プロローグ 〜自分が自分たる所以〜
「おれにわかるのは、何かをしなくてはならないのだということで、それが何なのかよくわからない。
時がくればわかるだろうが、おれは本物をつかむまでとにかくやるんだ。わかるかい?」
- ジェームス・ディーン -
◆ ◆ ◆
幼少の頃からだった。
感情のまま、だが他人に出来るだけ迷惑をかけないように自分のしたいことをする。それが「自分」だった。
周りは皆、中学生ぐらいから個性が出始める。
いじめられ体質の奴はハッキリと主張しなかったり、態度がでかい奴は物怖じをしない。
いうところの「キャラが立つ」ということなのだろう。それぞれに様々に立ち位置を見つけ、枝分かれをしていった。
自分はといえば「相手の話を聞く」こと、「周りの情報を吸収し自分のものにする個性」だった。
それだけが自分の個性。そこに至った理由はよく覚えていない。
周りの知人は、皆似たようなことを言う。
「話を聞いてくれてありがとう」
「気が楽になった」
「聞いてもらえてよかった」
「他人の会話の時に頷くことはいいことだよ」
今思えば、話を聞くことで他人を知り「自分を作っていた」のかもしれない。
「自分は他人の鏡みたいな性格だから・・・」
それが思春期の口癖だった。
少女マンガを読めば、仕草や考え方が女性的になり、
学力優秀を求められれば、勉強ができるように勉強ばかり、
恋愛小説にハマった時は、女性を常に大切にして渋谷や新宿で遊び呆け、
周りがヤンキー友達ばかりの時は、ゆるふわヤンキーだった。
本質の根幹は、飽き性で天邪鬼で他人の真似して居場所を探す。
目標とする人格とはかけ離れた「嫌いな自分」という存在。
「本能」は持ち合わせていたかもしれないが、「人格」というものは特に持ち合わせておらず、あったのは「役割」だったのかもしれない。
気がつくと自分の中には、ちょっとした人格がいくつか出来ていた。困った時にサポートしてくれるような存在。彼らは過去出会い、真似をして経験してきた人格達だった。
彼らは、他人の役に立ち良好な関係を築くことができるなら、己の望むペルソナを保つため、入れ替わり立ち替わり、力になってくれた。
うまく立ち回れないときは力不足に歯がゆさを感じ、結果が伴わない自分が嫌いになった。それでも彼らはそれぞれのキャラクターで叱咤し、慰め、同意してくれた。
そんな日々の繰り返しの中、人生で初めて、他人の為に尽力しても良い結果ばかりではないこと知ることになる。
取り巻く環境が濁ってくると、時を同じく少しずつ冷めた感情とペルソナを保つ為にサポートする人格が、より明確に形成され始める。
他人から見れば、自分が何をしようがどうでも良いのだ。そのことに気づくには少し遅かった。
誰が悪いわけでもない、そう思うしかない、見るに耐えない自分になった時、そう思うしかなかった。
この物語は、
今まで生きた証を掘り起こす作業。
生きたかった人生を想像する作業。
これからの「僕ら」の行く末を創造する物語、である。