96話【人はそれを空腹と呼ぶ】
◇人はそれを空腹と呼ぶ◇
不意に“召喚”された、新たな異世界人。
今までの異世界人、ローザ・サクヤ・サクラとは全く別の方法で“召喚”されたこの人物は、現在は眠っている。
倒れたその女性を、事情を説明してローザに運んでもらったのだが、ローザは何故か、ため息を吐くだけで特に何も言わなかった。
エドガーに取ってはそれだけでも充分ローザが言いたいことが伝わったので申し訳ない気分になったが、何故【異世界召喚】が行われたかは、今もまだ分からない。
そして、ローザは厄介な荷物を降ろすように、ゆっくりとベッドに寝かせる。縛られている縄はそのままで。
「……事情は分かったけれど、腑に落ちないわね」
納得いかないのは、どうやらローザも同じようで。
状況を聞いても中々判断しにくいのか、考え込む。
「僕もだよ……この人、異世界人なんだろうけど、僕は触媒になる“魔道具”も用意してないし、魔法陣も書いてない、祝詞すら唱えていないから……」
疲れたのか、エドガーとサクラは隣り合わせで椅子に座り、お互い背を預けていた。
後ろでサクヤが二人の様子を見てソワソワしているが、ローザは気にしない。
「不自然過ぎね……」
その状況で、【異世界召喚】が成立する筈は無い。
エドガーが一番分かっているだろうが、余りにも不自然な事が多い。だが。
「でも、彼女は僕の魔力で“召喚”されてる……それは確実だよ」
エドガーは、眠る女性の顔を眺める。
気になるのだ。――自分を、認めないと言ったことが。
「確かに、エドガーの魔力を感じるわ……私やその子は、君を“契約者”にしているわ。きっと契約の《紋章》があるはずよ」
「ああ、そうか……どこだろ……?」
エドガーはコートやズボンを捲って覗くが、《紋章》は見当たらなかった。
「主殿……その者の背には《石》があります。大層綺麗な物なので、ローザ殿やサクラの《石》と同じなのではありませんか?」
サクヤがそれに気付き、エドガーに提言する。
「そうか……《石》。ごめん、誰か背中を見てくれるかな?流石に見えないからさ」
エドガーはコートを脱ぎ、シャツを捲る。
籠りがちな性格なせいで、かなり白い肌をしているが。
最近、戦いやら訓練やらで鍛えられて、意外と引き締まっている。
「あ、じゃああたしが……」
と、一番近いサクラが、挙手してエドガーの背後に回る。
若干、頬を染めて。
「――むっ……出遅れた!」
サクヤも見たかったようだ?
ローザは、エドガーの全裸を見ているからか、何故か余裕そうだった。
サクラも一度見ているのだが。
「あ~……ある。あるね……“羽”……って言うか“翼”?の《紋章》があるよ……――エド君あたしの世界じゃ温泉入れないね」
「あはは」と笑いながら、元の世界の温泉事情を説明するサクラ。
「……じゃあ、やっぱりこの人は……」
「そうね……私達と同じ、エドガーによる【異世界召喚】で呼ばれた、異世界人だわ……」
エドガーとローザは、同じタイミングで眠る女性を見た。
「……暫く様子を見ましょう。話も聞かなければいけないし……それに、今は状況も状況よ……」
「うん。分かってる……僕も、少し考えたい」
その通りだ。今はエミリアを優先しなければならない。
この異世界人が好意的ならば、少しは事情が変わるかもしれないが。
エドガーに敵意を持っていた以上、時間をかけて対応している暇はなかった。
「私が見張っておくから……安心しなさい」
「……ありがとう。助かるよ」
エドガーは今日、午後からエミリアと会う約束がある。
サクヤとサクラはメイリンの手伝いがあって、事情をメイリンに話すわけにはいかない為、誰もキャンセルする訳にもいかない。
「ありがとうローザさん」
「わたしは別に見張っていてもいいが……」
と、サクヤはやる気がない模様。
「駄目だって【忍者】……今日は買い出しと掃除。午前中やってないんだからやらなきゃ。しかもそろそろ時間だし……メイリンさんに呼び出される前に行くよっ……ほらっ!」
一宿一飯ではないが、宿の部屋を使わせてもらっている以上なにかお礼を、と言い出したのはサクラだった。
エドガーの配慮で、特に何もしなくてもいいと言われてはいるのだが、そうはいかないのが真面目な優等生サクラだった。
裏を言えば、ローザに従業員としてサクヤとサクラを紹介されたメイリンは、エドガーが「お客様です」と言った時、頭に無数の疑問符が浮かんでいた。
「……で、あるかぁ」
ガクッと肩を落とし、更にやる気をなくすサクヤ。
「二人共ありがとう……メイリンさんの手伝い、お願いね。任せたよ」
「「――!!」」
エドガーの礼と願いに二人は。
特にサクヤは、分かり易く気が変わったようで。
「お任せ下さい主殿っ!このサクヤ、全身全霊で挑みます!!」
ピョンピョンと小さな身体を跳ねさせアピールするサクヤに、サクラは。
「はいはいっ!分かったから行くわよっ――ったく、現金なんだからぁ……」
首根っこを掴まれ、引きずられていくサクヤ。
「あ、主殿ぉぉぉぉ……」
「は、はは……」
サクヤの行動に頬を引きつらせながら、見送るエドガー。
「……騒がしいわね、全くもう……」
そんな一連の流れを、額に手を当て息をつくローザであった。
◇
サクヤとサクラを見送り、今度は直ぐにエドガーも、エミリアとの待ち合わせ場所に向かった。
椅子に座りながら、新たな異世界人を見つめるローザは、唐突に。
「起きているのでしょう……?もう誰もいないから、話をしましょうか……」
ローザの言葉に、眠っていたと思われた異世界人はむくりと起き出した。
しかし、縛られた縄がビーーン!と突っ張り、再び寝転がった。
「「……」」
「――想定外」
「……でしょうね」
部屋には変な空気が流れた。
今度は静かに起きて、ローザを見る異世界人の女性。
「質問です。ここは何処でしょうか……当機は機械のはずです。ですがこのボディは、まるで人のようです……」
「きかい……は、サクラがよく言う言葉ね。ボディって……その言い方だと、自分の身体じゃないみたいな言い方ね……不思議な事を言うわね」
座る足を組み直し、ローザは考える。
「貴女も……あの変な人物……人かどうかも分からないけれど、そいつに会ったのでしょう?」
「……あの異様な空間の事ですね……肯定します。当機は宇宙にいたはずなのですが……再起動したと思ったら、あの場所にいました……そして今度は、ここにいます」
「宇宙……再起動……悪いけれど、多分元の世界の文明が違い過ぎて、私には説明できそうもないわ……私に説明出来るのは、今いるこの場所と……貴女がこれからどうするべきか、という事ぐらいよ」
「……」
新たな異世界人の表情は変わらない。
ローザが説明している間も眉一つ動かさずに聞いていた。
しかしそれは、ローザの一言で覆される。
「それで……貴女は――いつ動くのかしら?」
ローザは不敵に笑う。
「――!!」
ローザが言った意味は、いつ脱走するのか。と言う意味合いだった。
「……言葉の意味が理解不能ですが」
「……そう――なら、その用意してある物を仕舞う事ね……」
「……」
縛られている女性の腕は、薄手の毛布の下だ。
だが、その下でこの女性が何をしているのかを分からないローザでは無かった。
「何度も隙を突いて抜け出そうとしているくせに……どれだけ待っても実行しないから、私が焦れちゃったわっ!」
と、ローザはバッ!と毛布を剝ぎ取り、女性の全身が露になる。
足の縄は既に切られ、腕に巻かれていた縄も、切り終える寸前だった。
「……気付かれていたのですね。では、あの少年達を退避させたのは……」
「ん……?ああ。あれは本当に予定があったからよ……でも……これで邪魔にはならないでしょう?」
変に勘ぐってくる異世界人に、ローザは正直に答える。
噓を吐く理由もない。
<いつから気付かれていたのでしょうか……この赤毛の少女、本当に油断なりません>
<そう。ありがとう……でも、私は少女って年じゃあないわよ>
「――っ!!」
【心通話】を理解していない新たな異世界人は、あからさまに驚いた顔をしてローザを見る。
「通信を傍受した……とは違うようですが、どのようなシステムなのですか……?」
「大したものじゃないわ……身内で使える連絡方法よ……」
大したものではないと言われたら、能力の持ち主であるサクラが涙目になりそうだが。
しかし肝心な時に使えない事もしばしばあるので、本人も否定は出来ないだろう。
それよりも、女性は気になったことがあるようだ。
「……身内?……それではまるで、当機も含まれているように聞こえますが……」
ベッドに腰かけたまま、異世界人の女性は訝しみ、ローザを睨む。
「ええ、そうよ。私と貴女……後はさっきまでここに居た黒髪の子二人が、エドガー……貴女の言う少年を主にした関係ね」
緑色の髪の毛が逆立つ感覚と共に、ローザのあるワードに反応する。
「主……あの、少年がっ……!!」
転移させられた瞬間に脳裏に強制記憶されていた、エドガーという少年の事。
だが、自分の主はただ一人であり。彼ではない。
認められない。認めてはいけない――それだけは、絶対に。
「不服そうね……きっと――くっ!?」
「――フリーズッ!!」
ローザは、突然爆発的に上昇した異世界人の魔力に、椅子を蹴とばして思わず距離を取る。
大気を振動させるほどの魔力に、ローザは自然と舌なめずりをし、その目を赤く輝かせて、戦いに備えた。
「【天空支配システム】……起動」
言葉と同時に、宙に浮く身体。
展開させるのは、手足に付いた大型のリングだ。
背の《石》から出力される信号は、魔力を使用して武装を装備させる。
――事は――無かった。
――ぐぎゅるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ――!!
「……は、はぁ?」
「――ふ、腹部に、異常反応……戦闘……不可……能……」
宙に浮いていた身体は、ガクッとベッドに膝から崩れ、中途半端に展開させた装甲からは煙が巻き起こっていた。
「……エドガー……変なの呼ぶなって、言ったでしょうに……」
実は戦う気満々だったローザだが、いきなり牙を抜かれてしまい、頭を抱えたくなった。というか、実際抱えていた。
その赤くなった目を、もとの青色に戻してローザは言う。
「……はぁ。待っていなさい……食事を持ってくるから」
「しょ……食、事?……当機に、そんなものは……不要」
ぐぎゅるぅぅぅ。ぐぎゅるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
「――どこがよっ!お腹鳴り過ぎでしょう!?」
空腹を認めず、何故か意地になる緑のお客様に、珍しくローザがツッコんで、その場は終了したのだった。




