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 それから十日間、良史亜は個室に入院した。


 持ち込んだパソコンで仕事もし、遠山さんや他のスタッフが時々病室に打ち合わせに来ていた。


 病院嫌いの彼のために私は毎日面会に行った。

 でも良史亜はペースを取り戻して、もう弱気もまったく見せなかった。

 病室で真剣な顔でパソコンに向かって仕事をしている彼を見ると、倒れた日の夜中に手をつないでいいかって言われたのが夢だったみたい。


 大学からの友達で起業当初からの仲間でもあるスタッフの人達は私と病室で顔を合わせると、

「ヨッシー君、桐絵ちゃん来たよ。ほら仕事やめやめ」

「いいなあヨッシー、ナースの彼女とかさあ」と良史亜をからかうこともあった。


 良史亜の大学の友達は彼をヨッシーとかヨッシー君と呼んでいて、社長って呼ぶのは遠山さんと最近入社した人か、外部の人をまじえて話す時みたい。


「まだナースじゃない。看護学生だ」

良史亜は無愛想に言った。


 あ、でも今の口調は照れてる。

 それに彼女ってところも否定しない。


 けれど、周りからそう言われるのに慣れなくて私も照れて恥ずかしかった。


 自分から好きと告白してしまったことも、日にちが経ってからの方がすごく気恥ずかしく感じた。


 私が物心つく以前からの幼なじみで、あの時から改まって付き合ってなんて言われたわけじゃない。

 けどあの日以来、これまで固く閉ざされていた窓が朝に向かって開かれたように、良史亜の心の奥にあることを知ったのが嬉しい。

 そして彼と一緒に新しいつながりの中に踏み出して行くのが嬉しかった。



 良史亜が退院し、私も彼も慌ただしい日々に戻った。


 あの夜からひと月以上が過ぎて、今年も年末を迎えた。

 もう伊理也も真理さんもいない今年の大晦日。


 私たちは二人だけで過ごして新しい年を迎えることにした。

 去年みたいにお餅や年越し蕎麦も買いに行って、良史亜の部屋のキッチンに一緒に立って料理をする。

「真理さんが、また福岡に帰る前に面会に行ってくれたって。兄さん元気だから安心してねって言ってたよ」

「そうか、よかった。年末だし僕も気になってたんだ。真理ちゃんは逞しいな、ありがたいね」


 今は服役中の兄さんは刑務所で年を越すことになった。

 そう、クリスマスにあたる誕生日も。

 それを思うと私も良史亜もクリスマスを祝う気持ちにはなれなかった。

 けれど年末は新しい年への願いを込めて過ごしたかった。


 真理さんは病院での言葉通り、大野誠としての兄さんにずっと寄り添ってくれている。

 今の私たちにはこうして想いを馳せ、心だけで伊理也に寄り添うことしかできない。


 良史亜の部屋で、どこからか聴こえる除夜の鐘に気づいて窓を開け、並んで窓辺に佇み耳を傾ける。

 煩悩を払うという遠い鐘の音は、心に絡みつくこの一年の笑顔や涙の記憶を少しずつ解く。

 そして緩く微かに吹く冷たい風の中へ流していくようだ。

 絶えず流れて変わって行く時のマーブル模様の中に私は良史亜の手を取って二人で立っている。


 良史亜と、はぐれたくない。


 新しい年を迎えて私たちは新しいキスを交わした。

 良史亜との距離は確かに変わったけれど、彼が言った。

「僕から桐絵に一つ約束させてほしいことがある」

「なに、約束って?」

「お前が卒業するまでは、今以上触れることはしないって。桐絵はどう思う」

「あのそれは、良史亜から見たらまだ私は子供だと思うからなの?」

 以前誠君に、いや兄さんに桐絵は()()()()してるって言われたことを思い出して、おずおずと尋ねた。

「そうじゃない。桐絵は綺麗でとても大切だよ。ただお前が自分の夢を叶えるまでは、そう思うんだ」

 彼は優しく私の髪を撫でた。


 良史亜はやはり幼い頃に託された伊理也の信頼を思ってそう言うのかな。


 私はうなづいて答えた。

「うん、わかったよ。約束」

「本当はね、こうしないと僕はエゴに負けそうなんだ。いっときも桐絵を離したくないって、最近よくそう思ってしまうんだ」

「良史亜、エゴじゃないよ。私もそう思うの。二人とも同じだね」

「同じ?そうか」

 良史亜は私の背に手を回し抱き寄せた。


 見上げると彼の褐色の瞳が微笑んでいて灯りに透けるくせ毛の髪が綺麗。


 昔はあなたがこんな風に笑ったとこってほとんど見たことがなかったな。

 本当は優しいのに隙を見せないような、いつも何かに挑んでるみたいな感じだった。


 良史亜への、好きの気持ちはうまく言えないけどとても大きくて、そして深いところにある。


「良史亜、大好き」

 そう伝えたら彼の微笑みがまた深くなる。

「僕もだよ。桐絵、幸せだ」




 季節は巡り春を迎えて私は大学三年生になった。


 ある休日の午後、良史亜はドライブに連れ出してくれた。


 郊外の川沿いに立ち並ぶ淡いピンクに煙るような満開の桜並木を眺めながら、手をつないで私たちは歩いた。

散歩しながら良史亜が言った。

「来年はアメリカに留学を考えてる。今年はこれからその準備に時間を充てようと思ってるんだ」

「アメリカに行くの」

「うん。これからの経営のための勉強と、虐待を受けた子供の支援プログラムを勉強したくて、アメリカでのそうした活動を知りたいんだ。トータルで一年はかかると思う。もうあちこちに連絡を進めているんだ」

「仕事しながら準備始めたの。すごいね」

「仕事は今調整してる。留学するためには語学の試験や面接、手記なんかがある。これから桐絵以上に勉強するから、お前も僕に負けるなよ」

「わかった。私も国試の勉強あるから良史亜に負けないよ。でも来年はそばにいないの」

「そうだな、でも一年通してってわけじゃない。桐絵も来年の休みにはアメリカに遊びにおいで」

「絶対行く。でも良史亜が長いことそばにいないなんて初めてだからちょっと不安」

「僕だってそうだよ。それに自分の過去と向き合う時間も多くあるだろう。そんな時はきっと誰よりもお前に会いたくなるだろうな」

 つないでいる手を少し強く握ると良史亜が言って、私たちは目を見合わせた。


「僕はこれまで、虐待を受けて来たことは特に周りに言ってはこなかった。でもこれからは虐待を抜け出した子供が心を癒して強く前を向いて生きる手助けができるようにしたいんだ」

「それは、良史亜になら必ずできるよ」

「桐絵の卒業の前にはちゃんと戻る。お前が自由と自立を手にする日を一緒に祝おう」

「自由と自立か。待ち遠しいけど、頑張らないと。良史亜が戻るまでに私はもっと大人になるよ」

「どちらも手にするのは簡単じゃない。でも桐絵なら大丈夫だ。僕は僕で、自分の経験を怒りや後ろ向きの否定じゃなく本当の力に変えたいと思うんだ」



 うららかな毎日が続き桜も散って葉桜になったある日、マンションの郵便受けを開くと一通の白い封筒が入っていた。


 表書きは、サインペンか何かで「長嶺桐絵様」と書かれ、裏面には住所も差出人の名前もない。

 会社の名前などもなくDMでもないようだし。


 一体誰だろう、普通の手紙のようだけど。


 部屋に持ち帰って一応ハサミで開封した。


 中から三つ折りの白い便箋が出てきて、部屋のローテーブルに向かって数行を読んだ私は戦慄してその場に立ち上がった。



 長嶺桐絵 様



 やっとあなたを見つけました。

 あなたにはまだ、僕の名前さえ伝えるチャンスが

  なかったけど、僕を覚えてくれていますか。

 大学一年生で寮生活をしているあなたを

  通学中に見かけてから、もうずっと好きです。

 あなたの長い黒髪が好きです。

 色白で清楚なところもすごく好きです。


 あなたをそっと見つめるだけだった僕はある晩、

  決心してあなたに近づいた。

 でも、その時は急に現れたガラの悪い男達に

  暴力を受けた。

 あいつらはあれからも僕を目の敵にして、

 僕が歩いていると車で通りかかって、

  わざわざ窓から顔を出して睨みつけてきた。

 あなたがあんな連中と知り合いだったなんて

  ショックでした。

 あの連中とはやっと縁を切ったんですね。

 時間がかかったけど、正解です。


 でも、あなたは前から知ってる別の男と

  時々会っていますね。

 彼は室井良史亜って奴でしょう。

 T大在学中に企業して、学生社長から

  会社を上場させた野心家の男。

 マスコミにも露出しているから知っています。

 彼とあなたとは、どうやって知り合ったんですか。

 どういう関係ですか。

 桐絵さん、極端から極端へ、あなたはどうして

  そう節操がないのか。

 それは寂しいからですよね。

 どこか儚げなあなたを見ればわかります。

 もっとあなたを知りたい。

 もっとちゃんと、いつもそばにいて

  あなたを正しい方向に導く相手が必要なんだ。

 僕にはそれができる。僕になら。

 運命の手によってあなたを探し当てた僕は、

  今度こそあなたを一人にはしませんよ。

 直接、僕の気持ちを伝えたいと思っています。

 近々、声をかけるつもりです。

  どうか待っていてください。



 大西 明





 男の名前を目でたどると、はっきりと記憶が蘇った。

 一年生の時に大学から寮に戻る夜道で抱きついてきたあのストーカー男に違いない。


 見た目は面長で暗い感じで、中肉で身長は高め。

  鍛えた感じでもなかったけど力があって、後ろから抱きつかれたときはとっさに振りほどけなかったことを思い出す。


 寮を引っ越してから一年も過ぎたのに、どうしてこの家を知ったんだろう?

 まさかまた学校から後をつけられていたんだろうか。


 以前は伊理也と仲間の人が「パトロールするから」って言っていて、大西の手紙からすると本当にそうして守ってくれていたことがわかる。

 良史亜も伊理也から情報をもらってたから、引っ越してからも時々様子を見にきてくれていたのだった。


 でも、もう伊理也も仲間の人もそばにいない。

 そして今日、良史亜は出張で広島にいるのだった。


 怖い。


 今は十八時で外は宵闇が迫っている。

 少なくとも今夜はもう一歩も部屋から出られないと思った。


 部屋には小さなバルコニーがあって、扉はしっかりと閉めているけど私は不安で鍵を確かめた。

 他の窓もみんな。

 カーテンもしっかり寄せるように閉じ直して、そっと隙間から外を伺ったけど、人影は見当たらない。


 それから良史亜に大西の手紙のことをLINEした。

「桐絵、心配なときは、怖いときは僕を呼んで」

 以前そう言った彼の言葉が蘇って、私はすがるようにその記憶を反芻していた。

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