106話【互いを思って】
◇互いを思って◇
修羅場と化した休憩スペースは、まさかのサクラが勝利して終わった。
サクラは鞄から取り出した【激臭スプレー】を自分を含む全員に吹きかけて三人を撃退した。
意外にも一番ダメージを受けたのはローザだった。
鼻を抑えながら逃げようと扉に向かうも、いつの間にか閉まっていた扉に絶望してダウン。
サクヤは転げまわって目鼻をゴシゴシ擦る。
エミリアは息を止めて我慢していたが、サクラにくすぐられて一気に臭いを吸ってしまい、気絶に近い形で倒れた。
そして、悶絶する三人を見下ろして、ガスマスクを外すサクラ。
「ぷはっ!……どーよっ!あたしの勝ちぃぃ!!」
取り出したのはスプレーだけでなく、防護の為のガスマスクも取り出していた。
消費した魔力はそれほどでも無かった為、前に【スマホ】の充電を一気にチャージした時のように倒れる事もなかった。
「……サ、サクラ……エドにも効いてるから……それ」
「――え?……ああっ!」
残念な事にマスクは一つで、休憩スペースとは言え、密閉された部屋の中で使われたスプレーは、エドガーにもダメージを与えていたのだ。
当然と言えば当然だった。
「ご、ごめーーーん!!」
サクラが謝罪の意味も含めて取り出したアロマキャンドルを嗅ぎながら、エドガーは笑う。
「こんなに嬉しい事なんだね……誰かに認めて貰えて、一つの壁を乗り越えるのってさ……」
「……そうだねっ」
サクラが一番に同意して、エドガーを見る。
どうやら、サクラも壁を越えて行ったらしい。
それが自分の様に嬉しいと、エドガーは不思議に思う。
(サクラが嬉しいってだけで……なんだか僕も嬉しいな、エミリアも……エミリア?……あれ、なんでエミリアいるんだ!?)
ようやく冷静になったと思ったら。
今度は、本来ここにはいない筈のエミリアが居ることに気付き、慌てるエドガー。
「エミリア!?」
「――ふぇっ!?な、何?」
アロマを嗅いでいたエミリアに、エドガーは肩を掴んで言う。
「なんでこんなところにいるんだよっ!今はエミリアにだってやることが……!!」
「ええぇ……い、今!?今なの?」
肩を揺さぶられながら、エドガーの問いに答える。
「落ち着いてってエド……私、この手紙貰って、殿下のぉぉっおっおぉぉ……」
「主殿!?」
「エド君ストーーップ!!」
サクラとサクヤに掴まれて、エドガーはエミリアから手を離す。
「あ!……ご、ごめん」
クラクラする頭を抑えながら。
エミリアはエドガーの顔を見据え、ここに来た理由を告げた。
「私ね……自分がどうこうなるより、エドがローマリア殿下に認められたことが嬉しくて……つい、来ちゃった」
「……え?」
それだけ?それだけの為に、自分の人生が懸かっている戦いが明日行われると言うのに、エミリアはそれを言いたくて来たと言ったのだ。
「――な、なんでっ!エミリアはこんなことしてる場合じゃ!!」
エドガーは、怒りなのか何なのか分からないまま、勢い任せで怒鳴る。
しかし、エミリアはキョトンとしている。周りにいるローザ達もだ。
「――なんだよっ!皆、なんでそんな……!!」
確かに冷静ではない。
でも、周りの皆にそんな顔されたら、エドガーはどうしたらいいか分からなくなる。
「まったく……本当に似た者同士ね……あなた達は。要約すると、エドガーは暢気なエミリアの為に怒ってて」
「暢気って……」
エミリアのツッコミを無視してローザは続ける。
混乱するエドガーを宥める為に。
「エミリアは……エドガーが誰かに認められたことが自分の事よりも嬉しくて……」
結局、二人は互いの事しか考えていなかったのだ。
特にエミリアは、何があってもエドガーの事はブレない。
だがエドガーの場合は少し違う。エミリアを助けたいという思いは当然ながら強い。でも、そこに至るまでの段階が多すぎた。
ローザや、サクヤとサクラ、メルティナの事。
メイリンやローマリア王女の事が続けざまにやってきて、処理が追いつく前にエミリアが先に行動を起こした。
「エドガー……自分の顔を見なさい」
「……顔?」
ローザはサクラを見る。
サクラは「え?……あ、ああ。鏡ね」と言いながら鞄から取り出す。
「はいっ、エド君……どうぞ」
鏡を受け取り、自分の顔を映す。
エドガーは――泣いていた。
「……え、あれ……?」
言葉では怒っていた。エミリアがここに居ていいわけはないと。
やるべき事があるんだと、自分に言い聞かせて。
「……なんで」
心では、嬉しかったのだ。
ローマリア王女が、会ったばかりの王女が、王家の中で不憫があるだろうあの方が。
自分を認めてくれたことが。
そして何より、エミリアがそれを喜んでくれたことが。
「僕は……泣いて」
泣いていることを指摘されなければ、きっと気付かない程の自然な涙。
もし指摘されなかったら、ただエミリアに怒鳴り散らして、最低なまま戦いに挑まなければならなかった。
エミリアもローザ達も、エドガーが泣くほど嬉しかったのだと、途中から気付いていた。気付いてくれていた。
だから、キョトンとしていた。いや、キョトンと感じたのはエドガーだけで、本当は皆、優しい気持ちになっていたんだと気付く。
「……ほら、涙拭いて」
ローザがエドガーの頭を撫でながら、指でエドガーの頬を拭いてあげる。
もう完全にお姉さんだった。
「――ありがとう……ローザ。皆も……エミリアも、ありがとう」
「うん!!」
もう、悩む必要は無い。
――無くなった。
当人のエミリアが、こんなにも開き直っているのに、サポート役のエドガーが惑い悩んでいたって、どうしようもない。
例えローザが戦えなくても、絶対に勝って見せると、エドガーの心は決まった。
全力を尽くして、最善の結果を得る。
それがエドガーの為であり、エミリアの為だと――決意して。
◇
その後。会議はスムーズだった。
ごたごたが一切無かったと思わせるくらいに、スムーズに終わってしまった。
「こんなものかな……何か言いたいことあるー?」
書記になっていたサクラが、書いたメモを見ながら質問するが、誰も手を挙げる人はおらず、明日の作戦は決まった。
「……終わりね。後はエミリア、貴女がお兄さんに伝えなさい……」
「了解だよ。私、あっちの会議すっぽかしたからね……あははっ」
笑い事ではないが。
この会議で決まったことが最優先だ。
何故ならば。
――サクラが、戦いに出るからだ。
エドガーの視線を受けて、サクラは胸元で拳を握る。
「サクラ。こんな事、本当は無責任には言えないんだけど……」
エドガーの言葉に、サクラは笑顔で。
「――大丈夫。もう変に考えるのは止めたから……あたしは、偉大な【召喚師】に呼ばれた……異世界人だからねっ!」
二ッと笑って、エドガーに応える。
現状、参加メンバーは四人。
エミリア、アルベール、エドガー、サクラだ。
サクヤには、我慢してもらった。
痛手だが、無理をさせるつもりもない。それはエミリアが申し出てくれたことでもあり、エドガーは有難く承知した。
サクヤの肩の傷は深く、即座に効く治療薬がない以上、自然に治癒するのを待つしかない。
どうやら毒も完全に治った訳ではなさそうなので、本当に無理はさせられなかった。
本人は大変不服そうだったが、エドガーとローザに言いくるめられて渋々納得した。
「よしっと……じゃあ、私は帰るよ。怒られてくる、えへへ……」
だから、笑い事ではない。
「エミリア……」
「ん?なぁに?」
小首を傾げるエミリアに、エドガーは顔を赤らめながら。
「――あ、明日……頑張るから。その……えっと……が、頑張ろう!」
「……あはは、なにそれ~……うん。頑張ろうねっ」
◇
エミリアは【福音のマリス】に、【貴族街第一区画】の屋敷から走って来ていた。
帰り、途中まで送ってくれたサクラと分かれて、帰路を急いでいたエミリア。
しかしふと、誰かの視線を感じて訝しみ、住民を巻き込まない様にと路地裏に入った。
「――誰っ……!!」
(もしかして……!シュダイハ家の差し金……!?)
エミリアは厳戒態勢を取り、追って来た人物を捉える。
暗がりの中、カツン――カツン――と金属音を鳴らし、現れたのは。
「あれ?……貴女……もしかして……エドが言ってた、新しい――」
会議の途中からいなくなっていたらしい、新たな異世界人。
緑の髪に、銀色の瞳。所々に付けた金属の装備。
見た目や性格などの詳細は少しだけ聞いていたので、近づいてきた人物がその異世界人だと、気付けた。
「イエス……質問があります」
異世界人メルティナ・アヴルスベイブ。彼女がエミリアの前に立つ。
自身のメモリーとシステムが、絶対に正しいと――信じて。




