93話【戦いはいつも心で行われる】
◇戦いはいつも心で行われる◇
何とか心を鎮めたサクラは、ゆったりと歩きながら一階のロビーに戻った。
(あれ……?メイリンさんだ――あ、そっか。もうそんな時間なんだ……)
自分が結構な時間蹲っていた事に気づき、軽くショックを受ける。
メイリンは現在、体調不良があったのもあって、出勤が遅くなっている。
いつもは朝早く、一番にやって来ては掃除等をしていたのだが、経営者であるエドガーの配慮で、最近休みが多くなっていた。
別に宿が暇なのは関係ない。本当だよ?
「あら、サクラさん……ど、どうしたの……?顔が真っ青よっ!?」
ロビーの受付で何かを数えていたメイリンが、サクラに気付いて声をかける。
が、その顔色の悪さに驚き、駆け寄ってくれた。
それは、サクラにとってはとても嬉しい事でもあった。
「……へ、平気ですよ。メイリンさんこそ、何してたんですか……?」
メイリンのしていた仕草は、サクラも【日本】でよく見た事がある。
銀行員がお金を数えるソレに似ていた。
それが気になったのと、心配を掛けられないという点から、サクラは話を逸らした。
メイリンがそわそわしていたのに勘付いて。
「――えっ!?あ~、えっとぉ……うん。何でもないわよ?」
予想は的中で、絶対に何かある言い方だった。
ぎこちない笑顔が、それを物語っている。
「あはは。なんですかそれ、メチャクチャ気になるんですけど」
論点のすり替えは完了して。メイリンはチラチラと受付を見る。
「……」
サクラの視線は自然と受付に。
特にメイリンが触っていた袋に。
「――!……ち、違うわよっ!?私、何もしてないからねっ!?」
どうやら、金銭の事で悩んでいたらしい。
メイリンはサクラに何かを疑われたと思ったのか、自分から焦り始めた。
「分かってますって。それにあたし何も言ってませんよ~?」
ジト目でにやけるサクラ。
精一杯、元気なフリをする。
「あっ。うぅ……意地悪ねサクラさんは。……ローザの方が扱いやすいわよ、もうっ」
プンプンと拗ねるメイリンのこの姿を、最近付き合い始めたであろうアルベールに見せたい。非常にそう思ったサクラであった。
「で。結局のところ……何をしてたんですか?」
「ああ!ちょっとサクラさん!駄目!駄目よ!?」
拗ねるメイリンを置いてけぼりにして、サクラは受付の中に入り、メイリンが作業をしていた椅子に座る。
「……ふむふむ。帳簿……ですね。やっぱりお金じゃないですか――」
「やだもう~」と、おどけて言おうとしたが、帳簿を見た結果。
見なければよかったと後悔した。
「――はぁ~……どうするんですか?これ」
「……ねぇ。どうしようか……本当に」
メイリンが悩むのも無理はない。
帳簿は、明らかに赤字を示す文字だらけだった。
会計は勿論、宿の収入はゼロであり、支出は無駄に多い。
「……~」
声にならない声を喉から出して、サクラは絶望する。
(ま、まさか……ここまで貧乏宿だったなんて。完全に外観に騙されたぁぁ)
エドガーに“召喚”された時『ここは安宿だけど、安心して暮らしていい。安全は保障するから』と言われて、完全に信用していた。
というか、信じざるを得なかった。
(普通異世界に来たらさぁ……とっても優遇されてたり、すんごい力があったりするのが普通じゃないわけ!?)
自分が四次元に繋がる鞄と【心通話】、そして【スマホ】を使えることを忘れていそうな心中のサクラは、振るえながら。
(こ……このままじゃ、アカーーンっ!!)
自分の異世界ライフが、貧乏生活に陥る可能性を見出してしまったサクラは、これは経営者と話をしなければと決意する。
今のサクラに、そんな暇はあるのだろうか。
「メイリンさん!」
「――は、はいっ!!」
突然叫ぶように名前を呼ばれ、背筋を伸ばすメイリン。
「……ちょっと、エド君を呼んでもらってきても……いいですかねぇ?」
「……は、はぃ」
満面の笑顔だったが、メイリンはサクラが憤っていると理解して。
経営者を呼びに行ったのだった。
◇
突然、サクラに名指しで呼び出されたエドガーは、緊張した面持ちでサクラの横に立つ。
場所はロビー。サクラは受付の椅子に座っている。
先程エドガーを呼びに来たはずのメイリンは、いつの間にかいなくなっていた。
「……な、何かな?いきなり呼ばれて、びっくりしたよ……」
(どうしたんだろう。サクラ……今朝は元気なく見えてたけど、今は……うん、怒ってる)
サクラが怒っているのだけは理解出来たエドガー。
しかし、如何せん理由が分からなかった。
(……えっと、ここにいるってことは……う~ん、ダメだ……な、なんだろう一体)
全く見当がつかない経営者だった。
「――エド君」
いつもの何倍も低い声音にビクッと反応するエドガー。
ローザが見ていたら笑うだろう。
「は、はいっ!なんでしょうかっ」
咄嗟に敬語になってしまった。
しかも声が上ずった。これは恥ずかしい。
「……これを見て、どう思います?」
サクラに突き付けられたのは【福音のマリス】の帳簿だった。
宿の経理や、妹リエレーネの騎士学校の学費の支払いなど、レオマリス家の財産管理にも使われているものだが。
「……帳簿、だね」
「うん」
「え?……それで?」
エドガーは帳簿を確認した上で、サクラに聞き返す。
「――は?」
別にとぼけたつもりはないのだが。
サクラを見ると、どうもこの帳簿が理由で怒っているらしい。
「い、いや……えっと、ホントに何で……怒っていらっしゃるのかなぁ……と」
「分からないの……?これを見ても?」
突き付けられた帳簿のそのページは、真っ赤になった一面だった。
「えっ……と、赤いね」
「――バカなのぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
エドガーが鈍すぎるのか、この世界の価値観がおかしいのか。
どちらにせよ、解決しなければサクラの異世界ライフに未来はない。
この世界には、RPGのようなモンスターは存在しない。
エドガー達が戦った【石魔獣】や【大骨蜥蜴】などは、本来この世界でも神話に存在した部類なのだという。
戦争はもう何百年も起こっておらず、各国それぞれが各々の生活圏を持ち、干渉すらほとんど無くどの国も閉鎖的なのだ。
「……それで?」
今エドガーにそれを説明されても、帳簿が真っ赤な理由とどう繋がるのだろうかと、サクラは疑惑の目を向ける。
腕組をしながら、椅子にふんぞり返ってエドガーの説明を受けるサクラは、完全に取り立て屋だった。
「い、いや、だからね……ということは、外国からのお客が取れない訳で……」
「……で?」
「そうなると【召喚師】の扱い上、自国の客も入らない……訳で……」
「……」
睨まれているのか見下されているのか、とにかく今エドガーは針の筵だった。
(サ、サクラがここまで怖いと思わなかった……)
「はぁ~……いい?エド君……これ、帳簿ね?……これ、このままだと……赤字続きで死人が出るから」
「はは、死人って……」
サクラの言葉に、エドガーはつい笑ってしまうが。
「――笑い事じゃないんだよ?エド君。この赤字を見る限り、一年以上続いてる……宿はお母さんが切り盛りしていたんだよね?……つまり、その時期からもう赤字だったんだよ?」
「……え」
区画一の人気宿。国でも有数の宿だったはずの【福音のマリス】が、赤字続き?
自分が跡を継いだ後なら分かる。
実際客は来ないし、【召喚師】の風評被害も多々ある。
母マリスが経営者だった頃から赤字が続いていたのなら、確かにやばいのではないだろうか。
いくら生活していけるだけの貯えがあったとしても、ローザやサクヤ、サクラを抱えたこの宿に未来はあるのだろうか。
「ヤバい……よね。これ」
「うん、ヤバい。近い所で言うと、来月の妹さんの騎士学校の学費が足りないよ?」
この世界の月間は約90日だ。
前回の騎士学校の学費を払った時は40日程前で、ローザと出会うよりも前のこと。
騎士学校の学費は、それはもう高額だった。
だからエドガーは中退したのに、それを失念していた。
そしてエドガーは、ローザが食べる食事の量を思い出す。
思い出してしまう。
「……!?」
幾らメイリンの家から野菜の援助を受けているとはいえ、宿の経営以前に、明日の食事がやばかった。
「……ね?」
「……う、うん。ごめん、僕が全面的に悪かったよ……」
謝罪するエドガーは、真剣な顔つきになっていた。
「それは別にいいよ……あたしはこういうの詳しいし。協力する、でも……」
サクラの顔は、一転して曇る。
「サクラ……?」
「……あ――ごめんっ。何でもないや……あたし行くねっ」
まるで逃げる様に、サクラはロビーから飛び出す。
「サクラっ!ちょっと待って!」
咄嗟だったが、サクラの腕を掴むことに成功し、エドガーは安堵する。
「……やっぱり、エミリアの事……いや、それよりも戦いの事……考えてたんじゃない?」
「……!?エド君……気付いて」
やはり、サクラは戦いの事を考えていた。
それも、自分が戦わなければならないと言う事を。
「少し……話そうか。待ってて、コーヒーを淹れてくるから」
そう言って、エドガーは厨房に向かった。
ついていってもよかったが、サクラの足は重くなっていた。
まるで、重しが付いたかのように。
エドガーは直ぐに戻ってきた。
熱いコーヒーを二杯持って。
「あたし……ミルク欲しいな」
「うん。あるよ、ちゃんと」
ロビーの受付に対面で座る。
まるで客と受付嬢のような構図だが。
「「……」」
エドガーは、サクラから話した方がいいと思い、敢えて黙っていた。
外からは子供の声が聞こえて来て、暢気なものだと感じた事だろう。
どれくらい沈黙が続いただろうか、エドガーがコーヒーを飲み終えそうなタイミングで、やっとサクラが口を開いた。
「あたしさ……」
「……うん」
「怖いんだ……そりゃあ、エド君もエミリアちゃんも怖いだろうけど……あたしは、きっと戦えないよ。死ぬのが怖いってのも、勿論あるけどさ……昨日あのセイドリック、さんが、ローザさんの参加は駄目だって言った時……もう自然にあたしが出なきゃならないって……理解したよ」
(……やっぱり)
そうでなければ、あんな顔面蒼白にはならないだろう。
「きっと……ローザさん、エミリアちゃん、【忍者】、アルベールさん、エド君が出るはずだったでしょ……?」
エドガーの考えと、寸分変わらない布陣だった。
メンバーが少ないのだ、自ずとそうなることは分かるのだが。
「ローザさんの参加が駄目なら、もうあたしが出るしかないじゃん……人数的にもさ」
「……そうだね。僕の考えも、同じだったよ……」
サクラは「でしょ~」と笑う。
無理に笑っていることが分かる、辛いものだ。
「……あたし、多分誰よりも戦えない。ビビってるって言われてもいい。エミリアちゃんの結婚が懸かってるって分かってても、怖さが勝っちゃうんだよ……」
武術を習っていたわけでも、特別度胸があるわけでもない。
ただ少し頭がよかっただけ。しかもそれは、褒められるために演じてきた、偽物の自分。
そんな自分が、誰かの人生を賭けた戦いに参戦なんて、烏滸がましいを通り過ぎて、自己嫌悪で溺れそうなほどだった。
「でも、あたしが出ないと……一敗しちゃう。相手がどんな人を連れて来るかも分からない以上、そんな馬鹿げた一敗は、よくない」
「……」
理解している。自分の一敗は、命取りになる可能性があると。
エミリアの運命が決まるかもしれないと。
例えサクヤが勝っても、エミリアが勝っても、エドガーやアルベールが勝っても、そのうちの誰かが負けて、自分が負けてしまえば、後がなくなる。
そんな状況、作っては駄目だ。
誰かのせい。なんて言う人は、この中にはいないだろう。
でも、サクラはきっと自分のせいにする。
元の世界で、そうしてきたように。
「――怖いよ。怖い……あたしのせいで、誰かが苦しむのは、怖いっ!」
不意に、【日本】の家族の顔が頭をよぎった。
『あんたなんか、産まなきゃよかった!!』
『母さんがこうなったのは、お前のせいだぞ……』
『お姉ちゃん……まだいたんだ』
「……はっ……くっ……ぅぅ……」
過呼吸の様に、自分ではどうにもならない苦しさが襲ってくる。
「サクラ!落ち着いてっ……大丈夫、大丈夫だから!」
胸を押さえて、必死に呼吸しようとするサクラに、エドガーは寄り添い、背を擦る。
「……はぁー……はぁー」
涙目でエドガーを見つめるサクラのその目は、怯える弱者そのものだった。少し前の――エドガーの様に。
「……落ち着いた、かな……?」
背を擦り続けていたエドガーに問われて、サクラは軽く頷く。
「うん……ありがと」
「……サクラ」
「……なに?」
エドガーの声は優しく、宥める様に語りかけてくれる。
でも、それは別れの寂しさを誤魔化すようにも聞こえて、サクラはゾッとする。
そして発せられたエドガーの言葉に、サクラは打ちのめされる。
「――いっそのこと、出なくてもいいんじゃないかな、決闘なんて」
「――えっ?」
意味が分からなかった。エドガーの言葉の真意を探そうとしても、重みが勝って思考が働かない。
(……なに……それ。あたしは、もう……要らないの……?)
決闘に出ないという事は、勝ち星を一つ諦めるに等しい。
サクラはいなくても大丈夫。そう言われた気がして、目の前が暗くなる。
「……クラ?……いてる?……!えぇ?あっ……ロー…ザ!?…――ちょっ!!」
(……何なのよ……自分から“召喚”しておいて、要らなくなったら捨てるの……?)
サクラに、エドガーの声は聞こえていない。
暗い考えで埋め尽くされて、思考が完全に停止する。
――しかし、突然頬に襲い来る衝撃。
まるで、野生のボクサーに殴られたような、そんな衝撃。
野生のボクサーなんて知らないけど、そんな感じ。
ドサリと椅子から転げ落ちて、身体ごと投げ出される。
結構飛ばされたみたいだ。
「サ、サクラっ!?」
「……つぅっ……」
エドガーが、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
メチャクチャ心配してる感じで、傍に来てくれてる。
つまり、エドガーに殴られたわけじゃない。
「――立ちなさい」
「!?」
凛とした声は、脳まで届く真っ直ぐな意思を持っていた。
その人の声を聞いただけで、自然と顔を上げる。
「ロ……ローザ、さん……?」
頬を左手で押さえて、サクラはローザと目が合う。
「ええ」
(あ、あたし、ローザさんに殴られたの……?)
自分でもよく死ななかったと思う。
「な、なんであなたに殴られなくちゃならないんですかっ!?」
サクラは咄嗟に叫んでいた。
自殺行為だって分かってても、理不尽に殴られた気がして、気が気じゃいられなかった。
「なんで?――じゃあキミは、どうしてエドガーの話をちゃんと聞かないの?」
質問に質問で返され、苛立つかとも思ったが、それがサクラにヒットする。
「……――えっ?」
まるで、エドガーが話をしていたのか。と言いそうなほどぽかんとさせて、サクラはエドガーを見る。
エドガーは「気にしないでいいから」と笑うが、少し悲しそうだ。
「どうせ一部の言葉だけ解釈して、悪い考えだけを自分の中に貯め込んだのでしょう……話は最後まで聞きなさい。キミは、頭がいいのでしょう……?」
変に頭がいい分、エドガーの短い言葉を全て聞かずに解釈して、分かったつもりだったのだろうか。
「エ、エド君……ごめん、あたし、勝手に……もう一度、聞かせてくれる?」
(あれ……なんだろ、なんか……気分がスッキリしてる)
「うん。勿論だよ……――ローザ。話聞いてたんだね……でも、ありがとう。助かったよ」
エドガーだけでは、サクラに傷をつけたままだったかもしれない。
「……私は行くから。後は勝手になさい……くれぐれも、ちゃんと話すのよ?今みたいに足りない言葉じゃ駄目なんだからね?」
「……は、はい」
エドガーの笑みにローザは照れたのか、エドガーに注意する。
サクラは何だか嬉しくなった。
「……あ、【忍者】」
よく見れば、柱の影にサクヤもいた。
こっそり見ていたようだ。
(あたし……どんだけ周り見えてなかったんだろ)
メイリンを見つけて、帳簿の赤字と言う逃げ道を見つけた時、きっとこれでいいんだと決めつけたのだろう。
先の事を考えずに、別のベクトルをぶつけて、憂さ晴らしをしようとしていたのかもしれない。




