《石》からは、緑色の噴出光が薄っすらと漏れて、音もなく煌めいていた。
「……コンプリート。成功です。今、行きます……マス――」
「――どこに行くつもりよ?」
不意に掛けられた声に、メルティナは驚いて固まった。
「……そ、想定外……」
センサーに反応しなかった。おそらく《石》の力だろう。
メルティナは機械に頼り過ぎていたために、気付けなかったようだ。
気付けないのも無理もない。ローザはともかく、サクラもここ数日で《石》の使い方が飛躍的に向上していた。
認識を遮断する術を覚えたのだ。
メルティナの高度センサー対策で。
「どこがですか~。これで三日連続ですよ?メルさ~ん……?」
メルティナを囲むローザとサクラの二人は、呆れる様に言う。
サクラは寝間着で、ローザはなんと全裸だった。
もう慣れてしまったらしいサクラは、ローザの姿に何か言うわけでもなく、メルティナを連れていく。
「――ちょっと待ってくださいサクラ……ワタシは、マスターにお休みの挨拶を……」
「はいはい、それはさっき皆でしましたから、【忍者】はもうぐっすりですよ」
サクラに首根っこを掴まれるメルティナは、外装を身に着けていない。
球体関節なども無くなり、素肌も完全に人間のそれで、背中にある《石》以外は、もう完全に人間といえるだろう。
今着ているのは、サクラが鞄から出した服だ。
ローザ程ではないが、メルティナもかなりスタイルがいい。
本当に、エミリア(前世のティーナ・アヴルスベイブ)の情報を基に作られたのかと疑いたくなるレベルで。
「まったく……油断も隙も無い……ふ、ぁぁぁぁ……」
全裸で大欠伸をする赤髪の女性、ローザは、最近こうしてメルティナがエドガーに夜這?をかけようとする度に、無理やり起きて撃退している訳だった。
「……眠ぃ……」
ローザは、メルティナが毎日のようにあの手この手を使ってくるので、寝不足だった。
それはサクラも同じはずなのだが、なぜか彼女はぴんぴんしている。
「ほら、ローザさんも……行きますよっ!」
「……分かっているから……大きな声を出さないで」
別段大声では無かった気もするが、深夜でのサクラの元気さに、げんなりするローザだった。
◇
翌日53日。
日の光を受けて、エドガーは目を覚ます。
ゆっくりと背伸びをする。と、それと同時に「――あああああああああっ!」と悲鳴が響いた。
「……ロ、ローザか……」
エドガーは完全に寝坊であり、どうやらメイリンに起こされるローザと同じタイミングで起きたらしい。なんとか身体に鞭を打って、まだ眠い身体を無理矢理おこす。
管理人室から出て、水桶のある洗面所へ行くと。
「……」
むすっとしたローザと鉢合わせた。
とても不機嫌だった。しかもローザの後ろにドン!と仁王立ちするメイリンが、それ以上に不機嫌そうに言う。
「あら、おはよう……異世界人の主さん……今日は珍しくお寝坊ですねぇ」
ジト目の視線が、心に突き刺さるようだった。
「……お、おはようございます……メイリンさん、その、すみません……」
メイリン・サザーシャークは怒っている。
今日だけではない。メイリンは、ローザ達が異世界人である事を隠していたことを怒っているのだ。
決闘の翌日、【魔石】で操られていた事、ローザやサクヤ、サクラにメルティナが、この世界とは別の世界の住人、異世界人である事を包み隠さずに伝えた。
エミリアとアルベールも同席して、メルティナの紹介などをしたのだが。
「私はそんなに信用ないかしら……」そう言って、メイリンはアルベールをぶった。
メイリンの事を配慮して隠していたつもりだったが、完全に失敗だったようだ。
ローザは当初「話した方がいい」と言っていたが、なんとも残念な結果になってしまった。
しかし、いろいろな事情を知っても、メイリンの態度は変わらなかった。
「助けてもらった事は、夢のように覚えているわ」と、夢で見た内容程度には認識していたらしい。全てを知って、それでも受け入れてくれている事は、素直に嬉しい事だった。
「強い女性ね」と、その時ローザは言ったのだが。
まさか自分がこんなにも彼女を苦手とするとは思わなかったのだろう。
「……エドガー……早くエミリアのお兄さんを連れてきなさい……この状況は、私には辛い……本当に辛い……」
アルベールとメイリンは、それから会っていないらしい。
【聖騎士】と成ったアルベールとエミリアの兄妹は毎日忙しくしており。
幼馴染であるエドガーも、それから一度しか会っていない。
早く二人の仲を戻してもらわなければ、ローザがいつか爆発するかもしれない。物理的に。
「さあ、ローザもエドガー君も……早く顔を洗って掃除よ!もうサクヤもサクラも、メルも起きて働いているのだからねっ!」
さん付けを止めたのは、ローザに不公平が無いように、らしい。なんの不公平なのかは、エドガーには分からなかったが。
初対面のメルティナも、自分からメルと呼んでくれと言って、メイリンは受け入れた。本当に心の広いお姉さんである。
「――さ、早く!!」
「「は、はい!」」
今は、とても怖いが。
◇
顔を洗い終えて、エドガーが掃除の担当場所の二階に赴くと。
サクヤとメルティナが正座させられていた。
「――どういう事?」
「……エド君おはよう」
「あ、主殿……」
「マ、マスター……あ、足が……」
涙目でエドガーを見るメルティナ。
本当に人工知能なのだろうかと思えるほどに、とても感情豊かに顔を歪めている。
どうやら足が痺れているらしい。
エドガーを目視して、動こうとしたのだが。
「――マスタぁあああああっ!サ、サクラぁ!何故、何故その様な非人道的な事をっ!?」
「いやいや……メルは機械なんでしょ?なんで足が痺れてるわけ?それとも、機械は電気に弱いってゲームみたいな感じぃ?」
サクヤとメルティナを正座させていた張本人。
サクラが、やれやれと言った感じに言う。
「――ち、違います!ワタシの身体は、今や80%が人間と同じなのです!……痺れるものは痺れるのであああああああ!やめっ……やめてぇぇ!!」
指差し棒を持ったサクラは、メルティナの痺れている足裏をつつく。
ご丁寧に、なぞってもいる。酷い。
「……お、お主は本当に鬼畜だな……末恐ろしい……」
サクヤは、サクラの行動にゾッとしていた。
サクラは、稀にこういった行動を起こすのだ。
「はは……でも、ちょっと分かるかな……」
「――主殿」
サクラの嗜虐性に少しだけ同意したエドガーを、サクヤはジトーッと見る。
敬愛する主が、鬼畜に頷いた事に、異議を申し立てた。
「……ご、ごめん。なんでもないです……」
「ならばよろしいですが……」
サクヤの黒く綺麗なまでの視線に、エドガーは頭を掻いて謝る。
メルティナの、悲鳴と言うか泣き声と言うか、どこか人間離れしたその声に。背筋をぞくぞくとさせるエドガーであった。




