115話【―バフォメット―】
誤字修正しました、報告感謝いたします。
◇―バフォメット―◇
セイドリック・シュダイハの手の上で、紫黒色のオーラを禍々しく放つ不思議な《石》。
【魔石】。
その脅威を知るエドガーは、真っ先にその《石》の危険性を説いた。
「――な……何でその《石》を貴方が!!……セイドリック・シュダイハ!それはダメだ!絶対に使用してはいけないっ!」
天に掲げた剣を元に戻し、場外ギリギリまでシュダイハ陣営に近づくエドガー。
「なんだぁ……【召喚師】……貴様も知っているのか、この【神の】を……」
セイドリックは既に、《石》の光を瞳に映していた。
恐らく、《石》を用意した時点で魅了されていたのだ。
「セイドリック様、それは……その《石》は……一体」
セイドリックの異常な眼に、フェルドスは怯えて後退る。
しかし、セイドリックはそんなフェルドス・コグモフを許さない。
「何をしているんだフェルドス……駄目だろう?敵に背を向けちゃあ……」
「……は……はぃ……セイドリック様……」
セイドリックのその異様な雰囲気に、嫌だとは言えずにエドガーを向くフェルドス。
しかし、その行動を待っていたと言わんばかりに、セイドリックはニヤリと口元を歪める。その背に、丁度いい傷があるではないか、と。
それに気づき叫んだのは、ローザだった。
「――エドガー!!《石》を破壊しなさいっ!!」
「――分かってる!!」
当然、エドガーも気付いていた。
セイドリックがフェルドスを贄とする前に、【魔石】を破壊しようと前に出る。
しかし叫ばれたのは「エドガー・レオマリスの場外負け!」と言う一言。
だが、それに異議を申し出るほど、エドガー達【福音のマリス】は馬鹿じゃなかった。
「――負けなら負けにすればいいっ!そんなことを言ってたら、皆死にますよ!!」
切迫した叫びも、審判の老人は無視を貫き通す。
エドガーも、こんな老人に付き合ってはいられないと、セイドリックに声を荒げる。
「セイドリック!その《石》を捨てるんだ!」
「キヒヒっ!遅いんだよっ!――【召喚師】ぃぃぃぃっ!!」
◇
「――行くわよっ!サクヤ、サクラ!!」
「うむ。分かっている……のだが、眼が……」
「わ、分かったけど……何なのアレ……額が、《石》が疼くよ……」
《石》の共鳴に、苦しそうにするサクヤとサクラ。
サクヤは左眼を、サクラは額を押えて苦しんでいた。
「くっ……共鳴振動ね……」
二人の異世界人は、エドガーの援護に行こうとするも、苦しさに膝をつく。
「……き、気持ち悪……」
「ぬ、うぅぅ」
《石》の共鳴振動は、眩暈や吐き気を与えていた。
一般人には何もなくても、《石》を持つ者には、相当の苦しみが与えられていた。
「――ちっ……私はともかく……初めて邪気を持つ《石》に干渉されれば当然、か」
ローザは、最悪一人ででもと思っていたが。
「ローザ!!」
「――エミリア!?」
“悪魔”に、【魔石】に恐怖感を抱いていたエミリアは置いていこうとしたが、エミリアは既に突撃体勢になっていた。
「大丈夫!私も行くっ!もう決闘とか言ってられる状態じゃないよ!」
「貴女、平気なの!?」
「へ、平気じゃないけど……私は【聖騎士】(仮)だもの……」
足は震え、構える槍は切っ先を乱している。
しかし、エミリアの視線はセイドリックが持つ《石》をしっかりと見据えていた。
そして今まさに、セイドリックがフェルドスを贄にしようと、《石》を振り上げた瞬間。
動き出したのは、エドガーと同時。
エミリアは、自分の不利を承知で舞台に上がった。
当然、会場は騒然としている。
エドガーが敗北を宣言されただけでも会場が湧きだっているのに、主役であるエミリアが勝手に舞台に上がっていったのだ。
それも、槍を構えて。
見ている側からすれば、セイドリックを自ら倒しに行こうと、乱心したのでは?と捉えられる。
しかし、不穏な空気を感じ取るものもいた。
「……ねぇ、あれ、やばくない?」
「う、うん……どうしたんだろう、エミリア先輩」
「……絶対におかしいわ!リエっ!」
「そうだね……でも、この歓声だと、私達の声なんて届かないよっ」
騎士学生の後輩達はこの異常に気付くも、自分達の無力に嘆く。
そして舞台に近い者達は、その《石》との戦いに、身を投じていく。
「――はあぁぁぁぁっ!!」
「――エミリア!……ったくもう、猪娘っ!!」
飛び出したエミリアを追うように、ローザもその手に剣を造り、舞台に上がった。
◇
「――セイドリック!!」
エドガーが場外から出て、【魔石】を破壊しようと剣を振るう。
だがしかし、エドガーの赤い剣を弾く――【光のカーテン】。
その持ち主は、シュダイハ家側のもう一人の参加者。
傭兵ナルザ・ベターバルだ。
「なっ……あなたはっ!!」
この状況が分からない模様のナルザは、逆にエドガーが馬鹿な行動を起こしたと勘違いをしていた。
しかし、随分と楽しそうに言う。
「がははっ!いいねぇ!試合なんてめんどくせぇ!このままやっちまうか!!」
【光のカーテン】を解除して、弓を構える。
「――くっ……」
そして――フェルドスは。
「あ、ああ……セ、セイドリックさ、ま……」
フェルドスの背、エドガーが斬った背中の傷口には、【魔石】がめり込み、ドクンドクンと血管を浮き出させていた。
「……しまっ――」
引き金になったのは何だっただろうか。
おそらく、シュダイハ陣営にいたメイド達の悲鳴だっただろう。
フェルドスの背中に突き刺さる瞬間を目の当たりにしたメイドの一人が、恐怖に悲鳴をあげた。
「――き、きゃあああああああああああっ!!」
ざわざわと、エミリアの方に注目がちだった観客の視線は、自然と悲鳴の方へ遷ろう。
「な、なんだ……?」
「シュダイハ陣営がなんかやったのか?」
「もしかして……【召喚師】?」
「【召喚師】が、対戦相手を殺したのか?」
《石》を背中に突き立て、フェルドスは倒れている。
「――エドっ!!」
「――エドガー!」
「エミリア……ローザも……ごめん、間に合わなかった……」
謝罪するも、エドガーは後悔するのは後だとしっかりと理解している。
倒れるフェルドスを見て、エドガー達は予感する。
あの時戦った、“悪魔”――グレムリンとの戦いを。
そして残念なことに。
その予感は、的中してしまう。
「ぐ……ぐぅぅ……ぐぅぅぅぅっ!」
フェルドスは苦しそうに唸る。
しかし、それはエドガーが斬った傷の痛みではないと、流石に観客達も理解したのか、ざわめきは増し始めていた。
「――キヒヒ。さあ、フェルドス立てぇ!【召喚師】を肉塊に変えてしまえぇぇ!!」
セイドリックの宣言に、いよいよ異変を確信した会場の観客達。
それと同じく、特別審判員や審査員も、異変に気付いてきていた。
◇
「ちょ……っと……審判さん……」
舞台下で呆然としていたソイドに、フラフラのサクラが声を掛ける。
「き、君は……一体何なんだこれはっ!何が試合だっ、俺はこんな事――」
「いいから……早く音声拡大“魔道具”で叫んで……観客に、逃げろ……って」
苦しそうに壁に寄りかかりながら、それでも何とか助けになりたいと、ソイドの持つ音声拡大“魔道具”で呼びかけろと、サクラは言いに来たのだ。
「……な、何をだ……」
「――死にたくなければ、今すぐ逃げろって……」
「いや……しかし――」
「――早くしてっっ!!」
サクラの剣幕にソイドは押され、手に持つ音声拡大“魔道具”を口元に運び、そして。
会場に、ソイド・ロロイアの声が木霊した。
選手紹介の時よりも大きく、切迫した様子で、音声拡大“魔道具”をハウリングさせながら。
『み、皆様ぁぁぁ!逃げてください!!繰り返します!今すぐに逃げてください!!命を落としたくなければ!――今すぐ逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!』
ソイドの叫びの後、一拍の静寂。
しかし、その静寂はフェルドスの狂気の声で破られる。
「――ぎゃああああああああああぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあっ!!」
フェルドスの背中に刺さった【魔石】は、何度も明滅を繰り返し、やがて全ての姿をフェルドスの体内に押し入っていった。
そして――変貌は開始されてしまう。
◇
特別観覧席では、セルエリスが憤っていた。
「――何のつもりなのかしらね。王家の催しを台無しにして……挙句の果てには、逃げろ?――あんなもの、どうせ直ぐに忘れると言うのに」
惨状を目の当たりにしても、セルエリスは未だに冷静に見下ろしている。
「姉上……【聖騎士】の導入を!許可をください!!あのままでは危険な気が……――っ!?」
ローマリアの危惧も虚しく。
フェルドスの変貌が始まった。
「……な……なんなの……」
筋肉と言う筋肉が盛り上がり、人間の大きさなど優に超えた巨躯になったフェルドス。
全身からは黒い体毛がわさわさと生い茂り、顔は既に人外だ。
山羊の顔に角を生やし、背中からは黒い翼が現れた。
「――あ、姉上……き、騎士を……【聖騎士】……を……」
ローマリアは、窓を覗きながら勇気を出そうとするも、ぺたりと座り込んでしまう。
セルエリスは、忌々しいものを見る様に言う。
「……ちっ、この国に邪な物を持ち込んで……まだ早いと言うのに!――行くわよヴェイン、城に帰る」
「――はい。こちらに……」
「あ、姉上……?姉上……姉上ぇぇぇ!!」
セルエリスは、ローマリアを置いていった。
妹など初めからいないも同義だと言うように、ローマリアを一度も見ることなく、セルエリスは踵を返して去っていった。
残され、へたり込むローマリアに、焦ったような声がかけられる。
「――ローマリア様!……いた!居ましたよ!副団長!!」
「ナイスだノエル!急いで撤退するぞ、命令には逆らえん!」
「ですけど、いいんですか!?ロヴァルト兄妹達をほっといて」
「仕方ない。私達は国を王女を優先する……ロザリーム殿達に任せるしかないだろう」
セルエリスが去った後、直ぐにノエルディアとオーデインがやって来た。
茫然自失のローマリアを抱えて、【聖騎士】二人は騎士学校を後にする。
去り際のセルエリスに、そう命令されたのだ。
妹を頼むと、しかし、戦いへの参加は認めないと。
◇
舞台の上で、エドガー、ローザ、エミリアの三人は変貌したフェルドス・コグモフと向き合っていた。
「これはまた……大層ご立派になったわね……」
「……本当だね……」
ローザの記憶にあるもの。
それは、“悪魔”バフォメットだ。
山羊の頭部に黒い翼。
男女両有の身体。
確認するまでもなく、胸元は大きく膨れている。
黒い体毛で覆われれてはいるが、下半身も同義だろう。
「ロ、ロロ、ローザ……どうしよう……怖い、怖い……けど!」
エミリアは震えながらも【勇炎の槍】を構える。
「エミリア……下がって――いえ、協力しなさい。貴女の力が必要よ……」
「うん。頼むよエミリア!一緒に戦ってくれる?」
「――!!」
ローザとエドガーからの、要請に。
エミリアの恐怖心は一気に吹き飛んだ。
「ふ、ふふ……初めから言ってよ!!頼りにしてるってっ!」
完全に“悪魔”への恐怖がなくなった訳ではないが、勇気をくれる槍と、頼りにされていると言う思い込みが、エミリアを奮起させた。
「――二人共!来るよっ……完全に僕達狙いだ!」
静かにフェルドスを――いや、バフォメットの変体を見ていたエドガーが叫ぶ。
エドガーは、本当はエミリアには戦ってほしくなかった。
けれど、サクヤとサクラが《石》の共鳴に酔っている以上、戦力が足りない。
広いとはいえ、ここは街中。ローザは全力で戦えないのだ。
その為に、二人は【心通話】で相談した。
エミリアは最大限守ると。
しかし、そのエミリアに協力してもらわなければ、乗り切れないと判断した。
だからエドガーは、エミリアに声を掛けた。
「頼む」と――「一緒に戦ってくれ」――と。
◇
案の定、セイドリックの意思が反映されたバフォメットの意識は、エドガーに向いていた。
大きな身体をエドガーに向けて、動き出す。
黒い翼はバサバサと音を鳴らすだけで、空を飛ぶ気配は無い。
エドガーは一人で、ローザはエミリアを伴って反対側に回り込む。
既に会場の観客は無く、ソイドの避難指示と、騎士学生の少女達の誘導によって、避難を開始していたのだ。
それだけは幸いだ、と内心で呟くと、エドガーは火球を発射する。
「はぁっ!!」
切っ先から生まれた炎の魔力が、バフォメットの腕に直撃するも、バフォメットは悠々とする。
「――効いてないっ!?……いや、威力か……!」
バフォメットの右腕による反撃をジャンプで回避する。
街中な以上、全力の火球は使えない。
それはローザもエドガーも同じ。
それに、前回の失敗もある。
魔力の使い過ぎで倒れたら、本当に終わりだ。
「ローザ!エミ――っ!?」
ローザは、傭兵ナルザと対峙していた。
そしてエミリアは。
「キヒヒ……エミリアぁ……僕の女神ぃ」
「セイドリック!こんな事もうやめなさいっ!!こんなことをしても、私は貴方の物にはならないわっ。正々堂々と勝負を……」
「――黙れ!黙れ黙れ黙れぇぇ!!」
「――っ!」
セイドリックは、【聖騎士】時代からの得物、【二股槍】をブンブン振り回すと、エミリアに肉薄してくる。
エミリアはそれをガードして鍔迫りの状態になるが、【勇炎の槍】から炎が発生してセイドリックを襲い、炎はセイドリックの顔に直撃する。
「ギャハハハハァァ!エミリアァァァァァ!!」
「――なっ!!」
セイドリックは、既に人外の域に入っていた。
《石》に長時間干渉されて、精神はもう人間ではなかったのだ。
「――貴様っ……いつからあの《石》を……!」
ナルザをぶっ飛ばして、ローザがエミリアとセイドリックの間に入り込むように斬り込む。
「キヒ……キヒヒヒ……エミリアァァァァァァァ!!」
「――ちっ……駄目ね……心がもう死んでる」
引退したとはいえ、【元・聖騎士】。
セイドリックの槍術は見事だった。
それは、《石》に魅入られて自我を失くしたからかもしれない。
もしくは、エミリアに対するその執着心か。
「ローザ……それって、この人はもう……で、でも、あの《石》は“悪魔”にっ!」
「時間のせいでしょう。この男は、きっと前から【魔石】に触れていたのよ、そのせいで、遠隔操作にも似たような状態になっているんだわ」
例え生きている間にエドガーが《石》を破壊したとしても。
セイドリックの心はもう死んでいる。助からないのだ――もう。
「キヒャァァァアァ!!エミリアァァァァ!」
セイドリックだったものは、エミリアに再肉薄しようと接近する。
「――は、早っ……いっ!!」
「――くっ!」
エミリアに迫るセイドリックを迎撃するローザ。
しかし、意外なほどに俊敏なセイドリックを、ローザの大剣は捉えられなかった。
あれ程に強いローザが苦戦している。
魔力だって回復している筈だ。
しかし、こんなにも動きが鈍っている事に、ローザ自身が一番自覚があった。
「コイツ……!だいぶ喰われてるわねっ……人の動きではない――っぐぅ!」
(魔力が足りない――サクラの回復やエミリア達の装備に回したのが裏目に出たっ!)
「ギャハハハハッ!!」
セイドリックは【二股槍】を投げる。
「――なっ!!」
槍はローザの肩をかすめて、エミリアに迫っていく。
「エミリアっ!逃げ――」
高速で迫る槍は、完全にエミリアを捉えていた。
エミリアは何とか槍で弾く。
「くっ――このっ!!――ぐぅぅっ――うぐぅっ!?」
が、弾いた槍の勢いを全て殺すことは出来ず、横っ腹を裂かれた。
「エミリア!」
「――エミリアぁ!!」
ローザの牽制で、セイドリックは跳躍する。
しかしセイドリックは空中で有り得ない軌道変更をすると、エミリアの背後に着地した。
腹部の痛みによろめく、エミリアの真後ろに。
「キヒヒ……キヒヒ……エミリア。エミリアァァァァァァァァ!!」
エミリアが気付いた時には、セイドリックは自分にくっ付いていた。
そして、振り払うことも出来なかったエミリアは。
「――っ――ぁ……」
――ぐしゃっ――ぐじゅっ――
ぼたぼたと、大理石の舞台を濡らす鮮血。
それは、エミリアの血だった。
獣のように変貌した牙を持つセイドリックが、槍をかすめ傷付いたエミリアの腹部に、噛みついていたのだった。




