99話【サクヤの意地】
◇サクヤの意地◇
【下町第五区画】の草原を抜けて、【下町第四区画】へとやって来た二人だったが、案の定、シュダイハ家の傭兵や騎士達が待ち伏せをしており。
サクヤは険しい顔で、ルーリアを背負りながら屋根を駆けていた。
「――ぐっ……お、重っ」
身軽さが売りのサクヤだが、約1.5倍の体重を背負って素早く動くことは敵わず。
玉の汗を流しながら、なんとか屋根と屋根を移動する。
「おっ――と!危、ない……!」
<ローザ殿!聞こえるかっ!?――返事をせぬかっ!この牛乳女っ!!>
先程から何度も試みてはいるが、やはり【心通話】は使えない。
「くそっ……さっきの【魔眼】のせいか……!」
ここまで逃げて来る際にも、何人かの敵に【魔眼】を使用した。
その消費と、元々全快していない魔力のせいで、精神力がなくなってしまった。“魔力切れ”だ。
「しか……サクヤっ!もういいよ、私を降ろして逃げてっ!」
ルーリアはサクヤの靡く赤いマフラーを掴んで、自分を降ろして逃げろと言う。
「五月蠅いっ!黙っていろ!」
サクヤにも意地があった。
『【忍者】!その人絶対に助けてっ。シュダイハ家に何かあったのかも知れない……』
(あ奴がわたしを頼ったのだ……絶対に違えてたまるか!)
サクラに対して、サクヤは『任せておけっ』と自ら言った。
それを破ることは、忍としても、仲間としても出来ない。
更に、特別な思いもある。
(――もう、絶対に……奪って堪るかっ!)
脳裏に映る幼い自分達に、サクヤは誓った。
しかし、おいそれと見逃すほど、追手達も諦めはよくない。
「――いたぞぉぉ!こっちだ!」
「矢を掛けろっ!上だぞ!!」
「馬の奴は回り込めっ!!出口は固めろよ!」
物騒なことを簡単に口にする追手達に、サクヤは舌打ちをする。
「ちっ!あ奴等、民の事はお構いなしかっ……こんな群衆の中で弓矢など……くそっ!!」
サクヤは屋根を走りながらも、袖口から苦無を取り出し投げる。
苦無は、下を走る馬の足に刺さり、乗っていた傭兵がドスンと落馬する。
馬が倒れたすぐ傍には、乳幼児ほどの子供を抱える母親がペタリと座り込んでおり、もしも馬が倒れなければ、親子ごと轢かれていた事だろう。
「……サクヤ、貴女……!」
サクヤが親子を助けた事に気付いたルーリアは、こんな状況でも視野の広いサクヤに驚く。
「死なれても目覚めが悪かろう!……むっ!?――ルーリア!あの集団はなんだ!?」
一屋根を飛び越えて、第四区画の中心部、【噴水広場】に降り立ったサクヤとルーリア。エドガー達とグダグダな報告会をした場所だ。
サクヤは既に肩で息をしていた。魔力はとうに尽きて、純粋な体力だけで行動をしている。
エドガーには決してできない芸当だった。
「あれは……警備隊だわっ。この【下町第四区画】の警備隊よっ!」
助かったと、ルーリアはサクヤの手を取る。
「……」
(くそ、もう【魔眼】が見えん……)
「サクヤ……?」
警戒を解かないサクヤは片目を瞑り、十五人前後の集団の兵士達を見て述べる。サクヤの顔は険しい。
「ルーリア……残念だが、助けてくれるわけではなさそうだ……行くぞっ!」
警備隊の兵士は、全員が直ぐに剣を抜ける常体だった。
後ろの兵士も、矢を既に弓に番えている。
そんな奴らが助けてくれるとは、到底思えない。
「――えっ!?ちょっぉぉ……」
再びルーリアを背負い直して、サクヤは跳ぶ。
警備隊の兵士たちも、失敗したと言わんばかりに跳び上がるサクヤを見上げていた。
「はぁ……はぁ……っく、はっ……」
サクヤの体力も限界に近い。
一人ならば瞬時に脱する事が出来ても、一人増えただけでここまで辛いものだとは、サクヤは想像もしていなかった。
何件かの家を跳び、警備隊の兵士達とは多少の距離を置いたが。
とうとう、サクヤにも限界がきてしまった。
「――ぐっ……!!」
「――きゃっ!!」
脚が上がらずに、サクヤは屋根瓦に躓き、二人はそのまま倒れる。
ガシャァァン!と瓦は割れて、ルーリアは投げ出される。
サクヤに至っては受け身も取れずに顔から落ちた様で、額や鼻から血を出していた。
「……ぃつっ……!サ、サクヤ!」
ルーリアはサクヤに寄る。
だが、それと同じくして屋根には四方から梯子がかけられ、傭兵達が登りあがって来た。待ち伏せをしていた奴らだ。
このタイミングを狙っていたのだとしたら、少しは頭の回るものがいるらしい。
「……に、逃げろ。ルーリア……わたしは、捨て置け……」
身体を動かせずに、突っ伏したままルーリアに言うサクヤ。
「出来ないよっ!サクヤ……!立って!――きゃっ」
サクヤを立たせようとするルーリアだったが、崩れ割れた瓦に足を取られ、バランスを崩し倒れる。
この家の持ち主らしき人物が下で傭兵達に文句を言っているのが聞こえるが、傭兵達はどうやら金を払っているらしい。
それほどまでにルーリアを捕まえたいようだ。
シュダイハ家は、今回は随分と用意周到だったようだ。
「……ぐ、ぐぅっ……」
残った体力を振り絞って、なんとか起き上がるサクヤだが。
うっすらと開けられた左眼の【魔眼】は光を完全に失い、それこそ《石》のようになっている。
鼻から垂れた血が口に入り、鉄の味を広げていく。
「……サクヤっ」
「――お~お~!頑張るじゃねえか……お嬢さんよぉ……」
屋根に上がってきた男の一人が、ルーリアに迫る。
「――……ボ、ボルザ?……ボルザなのっ!?……ど、どうして貴方がっ!?」
屋根に上がってきた男に、ルーリアはかなり動揺している。
ボルザと呼ばれた男は首をゴキゴキと鳴らし、刈り上げられた短髪を掻き毟ると。
「ええ。ルーリアお嬢さん……オレですよ。ボルザ・マドレスターです……随分と久しぶりですね……それより、ご当主がね、今戻ればまたメイドとして屋敷にいてもいいとおっしゃってますよ?戻らんのですか……?戻れば、そのガキは助かるかもしれませんぜ?――クハハハっ」
ルーリアとサクヤを見下ろしながら、ボルザは笑う。
「――ほ、本当っ!!?」
聞きたいことは沢山あったが、「助かる」という言葉に反応し、思わず叫ぶルーリア。しかし、サクヤは。
「……噓八百に決まっているだろう。ルーリア……周りを見ろ、下もだ」
「――!」
既に二人の周りは囲まれており。
下も、隣の家も包囲され、屋根にも傭兵がいた。
騎士達は居なくなっているが、何か規約の様なものがあるのだろう。
「……ボ、ボルザっ!なんで!貴方がなんでそんなことをするの!?」
「いやはや……そんなに凄まれてもね、お嬢さん……決まっちまったもんは、しょうがありゃしないでしょう?」
ボルザ・マドレスターは、シュダイハ家の使用人だった男だ。
当然シュダイハ家の内情も知っている。
「でも、貴方は……!父様に……」
――殺された、はずだ。
「……ええ、死罪になりやしたよ……お嬢さんに手ぇ出したのがバレてね……でも、ご当主は俺を殺さなかった。それどころか、娘に手を出すとはいい度胸だっつって、俺に店の管理を任せて下さったんです……感謝しかありゃあしませんよ」
「――そ、そんなっ……どうして……私は……貴方が居なくなって……」
ルーリアは真実にショックを受ける。
シュダイハ家は、どこまでも快楽街に囚われているらしい。
「……娘に手を出した男を、腹心にしたわけか……」
ルーリアの反応を見る限り、このボルザと言う男とは真剣だったのだろう。
だが、それすらも父に利用されたというわけだ。シュダイハ家が取り仕切る快楽街を広げるために。
「やはり……ルーリアを置いては行けんな……わたしは、まだ――っぐ!がぁぁぁぁ!!」
「――サクヤ!!」
サクヤは立ち上がろうとした。しかし、隣の屋根にいる傭兵はそれを待たずに矢を掛けたのだ。その傭兵の男は、サクヤが先程苦無で落馬させた男だった。
避けることも出来ず、肩に突き刺さった矢には、強力な毒が塗られていたようで、倒れたサクヤには意識がなかった。
「サクヤ!サクヤぁ!!」
ルーリアはサクヤを抱えて、肩の矢を抜こうとしたが、紫になる肌を見て、直ぐに毒だと判断する。
「……ボルザっ!解毒剤は!?あるんでしょう……!?」
「……解毒剤?ありやせんよそんなもんは」
笑みを浮かべて、倒れるサクヤとルーリアを見下げるボルザは、近づいてルーリアの傷ついている腕を取った。
痛みに、ルーリアは抱えていたサクヤを離してしまい、ドサリと瓦に落ちた。
「――ああっ!サクヤ……はな、離してっ!ボルザ!貴方……許さないっ……許さないっ!」
ルーリアは、憎悪を乗せた視線でボルザを睨む。
涙で滲む瞳には、笑みを浮かべるボルザと死に瀕するサクヤが映る。
しかし天を仰ぐサクヤの口元が笑っている事に、ルーリアもボルザも、周りを取り囲む傭兵達の誰もが、気付く事はなかった。
◇
空を漂う緋色の噴出色は。
深紅の魔力を覆っていた。
その魔力は自身の緑色の魔力ではなく、分け与えられたものだった。
天空を駆ける影は、雲を突き抜けて上空で停止する。
<レーダーにて確認。次の指示を……>
<待ちなさい――ええ、分かっているわ。場所はもう把握した……大丈夫よ。落ち着きなさい……ちゃんと間に合わせるから。ええ、貴女は安心して、メイリンと一緒に帰って来なさい……――準備はいいわね?>
同時に二人と会話していたと見られる女性の声が、脳内回路から直接聴こえる。
宙に浮く影は答える。
<イエス。システムの起動は完了しています>
<そう。なら……力を貸してもらうわよ……?食事の礼ってことでね。対象は真下の、黒髪の少女サクヤ……そして隣にいる女性。いるわよね?……その二人よ。いいわね?>
《石》の反応だけしか頼りに出来ない為、二人目の対象がいるかは分からないようだった。
<了解しています。情報提供の礼を含めて――ターゲットを救出します>
<私の魔力を分けたのだから、しっかりと働いてもらうわよ……メルティナ>
<イエス。情報分は働かせていただきましょう――ローザ……>
そうして、人工知能【M・E・L】。いや、異世界人メルティナ・アヴルスベイブは、助けるべきターゲットが倒れる場所に目安を付けたのだった。




