98話【大きなウサギと小さな犬】
◇大きなウサギと小さな犬◇
【下町第五区画】の中心部から東に進んだ場所。
正確な場所を言えばまだ第五区画だが、【貴族街第四区画】の外壁がある【下町第五区画】の最東。
もぞもぞと、外壁の隙間から抜け出してきた大柄な女性。
ルーリア・シュダイハは、追手である傭兵達から逃れるために、狭いのを覚悟した上でここを通ってきたのだが。
無理矢理に身体をねじ込み、強引にその隙間を渡ってきたせいで、着ていたメイド服は既にボロボロ、身体にも擦り傷や切り傷が無数に見られる。
見る人が見れば、乱暴されたのではないかと誤解を招く恐れがありそうだ。
「――もうっ!何でこうなるのよっ……私は、私はただ……」
ルーリアを追っている傭兵達は、壁を壊して追って来ようとしているようで、ハンマーか何かを外壁に叩きつける音が、耳を劈く。
「……やばっ!」
ルーリアは捕まらないために、必死に逃げる。
隠れる所が少ない【下町第五区画】に逃げてしまったのは、シュダイハ家が取り仕切る快楽街に逃げても、直ぐに捕まるだろうと考えてだ。
子供の頃によく屋敷を抜け出して遊びに来ていた抜け穴を通ってきたのだが、まさかこんなに狭くなっているとは思わなかった。
少し走って、どうなっているかと振り返った瞬間。
ドゴォォン!ガラガラ――と音を立てて、外壁の一部が崩れていた。
男達には、外壁を崩すくらいは大した作業ではなかったらしい。
穴から出てくる傭兵達は、一様に下品な笑みを浮かべて、ルーリアを目視する。
「へへ……まだあんなとこに居やがる」
「……早いもん勝ちだぜ?」
「おぉし、行くぜっ」
と、ルーリアを捕まえる気満々であった。
「ふざけないでよっ!……確かに死にたいとか思ってたけど、私にだって死に方くらい選ぶ権利あるでしょ!」
捕まれば、男たちの慰み者になるだろう。
しかもその命令を出したのが、ルーリアの実の父と弟、だと言うのがおぞましい。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ルーリアは走り、何度も転びそうになりながらも、小さな建物に隠れた。
ちらりと覗くと、傭兵達は馬を使っているようで、捕まるのは時間の問題だった。
「――は~い。見ぃつけた!」
ガシャン!と音を立てて、壊れかけの窓ガラスが完全に破壊される。
「きゃあっ!!」
頭から降り注ぐガラスの破片に、ルーリアは両腕で頭を抱えて防ぐが、何枚かの破片がその腕を切る。
「おいおい~。まだこんなところにいたのかよ……探し甲斐ねぇなぁ」
「――ぐぅっ!」
ルーリアを見つけた男は、ルーリアの傷付いた腕を力一杯掴み、ルーリアは苦悶の表情で男を睨んだ。
「お~いいねぇ……そそるぜその顔。おいっ!お前ら、早く来いよ……おっぱじめるぞ!」
男は外にいるとみられる仲間の傭兵達を呼ぶ。だが反応はなく、男は舌打ちをしてルーリアを放る。
「――つぅっ!」
「おい!!何やってんだぁ……お前……ら……」
仲間の男達は、もれなく全員が倒れていた。
「――お、おいっ!!どうしたっ!誰にやられたっ!?……なっ!――し、死んでやがるっ!?」
心臓を一撃で貫かれた男。
首を斬られた男。死因は様々だが、六人いたはずの【傭兵団ゴウケン】は、自分ただ一人になったと理解した。
「……く、くそっ!」
男は反転してルーリアのもとに戻る。
――しかし。
「――がぁっ!!……か、身体が……動かねぇ!」
急に全身が硬直して動けなくなり、男は苦しむ。
「――無理に動かそうとすれば、関節が外れるぞ……?」
誰に言われることもなく、男に助言を与える。
その声の主は、ルーリアの横にいつの間にか居た。
【赤い仮面】を付け、眼を妖しく発光させて、男に近付く。
「刺かっ――」
「な、なんだっ!お前っ!!」
ルーリアは突如現れた刺客さんに驚き、声を上げそうになる、だがサクヤに手で制されて黙った。
「ほう……意外に喋れるな。外の奴らは口をパクパクさせるだけで手一杯だったというのに……むっ。そうか、魔力が少ないからか……なるほど」
サクヤは一人で納得していた。
この男が【傭兵団ゴウケン】のリーダー。
サクヤ的に言えば首領なのだろう。
男は、サクヤの【魔眼】に抗うように歯を食いしばって、無理矢理にでも身体を動かそうとする。
「やれやれ……警告はしたというのに……」
サクヤは、血を流す腕を押さえるルーリアに目配せすると、目を瞑らせる。
そして男の傍に寄り。
「……命が惜しいか?……す、しゆ?すだ?須田家?……この娘の家の内情、知っている限りを話せば、命は助かるかも知れぬぞ……?」
サクヤはシュダイハ家と言いたかったのだろうが、途中で諦めた。
どうやら未だに言えないらしい。
「……ちっ!俺もゴウケンのリーダーだ……依頼者の情報は吐かねぇ!やるならやりやがれっ!このクソガ――」
血飛沫が、廃墟小屋の天井を赤く染めた。
「――すまぬな……初めから生かす気はなかったよ。それに、口を割るとも思ってはいない……」
サクヤは左眼を瞑り、小さく呟く。
「初めから、殺すつもりだったのだからな」と。
「――刺客さんっ!」
状況が落ち着いたと判断したのか、ルーリアはサクヤに抱きつく。
「むおぅ――っっぶ!?」
背の高いルーリアが背の低いサクヤに抱きつく事で、サクヤの顔はすっぽりとルーリアの胸に埋まる。
苦しそうに足搔き、ルーリアの腰元を何度も叩く。
――降参だ。
「ああっ!ご、ごめん刺客さん……」
「――ぶはっ……こ、殺す気かぁぁ!」
離れたルーリアの胸を叩くサクヤ。
ブルンと揺れる双丘に、更にイラつくが我慢をする。
まるでエミリアがローザの胸に腹を立てたように、サクヤもルーリアの胸にキレかかる。
「お主はこんな所で何をやっているのだ!それにこ奴らはいったいなんだ!?こ奴らのほうが、思い切り刺客ではないか!!」
暗い廃小屋から出て、説明をしろとルーリアに凄むが、既に緊張感は抜けてしまっているようで、ルーリアも安心しきっていた。
「そ、そんなに怒らなくても……私、抜け出してきて疲れてるのよぉ……?」
「抜け出した!?あの趣味の悪い屋敷をか?……何をしておるのだ、お主は……」
呆れているのか怒っているのか、サクヤは引き気味にルーリアを見る。
「私にも色々あるのよっ!ほら、今度シュダイハ家、ロヴァルト伯爵家と決闘するのよ……もう区画掲示板にも張られてるから、分かるでしょう?」
分かるもなにも、サクヤは当事者の一人だが。
そう言えばルーリアには説明していなかったか?
サクヤを未だに刺客だと思っているようだし。
「分かる。須田はお主、老婆はエミリア殿の家名だな……」
「……?」
ルーリアは「は?」という顔をする。そりゃそうだ。
サクヤはまだ横文字に馴れていないらしい(自己申告)。
須田はシュダイハ、老婆はロヴァルトだ。
お互いに疑問符を頭上に浮かべて、首を傾げる。
「ま、まぁいいとして、とにかくね、私はやめろって言ったの。貴族として扱われなくてもシュダイハ家の長女……言うときは言うわよ。無謀だ、無茶だ、馬鹿だって……」
「……卑下している娘に突如それを言われれば、父上も怒るだろうよ……」
原因は簡単だった。
シュダイハ家は、三日後の決闘を完全に勝てる気でいるらしい。
ルーリアはそうは思わず、覚悟をしたうえで提言したそうだが。
「父上と弟君の怒りを買った。と」
「……そうね」
「しかし、それだけで娘を殺そうとするとはな……」
それだけではなく、傭兵達の慰み者として使おうともしていたのだ。
まともな家族のやる事ではない。それどころか、人間としてまずい部類だろう。
「でも……おかしいわね」
う~ん。と考えて、ルーリアは唸る。
「なにがだ……?」
サクヤも少し疲れてきたのか、御座なりに聞くと。
「うん……傭兵達、まだ居るはずなのよね……」
「――は!?……ば、馬鹿者!それを早く言わんかぁ!」
つい、サクヤは大きな声を出してルーリアを怒鳴る。
「――ええっ!ごめん!」
サクヤは直ぐに周りを確認する。
「……ちっ!……どうやら、今すぐにでも逃げねばならんな……」
「……ごめん」
既に囲まれていた。
「わたしとした事が、気付かぬとはなっ……あの数を相手にするには【魔眼】も使えぬ。ここは逃げの一手……だなっ。行くぞルーリア」
「――う、うんっ!――あ、痛ぅっ……」
「ルーリア?どうした?――お主、足を……」
屈むルーリアは、右足を抑える。
足首に近い箇所から、結構な出血をしていた。
「何故言わぬのだっ!見せてみろ……くっ、結構深いな……これでは……」
走ることは無理だろう。
応援を呼ぶにも、ローザは真反対に近い第一区画、間に合わない。
サクラは近くにいるが、戦いに恐怖感を持っている状態では足手纏いだ。
「ごめん刺客さん……」
「――ええい喋るな!……あと刺客ではない。サクヤだ!そう呼べ、いいな!?」
「は、はい……」
「……ちっ!来ているな。ルーリア!背負うぞ!」
「――え、わっ!」
サクヤはルーリアを背負う。
「ぬぅぅぅぅぅぅ……!」
「ご、ごめ~ん……重くてぇ」
「……ここまでとは、思わなかったぞ。ルーリア」
背後から見れば、完全にルーリア一人。
サクヤはすっぽりと隠れている。
(サクラとメイリン殿のいる方に逃げるわけにはいかぬ……という事は……【下町第四区画】か!)
シュダイハ家の取り仕切る貴族街と隣接している以上、待ち伏せされている可能性は大いに在る。更には、限られる逃げ道だ。
(正面を抜けるしかない……幸いわたしの顔は見られていないし、下町・四・三・二区画を抜けて……主殿のもとに……もとに……くっ!!)
エドガーは、現在どこにいるのだろうか。
エミリアと会う約束があるのは分かっているが、場所は聞いていなかった。
「【心通話】を……」
(主殿!……主殿!……主殿!!……くそっダメか……)
【魔眼】を数度使っていたことで、回復しきっていないサクヤの魔力では、距離の離れたエドガーに【心通話】を届けることは出来なかった。
確率が高いのは貴族街だろう。しかし、エミリアがいると分かっていて、相手であるシュダイハ家の娘を連れて行くわけにもいかなかった。
「……兎にも角にも!逃げることを優先するっ!」
サクヤは考えを吹っ切って、廃墟の裏口から草原を駆け出した。




