表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/23

Открыть окно 2

 目に飛び込んできたのは裸の良史亜の背中から肩、腕のあちこちに散らばるくすんだ色の丸い跡。


 この皮膚が引き()れている痕って。

 これ、火傷の痕?

 大きさといい数といい、まさかこれ全部タバコの火でできたもの?

 両腕には縦に走る筋状の傷跡がある。

 これは多分、骨折の修復痕だ。

 これ全部虐待の跡なの。


「桐絵、気持ち悪いもの見たろう」

 肩で息をつきながら良史亜は言った。

「ううん、無理してやっぱり息が苦しかったんでしょう。寒くなるから私が体拭いてもいいかな、それから着替えようよ」

 そう言ったら良史亜は黙ってうなづいて背を向け、私は温かいタオルで体を拭いた。


 良史亜の両親は離婚して、幼い彼は母親と生活していた。

 母親は新たに出会った男性と一緒に暮らすようになり、その頃から彼は虐待を受けるようになった。

 母親と再婚相手との間に良史亜の弟になる男の子が生まれると虐待は激しくなった。

 五歳の時に彼はひどい暴力を受けて病院に運ばれて一命をとりとめ、それから私と伊理也と同じ施設で暮らすようになった。


 彼の過去について私の知っていることはこの程度だし、それ以上詳しいことは知らずにいた。

 思えば良史亜は夏でも半袖のTシャツじゃなく大抵長袖のカットソーやシャツを着て腕まくりしてた。

 日焼けすると真っ赤になるから、と海水浴の時でも海に入らなかった。

 実際肌の色が白い方だけど、きっとこの激しい虐待の傷跡を周りに見せたくなかったんだ、私にも。


「これ、みんな昔の傷。やけど、こんなに。それに骨折もいくつも……」

 私の頬の上を涙が伝って、その雫が古傷だらけの彼の背中に落ちてしまった。


 良史亜は体を起こすと私に向き直った。

「僕は桐絵の前でただ強くいたかった。この傷を見て僕を哀れと思うか?」

 向かい合った彼の胸が荒い呼吸に波打って、左の鎖骨の上にも短い筋状の骨折の傷跡があるのに気づいた。


 哀れ?そう言われると違う気がする。

 この涙はそうじゃない。


「違うの。憐れんで泣いてるんじゃないの」

「驚かせたか?普段は見えない場所にされてたから」

 良史亜は新しいシャツを着てトレーナーを被った。


 幼い彼が生き延びてくれて施設で伊理也と私と出会ったから今がある。

 彼のおかげで私はもっと自分らしく生きることを考えて来られたし、彼がいたから伊理也とも再会できた。


「驚いたけど、こんなことのせいで良史亜が死ななくてよかった。生きててくれたから今日私はこの傷を知ったの。良史亜が生き延びた(あかし)だよ」

「やっぱり妹だな、伊理也も一緒に住んでた時に同じこと言ったよ」

「そうだったの?」

「伊理也は昔からこのこと知ってたから。これどうしたの?って子供の頃普通に聞いてきたよ」

「それ、兄さんらしいね」

「うん。だから伊理也といるといつも気が楽だった。また会いたいよ、いつか必ず会おう」

「そうだね、会いにいきたい」



 秋の長い夜も更けて立ち並ぶビルの灯りも消えていき、窓の外に感じる街の雑踏もだんだんと静かになった。

「桐絵、もう遅い。お前のいう通り明日はちゃんと病院に行くよ。タクシーを呼ぶから帰りなさい」

「でも良史亜すごい熱だし今夜また具合悪くなるかも。それに明日は早くに病院に行って欲しいし一緒の方が楽だよ。だから今日はここに泊めて、そうさせて」

 熱が下がってきていつもの冷静さを取り戻した良史亜に、ほとんど必死で私は言った。


 私、あなたの身内でもないけど、こんな時くらいそばにいたいよ。

 あなたが大切だから私にできることをしたい。

 良史亜のことが大切で、そして。


 けれど私が聞かないと思ったのか彼は静かに忠告した。

「桐絵、多分忘れてると思うけど僕も男なんだよ」

「それは、でも今は……」

「病人だから世話をしなきゃ、そう思うと桐絵は忘れているよ。全く警戒してない」

 家中から私が集めてきたクッション類を背枕にして横になった彼はそう言った。


 それは違う、忘れてなんかいない。

 特にこの頃は意識しないようにしてるだけ。

 それなのに良史亜の方こそちっとも気がつかないんだね。


「大事なこと忘れてるのは良史亜の方だよ!倒れてるの見た時ショックだった。どうしてもっと自分を大切にしてくれないのって思って辛かった」

「桐絵……」


 胸が苦しくなって涙が出そうになる。

 それをこらえて私はベッドの下に正座すると、泣かないように顔をあげて良史亜を見つめた。


「私、良史亜が好きなの。好きで大切だから心配で心が潰れそうで一人になんてできないの!」

「本当に?桐絵」

 目が合った良史亜は眉を寄せ、なぜか少し悲しそうに言った。

「でも僕の心は醜い。桐絵にそう言われる資格が僕にあるのか」

「どうしてそんなこと言うの?」

「白状するよ。伊理也と一緒に暮らすようになって、あいつは妹のお前と再会できてとても喜んでた。それを知っていながら僕はお前の心をかき乱すあいつに嫉妬してた」

「でもそれは兄さんがちゃんと私に話してくれなかったのがいけなかったと思う」


 大野さんの会社乗っ取りを企てた人間の存在を知って、その相手に復讐しようと目論んだ伊理也は私に兄と名乗ることをしなかった。

 だからあの時私は短い間恋してた、誠君に。

 腹違いの兄の伊理也に。

 私にとってそれは初恋で、そしてどこか無邪気な伊理也は私の心に気づかなかった。

 けれど良史亜は私の心に気づいてたんだ。


「それなら私だって同じだと思う。遠山さんと漣君といる良史亜を見たとき胸がひりひりして痛かったの」

 彼は私の髪を撫でて言った。

「それと僕は昔、小学校で桐絵をいじめた子にひどい仕返しをしたことがある」



 伊理也は良史亜の心の強さを信じて私のことを彼に頼んだ。

 幼くて伊理也のことをよく覚えていない私は、いつも良史亜を実の兄のように頼って誇りに思っていた。

 でもそのせいで、私が傷つけばその分良史亜も傷つき激しい怒りになった。

 彼はその事を忘れてないし、きっと自分だけの罪と思ってる。


「そうだったんだね。でもそれは良史亜の心が醜いからじゃないよ。その頃の私が弱くていじめを跳ね返せないから良史亜が代わりに怒った。そうでしょう?」

「僕が悪いことをしたのに変わりはない。けど『お前なんかいらない、消えろ』そう言われて来た僕が強く生きられたのは桐絵がいたからだ。お前を傷つけるものを僕は許せなかった」

「良史亜が心を削って苦しいことを引き受けたのは、私が傷つけたようなものだよ。ごめんね、もう大丈夫。そんなことはさせないから」


 今はまだ微熱のために良史亜の目が少し赤い。

 けど、私に向けた眼差しはしっかりとしていた。

「桐絵には自由に、思うように生きて欲しい。でもお前を独り占めしたくて葛藤してきた。僕は桐絵が好きだよ。もうずっと、……ずっとだ」


 初めてさらけ出された剥き出しの良史亜の心。

 もう離したくない。


 私は床に立膝をして彼の頭を抱きしめた。

「いつも、良史亜の心をこうしてあげられるようになりたいの」


 でも彼は答えずにそっと私の腕を解いた。


 もう一度良史亜を抱きしめようとした。

 けれど彼は私の両腕を抑えて目を見ると諭すように言った。

「だめだよ。離れて桐絵、な?」

「いや!」

 良史亜はまた咳をして息を乱す。

 私は逆らってもう一度彼を抱きしめた。


「どうして困らせる?ナースになろうってのに病気の僕を哀れと思わないのか」

 けどそう言った彼の瞳は笑っていて、つられて私も笑う。

「良史亜を哀れなんて、ちっとも思わない」

「ひどい子だな」

「ひどい子でいいよ。強くて優しくて、暴力を受けても心が捻じ曲げられていない良史亜が好き。それでもこの気持ちは依存なの?間違ってるの」


 再び巻きつけた腕を緩めて私が正面から見つめたら彼は小さく首を横に振った。

「僕は悪い子だった。今も辛そうにして優しいお前の気持ちを手に入れるつもりだったら?」


 今度は私が首を横に振った。

「悪い子じゃないよ。良史亜は自分のためにそんなことしない」


 彼に回した私の腕を解いて手をとると、良史亜は私の瞼に手をかざして優しく囁いた。


「どうかな?目を閉じて桐絵」


 もう逆らったりできない。


 言葉通りにすると、彼の指が私の髪をかきあげる。

 その手が頭の後ろに回され、閉じた二つの瞼に柔らかく熱いキスが落とされた。


「あ、……」

 その熱が頬を辿り私の唇をとらえた。




 次の日良史亜に付き添って病院に行くと、やはり彼はすぐに入院することになった。


 昨日は友達二人との予定をドタキャンしたので、お詫びと一緒に良史亜と病院に行くので休むけど自分の病欠という事にする、とLINEして大学は欠席した。


 これまでの人生で一番目まぐるしくて忘れられない誕生日。


 二十歳になって。

 好きな人に初めて好きと言った。

 好きな人からも好きだって言われて、それから。


 あの後、別の部屋に布団があると言って良史亜はパジャマ代わりにトレーナーとスウェットを貸してくれた。

 でも熱は下がりきらないし私は彼のベッドのそばに布団を運んで寝ようとした。


「だめ。そんな事しなくていい」

「いや!お布団の部屋はここから一番遠くだよ。具合悪くてもわかんないよ」

 言い返して小競り合いになり、しまいに彼が「僕が黙って入院していれば良かったよな」と折れた。


 夜中に良史亜は何度も咳き込んでまた熱が上がった。

 私は薬を飲ませたり冷却シートを取り替えたり、汗をかけば着替えを手伝ったりした。


「誕生日に、迷惑かけてすまない」

 咳のせいで掠れた声で良史亜は言った。

「ううん、前より良史亜のことがわかってすごく嬉しかった。いい誕生日」

 私は笑って灯りを消した。

「おやすみなさい、辛いの我慢しないで呼んでね」


 そうしたら暗がりから良史亜が言った。

「少しだけ手をつないでもいいか?」


 暗くて彼には見えないはずだけど、そう言われたら頬が火照る気がした。

 熱が上がって気だるそうな良史亜、やっぱり不安になるのかな。


「いいよ」

 ベッドから下げられた彼の手に触れたら指が絡んだ。


 良史亜と手をつないだのって、どのくらい久しぶりだろう。

 でも幼かった私の手が覚えてるのは、こんなつなぎ方じゃない。

 懐かしいけどドキドキして、でも安心していつのまにか眠っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ